1998年下半期(7〜12月)

図書「私は韓国人。でも日本文化がスキだ!」


今回は番外編として最近出版された本について書きます。
この間の10月、韓国政府が日本文化を公認する一環として、 出版分野ではまず、日本語の漫画を解禁するとの発表がありました。 韓国では既に漫画の7割が、日本の漫画の翻訳したものなので、 これは現状を追認した形になったという事だそうです。

今回取り上げた本は、こうした韓国政府の発表を受けて翻訳出版されたものと思われますが、 このタイトルだけ見ると韓国の方から見た日本文化礼讃の本の様に感じられます。
実際、発行元であるザ・マサダからは以前「韓国人の私が韓国をキライになった48の理由」 という本も出ていますし、本のオビには「戦争中は英国文化好きだと公に言いにくかった。 今の韓国の状況は日本の戦争中に似ているところがある。これはその本音の本だ。」 と、渡部昇一氏からたいそうな推薦文までもらってます。

ところがこの本、中を開いてみると一応最初の方では「野球」や「天皇」で読む日本文化 など普通のことが書かれてますが、すぐに「これが日本の文化パワーだ!」とか言って「日本の文化パワー1 オタク」という話になってきます。なんと一見、日本文化礼讃に見えたこの本は、 オタク文化礼讃の本だった。 渡部昇一氏は中をちゃんと読んでから推薦文を書いたのでしょうか?(笑)

それにしてもこの本の著者は韓国の方にも関わらず、日本のオタク文化について深く認識があって、 日韓文化交流の委員もしていて、岡田斗司夫の 「オタク学入門」もちゃんと読んでいます(笑)。 その理解は、日本の半端な学者が裸足で逃げ出すくらいで、もっと見習ってもらいたいものです。

P.S.この書名も良く考えたら、「もののけ姫」のラストの台詞からつけているんだな。
(98/12/??)

映画「ロスト・イン・スペース」


第4回目は「スプリガン」と「始皇帝暗殺」を書く予定だったのですが、 つい書く機会を逃してしまって、のびのびになってしまいました。 でも観た事は観たので後で少し触れます。
ちなみに「ムーラン」と「アナスタシア」は結局、観に行きませんでした。 (前宣伝の割には公開後の評判をあまり耳にしないし、まあいいかって事で...。)

そういう訳で「ロスト・イン・スペース」を試写会で観て参りました。 ご存知の方も多いと思いますが、この映画は「宇宙家族ロビンソン」という 向こうの昔のTVシリーズのリメイク映画化作品です。 私の住んでいる所では9年ほど前、深夜に毎週放映をしていたのでその時観ていました。 この番組、各地で放映する事はあっても、カラー化した話からしかなかなかしないそうなのですが、 この時は珍しく、まだモノクロである第1話から放映をしていました。(29回目までモノクロだった)。 そのおかげで、何故ドクター・スミスなんかが同乗しているのかが分かって貴重でした。 そのかわり54回分しか放映せず、打ち切りのように終了しましたが。

ついでに、知らない人のために言っておくと、漫画家あさりよしとお氏の 「宇宙家族カールビンソン」というタイトルはこの番組名からつけられていて、 作品中出てくるコロナちゃん家の宇宙船は「ロビンソン」のジュピター2号の外観まんまです。
そう言えば、どこぞの雑誌で「ロスト・イン・スペース」つまり「宇宙家族ロビンソン」は デフォーの「ロビンソン漂流記」が下敷きになっている、と言うような解説を見かけましたが、 正確にはウィースの「スイスのロビンソン」(いわゆる「ふしぎな島のフローネ」!) を翻案したものらしいです。日本ではイマイチ知名度の低い「スイスのロビンソン」ですが、 アメリカの方ではスイス作品として「ハイジ」と並んで有名な本だそうで、映画にもなってますし、 現在、NHKで木曜日に「ロビンソン一家漂流記」の題でTVドラマもやっています。

