あたたかな光の中で




 内側からドアが開くと同時に、悪戯っぽく鼻をくすぐるようないい匂いが廊下の奥のキッチンから漂ってきた。
「ちょうどよかった。駅前の酒屋さんでおいしそうなワインを見つけたから買ってきたのよ」
 小さく鼻を鳴らして、香山純子は、ドアを開けて出迎えた辰野智美の目の前に、包装紙に包まれたワインの瓶を突き出した。
「あら、珍しいですね。あまりお酒を召しあがらない先生がご自分でワインだなんて。何かいいことでもおありなんですか?」
 両手でワインの瓶を受け取った智美は、先に廊下を歩き出した純子の後ろ姿に声をかけた。
「これからいいことがあるのよ。詳しいことは夕飯を食べながら話すわ」
 応える純子の声は弾んでいた。

 カリフォルニア産のさっぱりした赤ワインは、智美が朝からじっくり煮込んでいたビーフシチューの豊かな味をいっそうふくよかに感じさせた。
「先生、さっきのお話なんですけど……」
 ビーフシチューを半分ほど食べたところで、智美が遠慮がちに話しかけた。
「ああ、そうだったわね」
 ワインの酔いのせいだろう、目の下のあたりをほんのり赤くして純子は言った。
「坂井さんのこと、知ってるわよね?」
「ジュエリー・シンの坂井さんのことですか? ……ええ、よく存じています」
 知っているもなにも、五年前、智美は坂井が経営している宝飾品ブティック=ジュエリー・シンのチェーン店の一つに勤めていたのだ。一介の店員にすぎない智美がオーナーと顔を会わせることは滅多になかったものの、それでも、そのいかにも上品な顔つきや洗練された物腰は今でもよく憶えている。
「じゃ、坂井さんのお嬢さんのことも憶えてる?」
 純子は続けて訊いた。
「あ、はい。私が勤めていた頃、たしか小学校の高学年だったから、今は高校生でしょうか。美代子さんでしたっけ?」
「そう、美代子さんよ。その美代子さんをね、今度、うちで預かることになったの。坂井さんが原石の買い付けに南アフリカへ行ってる三週間の間」
 言って、純子はワインをくいっと飲み干した。ひごろの純子からは考えられないことだった。
「え、でも、どうしてですか?」
 要領を得ない顔で智美は訊き返した。
 智美にしても、坂井の家の事情に詳しいわけではない。美代子が幼稚園にあがる前に美代子の母親が事故で亡くなって、それ以来、坂井は再婚もせずに仕事に打ち込んだらしいこと、そして、その結果として、親の代から引き継いだ宝飾品店を全国的にも名の通ったチェーン店にまで発展させたことくらいしか知らない。
「坂井さんが一年の半分くらいを海外で過ごしてるってことは智美さんも知ってるでしょう? そう、ちょっとでも興味を惹きそうな石があると現地まで飛んで行って自分の目で確かめないと気がすまないのね。その確かな鑑賞眼があったからこそ、今の地位もあるんでしょうけど」
 そう言って、純子は少し間を置いた。そうして、続きを促すように頷く智美の顔に目をやって再び口を開く。
「坂井さん自身はそれでいいわよ。存分に満足できるまで自分の仕事だけに目を向けていればいいんだから。でも、可哀想なのは美代子さんよね。小さい頃にお母様を亡くした上に、仕事ばかりのお父様には殆ど構ってもらえないんだから」
「あ、はい……」
 純子が何を言いたいのかわからなくて、智美は曖昧に頷いた。
「坂井さんが海外へ行ってる間、美代子さんは、広いお屋敷でお手伝いさんと二人きりになっちゃうんだって。美代子さんが生まれるずっと前からいてくれるお手伝いさんで、よく気のつく面倒見のいい人らしいけど、でも、何週間も二人きりじゃね。――しかも、今度はそのお手伝いさんも故郷の方でとても大事な法事があるとかで、坂井さんが南アフリカへ行ってる間のうち一週間ほどは、美代子さん一人きりらしいのよ。このまえ会った時、そんなことを聞いたの」
 ジュエリー・シンのオーナーである坂井と宝飾デザイナーである純子とは、仕事がら、いろいろな場所で顔を会わせることが多い。新作の発表会でのこともあるし、新しく開店したチェーン店の開店パーティーでのこともあり、宝飾業界の業界誌での対談ということもある。そんな中で、プライベートな話題も少しくらいは口にのぼるだろう。
 それに、坂井と純子とは、智美のこともあって、単に仕事上のことだけではなく少なからず懇意にしているから尚更かもしれない。
 先にも書いたように、智美は五年前、坂井が経営する店に勤めていた。もともとは田舎の方の生まれだったが、高校を卒業してすぐ、華やかな都会の生活に憧れてこの街へ出てきたのだった。そして、きらびやかな都会の中でもいっそう華やいで見える宝飾関係の仕事に就いた。それが、ジュエリー・シンだった。ところが、田舎育ちのせいなのか、何かにつけて動きがのんびりしていて、客に対して洒落た褒め言葉をかけることもできずにいた。そのせいで次第に店の中でも疎んじられるようになってしまい、本人も焦るばかりで仕事も手につかず、智美と他の従業員とのぎくしゃくした関係が、いつのまにか店全体の雰囲気に陰を落とし始めるようにさえなっていた。そんな状態をみかねた坂井が、或る時、純子に相談を持ちかけたのだった。ちょっとしたパーティーの席で酒も入っていたから、坂井にしても、本気で相談するというよりも、顔見知りの純子に少し愚痴めいたことを言って気晴らしにしようというくらいのことだったのかもしれない。けれど、自分も田舎育ちで都会へ出てきた当初は随分と戸惑うことも多かった純子にしてみれば智美の話が他人事とも思えず、その数日後には智美が勤めている店を訪れていた。そうして、昼休みを利用して食事に連れ出し、いろいろと話をしてみて、少し対人関係が下手なだけで他のことについては全く普通の少女だと知った純子は、その場で、住み込みのアシスタントにならないかともちかけたのだった。智美も少しは迷ったものの、このまま店にいても続かないだろうということは自分でもわかっていたし、なにより、宝飾デザインという華やかな言葉の響きには勝てなかった。そして翌日には、智美は店長に辞表を手渡した。それが結局、店の為にも智美自身の為にもなったのだ。人づきあいがあまり上手ではない智美は純子のもとで家事一切をこなしながら宝飾デザインを基礎から教えこまれ、最近では、もともと持っていたセンスの良さを垣間見せるまでになっていた。
 そんなことがあって、なかなかプライベートなことを口にしない坂井も、純子にだけはいろいろと相談をもちかけてくるまでに懇意になったのだった。

「だから、坂井さんが南アフリカへ行ってる間、うちで美代子さんを預かることにされたんですね」
 おおよその事情はわかった。納得したように頷いて、智美は笑い声で先を促した。
「それで?」
「それでって……それだけよ」
 わざとのように、とぼけた声で純子は言った。だけど、純子の声がどこか悪戯めいているのを智美は聞き逃さない。
「駄目ですよ、先生。本当は何が目的で美代子さんを預かられるんですか?」
 くすっと笑って智美は訊き返した。
 この家に来てから五年が経つ。その間に、智美はすっかり純子の性格を把握していた。何をするにしても、親切心だけで行動する純子ではない。思えば、智美のこともそうだった。その経緯だけを聞けば、親切心から智美を自分のもとに引き取ったと思われるかもしれない。けれど、実際のところは、智美がセンスの良さをひめていたからこそアシスタントにしたに他ならない。もしも智美が本当に才能もない普通の少女だったら、純子は微塵の興味もしめさなかっただろう。それが、智美自身も気づかなかったデザインセンスを見抜いたからこそ、純子は智美を自分の手元に置くことにしたのだ。最近になって、ようやく智美はそのことに気がついた。そうして、そう思って純子の行動を見ていると、全ては何かの意図や狙いを持ってのことだということがはっきりしてくる。おそらく、坂井と懇意にしているのも、何か狙いがあってのことにちがいない。美代子を預かると言い出したのも、その企みを成功させるために、これまで以上に坂井と懇意になるためなのは智美の目には明らかだった。
「やれやれ、困った子だこと。いつのまに、そんなひねくれた物の見方をするようになっちゃったのかしらね」
 言葉とは裏腹に、てんで困ったふうもなく、むしろ楽しげにくすくす笑いながら純子は言った。
 そんな純子を、智美も嫌いではない。才能を見い出してくれたのは純子だし、田舎から出てきて自分の才能だけを信じて、うわべの華やかさからは信じられないような過酷なこの業界で生きてきたのだ。むしろ、何か企みをもっている方が自然だろうし、少なくとも智美だけにはそんなところを隠そうともしない開けっ広げな性格には好感さえ抱いてもいる。
 いつのまにか二人ともスプーンを持つ手を止めていた。
「いいわ、教えてあげる。そのかわり、智美さんにも存分に手伝ってもらうわよ」
 ひとしきり笑ってから、純子は、ワインを注ぎ直したグラスを持ち上げた。蛍光灯の光を透かして、ワインは紅く輝いて見えた。
「ルビーの色ね。それも、微妙に不純物を含んだ天然のルビーの色。――こんな石を好きなだけ使って思いきったデザインの作品を作ってみたくない?」
「素敵でしょうね」
 言われて、うっとりした目でワインのグラスを眺めながら智美は応えた。
「いくらデザインが良くても、結局は素材よ。私たちがどんなに頑張っても、石を造り出すことはできないの。だから、私は最高の素材を手に入れたいの。限りなく意欲をかきたててくれる素晴らしい石をね」
 グラスを睨みつけるようにして、純子は溜め息をついた。
「それが目的なんですね?」
 やっとわかったというように智美は純子の顔に目を移した。
「そうよ。坂井さんはね、本当に気に入った石は商品にしないの。ほんの少しの研磨も入れずに、掘り出したままの姿でコレクションしているの。私がまだ駆け出しの頃、私にいろいろ教えてくれた人に連れられて、一度だけ、コレクションの中のほんの一部を見せてもらったことがあるの。鳥肌が立つような石ばかりだったわ。――コレクション全部だなんて言わない。一つだけでいいのよ。坂井さんのコレクションを私の手で研磨して最高の作品に仕上げてみたいの」
 ひごろの冷静な純子からは想像もつかない、熱に浮かされたような声だった。それは、けれど、ワインに酔ったためばかりではないのだろう。
「いくら頼んでも無理なことはわかってる。何度も、それとなく探りを入れてみたんだから。でもね、無理だとわかっているから、余計に手に入れたいのよ。だから、お嬢さんを預かることにしたの」
「先生……」
 智美の声はこわばっていた。
「誤解しないでね。まさか、お嬢さんを人質にするだなんてことは考えてないんだから」
 悲鳴じみた智美の声に、純子はやんわりと応えた。
「だけど、じゃ……」
「うちでお預かりしている間に、お嬢さんにお願いしてみようと思ってるのよ。私が坂井さんにお願いしても聞き入れてもらえないのはわかっているから、お嬢さんを通じて、坂井さんを説得していただけるように」
「でも、美代子さんがそんなことを承知してくれるでしょうか。お父様にとってそのコレクションがどれほど大事なものかは美代子さんも知っているでしょうし」
 少しは安心したような顔つきになりながら、それでもまだ不安の色を隠しきれずに智美は言った。
「だから、時間をかけてお願いしてみるのよ。こちらの気持ちをわかってもらえるまでね」
 純子は、にっと笑った。
「何を企んでらっしゃるんですか、先生?」
 非難するような言葉とは裏腹の、こちらも今にも笑い出しそうな智美の声。
 純子の笑顔を目にした智美の顔には、もう不安の色は微塵も残っていなかった。それどころか、純子の、悪戯を企てる子供のような顔を見ると、知らず知らずのうちに智美も胸の中がわくわくしてくるのだった。純子の性格に気がついてからのここ一年間くらいは決まってそうだったし、これからもそうなるだろうという気もある。どこがどうと説明するのは難しいけれど、いつのまにか純子に――自分の欲望を包み隠さずに堂々とあからさまにする、或る意味では子供のように真っ直ぐな純子に魅入られてしまったかのような智美だった。
「何度か会ったことがあるけど、本当に可愛らしい人ね、美代子さんは」
 はぐらかすみたいに純子は言った。
「え? ええ、そうでしょうね。小学生の時の美代子さんしか知りませんけど、その時から可愛らしいお嬢さんでしたから」
 思い出すように両目を細くして智美は相槌を打った。
「そうね、智美さんは今の美代子さんを知らなかったわね。でも、たぶん智美さんが思っている以上に可愛らしいお嬢さんよ。小柄で色が白くて目が大きくて、まるでお人形みたい」
 そう言って純子は意味ありげに微笑んで、それからゆっくり言い直した。
「ううん、まるで赤ちゃんみたいに可愛らしいのよ」
「……」
 純子の微笑みの意味がわからずに、智美は無言で次の言葉を待った。
「可哀想に、美代子さん、小さい頃にお母様を亡くされているのよね。だったら、うちにいる間、私のことをお母様の代わりだと思って甘えてもらえてもらえると嬉しいわね。私もほら、仕事ばかりで、結婚もしないまま気がついたら、この歳だもの。一度くらいは育児の真似事もしてみたいしね」
 どこかうっとりした目で天井を見上げて純子は言った。そして、唇の端を吊り上げるような笑い方をして視線を戻す。
「そうやって母親と娘として気持ちを通じ合わせることができたら、きっと美代子さんも私の言うことに耳を貸してくれると思うのよ。もちろん、智美さんも手伝ってくれるわよね?」




