コレクション

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高木かおり



 チャイムの音に促されて早田靖子が開けたドアから入ってくるなり、向井優歌は大きなバッグを肩に掛けたまま、ねえ聞いて、うちのパパったらひどいのよ、と愚痴をこぼし始めた。
 靖子は少しばかり呆気にとられたが、じきに我に返ると、バッグを肩からおろしてやりながら優歌の愚痴を遮るように言葉をかけた。
「まあ、落ち着きなさいよ。何があったのか知らないけど、こんな所で立ち話もナンだわ。さ、上がってちょうだい」
 靖子の冷静な言葉を耳にした拍子に、自分が興奮していることに気づいたのか頬を少し赤く染めながら、それもそうねと小さな声で言うと、優歌はバッグを再び引き上げながら靴を脱いだ。そして靖子のあとに従って、木目の美しい廊下を歩いて行く。

「で、何がどうしたっていうの?」
 リビングルームの座卓の上にティーカップを二つ並べ終えた靖子は、初めて訪れた友人の部屋が珍しいのか、辺りをキョロキョロと見回すような仕草をみせる優歌に改めて尋ねてみた。
 優歌はハッとしたように靖子の顔に視線を向けると、それまで鎮まっていた興奮を思い出したように、再び早口で喋べり始めた。
「そうだったわ。聞いてよ、昨夜のコンパでちょっと帰るのが遅くなっただけで、パパったらすごく怒るのよ──まるで私が大事件でも起こしたみたいに。昨夜だけじゃなくて、大体、私がちょっと何かをすると文句をつけるんだから。そうそう、先週もそうだったわ。ゼミのみんなで……」
 今度は靖子は、大きな口から唾を飛ばしながら喚きたてる優歌の言葉を遮ることはしなかった──玄関とは違い、この部屋なら少々騒いでも近所に迷惑をかけることもない。それに、愚痴というものは人に聞いてもらってこそストレスの発散になるものだ。それを二度も遮ってしまっては、優歌の機嫌が悪くなるだけだ。
 優歌はそれから半時間ほども一人で喋べり続けただろうか。だからパパは時代遅れなのよだの、私のことを子供扱いしてるだの、自分はゴルフばっかりしてるくせにだの、それまで心に溜めこんでいたらしい父親に対する不満が、それこそ小型の台風のような勢いで口から飛び出しくる。
 それでもやがて、それまでの剣幕が嘘のように、優歌の口調が静かなものに変わり始めた。靖子に向かってさんざん愚痴をこぼしたおかげで心の中が晴れてきたのだろう。日本晴れとまではいかないまでも、黒い雷雲はどこかへ行ってしまったようだ。
 口にすべき話題も尽きてきたのか、優歌は、それまで忙しく動いていた口を止め、大きな目玉を真中に寄せ気味にした。それからおもむろに口を閉じると、鼻から大きく空気を吸い込む。その動きに合わせて、胸が大きく膨らんだ。
 しばらくしてから、息を口から深々と吐き出した。そして、靖子の顔をジッと睨みつけるようにして言う。
「……という訳なのよ。で、今日から試験休みが始まったことだし、パパが会社へ出かけた後で荷物をまとめて家を出てきちゃったの。ママは引き止めようとしたけど、そこは私の意地が勝ったわ」
 靖子は、やれやれとでもいうように両肩をすくめてみせた。
 そんな靖子の様子にはお構いなしに、優歌は言葉を続けた。
「だから当分の間、ここに置いてもらえないかしら? 食費も出すし、なんなら家賃を折半にしてもいいから。ね、おねがい」
 優歌の言葉を聞いた靖子は小さく溜息をつくと、少しばかり首を左にかしげるようにして言った。
「でも、どうして私のマンションなの? 友達は他にもたくさんいるのに」
「だって、他の子はみんな私と同じように自宅から通学してるんだもの。そんなじゃ、転がり込みにくいわよ。私が知ってる中で一人暮らしっていったら、靖子しかいないのよ」
 靖子は、大学の同じゼミにいる友人たちの顔を次々に思い出してみた──確かに優歌の言う通り、自宅から通学している者ばかりだった。ま、考えてみれば、それもムリのないことなのだ。靖子たちが通っている大学は、どちらかといえば資産家の娘が入る「お嬢様学校」として名が通っている。そんな大学へ、地方から出てきてマンションを借りてまでして入学する靖子のような存在は珍しい部類だろう。
「……わかったわ。それじゃ、優歌の気のすむようになさいな」
「ほんと? ああ、よかった。靖子に断わられたら他に行く所もないし、どうしようかと思ってたのよ」
 優歌はそれまで靖子の顔に向けていた視線を天井に移し、ホッと安堵の息をつきながら明るい声で言った。
 そんな優歌の様子を見ながら、靖子が静かな口調で言った。
「でも、お家の方には連絡しておきなさいよ。どこにいるのか心配するといけないから」
 しかし、優歌は靖子の言葉に従おうとはしなかった。大きく両手を広げると、天井を見つめたまま、こう応えた。
「いいのよ、そんなの。いくらでも心配すればいいんだわ。そうすれば、私がどんなに窮屈な思いをしてたか、あのパパにもわかることでしょうよ」
「でも、お母様は……」
「ママもパパとグルだもの、放っとけばいいのよ。だいいち、私の居所がママに知れたら、絶対にパパに教えちゃうわ。そうなれば、どんなことをしてもパパは私を連れ戻しに来る。そんなの、絶対にイヤ」
「……そう」
 靖子が、何かを考えるようなそぶりをみせてから小さく頷いた。それから、ポツリと言葉を続ける。
「優歌がそんなに言うなら仕方ないわね。じゃ、私からもお家には報せないから、安心してちょうだい」
「ありがとう。ほんとに感謝するわ」
 優歌はそう言うと、力まかせに靖子に抱きついた。一瞬、靖子は戸惑ったような表情になったが、それもすぐに元に戻った。そして次の瞬間には、これまで誰にも見せたことのないような薄笑いを顔に浮かべていた。
 だが優歌は、靖子の目に宿っている妖しい光には全く気がつかないようだった。




 それからしばらく他愛のないことを喋べり合い、少し早目の昼食を摂った後、流し台の前に立った靖子が言った。
「この後、ちょっと買物に出てくるわ。わるいけど、お留守番お願いね」
「いいわよ……あ、でも、荷物がいっぱいになっちゃうといけないから、私も付き合おうか?」
 靖子が洗剤を洗い流した食器を食器乾燥器にセットしながら優歌が振り向いた。
「ううん、いいわよ。夕食の材料と、他にちょっとしたものを買うだけだから。それに、一緒に出かけちゃ、私と歩いてるところを誰かに見られるかもしれないでしょ?そうなれば、お家の方に連絡が行くことになっちゃうんじゃないの?」
「……そうか。私は今、お忍びの身だったんだっけ」
 優歌が茶目っ気たっぷりに言った。
 それに合わせるように、靖子も大袈裟な口調で応えてみせる。
「さようでございますよ。大事な御身、くれぐれも御大切になさってくださいませ」
 二人は顔を見合わせ、プッと吹き出した。