おっと閑話休題。それで今回の「ロスト・イン・スペース」ですが、 リメイクするという話は一年以上前から聞いていて、写真を見たのは半年ほど前でしょうか、 何だかロビンソン一家がずいぶんとゴツイ格好をしているな、と言うのが第一印象でした。 TVシリーズのフライデーにあたるロボットのデザインが今風なのは仕方がないとして、 次女ペニーと思われる少女が「うわっ、ケバい!」(笑)と思いました。
ストーリーの方も、TVシリーズよりハードな展開になると書いてあったので、 どうなるもんかなぁと正直なところ思っていたのです。 実際ドクター・スミスは悪人ヅラしていて、今回悪役などとも書かれていましたし。 試写会の前にメイキング本も発行されていたので知ろうと思えば今回の内容を 読むことも出来たのですが、映画を観る前に詳しく知ってしまうことは なるべく避けていますので、それ以上の事は予備知識無しに観賞に臨みました。

さて映画が始まると、タイトルと一緒に今回のロボットのネーミングの発表がありました。 その名も「フレンディ」。前作の「フライデー」という名前も実のところ、 日本語版のネーミングであり、原語の方ではただ「ROBOT」と呼んでいるようなので 特に問題にする事も無いのでしょうか。TVシリーズの方の「ロビンソン」なので 「フライデー」、という名前は絶妙なものがありましたが、今回も割とそれなりの 意味付けがありますので、まあまあと言ったところでしょうか。

映画の冒頭には物語の世界背景が説明されます。TVシリーズではこの辺りが おざなりにされていて、ドクター・スミスを送り込んだ反対勢力の存在も 良くわからなかったのですが、今回はその反対勢力との宇宙戦闘シーンから描いていて 序盤の見所となっています。前作で特に説明無しにロビンソン一家と一緒にいた ダン・ウエスト少佐が活躍して、宇宙船に同乗する経緯が語られます。 その一方で宇宙旅行を準備するロビンソン一家も描写されます。 前作ではいきなり報道陣などに見送られてニコニコと宇宙船に搭乗する家族でしたが、 映画の方は現代のアメリカ家庭を反映したような、よくある疎遠な家庭(笑) になってます。(このあたりは今回後半の軸になっていくんですが)。

一家の長であるロビンソン博士は仕事にかまけて家庭を疎かにする父親になっているし、 長女ジュディもエンジニアウーマン風に少しキャラクターが変っています。 特に次女ペニーが宇宙旅行自体を嫌がるような、やや反抗期の女の子になっているのが 私としては多少ショックを受けました(笑)。

いよいよ出発シーンとなりますが、以前映画の予告編で見た時、宇宙船の名前が 「ジュピター2号」から「ジュピター1号」になっていて、どうしたんだろう、 でも宇宙船のデザインは昔のまんまだぞ、と思いながら観ていたのですが、 あっと驚く展開によって「そんなの有りか?!」と感じつつ納得しました(笑)。 前作では謎の破壊工作員で何のドクターだか良く分からなかったドクター・スミスも 出発前のロビンソン一家の主治医という設定になりましたが、やっている事はほとんど一緒。 ゴツイ顔になったと思っていましたが、割と昔の雰囲気を再現していて驚きました。 まあそれで後は前作と同じくドクター・スミスの所為で目的地のコースから外れ 宇宙の迷子になってしまう訳なんですが、今回はタイムワープが話に絡んでくるのが 特徴でしょうか。ちょっとスタートレック入ってる気がします。

迷子になった後である宇宙船を見つけて船内を探索し、それが十数年後の未来ということを 知ります。それも束の間、クモのような宇宙生物が大挙襲来してきて、 それをやっつけるためにウエスト少佐が鉄仮面のようなマスクを被って銃撃したり ウィルがフレンディをリモートコントロールして応戦したりするのが中盤の見所となっています。 そうそう今回影の薄いペニーはビデオ記録担当をしながらお茶を濁していましたが(笑)、 その宇宙船で変なCGの宇宙猿を拾ってペットにしていました。 このいかにもアメリカ的デザインの動物、ラストでまた顔を出すまで何の役にも立たないのですが (実際は未来での成長したシーンも撮影されたそうだが編集でカットされたらしい)、 そういえば前シリーズの時も一時期、ペニーが頭に変な被り物をつけたサル をペットにしていたなあ、という事を後で思い出しました。