 坂井が旅立ったのは、美代子の高校が夏休みに入って三日目のことだった。
 純子と一緒に空港まで坂井を見送りに行った美代子がそのまま純子の家へやって来た時にはもう夕方になっていた。
 智美と簡単な挨拶を済ませ、純子に連れて行かれた部屋で荷物を片付けた美代子がダイニングへ戻ってくると、夕食の準備が整っていた。さすがに智美が腕によりをかけて作った夕食だった。初めての家だという遠慮も忘れて、美代子は料理をきれいに平らげてしまった。そんなこともあって、誰に対してもどこかよそよそしい態度を取ることの多い美代子には珍しく、食後のお茶の時間には、もうすっかり純子の家に馴染んでいた。

「あ、ふ」
 つい気持ちが緩んでしまったのか、ティーカップをテーブルに戻すなり、美代子は欠伸をもらした。
「疲れたみたいね、美代子さん。お父様をお見送りしてすぐにここまで来たんだから仕方ないわ。今日はもうこのまま休んだ方がいいんじゃないかしら」
 慌てて口元を押さえる美代子に、純子は笑顔で言った。
「それじゃ、私がお布団の用意をしてまいります。お嬢様はここで少しお待ちください」
 純子の言葉に智美が立ち上がった。
「あ、あの、お布団なら自分で敷きます。だから……」
 照れたように顔を赤くした美代子も、智美に続いて椅子から立ち上がりかけた。自分の家では、古くからいるお手伝いの女性も美代子のことを名前で呼ぶから、急に『お嬢様』と呼ばれると恥ずかしくて仕方ない。
「いいのよ、美代子さん。あなたは坂井さんからお預かりしている大切な方です。だから、どんなことでも智美さんにまかせておけばいいの。美代子さんは自分じゃ何もしなくていいのよ」
 立ち上がろうとする美代子の肩をやんわり押さえつけて、言い聞かせるように純子は言った。
「でも……」
「まさかとは思うけど、何かあって美代子さんに怪我でもさせるようなことになったら、それこそ私は坂井さんに顔向けできなくなっちゃうわ。だから、私のためだと思って、みんな智美さんにまかせてもらえないかしら」
 意外に強い純子の口調だった。
 そうまで言われると、これ以上は返す言葉がない。
「……はい」
 少しだけ考えて、美代子は小さく頷いた。
「わかってもらえて嬉しいわ」
 純子は目を細めて頷き返した。
 待つほどもなく智美が戻ってきて、お布団の準備ができましたと二人に告げた。
 けれど、そのほんの僅かの間に、美代子の目が急にとろんとしてきた。こらえきれずに、生欠伸を何度も繰り返している。
「大丈夫ですか、お嬢様?」
 智美がちょっと心配そうに美代子の耳元で言った。
「はい、少し疲れただけだと思いますから……」
 美代子は、大丈夫というようにわざと大げさに椅子から立ち上がってみせた。けれど、足元が覚束ない。
 慌てて智美が美代子の体を支える。
「よほど疲れてるみたいね。智美さん、そのまま、お部屋まで連れて行ってあげてちょうだい」
 純子も心配そうに美代子の顔を覗きこんで智美に指示した。
「はい、先生」
 美代子の体を抱えるようにして、智美はゆっくり歩き出した。

 やっとのことで部屋に辿りつくと、美代子は、倒れこむように布団の上に横たわった。
「お嬢様、着替えてからお休みにならないと……」
 智美の声が、どこか遠い所から聞こえてくるみたいだった。
 ええ、そうですねと応えたような気はする。でも、きちんと口に出して応えたのかどうか自分でもわからない。
 引きずりこまれるみたいに瞼を閉じて、美代子は意識を失った。




 何度も瞼が震えて、やっとのことで美代子は目を開けた。ゆっくり眠ったような気もするし、なのに、まるで眠っていないような気もする、なんだかおかしな感じだった。
 ぼんやりした頭を枕の上で二度三度と軽く振ってから、美代子は両手を床についてのろのろと上半身を起こした。
 体にかかっていた薄い布団がすっと滑って、お腹の上のあたりで止まる。
 美代子は自分がパジャマを着ていることに気がついて、それでようやく、昨夜のことを思い出した。やだ、私――美代子の頬が赤く染まる。夕食の後お茶を飲んでて、どうしても我慢できなくなって、そのままお布団に入っちゃったんだっけ。おば様と智美さんが着替えさせてくれたのかな。あとでお礼を言わなきゃ。でも、この家にきた早々こんなことしちゃうなんて、二人とも私のこと、だらしのない子だと思ってないかなぁ。
 美代子は軽く溜め息をついた。
 と、ドアのノブがまわる音がして、美代子を起こさないようにという気遣いだろう、足音を忍ばせるような感じで智美が部屋に入ってきた。
「あ、お目覚めでした?」
 体を起こしてこちらに顔を向けた美代子の姿を目にして、どことなくほっとしたように智美は言った。
「あ、あの、昨夜はすみませんでした。えと、パジャマ……」
 パジャマに着替えさせてもらったんですねと言いかけて、美代子は途中で言葉を失った。なんだか妙な感触が下腹部から伝わってくることに、その時になって気がついたからだ。
 冷たいみたいな、へんに生温かいみたいな、じっとり濡れたような感触。
 まさか!?――叫び出しそうになりながら、慌てて美代子は言葉を飲みこんだ。
「どうなさったんですか?」
 美代子の顔色が変わったのを智美は見逃さなかった。
「い、いえ……なんでもないんです」
 お腹の上で丸まっている布団をかき寄せるようにしながら美代子は首を振った。
 そんな美代子の仕種が自然なわけがない。
「お体の具合が良くないんですね? お腹が痛むんですか? ちゃんとおっしゃってください。でないと、私が先生に叱られます」
 智美は急ぎ足で美代子のそばまでやって来ると、少しばかり強引に布団を剥ぎ取った。
 あっと声をあげて美代子は布団を引っ張り返そうとしたけれど、智美の方が早かった。
 ふわりと浮いた布団は、美代子の体のすぐ横に、幾つものシワになって広がった。
 敷布団の上に上半身を起こした美代子の体が現れた瞬間、智美は、信じられない物を見てしまったような表情を浮かべた。そうして、二度三度と美代子の顔と下腹部を見比べるように首を振る。
 一瞬、部屋の中が静かになって、その後、智美がばたばたと廊下へ飛び出す足音が響き渡った。
「先生、大変です、お嬢様が……」
 慌てて駆け出しながら、智美は大声で叫んでいた。
 ひとり残された美代子はどうしていいかわからずに、ただ、智美が開け放ったままにしていったドアをぼんやりと見つめているだけだった。

 しばらくして、智美は純子と一緒に戻ってきた。
「美代子さん、あなた……」
 部屋に足を踏み入れた純子は、美代子の姿を見るなり言葉をなくした。
 美代子は、今更のように両手で自分の股間を覆った。
 が、そんなことで、パジャマのパンツいっぱいに広がったシミを隠してしまえるわけがない。たとえパジャマのシミを隠すことができたとしても、美代子のお尻のあるあたりを中心にして大きく広がった布団のシミまでは隠せない。
 そう、美代子が眠っている間に作ってしまった薄い黄色のシミまでは。
「おねしょの癖があるならあるで、先にそう言っておいてくれれば、こちらも対応の仕方があったのに」
 純子が口を閉ざしたのは僅かな間だけだった。軽く首をかしげてみせてから、純子はいたわるようにそう言った。
「ち、ちがいます。おねしょの癖だなんて、そんな……」
 眠っている間にパジャマも布団も濡らしてしまった。それは確かだ。恥ずかしいけれど、おねしょに間違いない。でも、それを、『癖』だなんて、毎夜しくじっているように思われるなんて。
「あら、違うの?」
 どことなく意味ありげに、ねっとりした声で純子は訊き返した。
「そ、そりゃ、小さい頃はおねしょもしてたと思います。でも、でも、今は、おねしょなんてしません」
 自分で口にした『おねしょ』という言葉に頬を赤らめながら、美代子は、今にも消え入りそうな声で言った。
「そう。じゃ、昨夜だけ特別ということなのね?」
 股間を押さえてもじもじしている美代子の顔を覗きこむようにしながら、純子は念を押すみたいに言った。
「あ、はい……あの、初めてのお家で緊張しちゃったせいかもしれませんし、だけど、あの……」
 しどろもどろになりながらも、とにかく言い訳するしかない美代子だった。




 けれど、美代子のおねしょは、その日だけではすまなかった。
 次の日も、またその次の日も、朝になって目が覚めるとパジャマも布団もびしょびしょにしてしまっていることに気がつく日が続いた。
 そのたびに、まだ湯気を立てていそうなパジャマとシーツを智美に渡して洗ってもらう美代子。受け取る智美はいつも優しい顔をしていたけれど、おどおどした様子で濡れたパジャマを差し出す美代子の顔は、今にも泣き出しそうだった。