 靖子が出かけてしまうと、優歌は途端に退屈してしまった。自分たちは試験休みでも、世間は普通に動いている。だからテレビを観ても、この時間に優歌の興味をひきそうな番組を流しているわけでもない。テーブルの上に置いてある雑誌にしても、とっくに自分の家で読んでしまったのと同じものだった。
 あーあ、と両手を高く伸ばしながら優歌は、何か面白そうなものでもないかと頭を巡らしてみた。しかし、ダイニングキッチンにそうそう珍しい物が置いてある筈もない。
 ふと思いついて、優歌は椅子から立ち上がった。
 そのままダイニングルームから出ると、廊下を奥へ歩いて行く──靖子がどんな生活をしているのか、ちょっとだけ探ってみようと思いたったのだ。
 なるたけ足音を立てないようにしながら(考えてみれば、靖子は出かけてしまっているのだから堂々とすればよさそうなものだが、そこはやはり何やら後ろめたさを感じているのだ)、一番奥のドアの前まで歩いて行った。そして、おそるおそるという様子でドアのノブを静かに回してみる。
 微かに軋み音をたてながら内側に開いたドアの隙間から覗いてみると、窓際に大きなベッドが据えられているのが見えた。どうやら寝室のようだ。
 しばらくそのままの姿勢で部屋の様子を覗きこんでいた優歌だったが、次第に慣れて大胆になってきたのか、ドアを大きく開くと、部屋の中に足を踏み入れてみた。
 最初のうちは如何にも寝心地の良さそうな豪華なベッドに目を奪われていたものの、やがて優歌の目玉はキョトキョトと忙しく動きだし、周囲の様子を詳しく観察し始めた。その目に映ったのは、呆れるほどの数の人形だった。
 呆れるほど、というよりも、優歌は実際に呆れかえっていた──そりゃ、靖子も年頃の女の子だ。部屋に人形があっても不思議でもなんでもない。でもこの数は……。
 優歌の抱いた感想は、ごく自然なものだった。年頃の女の子の寝室に人形が置いてあるのは、それほど珍しいことではない。何もないよりも、ヌイグルミの一つも在る方が、女の子らしくて可愛らしく見えるものだ。だが靖子の寝室は、可愛いいという言葉で済むような状態ではなかった。大小とり混ぜて百体ほどのヌイグルミが壁際やドレッサーの上に置かれ、優歌を見つめている。
 原色に塗られたゴジラや、直径五十センチもありそうなトマトに見つめられるのは、あまり気持のいいものではなかった。
 それだけではない。
 ドレッサーの向い側に置かれた大きな棚の中では数十体のアンティークドールが様々なポーズをとり、黒やコバルト色のまばたきしない冷たい瞳で、じっと優歌を見おろしているのだ。
 軽いめまいを覚えた優歌は、ベッドに腰をおろそうと思って、ヌイグルミやアンティークドールと目を会わせないよう努めながら歩き始めた。
 ベッドのすぐ近くまで寄ってみると、シーツが僅かに膨らんでいることに気がついた。何かしら?と思いつつシーツを捲ってみると、そこには、本物の赤ん坊くらいの大きさのと、やや小ぶりのベビー人形が並んで横になっていた。
 こんな所にまで、といささかゲンナリした思いに捉われた優歌は結局、ベッドに座ることもできずに、ドアの方に足を向けた。一つずつは可愛いい人形も、これだけの数が集まると、人を圧倒するような雰囲気を発散させる。その雰囲気に気圧されるように、部屋から出ようとする優歌の足取りは自然と早くなっていた。
 後ろ手でドアを閉め、ホーッと長い息を吐き出した後も、優歌はドアにもたれかけるようにして立ったままの姿勢を続けた。
 それでも、しばらくそうしているうちに、優歌の心に徐々に落ち着きが戻ってきた。
ドアに体重を預けたままで深呼吸を二度三度と繰り返すと、部屋の中で人形たちに圧倒されそうになったことが悪い冗談だったように思え、それにつれて、靖子の生活に対する興味が前にも増して大きくなってくる。
 うん、と小さく頷いた優歌は、寝室の隣のドアを開けてみた。
 その部屋は靖子が生活の場にしているらしく、勉強机や幾つかのタンス、小物入れなどが配置されていた。
 机の横に大きな本棚が在ることに気づいた優歌は、靖子がどんな本を読んでいるのかと、本棚の上から下までゆっくり視線を動かしていった──さすがに上段の方にはゼミの内容に合わせた専門書が並んでいたが、下段の方には靖子が好んで読んでいるのだろう、サイコミステリーやサスペンス物の小説の背表紙が見えていた。優歌もタイトルくらいは知っているものもあったが、それらはどちらかといえば陰湿な雰囲気の作品で、普段の靖子の明るく屈託のない性格とは合わないように思えるものが多かった。
 だから、最下段に編物や裁縫関係の本が並んでいるのを見つけた時には、なんとなく安心したような気分になったものだ──そうよ。サスペンスなんかよりも、こんな女の子らしい本の方が靖子にはよっぽどお似合いなんだわ。
 だが、手芸関係の本のタイトルを確認していった優歌は、妙なことに気がついた。
 それらはみな、ベビー服や子供服の作り方を説明したものばかりだったのだ。靖子が自分の着るものを作ろうとして集めた本でないことは確かだった。
 作った服は親戚の子にでもプレゼントするのかしら──ふとそう思った優歌は、並んでいる中から一冊の本を取り出して、なにげなくパラパラとページを繰ってみた。
 優歌の指が動く度にサンプルの鮮やかなカラー写真が現れ、彼女の目は次第にその本に吸い寄せられていった。カラフルなパッチワークのジャンプスーツがあるかと思えば、可愛いい中にもシックな感じを表現しているエプロンドレスや、いかにも子供服といったヒラヒラのワンピースといったものが優歌の心を奪ってしまう。
 子供服っていうのは、どれもこれも可愛いいものばかりだわね──そう思いながらページを繰る優歌の手がピタリと止まった。そして、そのページのサンプル写真をジッと見つめる。
 確か、このベビー服はどこかで見たことがあるわ。それも、つい最近。
 写真の隅々まで頭の中に焼き付けるように見つめてから、優歌はギュッと目を閉じてみた。これと同じものをどこで見たのか、思い出してみようとする──街中じゃない。一般の商品じゃないから、デパートでもない。もっと近い所よ。
 不意に、さっき出てきたばかりの寝室の光景が頭の中に甦ってきた。意識の中で、ベッドの上で横になっているベビー人形がクローズアップしてくる。そのうちの、大きい方の人形が着ていたベビー服が、写真のものと同じだった。
 閉じていた優歌の目が大きく開かれた。そして、自分の記憶を確認するように、もう一度写真に目をやる──間違いなかった。
 優歌は再びページを繰り始めた。
 意識して見れば、寝室の人形たちが着ていた服の大半が写真と同じものだった。小さい方のベビー人形が頭に被っていた純白の帽子も、ピンクの布でできた小熊のヌイグルミが穿いていたオーバーパンツもそうだった。この本に載っていないものも、おそらくは別の本を探せば掲載されていることだろう。
 優歌は、見てはいけないものを見てしまったように、慌てて本を本棚に戻した。
 ここまでくれば、ちょっと人形が好きなのよ、というような状況ではない。マニアと呼んでもおかしくないレベルなのだ。
 広い寝室を占領する無数の人形とサイコミステリー。優歌はなんとなくゾクッとして、両手で自分の体を抱きしめてみた──靖子の心の中に、優歌が知らない世界があるように思えた。