この後もまだ話は続くのですが、全体を通して昔のシリーズの事をちゃんと考慮している、 といった感じがありました。ドクター・スミスなんかは喋り方までそっくりだし、 ロボット・フレンディも宇宙グモとの攻防で壊れた後、かつてのファン感涙の復活をします。 変貌著しいと思っていた新生ペニーも、まあこんなもんかなと言うくらいの感じでした。 ラストでは、まだまだ冒険の旅は続くという具合にエンディングになり、 続編の可能性も匂わせつつ終わります。

お正月に親子で観るSF映画としてはなかなかの出来で割と見応えもあるので 良いんじゃないでしょうか。ただ、邦題の「ロスト・イン・スペース」ってのが 原題のまんまで、「宇宙で迷子」くらいの意味なんですが、親子向きという事を考えると、 「スペース・ロビンソン」くらいの題名の方が丁度良かったんじゃないかという気がしました。
(98/11/22)

先にも触れた「スプリガン」と「始皇帝暗殺」ですが、 「スプリガン」の方は良くありがちな大友克弘的ジャパニーメーション(揶揄)で、 電撃B−magazinのコルピ・フェデリコ氏などは海外で売り込むにはこういった作品が重要だと 評価していましたが、9月の公開後あまり評判を聞かないところを見ると、 その程度の作品だったんじゃないかなあと言う感想です。原作も読んだ事ないし。 アニメーションながらインディ・ジョーンズ張りの活劇をしてたのは割と評価できますが。
「始皇帝暗殺」は「スプリガン」公開と同日に、試写会を早々と観たんですが、 「さらば我が愛」などを撮った耽美派映画監督の作品らしい、中国歴史ロマンにも関わらず どこか女々しい(まあ良い意味で)、映画でした。 秦時代を再現した巨大なセットもあまり役に立っていなかったような。 それでもクライマックスの、始皇帝との謁見で地図を広げながら暗殺のチャンスを窺う 「史記」に有名なシーンは本場中国といった感じがあってなかなかの物でした。

ついでに、話題の「プライベート・ライアン」もこの間観てきたので少し感想を書きます。 第二次大戦中、4人息子の中、3人が同時に戦死した可哀相な母親のために、 生死不明な残り1人を8人の兵士が特別任務で捜しにいく、 というのが大まかなあらすじですが、その辺は単なる話の振りであって、 この映画で肝心なのは一兵士から見た当時の戦場をリアルに描くという所です。 冒頭のノルマンディー上陸作戦からして、まるで戦場報道カメラマンの如く 始終揺れるカメラワークで壮絶な戦闘を描写していきます。 揚陸艇の前を開けばドイツ軍の狙い撃ちで十人くらいがすぐに死ぬし、 それを避けて海中に逃げても流れ弾が水の中にもかかわらず身体を貫通して死ぬしで 砂浜をまさに血で洗うような光景が続きます。 この映画を見るとヘルメットがほとんど役に立っていなかったように見えます。

劇場版「ポケットモンスター」

 第3回目は劇場版「ポケモン」です。私自身ポケモンに関しては、昨年の4月に始まった アニメから見て、次いでゲームボーイでピカチュウをちょっと育てた位なので、 世のファンの方々からみれば、ずいぶんと浅いものでしかありません。 それでも、映画を観て感想を述べるぶんにはそう困りませんので、まあお読み下さい。
 実は映画を観てきたのは今日でして、公開されてから、もうかなり日が経っています。 今までは夏休みのまっさいチュウでしたから、空いている映画館が好みの私としては 親子連れの観客を避けるために今まで行くのを延ばしていたのです。 その甲斐があって、今日の観賞は午前中でしたが、観客も中央にまばらにいるだけで、 やや前側に座った私の周りには誰もいませんでした。おかげで快適に観賞できました。