 そうして、四日目のこと。
「あのね、美代子さん」
 いつものように三人でゆっくり夕食をすませてお茶を飲んでいると、純子がためらいがちに口を開いた。
「はい、おば様」
 たぶん毎夜のおねしょのことに関係あるんだろうなとちょっとばかり暗い顔になって、美代子はおずおずと純子の顔を見た。
「なんていうか、言いにくいことなんだけど……まだ治らないみたいね?」
 やっぱり、その話だった。
 美代子は無言で小さく頷いた。
「それでね、このままだと、智美さんの負担になっちゃうのよ。そりゃ、美代子さん一人分の洗濯が増えるくらい、なんてことないかもしれないわよ。でも、シーツまで毎日洗うわなきゃいけないなんてことになると、やっぱりね」
 言い聞かせるみたいな純子の口調だった。
「あ、いえ、私はいいんです。シーツの一枚や二枚、全自動の洗濯機ですから。ただ、お布団が傷んじゃうんじゃないかと、それが心配で先生に相談しただけですなんです」
 カップを片付けながら、智美はとりなすように言った。
「あの、私……」
 どう応えていいかわからずに、美代子は顔を伏せた。
「あ、いいのよ。そんなにしょげないでちょうだい。私たちは美代子さんを責めてるわけじゃないんだから。ただ、少しでも智美さんの負担を減らしたいだけなの。――それでね、二人で相談して用意した物があるの。それを今夜から使ってほしいって、お話はそれだけなのよ」
「用意した物、ですか?」
 なんとなく要領を得ない顔で、美代子は曖昧に訊き返した。
「とりあえず、お風呂に入ってらっしゃい。その間に智美さんに準備しておいてもらうから」
 そう言って純子は智美に向かって目配せをした。
「わかりました。じゃ、お先にお風呂を使わせていただきます」
 のろのろと椅子から立ち上がった美代子は廊下に足を踏み出した。
「私はちょっとしたパーティーがあるから、これから出かけます。ひょっとしたら今夜は帰ってこないかもしれないけど、私たちの用意した物、ちゃんと使ってちょうだいね。約束よ」
 美代子の後ろ姿に声をかける純子の瞳は妖しく輝いていた。

 湯船につかっている間についうとうとしてしまって、美代子は慌てて頭を振った。
 けれど、そんなことくらいでは眠気はなくならない。
 この家に来てから、ずっとこうだ。お茶の時間にぼんやりしてしまうというようなことは最初の日だけだったけれど、その後も、食事を終えてお風呂に入っている間に、決まって眠くなってくる。
 慣れない家で緊張してるせいかしら? やっぱり、おねしょもそのせい?
 もういちど頭をぶるんと振って、美代子は湯船から出た。それから脱衣場で手早く体を拭くと、自分の家から持ってきた半袖のベビードールタイプのパジャマを身に着けてバスルームをあとにした。
 そうして美代子が部屋に戻った時には、きちんと布団が敷いてあった。
 もう眠くてたまらない美代子は、そのまま布団にもぐりこもうとした。が、枕元に見慣れない物が置いてあるのに気づいて床に膝をつくと、眠気でぼんやりしかけてくるのを我慢して、じっと目を凝らした。
 それが何なのかわかった瞬間、美代子は戸惑いの表情を浮かべた。――美代子の枕元に置いてあったのは、水玉模様のおむつカバーだった。それも、家庭科の保育実習で使ったことのあるのに比べると随分と大きなおむつカバーだ。
 私たちの用意した物、ちゃんと使ってちょうだいね。頭の片隅に純子の言葉が甦ってきた。
 まさか? 戸惑いの色を浮かべていた美代子の顔に羞恥の表情が混ざった。おば様が用意した物って、まさか、これのこと!? いくらおねしょが続くからって、だけど、まさかおむつだなんて。
 真っ赤な顔で美代子は枕元のおむつカバーを睨みつけながらおそるおそる手を伸ばしかけて、でも、すぐにその手を引っ込めた。
 赤ちゃんでもないのにおむつだなんて。なぜとはなしにどきどきと高鳴る胸を両手で押さえると、美代子はおむつカバーから目をそむけるようにしながら掛布団の端を持ち上げた。そうしながらもちらと目を向けると、すぐそこには水玉模様の大きなおむつカバーがある。ぎゅっと目を閉じて、美代子は頭まで布団の中にもぐりこんだ。




 その翌日も、それまでと同じだった。
 洗濯の用意を始めている智美に、美代子は、自分のパジャマとショーツをそっと差し出した。
「先生と私とで用意した物、お使いいただけなかったんですね」
 いつもと同じようにパジャマを受け取りながら、智美はぽつりと言った。
「あ、あの、だって……」
 美代子は口ごもってしまった。
「そうですよね。赤ちゃんでもないのに、おむつだなんて、お恥ずかしいですよね。――あ、気になさらないでくださいね。昨夜も言ったように、お嬢様のパジャマの洗濯が大変だなんてことはありませんから」
 いたわるように、でも、聞きようによっては美代子の羞恥心をひどくくすぐるような言い方をする智美だった。
「ただ、このこと、先生には報告をさせていただきます。ひょっとしたら先生、お嬢様が先生とのお約束を破られたこと、とっても悲しく思われるかもしれませんけれど」
「約束だなんて……」
 言いかけて美代子は顔を伏せた。
 『おむつ』という言葉を自分から口にするのは恥ずかしかった。だいいち、ちゃんと約束したわけじゃない。それに、まさか、用意してあるのがおむつだなんて、おば様は一言も言ってくれなかったんだから。

 昨夜のパーティー会場だったホテルの一室に泊まって、そのまま仕事場へ向かった純子が自分の家に帰ってきたのは、その日のかなり遅くなってからだった。
 智美と二人きりの妙に静かな夕食を終え、そそくさとお茶を飲んで入浴を済ませ、いつもみたいに眠気を覚えながら部屋のドアを開けた美代子は、部屋の中に純子がいるのを目にして息を飲んだ。
「おじゃましているわよ、美代子さん」
 思わず気まずそうな表情を浮かべる美代子に向かって、枕元に正座した純子が笑顔で言った。
「お、お帰りだったんですね、おば様」
 咄嗟のことにどう応えていいかわからずに、美代子は体を固くしてそれだけを言うのが精一杯だった。
「ええ、美代子さんがお風呂に入っている間に帰っていたのよ」
 純子は笑顔で頷くと、思わせぶりに少し間を置いてから言った。
「智美さんから聞いたんだけど、昨夜はこれを使ってくれなかったそうね?」
「これって、あの……」
「これと言ったら、これよ」
 純子は、枕元に置いてある大きなおむつカバーを指差した。
「だ、だって、おむつだなんて……赤ちゃんじゃないのにおむつだなんて……」
 顔を真っ赤にして美代子は口ごもった。
「でも、美代子さんはおねしょが治らないんでしょう? 毎晩おねしょをするような子は赤ちゃんと同じよ。だから、おむつなんです。わかるでしょう?」
 少しきつい口調で純子が断言した。
「でも、でも……」
「どうしても嫌だと言うのなら、坂井さん――お父様に報告しなくてはいけないわね。美代子さんのおねしょが治らなくて智美さんの家事が増えてしまっていることを。そうすれば、お父様も何か方法を考えてくださるかもしれないし」
 純子は平然と言ってのけた。
「だめ!! おねしょのこと、パパには言わないで。パパには……」
 坂井の名前を持ち出した途端、美代子は表情を変えた。母親を亡くして以来、仕事にしか興味を持たないように見える父親が、けれど実際にはどれほど自分のことを愛してくれているか、美代子は身にしみて感じている。幼い頃には、仕事にしか興味をしめさないように見える父親に対してひどい孤独感や憎しみさえ覚えたものだったが、成長するにつれて、亡くなった母親の面影を自分が色濃く受け継いでいることに気づくと、その面影を見るにつけ父親が寂寥感に苛まれるのだと知って、美代子は父親の本当の気持ちに触れたような気がした。それほど母親を愛していた父親。その父親にこれ以上の心配をかけるわけにはいかない。
「いいわ、お父様への報告はしばらくお預けにしましょう。その代わり、美代子さんも私との約束を守ってくれるわね?」
「……はい」
 美代子は力なく頷いた。
「はい、それじゃ」
 純子も軽く頷き返すと、すぐ目の前にあるおむつカバーをそっと持ち上げて敷布団の上に移した。そうして、前当てを留めているスナップボタンを一つずつ丁寧に外し始める。
「あ、あの、おば様?」
 美代子は純子に不安げな声をかけた。
 けれど、純子は一言も応えることなく、ゆったりした動作で両手だけを動かし続ける。
 ボタンをみんな外しておむつカバーの前当てを静かに広げ、横羽根を左右に伸ばすと、おむつカバーの中に折りたたんでしまってあった布おむつが出てくる。動物柄の、それこそ赤ん坊が使うような布おむつだった。
 純子はおむつカバーの上に改めて布おむつを広げ直すと、ドアの所に立ちすくんだままの美代子の顔を見上げて言った。
「さ、準備はできたから、ここにお尻を載せてごらんなさい」
「え……?」
 言われた美代子は、何を言われたのかわからないみたいな顔になる。
「私がおむつをあててあげる。だから、こちらへいらっしゃい」
 こともなげに純子は繰り返した。
「そんな……だって……」
 かぶりを振って美代子は後ずさった。
「約束した筈ですよ。それとも、やっぱり、お父様に報告した方がいいのかしら」
 すっかりおむつの用意を整えて、純子は、正面から美代子の目を見据えた。
「あの、あの……自分でします。後で自分でしますから……」
 敷布団の上に広がった布おむつとおむつカバーに両目を釘付けにしたまま、美代子は体を退いた。
 と、誰かの手に背中をとんと押されて、そのまま部屋の中に押し返されてしまう。
 慌てて振り返った美代子の目に映ったのは智美の顔だった。
「遅くなりました、先生。後片付けも終わりましたから、お手伝いいたします」
 後ろ手でドアを閉めながら、もう一方の手で美代子の背中を支えるようにして智美は言った。
「そうしてもらいましょう。昨夜のこともあるから、美代子さんには今のうちにおむつをあてておいてあげた方がいいでしょう。智美さん、美代子さんをこちらへお連れして」
 すっと目を細めて純子は智美に言った。
「どうぞ、お嬢様」
 腕を美代子の体に絡めるようにして智美が歩き出した。
「いや、いやです。赤ちゃんじゃないのにおむつなんていやです。おば様たちにおむつをあててもらうなんていやです。後で自分でします。きっと自分でします。だから許して」
 美代子は身悶えした。
 けれど、頭一つ背の高い智美の腕から逃げ出すことはできない。
 ずるずると引きずられるようにして、気がつくと、美代子は敷布団の端に立っていた。
「はい、そこでいいわ。それじゃ、パンツを脱いでね」
 目の前におどおどした様子で立った美代子の顔を振り仰いで純子は言った。
 けれど、美代子が動き出す気配はない。ただ、唇をぎゅっと噛みしめて、力なく頭を左右に振るばかりだ。
「仕方ないわね。智美さん、手伝ってあげてちょうだい」
 いつまでもぐずぐずしている美代子をみかねたように、純子は智美に目を向けた。
「はい、先生」
 応えるが早いか、智美は、美代子が身に着けているパジャマのフレアパンツに指をかけた。
「ま、待ってください……」
 智美の指がかかった途端、美代子は弱々しく叫んで智美の手を押し返した。そうして、ごくりと唾を飲みこんで、蚊の鳴くような声で言葉を続けた。
「……自分で脱ぎます。だから、少し待ってください」
 誰かの手で強引に剥ぎ取られるよりは、自分で脱ぐ方がまだしもだった。
 美代子は唇を震わせながら浅い呼吸を何度も繰り返してから、のろのろとフレアパンツを足首まで引きおろした。それから、ショーツも。
 年齢のわりにはまだ生え揃っていない茂みがあらわになった。
「あら、あまり濃くないのね。でも、その方が美代子さんにはお似合いよ。赤ちゃんみたいに可愛らしい美代子さんにはね」
 純子はくすっと笑った。
 美代子は、自分の顔がかっと熱くなるのを感じた。
「それに、濃くない方が、おむつかぶれにもなりにくいかもしれないし。――さ、ここにお尻を載せて」
 純子は、敷布団の上に広げた布おむつを手の甲でぽんと叩いた。
 言われて、美代子はきゅっと瞼を閉じ、あまり濃くない茂みを両手の掌で覆い隠すようにしながら、ゆっくりと膝を曲げていった。もう少しでお尻が布団に触れるというところで体重を後ろに移して、そのままそっとお尻をおろす。
 思いもしなかった柔らかな肌触り。
 布おむつの予想外の柔らかさが美代子の羞恥を激しくくすぐる。
「あ……」
 ぴくっと肩を震わせた美代子の口から喘ぎ声が洩れた。
「それでいいわ。そのまま体を倒すのよ」
 純子は美代子の肩に手をかけて、そっと後ろに引いた。
 抵抗する間もなく、美代子の体はおむつの上に仰向けになった。
 そこへ智美の手が伸びてきて、足首に引っ掛かっていたフレアパンツとショーツをすっかり脱がせてしまう。
 思わず、美代子は両脚をばたつかせた。
 暴れる脚を、智美が両手で足首をつかんで一つにまとまとめるみたいにして持ち上げて静かにさせる。それは、幼児がおむつをあてられる時のポーズそのままだった。
 まだ茂みを覆い隠している美代子の両手を、純子が少しばかり強引にどけさせる。行き場をなくした両手を、美代子はおずおずと拳を握りしめて、胸の少し下のあたりにそっと置いた。
「すぐにすむからじっとしていてね」
 純子は美代子のパジャマの裾をお腹の上に捲り上げて、おむつの端を持ち上げた。
 両脚の間を柔らかい布おむつがすりぬける感触があった。
 純子は股当てのおむつの端を美代子のおヘソのすぐ下に留めると、手早く横当てのおむつを持ち上げて、こちらもおヘソのすぐ下の所で股当てに重ねた。それから、おむつカバーの左右の横羽根を横当てのおむつに沿ってマジックテープで留めて、その上に前当てを重ねた。六つあるスナップボタンを丁寧に留めて腰紐をきゅっと結わえ、おむつカバーからはみ出ている布おむつを指先でおむつカバーの中に優しく押し込めば、それでみんなおしまい。
「いいわよ」
 純子は、ぷっくり膨れたおむつカバーの上から美代子のお尻をぽんと叩いた。
 智美が美代子の両脚を布団の上におろして足首から手を離すのを見届けてから、純子は、お腹の上に捲り上げておいたパジャマの裾を元に戻した。けれど、もともとがあまり丈の長くないベビードールタイプのパジャマだ。美代子のお尻を包みこんだおむつカバーは半分くらいしか隠せない。
「どうしましょう、先生。おむつカバーの上からフレアパンツを穿かせてあげた方がいいでしょうか?」
 智美は、美代子のフレアパンツをつまみ上げた。
「でも、おむつカバーの上からだと窮屈じゃないかしら。それに、せっかくの可愛いいおむつカバーなんだから、隠しちゃわなくてもいいでしょう」
 少しだけ考えて純子は応えた。
「そうですよね。せっかく可愛いいおむつカバーを探して買ってきたんですから、わざわざ隠しちゃうこともありませんよね。お嬢様にお似合いのおむつカバーなんだから」
 智美はすぐに純子に同意した。
 そのやりとりをぎゅっと目を閉じて聞いていただけに、却って自分の恥ずかしい姿がありありと想像されてしまう。かといって、瞼を開いて自分の姿をその目で確認する勇気もない。
 恥ずかしさと惨めさに苛まれながら、なす術もなく、ただ悶々とするばかりの美代子だった。