 もう一つ残っている部屋を探検する気にはなれず、優歌はダイニングルームに戻ると、椅子に腰かけてポケーッとしていた。
 優歌がよく知っている靖子と、この部屋の住人である靖子とが、優歌の心の中でどうしても一つにならず、どのように振る舞えばいいのかわからなくなっていたのだ。
 どのくらい、そうしていただろう。
 不意に、カチャカチャという微かな金属音が聞こえてきた。続いて、ドアが開く気配。
 靖子が帰ってきたんだわと判断した優歌は、重い体を持ち上げるようにして立上り、玄関へ向かった。このままボーッとした顔で座りこんでいれば、どうしたの?と靖子が訊いてくるのは明らかだった。そうなれば、勝手に部屋に入り込み、いろいろと見て回ったことを告白せざるをえない。それよりは、何もなかったような顔をして靖子を出迎える方が得策だと判断したのだ。
 優歌が玄関に辿りついた時には、靖子は廊下に上がっていた。
 おかえり、とわざと明るい声をかける優歌に向かって、ただいま、退屈だったんじゃない?と応える靖子の両手には、いくつかの買物袋が提がっていた。
 ニンジンや玉ねぎが透けて見えているスーパーのビニール袋や、角切りらしい肉が入ったミートショップの包み、それに、他の袋のせいでハッキリとは見えないが、『なんとか薬局』と印刷された袋だ。薬局の袋は、他のものと比べると格段に大きいようだった。トイレットペーパーのまとめ買いをしてきたのかもしれない。
 少し持とうか?と言う優歌の言葉に、スーパーの袋を渡しながら、靖子は明るい笑顔をみせた。
「ちょっと冷えるみたいだから、今晩はシチューにするわね。いいかしら?」
「いいもなにも、大好物よ」
 そう応えながら、優歌は、靖子はこの笑顔の下にどんな心を隠しているのだろうか?とふと思った。

 しかし、優歌の疑惑も長くは続かなかった。これまでの二年間ちょっとの付き合いから、優歌の心の中には、早田靖子という女性に対する印象が強く刻みこまれており、ちょっと意外な私生活を覗きこんでみたところで、それは靖子に対する印象を決定的に変化させるものでもない。初めて知った事実に多少の戸惑いを覚えても、それもじきに馴れてしまうものだ──誰だって、他人が想像もしていないような内面を持っているのが、むしろ当たり前のことだ。
 しかも、適度に空腹を感じていたタイミングに差し出されたシチューの味が、靖子の印象をますます好くするように働いた。
「おいしいわねー。お料理、習ってたの?」
 一口食べると同時に、優歌は思わず訊いてみた。
「ううん。一人暮らしが長いとね、自然とできるようになっちゃうものなのよ」
 靖子が平然と応える。そして、何かを思いついたように両手を合わせると、静かに椅子から立ち上がって言葉を続けた。
「でも、褒めてもらうと嬉しいわ。お礼にワインをサービスしちゃうわね」
 靖子は身軽な動作で冷蔵庫に近づき、扉を引いた。それからちょっとゴソゴソし、一本の白ワインを取り出すと、テーブルの上にそっと置く。
 コルク抜きが廻り、栓が抜けた瞬間、ポン!と意外に大きな音がダイニングルームに響き渡った。
「軽い発泡ワインだから口当たりもいいわよ。さ、どうぞ」
 靖子はそう言うと、大ぶりのグラスに満たしたワインを優歌に手渡した。それから自分の目の前のグラスにもなみなみとワインを注ぐ。
 どちらからともなく乾杯、と言ってグラスを持ち上げた後で口にふくんだワインはやや甘口で、フルーティーな香りが口の中いっぱいに広がった。優歌は思わず一息で飲み干してしまうと、お代わり、と言ってグラスを差し出した。




 さすがに二杯目からは無茶な飲み方はしなかったものの、それでも、口当たりの好さに誘われるまま、ついついグラスに手が伸びることが多かった。

「ねえ、靖子……?」
 だいぶワインに酔ってきたらしく、ややロレツの回らない喋べり方で、手にしたスプーンの先を靖子の顔に向けながら優歌が呼びかけた。
「あら、何かしら?」
 こちらは普段と変わらない様子で靖子が応える。
「あのさ……寝室にあったヌイグルミとか人形のことなんだけど……」
「見たの?」
 靖子の声が少しばかり大きくなった。
 その時になって、優歌はハッと後悔した。靖子が留守の間に部屋を見て回ったことは秘密にしておかなければならないのに、ワインの酔いのおかげで心のタガが緩んでしまい、そのせいで、ムクムクと大きくなってきた寝室の人形に対する好奇心が、つい口からこぼれ出てしまったのだ。
 が、靖子はさして怒ったふうでもなく、クスッと笑うと、右目でウインクをしてみせてから優しく言った。
「可愛いかったでしょう? 昔から人形を集めて遊ぶのが好きでね、気がつくとあんなになっちゃってたの──優歌も仲間に入れてあげるわね」
「……」
 勝手に部屋を覗いたことを靖子が気にしていないことにホッとしつつ、この年齢になってお人形遊びの仲間になるつもりはないわ、と言おうとしたが、それを言うことで靖子の心を傷付けてしまいそうに思われ、優歌は慌てて言葉を飲みこんだ。ただ、いくらなんでも数がすごすぎるわよ、と言うのが精一杯だった。
 突然の睡魔が襲ってきたのは、その直後のことだった。
 どうやって靖子を傷付けずに誘いを断わろうか?とボンヤリした頭で考えかけた時、これまで経験したことのないような激しい睡魔が優歌に襲いかかったのだ。
 ワインを飲み過ぎたかしら?と思い、なんとか目を閉じまいと努力してみたが、優歌の意志とは無関係に目がトロンとしてくる。
「ちょっと優歌、どうかしたの?」
という靖子の声にムニャムニャと応えるのが精一杯で、頭の中には濃い霧が立ちこめてくるように感じられる。
 遂にはスプーンを持っていることさえできなくなり、知らぬまに床に落していた。
スプーンが落ちる音を遠くの出来事のように聞きながら、優歌の上半身はテーブルの上に倒れこんでいった。