 先に上映するのは「ピカチュウのなつやすみ」です。人間が出ないポケモンたちだけの映画で、 言葉もポケモン語だけと聞いていたのですが、最初と最後にはサトシたちも一応出ていましたし、 ナレーションもちゃんとついていました。まあ、それは良いとして...
 内容はピカチュウたちがポケモン広場という所で夏休みの1日を過ごすというものです。 ピカチュウが念願の主役を張っているのと、TVで既にお馴染みのオリジナルポケモン・ トゲピーがいい味を出しています、ちゅきぷりぃぃぃ。

 話の中盤、ピカチュウとライチュウが「未来少年コナン」の コナンとジムシィ対決走りをしたり、 一件落着して、どっからぶら下がっているのか分からない長いブランコで遊んだりしていたのは、 アニメーション監修で名を連ねている小田部羊一さんのせいなんでしょうか(笑)。
 エンディングの歌はもうカラオケにも入っているので子供も大喜びですし、 エンディングイラストはふくやまけいこさんが描いていて、いい味を出しています。 ちゅきちゅき、ぷりぃぃぃぃ。

 続いて「ミュウツーの逆襲」です。ミュウツーのモノローグから始まって、 その誕生の経緯が語られる訳ですが、これがタイトルが出るまでがやけに長い。 子供にとってミュウツーがどれだけ人気があるのかは良く知りませんが、 それでもオッサンの声でボソボソと喋るのを延々と聞かされるのはどうかと感じました(笑)。 実際、私の後方にいる子供たちは、シリアスな冒頭に反応があまり無いように見えました。 いや、固唾を飲んで見入っていたのかもしれませんが。 でも、CGで描いたタイトルシーンは割とカッコよかった。

 サトシ達が出てきて、ようやくいつもの明るい展開になってオープニングが始まる。 その前に、サトシに対して挑戦者が現れポケモンバトルという事になるのですが、 この挑戦者を演じているのが「おはスタ」に出ているレイモンド。 いつもの変なしゃべり方よりは、ややましな演技をしていました。
 それで、ミュウツーが優秀なポケモンマスターを自分の島に招待して、 バトルをするというのが主な展開なのですが、この島の雰囲気がまるでラピュタのようだったり、 カリオストロ城のようだったり、リトル・ニモまで入ったりしているように見えるのは、 単に私の思い込みかもしれませんが、これも小田部羊一さんのせいなんでしょうか(笑)。

 まあそれからミュウが出たり、コピーポケモン達とバトルしたり、 コピーピカチュウは声や耳の先がちょっと違っていたりと大変な事になって、 なんだかんだとしているうちにハッピーエンドとなる訳です。
 エンディングでは、サトシ達が大自然の中を旅する姿が描かれるのですが、 これがまた心の中の冒険心をくすぐるいい絵になってますなあ。 まあ、2回も観ていくほどのものではありませんが。なんだか来年の続編も決定したというし。

 「ムーラン」や「アナスタシア」もそこそこ面白そうですなあ。
(98/08/24)

劇場版「ナデシコ」

 「批評をなすもの」第2回目は、アニメ「機動戦艦ナデシコ」の劇場版を取り上げます。 実は、この文章は公開日である8月8日以前に書いているのですが、 たまたま試写会を見る機会に恵まれまして、それで書いている次第であります。
 まず始めに「ナデシコ」に対する私の立場を明らかにしますと、TVシリーズは全話見ましたが、 少年エースのコミック版は特に読んでいませんし、設定も深く知っているわけではございません。 監督である佐藤竜夫氏の手がけた「飛べ!イサミ」は見ていましたが...。
 ですから、「ナデシコ」ファンの方々からみると「何言ってやがんだ、この物知らずめが!」 ということがあるかもしれませんが、まあ、それはそれ、一介のアニメファン (とは言っても一般の作品、その他いろいろにも通じてはいますが)から見た、 劇場用作品としての個人的感想を書いていこうと思います。