 朝になって目が覚めると同時に下腹部に手をやるのが悲しい癖になってしまっていた。その朝も美代子は殆ど無意識のまま右手で自分のお尻のあたりをまさぐった。
 右手に伝わってきたのは、昨日までとはちがって、さらさらのシーツの感触だった。まるで濡れた気配のない、僅かにざらりとした心地よい肌触り。けれど、それでほっとしたのも束の間。美代子の右手は、自分のお尻を包みこむ、これまで触れたことのない奇妙な感じに戸惑った。妙につるりとした、美代子が持っているどの下着ともちがう肌触りの生地。それに、どこかもこもこした感覚。
 美代子は右手を止めて目を開けた。
 あれは夢なんかじゃなかったんだ。おねしょが治らないからといって赤ん坊みたいにおむつをあてられたのは本当のことだったんだ。そのまま、いつもの眠気に我慢できなくなって眠っちゃったけど、でも、あれは実際にあったこと。
 そう思うと、美代子の意識は知らぬまに自分の下腹部に集まっていた。けれど、そんなに意識しなくても、いつもみたいにしくじってしまったのは明らかだった。じくじくと湿っぽい感触は昨日までよりもいっそう強く感じられる。昨日まではショーツやフレアパンツから布団へ滲み出していたおしっこが、今朝はおむつに吸い取られておむつカバーの中に閉じ込められたままになっているせいかもしれない。
 美代子は静かに上半身を起こして掛布団を体の横に滑らせた。
 パジャマの裾が乱れて、自分の下腹部を包みこむおむつカバーが丸見えだった。枕元にきちんと置いてあった時と比べて、実際に美代子のお尻をくるんだおむつカバーは、尚いっそう恥ずかしい下着に見えた。何枚もの布おむつで膨らんだ、そうして、美代子が体をくねらせるたびに微妙にシワになる水玉模様のおむつカバーは、見ているだけで羞恥心を激しく刺激する。
 しかも美代子は、そんな恥ずかしいおむつカバーを身に着けているだけではなかった。それこそ赤ん坊みたいに、身に着けたおむつとおむつカバーを自分のおしっこで汚してしまったのだ。おねしょだけでも体中が真っ赤に染まるくらい恥ずかしいことなのに、美代子は、おねしょでおむつを濡らしてしまったのだ。
 おむつカバーの外側はさらりと乾いて見える。なのに、その中は……。
 美代子は呆然とした目でおむつカバーを見つめ、それから、助けを求めるように部屋中を見回した。いつもみたいにパジャマのパンツとショーツを脱いでビニール袋に入れる必要もなく、布団からシーツを外して、おしっこの雫を落とさないよう注意しながら智美に手渡す必要もない。だけど、まだ、そんなことをしている方がずっとましなようにさえ思えてくる。
 どうしていいのかわからずに、美代子は視線をさ迷わせるばかりだった。

 不意にドアが開いて純子と智美が姿をみせたのは、それからすぐのことだった。
「あ……」
 二人の姿に気づいた美代子は慌てて掛布団に手を伸ばして引き寄せ、自分の恥ずかしい姿を隠そうとした。
 それを、すっと近づいてきた智美の手が押しとどめる。
「おむつ、濡らしちゃったのね?」
 弱々しく目をそむける美代子に、純子が確認するように言った。
 美代子は一言も応えられなかったけれど、それは、無言のうちに純子の言葉を認めたのと同じだった。
「じゃ、そのまま横になって」
 智美に続いて部屋に入ってきた純子は美代子の肩に手を置いた。
「で、でも、なんのために?」
 不安いっぱいの声で美代子は訊き返した。
「だって、いつまでも濡れたおむつのままじゃいられないでしょう?」
 言い聞かせるような純子の口調だった。
「……自分でするからいいです。ちゃんと自分で着替えますから。それくらい自分でできますから」
 ようやく純子が何をしようとしているのかわかった美代子は、よく注意していないと聞こえないような声で言った。
「いいから、私たちにおまかせなさい。おむつって、あてるのもそうだけど、外すのもなかなか難しいんだから。――濡れたおむつでお布団を汚さないようにするの、簡単なことだと思う? せっかくのさらさらのシーツを汚しちゃわないって言いきれるかしら?」
 あやすように言う純子だったけれど、その中に有無を言わさない強い調子がありありと感じられた。
 たしかに、純子の言う通りだった。おむつカバーを開いてお尻の下にある濡れた布おむつを外そうとすれば、たぶん布団にも触れてしまうだろう。自分でおむつを外そうとしてそんなことになったら、また何を言われるかわからない。
 怯えたような目でちらと純子の顔を見上げてから、美代子は、のろのろした動きで布団の上に体を横たえた。
「そう、それでいいわ」
 すっと体を動かして、純子は美代子のお尻のすぐそばに膝をついた。
 思わず美代子は瞼を閉じてしまう。
 純子の手が伸びておむつカバーの腰紐に指がかかる気配が伝わってきた。美代子は両手を握りしめて体を固くした。純子は手早く腰紐の結び目を解くと、前当てのボタンをぷちっぷちっと一つずつ、わざとみたいにゆっくり外し始めた。そうして、美代子が大きく胸を膨らませて息を吸いこむのを確認してから両脚の間に前当てを広げ、横羽根に手をかけた。ベリリという意外に大きな音が部屋中に響き渡って、美代子が顔をそむける。おむつカバーの横羽根がお尻の横に広がると、いよいよ次は、美代子の肌にべったりと貼り付いている布おむつだ。薄い茶色に染まった布おむつは美代子の体温のためだろうか微妙に温かく、今でも湯気を立てていそうだった。
「あらあら、たくさん出ちゃったのね」
 独り言のように純子が呟いた。
 けれど、しんと静かな部屋だ。その声が美代子の耳に届かないわけがない。美代子の目の下のあたりがほんのりと赤くなった。
 それを目にした智美はにっと薄く笑うと、昨夜おむつをあてた時と同じように、美代子の両脚の足首をぎゅっとつかんで高く持ち上げた。そうすると、美代子のお尻が僅かに布おむつの上に浮く。その隙間から純子がおむつとおむつカバーをまとめてさっと手元に引き寄せ、濡れた布おむつが布団に触れないように手早くおむつカバーの中に折りこんで、その上からおむつカバーの横羽根と前当てを重ねた。
「いいわよ。じゃ、シャワーを浴びてらっしゃい。いつもみたいに丁寧にね」
 丸めたおむつカバーを智美に手渡して、いたわるように美代子にそう言ってから純子はゆっくり立ち上がった。
 部屋から出て行く二人の後ろ姿を見送る美代子の瞳は僅かに潤んでいた。