 うっすらと開いた目に、細かな模様があしらわれたクロスが映った。
 視線を僅かに動かすと、オレンジ色のフードがかけられた円形の蛍光灯が見える。
 目の焦点がなかなか合わず、二重にも三重にも見える蛍光灯を見つめているうちに、徐々に意識がハッキリし、記憶がゆっくり戻ってくる。
 そうだ。夕食を食べてるうちに、ワインを飲み過ぎて眠っちゃったんだっけ。明るいところを見ると、もう朝みたいね──今、何時頃かしら?
 微かに頭が痛んだが、我慢できないほどではない。優歌は静かに上半身を起こした。
 体からシーツが滑り落ち、その中に隠されていた優歌の体が丸見えになった。なにげなくシーツの動きを追っていた優歌の目に、見憶えのあるベビードールがとびこんできた。それは、家を出てくる時にバッグに詰め込んできた自分の寝具だった。
 私が眠っちゃった後、靖子が着替えさせてくれたのかしら──ふと優歌は靖子の顔を思い浮かべながら考えた。ちゃんとベビードールを着て眠っていた理由は、他には思いつかない──それに、わざわざベッドまで運んでくれるなんて、靖子に随分と迷惑かけちゃったな。
 え、ベッド?──自分がベッドの上にいることに改めて気がついて、優歌は慌てて周囲を見回した。あの無数の人形たちの顔が頭に浮かんできたのだ。
 しかし、どこにも人形の姿はなかった。床の上にはチリ一つ落ちていないし、ベッドの上にいるのは優歌だけだった。それに第一、アンティークドールが収められている筈の大きな棚が見当らない。
 自分が人形に見つめられながら眠っていたのではないことにホッとしながらも、寝室の様子が大きく変わってしまったことに戸惑いを覚えた優歌は、逆に強い不安を感じた。
 しばらくポケーッとしていた優歌だが、やがて床の上に足をおろすと、ベッドの周囲を確認するように、おそるおそる歩き始めた。
 だが、三歩も進まないうちに優歌は歩みを止めてしまった。しかしそれは、何かを見つけたとかいう理由からではない。一歩二歩と歩くうちに、自分の下腹部に妙な感触を覚えたからだ。なにやら、重くゴワゴワしたものが自分の下腹部を覆っているような、なんともいえない違和感だった。
 その場に立ち止まった優歌は、両脚をやや開き気味にして顔を下に向けてみた。その視線の先には、ベビードールのブルマーがある。じっと目を凝らしてみると、ブルマーの薄い生地を通して下着が透けて見える。
 優歌の頭に、アレッ?という思いが浮かび上がった。ブルマーを通して見えているのが、昨日穿いていた筈の花柄のスキャンティではなく、なんの柄もない純白のものだったからだ──靖子ったら、わざわざスキャンティまで着替えさせてくれたのかしら。でも、それにしても変ね。持ってきたバッグには、まっ白の下着なんて一枚も入れてきてない筈なのに……。
 優歌の感じた疑問はますます大きくなっていった──それに、この下着の形、なにか変だわ。スキャンティみたいに肌に密着してないし、ベビードールのブルマーからはみ出しそうに大きいじゃない。それに、モコモコと分厚いし。
 わけがわからなかった。
 なんとなく途方にくれたような気分になった優歌は、じっとブルマーを睨み続けた。
 その時、ドアが開く気配がした。
 ハッとして顔を上げた優歌の目に、大きな袋を提げて部屋に入ってきた靖子の姿が映った。どうやらその袋は、昨日彼女が買物をして持って帰ってきた薬局の袋のようだった。
「ああ、靖子──昨夜はゴメンなさい。私ったら、酔っぱらっちゃったみたいね」
 なにはともあれ、謝罪と感謝の気持だけは表しておかなきゃ、と思った優歌は恥ずかしそうな口調で言った。
 靖子はそんなことは全く気にしていないように、ニコッと笑って応えた。
「いいのよ。そんなこと、気にしないでちょうだい」
「……そう?」
 少しばかり救われたような気分になって、優歌は小さな溜息をついた。それと同時に、目醒めた時に感じた疑問が再び頭をもたげてくる。
「ねえ、ちょっと訊いてもいいかしら?」
 優歌は、少し言いにくそうな口調で言葉を続けた。
「なにかしら。遠慮しないで、どうぞ」
「……あのね、寝室にあったヌイグルミや人形はどうしちゃったの? 今は一つも見当らないんだけど……」
「ああ、そのこと?」
 靖子は面白そうな口調で応えた。
「簡単なことよ。優歌が忍びこんだ寝室とこの部屋とは別なの。人形のある部屋とは別に、お客様用の寝室を用意してあるのよ」
 『忍びこんだ』という部分を妙に強調して靖子が言ったために優歌の頬が赤らんだが、それよりも、疑問が解決したホッとした気分の方が強かった。
 が、それも束の間、今度は靖子が優歌に尋ねてきた。
「それよりも優歌、こんな所で両脚を広げて何を見てたの?」
 それは……、と言いかけて、優歌は口をつぐんだ。自分が妙な下着を着けてるようだからそれを確認していた、と言うことがなにやら気恥ずかしく思えたのだ。
 口を閉ざしてしまった優歌にちょっと肩をすくめてみせてから、靖子は明るい声で言った。
「ま、いいわ。それよりも、お尻の方は大丈夫かしら?」
「……?」
 靖子が言った言葉の意味がわからずに、優歌は怪訝な表情を浮かべた。靖子は、そんな優歌の様子にはまるで構わないような調子で彼女に近づくと、いきなりブルマーに手をかけた。
「な、何をする気なの?」
 優歌は思わずそう叫ぶと、靖子の手を振り払おうと体をよじった。だが、靖子の両手はブルマーのウエストの部分を強く握りしめていて、そう易々とは離れそうにない。
 靖子はエイッと気合をこめたかと思うと、そのままブルマーを力まかせに引きおろしてしまった。
 優歌の顔がカーッと熱くなった。
 ブルマーの下から現れたのは、大きな紙オムツだった。いったい何かしら?と訝しく思っていた下着の正体が大人用の紙オムツだとわかったのだ。
 想像もしていなかった事態に、優歌の体中から力が抜けていった。まっ赤に染まった両脚からも力が抜けてしまい、思わずヘナヘナと座りこんでしまいそうになる。
 それでも、うまい具合にお尻がベッドの縁にかかり、ドスンと尻餅をつくことだけは免れた。
 ベッドに浅く腰かけたような格好になった優歌に、ブルマーから手を離した靖子が優しげに声をかけた。
「さ、お尻は大丈夫かな? 紙オムツが濡れてないかどうか調べるから、おとなしくしててね」
 優歌は一言も口にすることができなかった。どうしてこんなことになったのかと考えながら、ただ唇をワナワナと震わせるだけだ。
 その隙に、靖子の手が紙オムツのテープにかかった。そして、ベリッと大きな音をたててテープを剥がしてしまう。優歌が我に返った時には、紙オムツは彼女の両脚の間に広がっていた。
 ベッドの上に広がった紙オムツの様子を確認した靖子は、わざとのような驚きの声を上げた。
「あら、大丈夫だったのね──てっきり二度目のオネショをしちゃって、それを確かめるために両脚を広げて見てたのかと思ったんだけど」
「二度目……?」
 靖子の言葉の中に聞き捨てならない表現があることに気づいて、優歌は蚊の鳴くような声で訊き返した。
「そうよ」
 靖子は、まるで当たり前のことを告げるような平然とした声で応えた。そして、どこからか数葉の写真を取り出すと、優歌の目の前に差し出してみせる。
 写真を見せつけられた優歌の顔がスッと蒼くなった──写真に写っているのは、安らかな表情で眠っている優歌の姿だった。そして、写真の中でも、ブルマーは膝までおろされ、お尻の下には紙オムツが敷きこまれているという、いわば現在の状態と同じような異様な姿だった。ただ一つ今と違っている点を挙げるなら、大きく広げられた紙オムツに、黄色の滲みがクッキリと付いていることだろう。
「これでわかったでしょう? 優歌は夜中にオネショで紙オムツを汚しちゃったのよ。それを取替えるついでに記念写真を撮っておいてあげたの」
 そう言いながら写真をスカートのポケットにしまいこむと、靖子は手に提げてきた袋から何かの包みを取り出した。靖子の手の動きを見守る優歌の目に、その包みに印刷されている『成人用紙オムツ』という大きな文字がとびこんできた。包みは既に破られ、何枚かが取り出されたのだろう、パッケージがいくぶんへこんでいた。
 優歌の目の前がスーッと暗くなっていった。予想外のできことが次々に起こったせいでパニックに陥りかけた精神を守るため、心のブレーカーが切れたようだ。