 ついでにTVシリーズの時の私の感想を申しますと、まず最初の2、3話くらいを見て 「トップをねらえ!みたいな世界観で マクロスごっこしてるっ」みたいな事を言って 後に恥ずかしい思いをしたような気がしますが、何せ「ナデシコ」が始まった96年秋当時は、 あの「エヴァンゲリオン」が終わってまだ半年で、 何かと比較される事も多い作品で御座いました。 それで最後まで見続けていったわけですが、 何かこう、視聴者すっ飛ばしという感が最後まで拭い切れなかったと思います。 SF設定なども凝ってます、といった感じでしたが、 「何をやっているか、おまえ等には分からないかもしれないけど、俺達には分かってるんだぜ!」 みたいなストーリー展開で、一介の視聴者としては、ただキャラクターの馴れ合い芝居を 眺めるしかない状態でした。

 結局、どのキャラクターに思い入れするという訳でもなく、後半のオタク批判めいたものも 何だか空回りしてるなぁ、という具合で終始ドタバタSFラブコメだったという印象です。 スタッフの方は「スタートレック」を意識していたということですが。
前置きが長くなりましたが、では今回の劇場版がどうだったかというと、んーやっぱり 観客すっ飛ばしという感は拭えませんでした。一応、前TVシリーズから3年後ということや、 その後の世界観を冒頭に(不親切に)説明してくれるのですが、これがもう、 映画版の設定を頭に叩き込んでから見に来い!ってな感じで、当然TVシリーズを見てない人は そっちのけです。知らない人でもそれなりに楽しめるという作りなら良いんですが。

 ちなみに私が試写会を見たのは7月の終わりだったんですが、映画が始まって見ていたら 所々に原画や動画をそのまま使っているシーンが有り、 「これはエヴァンゲリオン的演出なのか?!」とか思ったりしたんですが、 どうやら単に間に合わなかっただけのようですね。 そう言えば、試写の前に司会のお姉さんが「今回は試写会のための特別編で、 他では見る事が出来ません」って言っていたなあ(笑)。

 他にも、「火星の後継者」たちが正体を現す時に着ていたコスチュームの前面にに大きなマークが ついているんですが、それを見て横の方に座っていた知らない人が「あはは、生物のオスの記号だ」 と笑っていました。馬鹿野郎! 男ばっかりの集団という意味合いもあろうが、基本的にそれは火星のマークだ!! ついでに言うと、今TVでやっている15秒CMでかかっている音楽は、 ホルストの「惑星」の中の「火星」の曲だ!

 等など、いろいろな事がありましたが、全体的に見ると、 主役をルリルリことホシノ・ルリに絞っているので、話はドタバタしているにも関わらず 何だか作品としてまとまっているという感じを受けました。特にルリルリのファンの人には 満足な出来かと思われます。1時間20分もの長丁場、作画も良く見ごたえはあります。
それにしても、ラピス・ラズリというあの新キャラ、(声を「ラブ&ポップ」にも出ていた 仲間由紀恵がやっていますが)あまり説明がない上に、ほとんど活躍もしないので 一体何のために出てきたんだろう、という感じがしました。

 「ナデシコ」の前に「スレイヤーズごうじゃす」も見ることが出来たので一応言いますと、 私はTVシリーズ3作の他は、昨年公開した「スレイヤーズぐれえと」しか見たことが無いんですが、 どうも昨年のと同じような出来で、特にこれといって取りたてるところが無いというか、 これはこれで初めて見る人でも楽しめるといった安定的な作品になってます。 「スレイヤーズ」を見てから「ナデシコ」を見るというのが良い順番でしょう。

 P.S.劇場版「ナデシコ」のサブタイトル、「The prince of darkness」って、 ジョン・カーペンター監督の「パラダイム」の原題名からつけたと思うんですけど、 これって「ナデシコ」版「まごころを君に」なのかなあ(笑)
(98/08/05)

映画「GODZILLA」

 さて、それでは栄光の第1回目は、何かと話題になっているハリウッド版「ゴジラ」について 個人的な感想を書かせてもらおうと思います。 まあ、この「ゴジラ」に関しては、既に一般人からそのスジの方まで多くの人達が解説を していますので、今更私が言うこともほとんど無いのですが、長年特撮ファンをしてきた者として、 幾ばくかの資格があると思いますので、私見を述べさせていただきます。 ちなみに私は「GODZILLA」(字幕)を試写会で2回、公開されてからは映画館に日本語吹き替え版を 1回観に行きました。わが街では吹き替え版1館を含めて、計3館で公開するという 力の入れ様でしたが、私が吹き替え版を観に行ったときは、公開して間もなくの平日ということもあって、 客も10人ほどとガラガラ状態で、やや寂しい思いをしました。