 丹念にシャワーを浴びて体を拭き清め、さっぱりした服を身に着けた美代子は、部屋に戻ってくると、出窓になっているガラス窓を外側に押し開けた。
 真夏とはいえ、木立の多い古くからの高級住宅地に吹き渡る風は、僅かに水滴の残る肌に心地よかった。木立の間に響き渡る蝉の声が、まるで谺みたいだ。
 ようやくほっとしたような顔になって窓から身を乗り出すみたいにして庭の芝生を眺める美代子の目の片隅に、屋敷の裏口から出てきた智美の姿が映った。美代子は慌てて窓から顔を引っ込めると、ガラス越しに智美に目を向けた。
 智美が立っているのは、庭の中でも特に日当たりが良くて、洗濯物を干すのに使っている場所だった。昨日まで、その場所に張った細いロープで風に揺れていたのは、美代子が眠っている間に汚してしまったパジャマやショーツ、それに、シーツだった。そしてその傍らには、丸洗いはできないものの、シミを乾かすために、布団が斜めに立てかけてあった。
 けれど、今日、智美が干そうとしているのは、昨日までとはまるでちがう物だった。
 そう。智美が両手を伸ばして細いロープに掛けてゆくのは、洗ったばかりの動物柄の布おむつと、水玉模様の大きなおむつカバーだったのだから。
 智美が手際良く布おむつをロープにかけてゆく様子をじっと見つめる美代子の胸がどきどきと高鳴る。なんだか、体中から力が抜けてしまうような感じさえした。それでも、何かに魅せられたように、その光景から目を離せない。
 あのおむつを私が汚しちゃったんだ。赤ちゃんみたいにおむつを濡らしながら、その間も私は目を覚まさなかったんだ。そう思うと、どこかに消えてしまいたくなってくる。たまらなくなって目をそらしかけた美代子だったけれど、洗濯物を干している智美のそばに近づく純子の姿に気づいて、もういちど物干し場の方に目を戻した。
 智美の横に立った純子は、風に揺れる布おむつを見上げて智美に何か話しかけた。智美も、干し終えたばかりの洗濯物を眺めながら何か応えている。声は聞こえないけれど、そろって時折ちらちらとこちらに顔を向ける二人の様子を見ていると、美代子のことを話しているのは明らかだった。
 高校生にもなっておねしょが治らないなんて本当に仕方の子ねって話してるんだろうな。おむつまで汚しちゃうなんてとか話してるんだろうな。カーテンの影に体を隠しながら、いたたまれない思いで美代子は想像した。
 たしかに、二人は美代子のおねしょのことを話していた。
 でも、二人が本当はどんなことを話しているのか、それは、美代子には思いもつかないことだった。二人は美代子のおねしょに困っていたわけではない。二人が交わしていた会話は本当はこんなふうだったのだから――。

「毎日のお洗濯、ご苦労様」
 ロープにおむつをかけ終わった智美の横に立って、ねぎらうように純子は声をかけた。
「いいえ。せっかくの先生の計画を実現するためですもの、このくらいのこと、なんでもありません」
 智美は笑顔で振り返った。
「ありがとう。そう言ってもらえると心強いわ。でも、さすがに最初の日のことだけはちょっと慌てたわね」
 智美の笑顔に、純子は苦笑するような表情で言った。
「ええ、本当に。まさか、あんなに効きめが強いなんて思いませんでした」
 智美も苦笑するような顔つきで頷いた。
「まだ若いし、これまであまり薬なんて服んだことがないのかもしれないわね。だから、睡眠薬があんなに効いちゃったのかしら」
「そうかもしれませんね。それにしても、睡眠薬を混ぜたお茶を飲んですぐにあんなになるなんて、ちょっとあせっちゃいました。疲れてるんでしょうって先生がごまかしてくれなかったら、まずいことになっていたかもしれません」
「でも、ま、いいじゃない。次の日からは薬の分量を少なくしたおかげで緩やかな効きめになったし、美代子さんはちっとも疑ってないみたいだもの」
 言って、純子は美代子の部屋の方をちらと見た。
「そうですね。効きすぎないようにして、だけど夜中に目を覚まさない程度にはちゃんと分量を調整できてますものね、今は」
 純子に習って美代子の部屋に視線を走らせながら智美は言った。
「うふふ。おねしょはうまくいったし、おむつも成功したし。いよいよ今度は、昼間もおむつをあてさせるのよ。しっかりやってね、智美さん」
 窓にかかったカーテンを通して美代子の体を見透かすように出窓を凝視しながら純子は言った。
「はい、先生。私におまかせください」

 ――つまり、そういうことだ。
 この家へきてから毎晩、美代子がお風呂に入る頃にはすっかり眠気を覚えるようになったのは、智美が夕食後のお茶に混ぜた睡眠薬のせいだった。最初の日は分量を多くしすぎたせいでお茶を飲んでいる間に意識を失いそうになったけれど、次の日からはそんなこともないし、当の美代子が不審がっている様子もない。
 その睡眠薬のせいで美代子はぐっすり眠ってしまい、少しくらいのことでは目を覚ますことはない。そのおかげで、夜中に智美が部屋の忍びこんでいることも美代子は全く気がついていない。気づかれることなく部屋に忍びこんだ智美は夜毎、人間の体温くらいに温めたお茶を、そっと掛布団を剥ぎ取って、美代子の股間に注ぎかけているのだった。これが冷たい水だったら、いくら睡眠剤で眠らせている美代子でも目を覚ましてしまうかもしれない。それが生温かいお茶だからこそ、美代子が夜中に目を覚ますこともなく、朝になって目を開いた時、薄い茶色をしているためにおしっこと勘違いさせることができるのだった。
 そう、美代子の毎夜のおねしょは二人が仕組んだことだった。
 目が覚めた時、パジャマとシーツがびしょびしょに濡れていて、しかも薄い茶色のシミになっていれば、誰でもおねしょをしてしまったと思いこんでしまうだろう。美代子のおねしょは、つまり、そういう仕掛けだった。
 どうしてそんなことを?
 目的は、美代子の父親・坂井が所有する原石のコレクションの一部を純子が思い通りにカットするのを承諾させることだ。坂井は、原石のコレクションに対して激しい執着を持っている。これまでいくら純子が懇願しても、それを手渡すことは頑として拒否していた。しかし、一度そのコレクションを目にしたことのある純子は、どうしてもその石を思うままにカットしてみたいという欲求を抑えきれずにきた。その欲求を満たすために事あるごとに坂井に接近し、機会をうかがってきたのだ。そうしてようやく、坂井が日本を離れている三周間の間、美代子を預かるというチャンスに恵まれたのだ。せっかくのこのチャンスを逃すわけにはいかない。だからこそ純子は、この三周間のうちに美代子を自分の言いなりになる存在に変貌させる計画を企てた。もちろん、自らの欲求を美代子の口を通じて坂井に依頼するためだった。いくら頑固な坂井でも娘から懇願されれば純子の要求にも応じるだろうと考えてのことだ。
 その企みの第一歩が、美代子におねしょをさせることだった。そうして、おむつを手離せない体にしてしまうことだった。そうしてしまえば、美代子は純子の言うことに逆らうことなどできなくなるのだから。
 智美にしても、美代子に恨みがあるわけではない。ただ、純子を慕っているだけだ。だからこそ、微塵の罪悪感も感じないまま、ただ純子の喜ぶ顔を見たいがために純子の言葉に従う智美だった。
 そうとも知らず、物干し場におむつを干す智美と純子の姿を見つけては、おどおどとカーテンの影に隠れてしまう美代子だった。二人が実はどんな目的を持って、どんな会話を交わしていたとも知らずに。そしてこの後、どんなことを企んでいるのかも知らずに。




 それから更に三日が過ぎた。
 言うまでもなく、夜毎におむつを濡らす羞恥の三日間だった。
 その日の朝、美代子はなかなか目を開けられずにいた。体がだるくて、起き上がる気になれない。
 じくじくと湿っぽいおむつのまま、美代子は目を覚ましてからも、ぐずぐずと布団にもぐりこんだままだった。
 と、静かにドアが開いて、智美が顔をみせた。
「どうかされたんでかすか、お嬢様? なかなか起きてこられないから来てみたんですけど」
 僅かに開けたドアの隙間からそう声をかけた智美だったが、美代子の顔を見るなり、部屋の中にとびこんできた。
「大丈夫ですか、お嬢様。お熱があるんですね。お顔が真っ赤ですよ」
 枕元に駆け寄った智美は床に膝をつくと、美代子のおでこに掌を押し当てた。
「やだ、本当にひどいお熱。少しだけ待っていてくださいね。すぐに戻ってきますから」
 純子のおでこに掌を押し当てたかと思うと、すぐにそそくさと立ち上がった智美は、言うが早いか、駆け出すように廊下を遠ざかって行った。
 そうか、熱があるのか。それでこんなにだるいのね。智美の足音を聞きながら、美代子はばんやりと考えていた。