 口の中に広がる甘い香りに刺激されて、優歌の意識が徐々に戻ってきた。
 唇に、なにか柔らかなものが当たっている感触が伝わってくる。
 細く目を開けてみると、プラスチック製らしい丸いビンが間近に見えた。そのビンの中には白い液体が満たされ、時折ぶくぶくと泡がたっている。
 これは何かしら?とボンヤリしながら見つめていた優歌の頭に、不意にひらめくものがあった。それを確かめるために、優歌は唇に力を入れてみる。
 優歌が力を入れる度に口の中に液体が流れこんでくる感触があり、甘い香りがいっそう強まった。力を抜くと空気がビンの中に流れこみ、液体が泡立つ──優歌が間近に見ているものは、どうやら哺乳瓶に間違いなさそうだった。
 そのゴムの乳首が唇に押し当てられて、柔らかな感触を伝えているのだ。優歌は乳首を吐き出そうとした。しかし哺乳瓶は誰かの手で強く支えられているようで、なかなか彼女の唇から離れようとはしない。体を起こそうとしたが、それも誰かの手で抑えつけられてできなかった。
 優歌は目だけをソッと動かしてみた。
 ベッドサイドには、椅子に腰かけて哺乳瓶を支えている靖子の姿があった。
 優歌の視線に気がついた靖子はニコッと微笑むと、唇を優歌の耳元に寄せて囁いた。
「ミルク、おいしいでしょ? たくさん飲んでね」
 羞恥が心の中いっぱいに広がり、胸がカーッと熱くなるのを感じた優歌は体中の力を振り絞り、靖子の手を振り払って上半身を起こした。靖子が、哺乳瓶を落さないようにしっかり抱える。
「いったい、なんのつもりなの? 私に紙オムツをあてたり、哺乳瓶でミルクを飲ませたり……どういうつもりなのよ」
 羞ずかしさのあまり頭に血が昇った優歌は、それまで胸に溜めこんでいた疑問を吐き出すように、大声で叫んだ。
「あら、わからない?」
 優歌の絶叫を気にとめるふうもなく、靖子はクスクス笑いながら言った。
「こんなことをされる理由なんて、わかる筈がないわ」
靖子の笑い声になんとなくゾクッとするものを感じつつも、優歌はキッパリと応えた。
「じゃ、教えてあげるわ──あなたは仲間になるのよ」
 靖子は優歌の目を覗きこむようにして、笑い声のままで言った。
 優歌の顔に、要領を得ないような表情が浮かんだ──お人形遊びの仲間にならないか、という誘いは昨夜の夕食の時に聞いた。でも、それがどう関係あるっていうの?
「まだ、わからないみたいね」
 優歌の表情を見て取った靖子が、少しばかりバカにしたように言った。そして、面白そうな口調で言葉を続ける。
「私と一緒に人形で遊ぶ訳じゃないわ。優歌は、お人形の仲間になるのよ」
「……?」
「あの寝室には、ヌイグルミもアンティークドールもたくさんあった筈よ。それは優歌も見たわよね?」
 靖子の言葉に、優歌も思わず頷いてしまった。それを見た靖子が、満足そうな表情で説明を続ける。
「でも、ベビー人形は二体しかないのよ。いろんなオモチャ屋さんを見て回ったんだけど、なかなか気に入ったのがなくってね、まだあれだけしか集まってないの」
 そう言った後、靖子は優歌の体を、頭の先から爪先まで嘗めるように見渡した。
 優歌の胸に、いやな予感が走った。
 靖子は自分の唇を嘗めると、目を細めて再び言葉を続けた。
「ずっと前から思ってたの──優歌みたいに可愛いい子なら、きっと素敵なベビー人形になれるって。そんなあなたが自分から私の所へ来てくれたんだもの、こんなに嬉しいことはないわ。今日から優歌は、私のミルク飲み人形よ。さ、残りのミルクを飲んじゃいましょうね」
 ミルクが三分の一ほど入っている哺乳瓶が再び優歌の目の前に差し出された。
 優歌は激しく首を横に振ると、靖子の体を突きとばすようにしてベッドからとびおりた。そしてそのまま、ドアの前まで一気に駈け抜ける。
 ドアのノブに手をかけた優歌の表情がこわばった──どんなに力を入れても、ドアが開こうとしない。
「ムリよ」
 背後から、靖子の冷たい声が聞こえてきた。おそるおそる振り向いた優歌の目に、ユラユラと揺れる銀色のキーが映った。靖子が、これみよがしに手に持ったキーを揺らしている。
 優歌は、靖子が手にしているキーとドアの鍵穴とを交互に見比べた。そんな優歌に向かって、靖子が頷いてみせる。
 優歌は大きく息を吐き出すと、普段の彼女からは考えられない素早さで靖子にとびかかっていった。が、それを予想していた靖子が咄嗟に身をかわす。
 優歌は再び床を蹴ろうとしたが、それはできなかった──突然、激しい尿意を感じたのだ。
 優歌は股間を手で押え、床にしゃがみこんでしまった。そうしなければ耐えられないほどの、これまでに経験したことのないような激しい尿意だった。
 一瞬の迷いの後、優歌は顔に脂汗をにじませ、喘ぐような声で靖子に懇願した。
「お願いだから、ドアを開けてちょうだい。でないと……」
 靖子は妖しく目を輝かせ、ニヤッと笑って言った。
「でないと、どうなるの? ちゃんと言ってごらんなさい」
「早く、ドアを。でないと……」
「だから、どうなるの?」
「でないと……おしっこが洩れちゃう」
 胸が張り裂けそうになる屈辱を感じながら、顔を伏せた姿勢で優歌が応えた。
 それに対して靖子がわざと意外そうに言った。
 「あら? 紙オムツをあててるんだから、オモラシしても大丈夫なのよ」
 それは明らかに優歌の苦しみを楽しんでいる口調だった。
「そんな……。ねえ、お願い。紙オムツの中にオモラシなんて、そんなこと……」
「それでいいのよ。言ったでしょう?──優歌はミルク飲み人形だって。ミルクを飲んでオムツを汚す、それでいいのよ」
 靖子は、優歌の目の前で哺乳瓶を振ってみせた。
 その途端、こんなに急に尿意が襲ってきた理由を優歌は理解した。そして、怒りにまかせて大声で叫んだ。
「靖子のせいね? 靖子がミルクに何か仕掛けをしたんでしょう!」
「そうよ」
 靖子は少しも悪びれることなく平然と認めた。
「……いったい、何を仕掛けたの?」
 今度は優歌は大声を出さなかった。尿意が極限近くに達していて、もう一度叫ぼうものなら、尿が膀胱から溢れ出すおそれがあったからだ。
「強力な利尿剤よ。紙オムツや哺乳瓶と一緒に、昨日買ってきたの。ついでだから教えてあげるわ──優歌が夕食の途中で眠っちゃったのは、ワインのせいじゃないわ。シチューの中に私が睡眠薬を混ぜておいたのよ、利尿剤と一緒にね」