 日本特撮ファンは今回の映画について厳しい批判をしていると、一般の方達は 思っているかもしれませんが、よほどのディープなゴジラマニアでもない限り 「あんなデザイン、ゴジラじゃない!」レベルでの批判をしている人はいないと思います。
 ゴジラのデザインについて言えば、エメリッヒが監督すると聞いた時期あたりから、 「多分、ジュラシック・パークのティラノサウルスにゴジラの背ビレがついた程度の物が 出てくるんじゃないか」と、私などは思っていましたから、イグアナにいびつなトゲが 生えたような姿が公開された時も、それほど違和感を感じることはありませんでした。 (それにあのトゲをでっかくする様指示したのは川北氏だと言うし)
 実際、映画を見た特撮関係の業界の人達の評を読んでも、あのデザインを含めて、 「ん、まあ、それほど悪くはないよ」というのが多かったと思います。

 まあ、平成「ゴジラ」の特技監督の川北紘一氏や、着ぐるみ俳優の薩摩剣八郎氏なんかは 「あんなのゴジラじゃない、イグアナだ」みたいな言い方をしていますが、 半分くらいは本家の意地のようなものだという気がします。
 今までの「ゴジラ」とは違うということを差し引いて考えて、「怪獣映画」として見てみたらどうなのか、 いや「娯楽映画」としての出来はどうかというのが今回のポイントになるかと思われます。
アメリカのモンスター映画の歴史について述べると長くなるのでここでは避けますが、 「キングコング」や「原子怪獣現わる」など、今回の件で何かと引き合いに出される事の多い物も含め、 海外でも怪獣映画に類する作品は数多く作られてきたのです。
(98/08/03)

 ですから、今回「ゴジラ」があちらでアメリカナイズな物に製作されたとしても、 こっちがそう文句を言う筋合も無いんじゃないかと言う気がするんですが如何でしょうか?
 では、私がアメリカ版「ゴジラ」をどう見たのかを申し上げる事にしましょう。
 まず冒頭の日本漁船がゴジラに襲われるシーン、この映画一番最初に出てくる人間が日本人 というのは良いとして、むさいオッサンというのは少し問題があると思うんですが(笑) 現地アメリカの方はどう見ているんでしょうか。それにしてもこの冒頭のシーン、 画面の色調といい、特撮の出来具合といい、初代ゴジラというよりも 1984年の新作「ゴジラ」の雰囲気に良く似ています。 エメリッヒや今回のスタッフは、シリーズ一作目にオマージュを捧げている みたいなことを言っていましたが、まさか新作シリーズの方じゃないだろうな、大丈夫かこの映画? と思わず心配してしまいました。何しろ初ゴジと言っても向こうの場合、 海外版「怪獣王ゴジラ」の事を指しているんじゃないかという節が有りますから。
(98/08/10)

 と、まあいちいちツッコミを入れたくなるのがファンというものだと思うんですが、 別に私はこの映画をけなそうというのではありません。いや、むしろ割と好きですよ。 後半の子ゴジラのシーンがちょっと長くてダレたかな、そんでもって、やれやれやっと終わったか と思ったら、まだ続きがあって調子が狂った感じのするところを除けば、なんだか久々に 「巨大怪獣映画」を見たという気がして私は満足です。「娯楽映画」として見れば、 充分及第点を取れる出来だと思われます。

 ニューヨーク上陸シーンで、お調子者のカメラマンがゴジラの足に踏み潰されそうになるところなど その構図からして、「モンティパイソン」みたいだ、 と思うんですけどあまり誰も指摘してくれません。 とにかく私としては、大きな怪獣が暴れてくれればOK、というところがありますので 大ゴジラのシーンは大体良かったと思います。初上陸シーンもさる事ながら、 後半のビルの谷間を軍に追っかけられて、ハドソン川にどぴょんと飛び込むシーンや、 終盤の吊り橋の上を走って行くのを横からとらえたシーンなどには、目頭が熱くなりました。 あ、後、雨の夜の中ビルにしがみついて咆哮するシーンとか。