 待つほどもなく戻ってきた智美は純子と二人だった。
「美代子さん、お熱があるんですって? 可哀想に、寝冷えかしら。とりあえず、お熱を計ってみましょうね」
 足早に部屋に入ってきた純子はそう言うと、智美に命じて掛布団を美代子の体の上からどけさせた。そうして、おむつカバーの腰紐に指をかける。
「あの、おば様?」
 純子が何をしようとしているのかわからなくて、美代子は不審げな声を出した。
「あら、何?」
 腰紐の結び目を解きながら、純子は目だけを美代子の顔に向けた。
「あの……お熱を計るんじゃないんですか? それだったら、脇の下に体温計を……」
 なにもおむつカバーを広げなくても、とは恥ずかしくて口にできない。
「いいえ、これでいいの。お熱を計る一番いい方法、美代子さんも知っている筈よ」
 体温を計る一番の方法? 熱っぽい頭でしばらく考えて、美代子は、はっとしたように純子の顔を見上げた。
「思い出したみたいね。家庭科か保健体育の授業で習ったでしょう?」
 純子の言うように、たしかに習ったことがある。でも、それは……。
「いやです。お熱なら脇の下で計ってください」
 熱に浮かされた目を潤ませて、思わず美代子は体をくねらせた。
 けれど、智美の手に押さえつけられて、じきにおとなしくさせられてしまう。
 その間にも、純子は腰紐をほどき、おむつカバーの前当てと横羽根を広げ、ぐっしょり濡れた動物柄の布おむつをおむつカバーの上に広げてしまった。
「いや、それだけはいやです」
 美代子は涙声で懇願した。
「体の力を抜いてちょうだいね。でないと、少し痛いかもしれないわよ」
 訴えかけるような美代子の声を無視して、純子は、体温計を持った右手を美代子のお尻に向かってそろりと伸ばした。
「い、いやぁ!!」
 美代子が叫んだ。
 純子が右手に持った体温計が美代子の肛門にずぶりと突き刺さる。
「いや、いやだったらぁ……」
 思ったよりも痛くはない。痛くはないけど、それは、思いもしない羞恥だった。美代子は枕の上で首をのけぞらせて呻いた。
「このままおとなしくしていましょうね。暴れてガラスが割れたりしたら大変なことになるんだから。たったの三分間くらい我慢できるわね?」
 美代子のお尻に突き刺さった体温計と美代子の顔を見比べて、あやすように純子は言った。
 美代子は二度三度と微かに首を振ったけれど、それ以上は何もできなかった。冷たいガラスの感触にお尻を貫かれた姿で、どうやってその場から逃げ出すことができるだろう。
 部屋が静寂に満たされた。
 しんと静かな部屋の中で、智美の腕時計の秒針だけが無言で動いている。
 美代子の浅い呼吸の息づかいの音だけが純子の耳に届く。
「いいわよ」
 ようやく三分間の時が過ぎて、純子は再び体温計を手にした。
 美代子が両手を握りしめるのと、純子が体温計を引き抜くのとが同時だった。
「あ……」
 美代子の喘ぎ声が波紋になって部屋中に広がった時には、もう純子は体温計をじっと見つめていた。
「三八度七分。――ひどい熱だわ」
 体温計の目盛りを読んで、ぽつりと純子は言った。
「用意してきたお薬を使いますか?」
 体温計をケースに戻す純子に、気ぜわしく智美が訊いた。
「そうね、そうしてあげて。こんなにお熱が高いんじゃ、このままにはできないわ」
 体温計のケースを薬箱に戻して純子は言った。
「承知しました。――お嬢様、お熱を下げるお薬を入れますから、そのまま静かになさっていてくださいね」
 智美はそう言うと、薄い銀色の包みから乳白色の薬剤を取り出しながら、純子と入れちがいに美代子のお尻の近くに膝をついた。それが飲み薬じゃないことは一目でわかる。その薬は、まるでピストルの弾みたいな形をしていた。
 智美は美代子の返事も待たずに左右の足首を左手で持ち上げると、ぐっしょり濡れた布おむつから僅かに浮いた美代子のお尻に薬を近づけた。
 それが解熱用の坐薬だということにやっと気がついた美代子は、ぎゅっと唇を噛みしめて、お尻に薬を挿入される屈辱にかろうじて耐えた。おねしょのためにおむつをあてられ、肛門に体温計を差し込まれ、そして、解熱用の薬さえお尻に挿入される。そんな、まるで幼児のような扱いを、けれど拒否することもできない美代子だった。それが二人の企みだということを知る術もなく、羞恥と屈辱に満ちた扱いを拒むこともできない美代子。美代子のお尻に坐薬を押し込む智美と純子が笑顔で目配せし合っていることなど、もちろん気づく筈もない。
「はい、できました。すぐにお熱が下がって楽になりますからね」
 坐薬を美代子のお尻に押し込んで両脚を布団の上におろした智美は、いたわるように声をかけた。
「そうね、お熱さえ下がれば、それだけで随分と楽になるもの。でも、いつまでも濡れたおむつのままじゃ、よくなる風邪もひどくなっちゃうわね。お薬も入れたし、次は、おむつを取り替えてあげましょうね」
 智美の言葉を引き継いで、純子はさらりと言った。
「あの、おば様、今、なんて?」
 けれど純子の言葉に引っ掛かる物を感じて、美代子は遠慮がちに訊き返した。
「え? おむつを取り替えてあげましょうって言ったんだけど?」
 純子は軽く首をかしげて応えた。
「おむつ……外してもらえるんですよね? 取り替えてもらうんじゃなくて……」
 不安いっぱいの表情で美代子は尚も訊き返した。
「そうね、普通だったら、もう朝になったんだし、おむつを外してあげるところね。でも、今は普通じゃないでしょ? そんなにお熱が高くちゃ、トイレへ行くのも大変な筈よ。だから、念のためにもう少しおむつをあてておいた方がいいと思うのよ」
 思いもしない純子の言葉だった。
「でも、お薬を入れたから、もうすぐお熱も下がるんでしょう? なら、大丈夫です。トイレくらい、ちゃんと行けます。だから、新しいおむつなんて要りません」
 熱に浮かされながら、美代子は叫ぶように言った。
「そりゃ、おむつが恥ずかしいのはわかるけど、でも、美代子さんのためだし……」
 純子は顎先に中指を押し当てて考えこんだ。そして、すぐに顔を輝かせて言った。
「……じゃ、試してみましょう。このままじゃ体に良くないから、とにかく、新しいおむつに取り替えます。で、美代子さんがちゃんとトイレへ行けたら、すぐにおむつを外してあげる。ね、これでどうかしら?」
「……わかりました。トイレへ行けるってわかったら、本当にすぐにおむつを外してくださいね?」
 渋々、美代子は頷いた。本当は今すぐにでもおむつを外してもらいたいところだけど、仕方がない。
「もちろんよ。じゃ、おむつを取り替えましょうね」
 純子が言うと、智美が、ついさっき坐薬をお尻に挿入した時と同じように、美代子の足首を持ち上げた。
 智美は美代子のお尻の下から布おむつとおむつカバーを引き寄せると、予め用意しておいた新しいおむつとおむつカバーを敷きこんだ。ふわりとした新しい布おむつのほこほこした感触が美代子のお尻を包みこむ。
 それまでのぐっしょり濡れて冷たく冷えたおむつが嘘みたいな、とてもふんわかした柔らかな感触だった。その暖かい肌触りに思わずうっとりしてしまいそうになっているのに気づいて、美代子は、恥ずかしそうにまばたきを繰り返した。
 そんな美代子の様子に気がついたのか、くすっと笑って純子が言った。
「新しいおむつは気持ちがいいでしょう? うふふ。そろそろおむつが好きになってきたんじゃないの、美代子さん?」
「ば、ばかなことを言わないでください」
 慌てて首を振ったけれど、なんだか心の中を見透かされたみたいで、ついうろたえてしまう。高校生にもなっておむつが好きになるなんて、そんなことあるわけがないじゃない。おば様ったら、なに変なことを言ってるんだろう。――でも、だけど……。
「さ、これでいいわ。あ、そうそう。これも服んでおいてね。抗生物質の入った風邪薬だから」
 新しいおむつとおむつカバーで美代子のお尻を包みこんだ純子は、さりげなく薬箱から取り出したカプセル入りの薬を手渡した。
「あ、はい」
 風邪薬と言われて、なんのためらいもなく美代子はカプセルを飲み込んだ。

 それから十五分も経たないうちに、坐薬の解熱剤が効いてきたのか、体のほてりがおさまって、なんだか随分と楽になってきた。
 同時に、それまでは熱に浮かされていたせいであまり感じなかった尿意がじわりと強くなってくる。
 美代子は両手を床について体を起こした。掛布団が体の上を滑って床に落ちる。淡いレモン色のおむつカバーがあらわになった。
「どうしたの、美代子さん?」
 少し離れた所で様子を見ていた純子が気遣わしげに言った。
「あの……トイレへ行ってきます」
 少し恥じらうように応えて、美代子は布団の上に立ち上がった。
 が、立ち上がったと思ったのも僅かの間。不意に目まいを覚えて、そのまま、へなへなと崩れ落ちるように座りこんでしまう。
「大丈夫ですか、お嬢様!?」
 智美が駆け寄って腕を取った。
「……」
 智美に支えられても立ち上がることができない。美代子は天井を見上げて、その場に座りこんだままだった。なんだか急に頭の中に濃い霧がたちこめたみたいで、周りの光景もはっきりしなくなってくる。
 ただ一つはっきりしていることは、布団の上に座りこんだ拍子に膀胱の緊張が解けてしまって、ぺたんとお尻を布団の上におろしたまま、おむつの中におしっこを洩らし始めてしまった、その生温かい感触だけだった。
「お嬢様。大丈夫ですか、お嬢様」
 智美が呼びかける声をどこか遠くからの声のように感じながら、美代子はおむつを濡らし続けた。
 いつもなら、シャワーを浴びてから着替える前にトイレへ行く。けれど、今日は目を覚ましてからこれまでトイレへは行っていない。それに、美代子は本当は眠ったまましくじってしまっているわけではない。だから、膀胱には、おしっこがたっぷり溜っている。おむつをじくじくと濡らしながら、おしっこはいつまでもいつまでも溢れ出していた。その生温かい流れを止める術を美代子が持っている筈もなかった。
 美代子の股間から微かに聞こえる小川のせせらぎのような音は、それからしばらく、絶えることなく聞こえ続けた。

 美代子が風邪をひいたのも、実は二人の企みのせいだった。方法は簡単。睡眠薬のために絶対に目を覚まさない美代子の部屋に忍びこんだ智美が、おねしょを装うためにそっとおむつカバーの中に生温かいお茶を注ぎこんだ後、部屋のエアコンの設定温度をいっぱいに下げてスイッチを入れていたのだ。いくら真夏とはいっても、薄い夏用の布団しか掛けていないところへ強力に冷房を利かせれば、風邪をひくのも当たり前のことだ。
 そうしておいて、風邪薬だと言って効力の弱い睡眠薬を服用させればどうなるだろう。解熱剤のために幾らかは熱が下がっても、体は本調子ではない。そこへ睡眠薬を服ませれば、もうあと少しで意識を失うというような状態にしてしまうのも難しいことではない。実際、純子と智美はそうして美代子の体の自由を奪い、二人の目の前で美代子におもらしさせることに成功したのだから。
 おもらし。そう、美代子が二人の見守る中でおむつを濡らしたのは、おねしょではなく、おもらしだった。眠っている間に知らず知らずのうちに失敗してしまうおねしょではなく、ちゃんと目を覚まして自分でもわかっているのに、それでも我慢できずにおしっこを溢れさせてしまうおもらしだった。
 それは実のところ、本当に美代子が自分のおしっこでおむつを汚してしまった初めての瞬間でもあった。そして、まさに、美代子が二人の言うことに従うことしかできない存在にまた少し近づいた瞬間でもあった。
 純子と智美の企みは着々と成果をあげていた。




 智美の手が再び美代子の足首を高く差し上げている間に、純子が手早くおむつを取り替えた。今朝になって二度目の「おむつ交換」だった。
 効力の弱い睡眠薬を服まされたことを知らない美代子は、熱のためにトイレへ行くことさえできない病状だと思いこまされて、今や純子の言いなりだった。もう一度おむつを取り替えるわよと言われても、それを嫌がることもできない。
「心配しないで、ゆっくりお休みなさい。風邪には、ゆっくり眠るのが一番のお薬なんだから」
 さっきと同じ淡いレモン色のおむつカバーの腰紐を結わえ、パジャマの裾をそっと引き下げて、純子は幼児にするように美代子のお腹をぽんぽんと優しく叩いて言った。
 意識が朦朧として自分が夢の中にいるような気さえしていた美代子だが、純子がお腹を叩いているのはちゃんとわかる。眠っているような目が覚めているような不思議な感覚だった。けれど美代子は、それを熱のためだと思いこんでいる。まさか、純子が与えた薬のせいだとは思ってもみない。
「のど……」
 とろんとした目で純子の顔を見上げた美代子が小さく言った。
「……喉が渇いたの。何か飲みたい」
 頼りなげな、聞きようによっては幼児が母親に甘えているみたいな口調だった。
「そうね。お熱もあるし、こんなに汗もかいてるんだもの、喉が渇くわよね。でも、冷たい物は駄目よ。体によくないから。――智美さん、温かいミルクを持ってきてあげて」
 純子は美代子に軽く頷いてから、智美に向かって意味ありげな目配せをして言った。
「はい、先生。すぐに持ってきますから少しだけ待っていてくださいね、お嬢様」
 妙な笑顔で応えて、智美は足早に部屋を出て行った。