 それらの薬のために優歌は睡魔に襲われ、オネショまでしてしまったのだ。全ては靖子の仕業だった。
「……どうして? どうして、こんなことをするの?」
 そう言う優歌の声は、今にも消え入りそうな弱々しいものだった。
「さっきも言った筈よ。優歌を私のミルク飲み人形にするためだって」
 靖子はとびっきり明るい笑顔を作ってみせながら、優しく応えた。だが、その目は全く笑っていなかった。

 そろそろ、優歌の我慢も限界に達する頃だった。膀胱はパンパンに腫れ、痛みさえ感じるほどになっている。神経が下腹部に集中してしまい、頭の中がからっぽになってしまったように思える。
 いっそ洩らしちゃえば楽になれる──ふと、そんな思いが湧き上がってきた。
 が、じきに思い直す──ここで靖子の思い通りになってたまるもんですか。我慢するのよ、優歌。
「ふーん、意外に我慢強いのね」
 脂汗が目に入ったせいでボヤケてしまった視界の中で、靖子が感心したように言った。
「当たり前よ。誰が靖子の思うようになるもんですか。いつまでも我慢して我慢して、いつかここから逃げ出してみせるわ」
 優歌は肩で息をしながら、喘ぎ喘ぎ精一杯の強がりを言ってみせた。
「でも、いつまでも強情はってると体に毒よ。そろそろ諦めた方がいいんじゃないの?それに、ここから逃げ出すことはやめた方がいいわ。もしも逃げ出したりしたら、オネショの写真を大学の掲示板に貼って公開しちゃうかもしれないわよ──もっとも、キーがなきゃドアは開かないし、その格好で外へ出る勇気もないでしょうけどね」
 優歌の強がりも、靖子の一言で微塵に砕かれてしまった。
 靖子はうなだれる優歌の背後に廻ると、フッと耳朶に息を吹きかけた。
 優歌の体がビクッと震えた。
 体中の力がスーッと抜けてゆく。
 優歌の口がアッと言うように開き、目からは大粒の涙が幾つもこぼれ出した。
 優歌の股間から、小川のせせらぎのような音が聞こえ始めた。

 ──永い永い時間が過ぎたように感じられた後に最後の一滴が尿道から紙オムツの中に吸いこまれ、優歌は体をブルッと震わせた。
 優歌の胸の中で、怒りと羞恥と屈辱と悲しみが混ざり合った、なんとも表現のしようのない感情が渦巻いた。だが、その激しい渦のずっと下、心の奥の方では、優歌自身さえ気づかない全く別の感情が芽生えようとしていた。
 排泄を他人に管理されることに対する嫌悪と、逆にそのために生まれた倒錯の快感。
長い時間にわたって苦痛と戦いながら我慢した末にやっと放尿できた本能的な喜び。
ずっと昔のことで忘れてしまった筈の、唇への柔らかな刺激。そういった、普段なら表面に出てこない筈の感情が、優歌の置かれた異様な環境の中で大きく育ち、互いに融合しながら芽ぶこうとしているのだった。