 何だか今回、「あれだけの技術力が有るのだから、雨や夜のシーンばかりでなく、 明るい真っ昼間にゴジラを出せばいいのに」と言う意見も耳にするのですが、 「怪獣は夜暗い時に出るのがいいに決まってんだろ!」と思わず言いたくなってきます。 まあこの映画の場合、合成がちょっとお安い感じも有るには有るんですが...。

 細かく書けばいくらでも書けるのですが、その辺は他の方々の意見を参考にしてもらう事にして、 今度は映画「GODZILLA」そのものより、この映画が公開される事によって起こった周辺の事柄について 触れていこうと思います。
 いやあ、今回は日本製であるゴジラがアメリカのハリウッドで製作されるってんで、 特撮ファンはもとより、一般人も公開間近になって話題にし始めたって感じがあります。 日本映画が外国でリメイクされるって言うと、黒澤明の「用心棒」とか「七人の侍」などが有りますが、 ことゴジラに関しては、一応最近までシリーズが続いていましたので、一般の人達も反応が し易かったんじゃないかと思われます。 何せ最近は、不況だ、ビッグバンだ、とか言って何かと負けが込んでいる日本でありますから、 今回アメリカが作ったものを見て「あんなのゴジラじゃない」とか言って、 ささやかな優越感に浸るというのはやや穿ちすぎな考えというものでしょうか。
でも一番、今回の事で溜飲が下がる思いをしたのは日本の特撮ファンだと思いますけど。

 先に、特撮ファンで今回の映画を頭から悪く言っている人はいない、という事を書きましたが、 現に「宇宙船」のライター諸氏は、悪く言わないどころか皆さん揃って大変な誉めようで、 もっと厳しい批評を聞かせてくれるんじゃないか、と期待していた私としては 「おいおい、天下の宇宙船なんだから、もう少し骨太な批判をしてくれよ。 ハリウッドの技術で怪獣映画が見れるのが嬉しいというのは分かるけども」と やや拍子抜けになってしまいました。しかし、ここで誉めてもっとオモチャの売り上げを 伸ばすのに協力しておかないと、次回作を作ってもらえないかもしれない。 現に「GODZILLA」のオモチャってあんまり売れてなさそうな気がする。 私の近くの店ではもう2割引くらいで売っているからなあ。 なんでもいいから続きが観たい、というのがファンの心理であり、私の心理でもあります。

 それとは逆に一般のマスメディアでは、アメリカ版のゴジラの姿が5月に公開されるなり、 「日本のゴジラと違う」「まるでエイリアン」とか、 やや拒絶的な意見が多かったように感じられます。 (子ゴジラのシーンを「エイリアン2」みたいだと言う人が多いけど、 私は「グレムリン」みたいだと思って見ていました、誰も指摘してくれませんが。) 話によると、特にゴジラファンでもない女子高生までが「ゴジラと違う」 という感想を述べたとか述べないとか。

 そんな中、最近の記事ではありますが、一般の人間の考えを要約している と思われる投書を目にしましたので、その一部をここに紹介します。

「毎日新聞」1998年8月12日(水)朝刊「みんなの広場」より。( )内は筆者

 「・・・7月の公開まで、それは秘密のベールに包まれ、いやがうえにも和製ゴジラファンの 期待と興奮を高めたアメリカの興行戦略であった。・・・恐竜の攻撃・追撃法などが、 「ジュラシック・パーク」や「ロスト・ワールド」と余りにも酷似している。 人間そのものが小・中・大恐竜に追跡される恐怖と臨場感を観客にも味わわせ(中恐竜?)、 人間と恐竜はあくまでも敵対関係にある。 一方、和製ゴジラは人を食ったりもしないし、悪恐竜から人や地球を守る救世主となったりもした(悪恐竜...)。 人間臭い情感もたまには表現され(シェーとか?)、観客を涙ぐませるオツなシーンもあった。 和製ゴジラ万歳!だ(おいおい、)。最後に卵が残った。これは「続GODZILLA」のため、 アメリカ映画のいつもの商売上手か?」