 しばらくして智美が部屋に戻ってきた時、美代子は瞼を閉じてすやすやと寝息をたてていた。
「あら、お嬢様はおねむですか?」
 智美は、手に提げてきた藤のバスケットを床におろして美代子の顔を覗きこんだ。
「ええ、智美さんが出て行って、すぐ。おむつは汚しちゃうし、おむつを取り替えてもらったらじきにおねむだし、本当に赤ちゃんみたい」
 純子はくすくす笑った。
「それだけ計画が順調だということですね。――準備してくる物、これでよかったでしょうか?」
 智美も笑いを含んだ声で応えながら、床に置いた藤のバスケットを純子の目の前に押しやった。
「いいでしょう。いよいよ仕上げね、智美さん」
 バスケットの中身に素早く視線を走らせて、満足そうに純子は頷いた。
「そうですね、先生。じゃ、そろそろ」
 頷き返して、智美はバスケットから小振りの丸っこい容器を取り上げた。それは、温めたミルクでいっぱいの哺乳瓶だった。
「美代子さん、ミルクを持ってきてもらったわよ。さ、おきてちょうだい」
 智美から受け取った哺乳瓶を美代子の頬に軽く押し当てて、純子は美代子の耳元で呼びかけた。
 声をかけるとすぐに美代子の瞼が震えて、待つほどもなく、僅かに潤んだ黒い瞳が純子の顔を見上げる。
 熱と睡眠薬のために意識が朦朧として、ついうとうとしてしまうものの、本当に眠くて瞼を閉じるわけではないから眠りは浅い。ちょっとした刺激や物音で目が覚めてしまう。そのくせ、一人でトイレへ歩いて行けるくらいには意識がはっきりしない。かろうじて体を起こすことくらいはできるけれど、純子がそれを押しとどめた。
「あまり体を動かさない方がいいわ。無理をしてこれ以上病状が重くなったりしたら、私が美代子さんのお父様に会わせる顔がなくなっちゃうから、そのままおとなしくしていてちょうだい」
 美代子の肩を布団の上に押さえつけるようにして純子は言い聞かせた。
「でも、このままじゃミルクを飲めないし……」
 ぼんやりした目を純子の顔に向けて美代子は小声で言った。
「大丈夫よ。便利な物を智美さんが用意してきてくれたから」
 純子は落ち着いた声で言って、手にした哺乳瓶の乳首を美代子の唇に押し当てた。
「や、やだ、何をするんですか」
 唇から伝わってくる思いがけない違和感に、美代子は反射的にゴムの乳首を吐き出そうとした。
 けれど、布団の上に横たわったままでは思うように力が入らない。純子はそのまま美代子の唇をこじ開けるようにして哺乳瓶の乳首をふくませた。
 途端に、温かいミルクが細い条になって美代子の口の中に滴り落ち始める。
 普通、哺乳瓶は、赤ん坊が乳首を吸わなければミルクが流れ出ないようになっている。そうでなければ、口の中に溢れるミルクで赤ん坊が窒息してしまう恐れさえあるからだ。ところが、智美が持ってきた哺乳瓶は、乳首を下に向けるだけでミルクが流れ出るように、前もって乳首の穴を大きくしてあった。だから、美代子が吸わなくてもミルクが舌の上に流れ出してきたのだ。
 もう嫌がっている余裕もない。美代子はごくんと喉を動かして口の中のミルクを飲みこんだ。そうしなければ、白いミルクが口から溢れ出して、枕といわずパジャマといわず汚してしまう。
 純子が右手で支える哺乳瓶の中に時おり小さな泡がたって、少しずつ少しずつミルクが減ってゆく。病人が使う吸い口でもストローでもなく、まるで赤ん坊のように哺乳瓶でミルクを飲まされる美代子の胸の内はどんなだろう。それも、一度ならずおむつを濡らしてしまい、今も下腹部を動物柄のおむつとレモン色のおむつカバーに包まれたままの美代子の胸の内は。




 喉の渇きがおさまったのか、哺乳瓶のミルクを飲み終えた美代子は再びうとうとと瞼を閉じた。熱に浮かされ、薬を服まされて、体を起こそうとすれば目まいを覚えるし、横になっていると奇妙な眠気に包まれてしまう。
「あらあら、ミルクを飲んだら、すぐにまたおねむ。ほんと、すっかり赤ちゃんになっちゃったみたい」
 さっき純子が言ったのとまるきり同じようなことを言って智美は笑った。
 その声は、微かながら美代子の耳にも届いていた。本当に眠くて眠っているのか、それさえも自分でわからない奇妙な眠気。うとうとしながら、周りの物音や話し声に妙に敏感で、なのに、どこか頭がぼんやりしていて、話し声は聞こえても、その話し声が何を言っているのかは結局ぼんやりしてしまってわからない。なんだか、体も心も自分のものじゃなくなってしまったような不安感があった。
「しばらく眠らせてあげましょう。いろいろ疲れてるでしょうから、美代子さんも」
 意味ありげな声で囁くように言って、純子は美代子の顔をじっと見おろした。

 どれくらい眠ったのか眠らなかったのか、あまりすっきりしない気分で美代子は目を開けた。本当はもう少しまどろんでいたかったけれど、おしっこをしたくてたまらなくなってきて、とうとう眠っていられなくなってきた。
「あら、目が覚めた?」
 ずっとそばにいたのだろうか、美代子が目を開けるとすぐ、純子が顔を覗きこむようにして声をかけた。
「だけど、もう少し眠っておいた方がいいんじゃないの?」
「あの、でも……」
 美代子はためらいがちに純子の顔を見上げた。
「でも?」
 純子は促すように言った。
「あの、おしっこだから……」
 そっと目をそらして美代子は小さな声で言った。
「あらあら」
 なんだか今にも笑いそうな顔になる純子。
「いつもは眠ったまましちゃうのに、こんな時だけちゃんと目が覚めるの? なんだか、ちょっと変じゃない?」
「だって……」
 今朝のおもらし以外は純子と智美が仕組んだ偽のおねしょだ。だから、美代子は目を覚ますこともなく下着とシーツを汚してしまった。だけど、そんな事情に全く気づいていない美代子は、皮肉めいた純子の言葉に応えようがなくて口ごもってしまう。
「うふふ、困った顔も可愛いいのね、美代子さんは。――いいわ、出しちゃおうか」
 そう言って目を細める純子の表情は、どこか猫みたいだった。
「え、出しちゃうって、何を?」
 おそるおそる美代子は訊き返した。
「やぁだ、決まってるじゃない。おしっこよ、おしっこ。あまり我慢してると体に悪いわよ。だから、ほら」
 言いながら純子は、さっと掛布団を剥ぎ取って、眠っている間にパジャマの裾がはだけてお腹の上まで捲れ上がり、おむつカバーが丸見えになってしまっている美代子の下腹部に目を向けた。
「ね、美代子さんはちゃんとおむつをあててるんだから、何も心配することなんてないのよ。そのままゆっくり体の力を抜いてごらんなさい」
「やだ……いやです。トイレへ行きます」
 美代子は肩を震わせて腕に力を入れた。
「だけど、そう言って結局しくじっちゃったのは誰だったかしら。歩くこともできないのに無理して立ち上がって、でもお布団の上にお尻から座りこんで、そのままおむつの中におもらししちゃったのは誰だったんでしょうね」
 純子はすっと場所を変えて、美代子の両肩の上に手を置いた。
「さ、力を抜いて。そんなに緊張してちゃ、ちゃんと出ないわよ」
 純子の囁き声は美代子のすぐ耳元から聞こえてきた。
 まだ熱が残る、目を覚ましたばかりのぼんやりした美代子の頭に、純子の声が、まるでスポンジにしみこむ水みたいに忍びこんでくる。
 頭がじんと痺れるような感覚があった。
 憶えていない筈なのに、なんだか、小さな子供だった頃にもこんなことがあったような気がしてくる。
 ママの手もこんなに暖かだったのかな。
 知らず知らずのうちに、美代子は下腹部の力を緩めていた。尿意は激しく、今にも溢れ出しそうになっている。――なのに、体がこわばって膀胱の筋肉を緩めさせてくれない。
 美代子は弱々しく首を振った。
 それを見た純子は、肩に置いていた手をすっと背中の方へ滑らせて、美代子の体をそっと持ち上げた。それまで横になっていた美代子の上半身が置き上がって、布団の上に両脚を伸ばして座りこむような姿勢になる。
「頭の中で思い浮かべてごらんなさい。美代子さんは今、お布団の上にいるんじゃないのよ。お家のトイレの便座に腰かけているの。わかるわね、美代子さんはトイレにいるのよ。だから、ほら、心配することなんて何もないの」
 純子は再び美代子の耳元で囁いた。
 どこか焦点の合わない目をして、こくんと美代子は頷いた。
 実際、横になった姿勢でおしっこをするのは簡単なことではない。幼児だった頃からの躾けが体にしみついてしまっているのか、いくら尿意が高まっても、横になったままおしっこを出すことに激しい心理的な抵抗が働くようで、なかなか力を抜くことはできない。けれど、立った姿勢や、あるいはトイレの便座に腰かけた姿勢になると、それが意外に難しくなくなる。
 純子に言われるまま、美代子はゆっくりゆっくり下腹部の緊張を解いていった。両脚を擦れ合わせ、小刻みに膝を震わせながら、次第次第に膀胱の筋肉を緩め、尿路のこわばりをほぐしてゆく。
 不意に、じとっとした感触が股間から伝わってきた。生温かい何かが股間から洩れ出して、柔らかい布おむつにしみこみながらお尻の方へ伝わって行く。ぐっしょり濡れるというよりも、じくじくした、じっとり湿めっているみたいな感じ。
 その時になって、はっとしたように美代子は目を見開いた。目が覚めないままのおねしょではなく、目まいを覚えて倒れ込んだのをきっかけにしたおもらしでもなく、ぼんやりはしていても意識のある、自分が何をしているのかを知ることのできる中でのおもらしだった。それがどんなに恥ずかしいことなのかわからないわけがないのに、純子に言われるまま、まるで自分でそうしようとしてしてしまったような、おむつの中へのおもらしだった。
 おそるおそる振り返った美代子の大きく見開いた目と目が合った時、純子は、優しい笑顔でそっと首を振った。気にしなくてもいいのよと言っているようにも、本当に美代子さんは赤ちゃんねと言っているようにも、どちらともとれるような不思議な仕種だった。
 おむつカバーの中の布おむつがぐっしょり濡れるのに、あまり時間はかからなかった。