 優歌は何度か部屋から逃げ出そうともしたし、哺乳瓶を咥えさせようとする靖子の手を振り払ったりもしてみた。だが、その度にオネショの写真を見せつけられ、それを公開してもいいのよ、という靖子の脅しには屈服せざるを得なかった。
 そんな優歌が羞ずかしさを少しでも減らす方法が、たった一つ残っていた。それは、紙オムツの交換回数を少なくすることだった。自分のオシッコを吸収した紙オムツを靖子の目に曝す回数を減らすことができれば、それだけ羞恥を感じることが少なくなる。
 そのために、ミルクに混入された利尿剤のせいで大量のオシッコを紙オムツの中に排泄した後も、優歌は平然とした表情を作ってみせた。オモラシしてしまったことを隠すための方法はそれしかないのだ。
 ミルクを飲ませた後も優歌がオモラシしないことに靖子も戸惑ったようだが、すぐに、そのことを気にとめないような素振りをみせるようになった。内心ビクビクしていた優歌は、靖子の様子を見て、うまくいったと胸をなでおろした。
 だが、その後、優歌の身は悲惨な状況に置かれることになる。
 最近の紙オムツの素材には、吸収した尿を固めてしまう高分子材が使われている。
そのため、一度や二度のオモラシくらいは完全に吸収されてしまう。しかし、それにも限度はある。何度も何度も紙オムツの中にオモラシしていれば、いつかは吸収しきれなくなってしまうものだ。
 優歌の下腹部を包んでいる紙オムツも、四度目のオモラシで遂に限界を越えてしまった。吸収力をオーバーした尿は腿やウエストのギャザーから溢れ出し、着ているベビードールやブルマーをビッショリと濡らしてゆく。そしてそれだけではすまず、ベッドのマットにも滲みが広がり、ゆっくりと大きくなってゆくのだ。
 そんな状態になっても、靖子は優歌の紙オムツを取替えようとする気配さえ見せなかった。優歌の企みを知りながら、ただ薄く笑いって、利尿剤入りのミルクを次々と飲ませようとするだけだ。その度に優歌の股間からオシッコが溢れ、濡れた範囲が大きくなる。それにつれて、優歌は全身に強い不快感を覚えることになるのだった。
 ……先に根負けしたのは優歌の方だった。
 優歌は下唇を前歯でギュッと噛んだ後、蚊の鳴くような声で靖子に言った。
「ねえ、靖子。濡れちゃったパジャマを着替えたいんだけど……」
 それに対して、靖子は首を少しかしげて応えた。
「いいわよ……但し、条件があるわ。それをのむなら、ね」
「条件……?」
「簡単なことよ──これからは、私のことを『ママ』って呼んで欲しいの。どう?」
 優歌は躊躇った。靖子を『ママ』と呼ぶことは、優歌が靖子の支配下に入ることを自ら認めるようなものだ。かといって、このままでは……。
 しばらく迷った後、優歌は決心したように顔を上げると、微かに震える声で靖子に呼びかけた。
「……ママ?」
「なにかしら、優歌ちゃん?」
 優歌の頬に赤味がさした。靖子への『ママ』という呼びかけと、靖子からの『ちゃん』付けの応答が、優歌の心をかき乱したのだ。
 靖子は、赤く染まった優歌の顔を満足げに見ながら言葉を続けた。
「『ママ、優歌がビショビショに濡らしちゃったオムツを取替えて欲しいの』って言ってごらん。そうしたら、着替えさせてあげるわよ」
「……」
「ほら、どうしたの。優歌ちゃんには、お口が無いのかしら?」
「……ママ……優歌がビショビショに……ダメ、言えない」
 顔を伏せた優歌の目から、大粒の涙がシーツの上に落ちていった。

 その後、優歌はなんとか紙オムツを取替えられ、新しいパジャマに着替えさせられたが、この時の経緯は強く優歌の心に刷りこまれ、僅かに残っていた靖子への抵抗の気持を根こそぎ奪っていった。
 その時から、この部屋は『寝室』ではなくなった。優歌という生きたミルク飲み人形を収める大きな『ケース』へと変貌したのだ。
 その『ケース』の中で送られる優歌の生活をちょっと覗いてみることにしよう──。

 朝、優歌が目を醒ますのは八時前だ。ミルクの入った哺乳瓶を載せたトレイを持った靖子が部屋に入ってきて、そっと優歌を呼び起こす。
 うっすらと目を開き、うーんと伸びをする優歌の体にかかっているシーツを靖子がどけると、紙オムツでもっこりと膨れたお尻が現れる。おはよう、よくネンネしてたわね、と話しかけながら靖子がテープをベリッと剥がすと、内側がぐっしょり濡れている紙オムツが優歌の両脚の間に広がる。昨夜眠る前に飲んだ睡眠薬と利尿剤のせいだ。
 馴れた手つきで優歌の足首を掴んで持ち上げると、靖子は新しい紙オムツをお尻の下に敷きこんだ。そのまま紙オムツをあてようとする靖子の手が不意に止まる。
 そして、ちょっと待っててね、と言うと、ドアを開けて廊下に出て行ってしまった。
 しばらくして戻ってきた靖子の手には、剃刀やタオルがあった。
 靖子はシャボンカップを紙オムツの上に置き、その中で泡立っているシャボンをソープブラシに取ると、優歌の股間に塗りつけ始めた。優歌はアッと声を立て、体をのけぞらせたが、靖子の手が腰を押えつけてしまう。
 やがて、靖子が手にしている剃刀が優歌のヘアを剃る、ゾリッという音が部屋中に響き始めた。
 優歌の体がビクッと震える。
 靖子は作業を続けながら、幼児をあやすような口調で優歌に言葉をかけた。
「ベビーにこんなものは似合わないから、剃っちゃおうね。ほーら、静かにしてないと危ないわよ。大事な処を剃刀で切っちゃったら大変だもの」
 ゾリッという音が聞こえる度に、優歌の胸がチクッと痛んだ。これまで生きてきた人生が、その音と共に自分の体から削ぎ落されてゆくような思いが襲ってくる。
 しかし、ここで下手に動けば文字通り痛い目に遭うのは明らかだった。優歌にできるのは、靖子の作業が早く終わりますように、と祈りつつ目を閉じていることだけだった。
 やがて、剃刀が股間から離れる気配が伝わってきた。同時に、靖子の優しげな声が聞こえてくる。
「さあ、できたわよ。ほんとの赤ちゃんみたいで、とっても可愛いくなったわ。鏡で見せてあげようか?」
 が、優歌は何も応えず、ただ弱々しく首を横に振るだけだった。
 靖子は、そう、とだけ呟くと、童女のようになった優歌の股間をしばらく眩しそうに見つめた後、改めて紙オムツで包んでいった。
 洗面道具やタオルを洗面所に戻した後、靖子は哺乳瓶を取り上げた。そして、そのゴムの乳首を優歌の口にふくませる。
 優歌は素直に乳首を吸い始めた。このミルクを嫌がってしまえば優歌が口にできる物は何も無いのだから、それももっともなことだった。この部屋に閉じ込めらた時から優歌には固形物は一切与えられず、食事にしても、靖子が手にしている哺乳瓶のミルクだけなのだ。そのミルクには各種の栄養素が溶かしこまれていて、優歌が体調を維持するには欠かせないものだった。
 もっとも、ミルクに溶かしこまれているのは栄養素だけではない。例の利尿剤も忘れずに混入されている。
 つまり、このミルクを飲むということは、朝食を摂ると同時に朝一番のオモラシをするということを意味しているのだ。最近では利尿剤の効果が体に蓄積してきたのか、哺乳瓶のミルクを飲み干すまでもなく、その途中で尿意を感じるようになっている。
口からミルクを飲みながら、同じ時に、下からオシッコを溢れさせる──今や、優歌は完全にミルク飲み人形になりきってしまっていた。
 朝食代わりのミルクには、時として下剤が混ぜられることもある。強制的な排尿と密室に監禁されたことによる精神的な変調のため、優歌が自然な便意を催さなくなってしまったからだ。二日に一度ほどのペースで混入される下剤によって、優歌はかろうじて排便しているようなものだった。
 もちろん、ウンチも紙オムツの中へ排泄させられるのは言うまでもない。そんな時、優歌はなるべく動き回らないようにして、紙オムツの中でウンチが広がってしまわないように努める。だが、優歌のそんないじらしい行動を嘲笑うかのように、靖子は紙オムツの上から優歌のお尻を軽く叩いてみせたり、力いっぱい撫でまわしたりするのだった。そうなれば、ウンチはグジュグジュと紙オムツいっぱいに容赦なく広がってゆく。そのベットリした感触に耐えきれず、優歌は自ら靖子に紙オムツの交換を懇願してしまう。しかしそれは、見ようによっては、幼い子供が母親に甘えるような光景でもあった。
 優歌の紙オムツを広げると、部屋中に異臭が漂う。靖子はわざと鼻をつまみ、大声を出してみせた。
「わー、くちゃいくちゃい。ウンチ、いっぱい出ちゃったのね」
 その言葉に顔をまっ赤に染める優歌の表情を楽しんだ後に処置を始めるのが、靖子の常だった。
 ウンチでまるで塗り壁のようになった優歌の股間が、拭き取るだけで綺麗になるわけがない。だから、ミルクに下剤をしこんだ日には、靖子はベビーバスを部屋の中に用意していた。床にビニールシートを敷き、その上に、お湯を入れた赤ん坊の浴槽を準備するのだ。
 汚れた紙オムツを剥ぎ取り、ざっと股間を拭いた靖子が優歌の体を抱え、ベビーバスの中に浸けると、それまでよりも強い異臭が立ちこめる。お湯に温められて、匂いが倍加するのだ。
 だが、当の優歌の心からは、そんなことを気にする余裕さえ消えてしまっている。
ただひたすら目をつぶり、靖子のなすがままにされるだけだった。
 その後は、昼も夜も同じようなことの繰返しだった。食事やおやつ代わりのミルクを飲み、オモラシをしては紙オムツを取替えられる。そんな生活が繰返し繰返し続けられるのだった。