 今日になって、おむつを取り替えられるのはこれで三度目だった。一度目は純子たちが仕組んだおねしょのせいだったけれど、二度目と三度目は、どちらも、美代子が自分でそれとわかっていながらのおもらしのためだった。年頃の女性にとって、おもらしだけでも恥ずかしいことなのに、その上おむつを汚してしまうなんて……。
「はい、できたわよ」
 おむつカバーの裾から少しおしっこが滲み出していたので、今度はおむつカバーも新しいのに取り替えて、純子は美代子のパジャマの裾を引きおろすために指をかけた。
「あら、パジャマも」
 指先に触れる湿っぽい感触に、純子は手の動きを止めて美代子の体を見回した。
 朝から気にはなっていたのだけれど、あらためてよく見てみると、体中が汗で濡れているようだった。パジャマも汗を吸って湿っぽくなってしまったのだろう。
「このままじゃいけないわね。ついでだから着替えましょう」
 言うが早いか、純子は美代子の背中に手をまわして静かに体を引き起こした。
「両手を上げて」
 言われるまま、美代子はそっと両手を上げた。おむつを取り替えられるのとはちがって、汗でずくずくになったパジャマを着替えさせてもらうのに抵抗する理由はない。裸を他人に見られるのはためらわれるけれど、目まいのせいで自分だけでは着替えられないから、それは我慢するしかなかった。
 純子は、オフショルダーになったベビードールの脇の下のあたりを軽くつかむと、汗のせいで肌に貼り付く生地を少しずつたくし上げるようにしてゆっくり脱がせていった。
 眠る時にはブラを外すのが習慣になっている美代子のまだ固い乳房が小さく震えて、つんと上を向いたピンクの乳首が蛍光灯の光の中、眩く輝いているように見える。
「智美さん、着替えをちょうだい」
「はい、先生」
 言われて智美は、藤のバスケットから取り上げた衣類を純子に手渡した。
「お腹が冷えるといけませんから、裾が捲れ上がらないようにしてあります。生地も吸水性のいいのを使っていますから、今のお嬢様にはぴったりだと思います」
 純子に衣類を手渡ながら、智美は簡単に説明した。
「そう。智美さんはお裁縫もお手のものだから、こういう時は助かるわ」
 なんとなく意味ありげに微笑んで、純子は、受け取った衣類を美代子の目の前で広げてみせた。
 パステルピンクの生地でできたその衣類は、ちょっと見には、ワンピースタイプの水着みたいな形をしていた。けれど、あらためてよく見ると、袖がパフスリーブの三分袖になっていたり、全体的に丸っこいシルエットに仕上がっていたりと、それが水着ではないことがわかる。腰のあたりが短いスカートみたいにふわりと広がって、その下は、股間の所に幾つもボタンが並んだブルマーになっているみたいだった。
 それは、まるで……。
「お嬢様、ロンパースってご存じですか?」
 純子が目の前で広げた衣類を不思議そうな表情で見つめる美代子に、にこやかな顔で智美が言った。
「ロンパースですか? たしか、そんなベビー服があるって家庭科の授業で習ったような気はするけど……よく憶えてません」
 あらわになった胸を両手で押さえながら、美代子は小さく首を振った。
「そう、お嬢様のおっしゃったように、ベビー服の一種です。小っちゃな子の遊び着で、上着と下着がつながったような形になっているから、子供がいくら暴れても、お腹が出ちゃうようなことはありません。男の子用ならズボンになっていたり、女の子用だとスカートが付いてたりして、デザインもいろいろあるんですけど、でも、どんなロンパースにも共通のものがあるんですよ。何だと思います?」
 智美は美代子の顔色を窺うようにして言った。
「お教えしましょうか。どのロンパースも、お股のところがボタンになっていて、ボタンを外せば、お尻のところまで大きく開くようになっているんです。――上着と下着がつながっているから、そうしておかないと、おむつを取り替えるたびにいちいち脱がせなきゃいけないからです」
 言い終えて、智美は美代子の顔を正面から覗きこんだ。
 美代子の顔色が見る見るうちに変わってゆく。じゃ、目の前にあるのが……。
「そうですよ、お嬢様。お嬢様の目の前にあるのがロンパースです。ちゃんと女の子用にスカートも付けておきました。おむつを取り替えやすいように、お股のところがボタンになってるでしょう? ――ただ、サイズだけは、お嬢様のお体に合わせるために随分と大きくしてありますけど」
「私の……私に合わせて……」
 信じられない思いで美代子は呟いた。
「これなら普通のパジャマのように裾が捲れ上がってしまうこともありませんし、少しくらい汗をおかきになってもすぐに吸い取ってしまいます」
 こともなげに言ってから、智美は純子に向かって無言で頷いた。
「いや、いやです。そんな、赤ちゃんが着るような服、絶対にいやです」
 美代子は激しく首を振った。
「あら、でも、おむつを汚しちゃったのは誰だったかしら。それも、おねしょだけじゃなくて、おもらしまでして。それに、哺乳瓶でミルクを飲んだのは誰だったんでしょうね。それが赤ちゃんじゃなくて何だというの?」
 両手で広げたパステルピンクのロンパースを美代子の体に押し当てながら、おかしそうに純子が言った。
「そうです、お嬢様にはこれがお似合いなんですよ」
 目の前の純子を押しのけようとする美代子の手は、いとも簡単に智美に押さえつけられてしまった。




 パフスリーブに短いスカートのロンパースを着せられ、髪も二つの房に分けてピンクのリボンで結わえられた美代子の姿は、見るからに幼い感じに変わっていた。実際の年齢を思わせるのは胸の微かな膨らみだけで、おむつのせいでそれよりも大きく膨らんだお尻の周りといい、頼りなげな表情を浮かべた顔つきといい、美代子が高校生だとは、そう言われてもすぐには信じられない雰囲気に満ちている。
 しかも、その姿で哺乳瓶からミルクを飲んでいるから尚更だ。
 布団の上に起こした上半身を智美に支えてもらって、純子が手に持った哺乳瓶から飲むミルクが美代子の昼食だった。――今朝になって目を覚ましてから今まで、美代子が喉が渇いたと言うたびに、智美は哺乳瓶にミルクを入れてキッチンから持ってきた。そうしてそれを純子から受け取った純子が美代子の口にふくませるのだった。哺乳瓶を拒否することはできなかった。熱のせいですぐに喉が渇いてしまうから、哺乳瓶のミルク以外の飲み物を智美が持ってきてくれないなら、渋々でもそれを飲むしかなかった。だけど、それだけならまだ我慢のしようもあったかもしれない。なのに、さっき、昼食だと言って智美が持ってきたのも哺乳瓶だった。さすがに、ご飯かパンを食べさせてほしいと美代子はすがるように懇願した。それなのに、風邪をひいている間はお腹の負担にならない物しか駄目ですと言って純子は取りあわなかった。それでも美代子が、じゃ、お粥でもと言うと、無理をして病気が悪くなったりしたらお父様に会わせるないと繰り返す純子だった。そう言われると、美代子としては返す言葉に窮してしまうのだった。

「どう、哺乳瓶で飲むミルクの味は?」
 哺乳瓶の中に時おり浮かぶ小さな泡を眺めながら、純子は、ねっとりした声で美代子に言った。
「は、恥ずかしい。赤ちゃんじゃないのに哺乳瓶でミルクだなんて……」
 哺乳瓶の乳首を咥えさせられているために自由に動かせない唇を震わせて、思わず美代子は弱々しい声で言った。
 哺乳瓶の乳首を口にふくんだまま美代子が喋ったものだから、僅かにできた唇の隙間からミルクが溢れ出て、細い白い条になって頬を滴り落ちる。
 それを背後から手を伸ばした智美がガーゼのハンカチでそっと拭き取って、わざとみたいに優しい声で言った。
「あらあら、ミルクをこぼしちゃって。本当に美代子ちゃんは赤ちゃんなんだから」
 いつのまにか、『お嬢様』から『美代子ちゃん』に呼び方が変わっていた。が、呼び方を変えたのは智美だけではなかった。
「仕方ないわよね。美代子ちゃんは赤ちゃんだもの。おねしょが治らないからおむつで、おむつを何度も濡らしちゃう美代子ちゃんは赤ちゃんだものね。そんな美代子ちゃん、おば様は大好きよ」
 哺乳瓶でミルクを飲ませながら、空いている方の手の人差指で美代子の頬をつんつんして純子は笑った。
「たしかに、赤ちゃんじゃないのに哺乳瓶は恥ずかしいわよね。赤ちゃんじゃないにのおむつはもっと恥ずかしいでしょう? それなら、赤ちゃんになっちゃえばいいのよ。赤ちゃんなら、おむつも哺乳瓶もロンパースも恥ずかしくないんだから」
「……」
 思いがけない言葉に、美代子はミルクを飲むのも忘れて純子の顔を見つめた。
 哺乳瓶から溢れ出るミルクが唇の端から流れ出し、顎先を伝って滴り落ちて、ベビーピンクのロンパースに小さなシミを作った。
「あらあら、本当に困った赤ちゃんね。今度はよだれかけも作ってあげなきゃいけないかしら」
 再びガーゼのハンカチを動かしながら、ちっとも困ったふうに聞こえない口調で智美は言った。
 慌ててごくりとミルクを飲みこんだ美代子の胸は、けれど妙にどきどきしていた。赤ちゃんになればいいだなんて、おば様ったら何をおかしなことを言い出すんだろう。高校生の私が赤ちゃんになれるわけないじゃない。
 そうよ、赤ちゃんになんて……。
 そう思った瞬間、なんの前触れもなしに、なんだか、どうしてだか、急に哀しくなってきた。心臓は相変わらずどきどきしていて、なのに、締めつけられるみたいに胸がきゅんと痛くなる。
 私が赤ちゃんだった頃。憶えてなんかいないけど、パパとママは仲がよかったんだろうな。やっぱり仕事に夢中で、でも、パパはママと私のことをいつも思っていてくれたんだろうな。私を抱っこしてる時、ママはどんな笑顔をしてたんだろう。
 不意に、それまで自分の胸の中だけに閉じ込めてきた思いが溢れ出してきた。
 会いたいよ、ママ。写真なんかじゃイヤなんだよ。美代子、今まで頑張ってきたんだよ。仕事のことしか頭にないみたいなパパに涙なんて見せたこともないんだよ。そんなに頑張ってきたんだから、一度でいいから、えらいね美代子って言ってよ。
 見える物がみんなぼんやりしていた。それが涙のせいだとは、美代子自身も気がついていない。
 いい。もう、いいんだ。誰も私のことなんてかまってくれない。私はずっとずっといい子だった。だから、誰も何も気にしなくても、私はしっかりしてたし、私はひとりぼっちでも大丈夫だって顔をしてた。だけど、だけど、誰か気に留めてくれてもよかったじゃないか。いい子? なによ、いい子って。なんでも自分でできる子のこと? 自分で「できる」んじゃないよ。なんでも自分で「しなきゃけいなかった」だけじゃないか。なのに、あの子なら大丈夫だって、誰がそんなこと決められるのよ。私だって、私だって……。
 何もできなきゃ、みんな私のこと見てくれたのかな? 自分ひとりじゃ何もできなかったら、みんなで私のこと、もっとかまってくれたのかな。本当はパパだって私のことちゃんと見守ってくれてること、私だって知ってる。でも、もっと正面から見てほしかった。うるさくてもいいから、いつもずっともっともっと私の近くにいてほしかった。
 何もできなきゃ――私がなにもできない子だったら。
 食事もトイレも何もできなかったら。
 いつしか美代子は哺乳壜にむしゃぶりついていた。盛んに唇を動かして、これ以上はないほどに舌を動かして、哺乳壜の乳首を吸っていた。
「美代子ちゃん、あなた……」
 息を飲んで、純子は美代子を見つめた。
 智美も同じだった。急にいたたまれないような気持ちになって、涙を浮かべながら哺乳壜の乳首を吸う美代子の姿に釘付けになってしまう。
「いいのよ、もう。もう何も心配しなくていいんだから、美代子ちゃんは」
 突然、純子の表情が和らいだ。
「先生?」
 ためらいがちに智美が声をかけた。
「やめた。もう、やめ。坂井さんのコレクションのこと、どうでもよくなっちゃった」
 どこか気恥ずかしげに智美の顔を見て、純子は照れたように笑った。
「先生?」
「わかるでしょ、智美さんにも。もう私は一番素敵な原石を手に入れていたのよ。坂井コレクションの中でも、これ以上はないくらいの、とびっきりの素材を」
 純子は美代子の背中を優しく撫でた。
「――そうですね、先生」
 そんなこと、これまで一度もなかったことなのに、不思議なことに、今は純子の思いが手に取るようにわかった。不意に晴れ晴れした表情を浮かべると、二人の姿を眩しそうに見つめて智美は応えた。
 無機質の宝石の冷たい光などではなく、美代子の体を包んでいるのは、生命あるもの特有のぬくもりに満ちた光だった。どんなに素晴らしい石をどれだけ洗練された技法で研磨してもかなわない、生きているものの輝きだった。
 自らを堅い殻の閉じこめ、せっかくの輝きを封じこめていた美代子。けれど、宝石の美しさを引き出すことにかけては圧倒的な才能と手腕を持つ純子が、それと気づかぬうちに、その希有な光を解放したのだ。
 感情を封じこめた人形などではない、溜めに溜めこんだ涙をあらわにした美代子の心の叫びが、眩ゆい輝きになって溢れ出た瞬間だった。
 
 純子の胸に顔を埋めて泣きじゃくる美代子の姿を眺めながら智美は僅かに肩をすくめてみせると、静かに部屋を出て、庭の片隅にある物干し場に向かって歩き始めた。もうすっかり乾いている筈のおむつとおむつカバーを取りこんでおかないと、新しいおむつが足りなくなりそうだということに気がついたからだった。
 あたたかな光の中、美代子という最上の宝石を優しく包みこむことができるのは、柔らかな布おむつの他にないのだから。



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