 優歌の意識が、徐々に変化しようとしていた。
 心の奥深くで芽生えた感情が、今や表層意識に触れるまでに育ってきていた。更に、紙オムツを取替えられるという行為が、優歌の胸のどこかに眠っていた遠い昔の記憶を呼び醒ましたのかもしれない。紙オムツを交換する靖子の手が、無意識のうちに過去の母の手とダブって感じられるようになり、その手が自分の体に触れるだけで深い安堵や安らぎを覚えるようになっているのだろうか。
 或る日、優歌はいつものように哺乳瓶の乳首を咥え、チュパチュパとミルクを飲みながら体をブルルッと震わせた。それに気づいた靖子は、優歌が思ってもいなかったことを口にした。
「あら? 優歌ちゃんたら、利尿剤を入れなくてもオモラシしちゃうのね」
 一瞬、ミルクを吸う優歌の口が止まった。そして、不思議そうな表情で靖子の顔を見上げる。
 靖子は優歌の顔を覗きこむようにして、言葉を継ぎ足した。
「だって、今のミルクには利尿剤なんて混ぜてないのよ。なのに、いつものようにオシッコを洩らしちゃうんだもの。どうやら、オモラシが好きになっちゃったみたいね?」
「……そんな……」
 優歌は顔から火の出るような思いでそれだけを言うと、慌てて顔を伏せた。
「いいのよ、恥ずかしがることなんてないわ。私は、優歌ちゃんが少しでも早くそうなることを待ってたんだから」
 靖子はクスッと笑ってそう言うと、手にしていた哺乳瓶をベッドの枕元に置いてドアの方へ歩き始めた。
 自分の近くから靖子の気配が消えたことを感じた優歌が顔を上げると、靖子はポケットから取り出したキーでドアのロックを解くところだった。
 カチャッという小さな音を立ててロックが外れ、ドアが大きく開いた。しかし靖子は、そのドアを閉めようとはせずに再びベッドの所へ戻ってくる。
 意外そうな目つきで靖子を見つめる優歌に向かって、靖子は静かに言った。
「もう、ドアのロックは必要ないわ──オモラシとオムツが好きになっちゃった優歌ちゃんは、このマンションから逃げ出そうとは思わないもの。ね?」
 優歌は羞恥で全身をまっ赤にし、それでも、上気した顔でコクンと頷いた。
 それを見た靖子は、優歌の髪を優しく撫でつけてから満足そうに言う。
「じゃ、早速、ここから出ましょう。今までずっと同じ部屋にいて窮屈だったんじゃない?」
「……でも、オムツが……」
 優歌が今にも消え入りそうな声で言った。
「それなら、大丈夫よ。別の部屋に素敵なものを用意してあるから。さ、行きましょう」
 そう言う靖子の言葉に不要領な表情で頷くと、優歌はそっと脚を伸ばした。それから、靖子に右手を引かれて廊下に足を踏み出す。

 靖子が優歌を連れて行ったのは、もう一つの寝室──つまり、ヌイグルミや人形が無数にある、あの寝室だった。
 そのドアの前に立った優歌は、あの時の人形たちの目を思い出した。自然と腰が退け、靖子の動きに逆らってその場に立ちすくんでしまう。
 だが、靖子は優歌の気持など無視するように大きくドアを開けた。
 優歌にしてみれば、部屋の中にうずくまっているヌイグルミが自分のことを見上げたように感じられた。
 が、今度はそこに不気味さや恐怖といったものは感じなかった。むしろ、その数多くの視線の中に、仲間を迎える温かみがあるようにさえ思えたのだ。
 ホーッと息を吐き出して緊張を解いた優歌の目に、二つ並んだベッドがとびこんできた。以前見た時にはベビー人形が寝ているベッドが一つあっただけなのに──そう思いながら、優歌はベッドに目を注いだ。確かに、ベッドの一つには大小二体の人形が仲良く横になっていて、そのベッドには優歌も見憶えがあった。
「新しいベッドを買ったのよ」
 優歌の視線に気づいた靖子が、ニコッと笑って説明した。そして、ベッドの上を指差して言葉を続ける。
「優歌ちゃんのためにね。ほら、見てごらん──可愛いいお洋服も用意しておいたのよ」
 靖子の言うように、新しいベッドの上には、二体のベビー人形が身に着けているのとお揃いの可愛らしいベビー服が広げて置いてあった。そして、それと一緒に、水玉模様の布オムツと花柄のオムツカバー。
「さ、濡れた紙オムツを外して新しいオムツをあてましょう。優歌ちゃんが私のコレクションの仲間になった記念に、今日からは可愛いい布オムツにしようね」
 靖子が優歌の耳元で甘く囁いた。
 強力な催眠術にでもかかったように優歌はコックリ頷くと、ベッドの上に大きく広げられた布オムツの上にお尻をおろし始めた。
 そして、紙オムツとは異なる、細かなシワが皮膚を刺激するような布オムツの柔らかな感触に頬を赤らめながら、おずおずと両脚を高く伸ばすのだった。


 ヌイグルミや人形に囲まれて、大きなベビー服を着せられた優歌が今日もオムツを濡らし続けている筈です。
 興味のある方は一度、靖子のマンションを訪ねてみてください。自慢のコレクションを見せながら、楽しい物語を聴かせてくれることでしょう。







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