 たいへんな捲くし立てようである。この投書は、55歳の公務員の方からのものだが、 55歳と言えば、1954年の初代「ゴジラ」を小学生ぐらいの時にリアルタイムで観ている年であり、 私とは一世代ほど離れている。昔から観てきた者の心情のこもった意見のようにも取れるけど、 なんだかそれほどゴジラシリーズ(特に平成ゴジラ)を見てない人の感想なんじゃないかって気もするなあ。 新聞の投書欄に載ったという事は、編集部の人がこれを一般的な意見として認めたということかもしれないし、 ひょっとしたらマスコミ業界の人達もわりと似たような意見なのかもしれない。

長年特撮ファンなんてものをしていると、一般人がどの程度の認識をしているかが 分かりにくくなるものですが、今回の事はそれを確認する貴重な機会だったと思います。
 それにしても今回、最後に卵からベビーゴジラが孵ったことに対して引っかかったという意見をよく聞くけど、 あんなのモンスター映画の常套手段で(アメリカに限らず日本でもやってる。 近年では「ゴジラVSデストロイア」のラストがそう)、いまさらどうこう言う類のものじゃないぞ。 最近出たあるゴジラ本では、「ゴジラ対ヘドラ」のラストへのオマージュではないか?なんていう指摘もあり、 ファンの欲目を見せていましたが、他にも某写真週刊誌「FL○SH」では、 「GODZILLA」が「原子怪獣現わる」に良く似ていることを監督のエメリッヒに指摘して、 「おお、良く気づいたね!」なんて言われ、鬼の首を取ったように誇らしげにしていたけど、 そんな事ちょっとした特撮ファンなら誰でも気づいているって!

 今回の「GODZILLA」ブームで沢山の便乗本が出版されました(もちろん本道の物もありますが)。 「GODZILLA」のノベライズ(3、4冊もある)、メイキング本はもとより、日本のゴジラシリーズをまとめた物、 ゴジラを科学的に検証するという例の本まで、20冊くらい出たような気がします。 そのような中でも特色があるのがピーター・ミュソッフ著の「ゴジラとは何か」だと思います。 これは、アメリカ人がゴジラをどう認識しているか、というのを書いた物で、 海外でのゴジラの知名度を覗う上で非常に参考になります。 外国ではゴジラが「日本」を象徴する物であったり、その「GODZILLA」という綴りから、 神とゴリラとトカゲをイメージさせる、といったことが書かれており、向こうの人間が どのような考えをしているのかが分かって面白いです。

 そしてもう1冊は、めいけい出版というところから出ている中田富美子著の 「ゴジラの霊〜母と息子の霊界通信365日〜」です。 こ、これはスゴイ!便乗本はあまたあれど、 この本だけは今回のようなブームでも無い限り絶対に出なかったであろうという本です。 何だか、と学会でもとり上げてくれるんじゃないかと思うので、ここでは詳しく書きませんが、 タイトルからも分かるように、ゴジラにまつわる霊界本です(!)。 どうやら著者である中田婦人は、昨年18歳の一人息子を事故で失ってしまい失意の中にいた所、 霊会からその息子さんが語りかけてきたそうで、以来1年間のその通信記録をまとめたというのがこの本です。 で、その息子さんというのが生前、大のゴジラファンだったらしく、 描いていたゴジラの絵も本に収録されています。
 私も本屋でちょっと立ち読みをしただけなので良く知らないのですが、息子さんは霊界でも 楽しくやっているので心配しないでほしい、霊界では円谷英二監督が芸術関係の指導霊 をしている(!)等といった事が書かれており大変楽しいものとなっています。ちなみにこの本が売れるのは 「霊界の願望」だそうなので(笑)、見かけたら即GETしてください、1800円です。

 さて、長らく私のような者の拙文につきあって下さってどうも有り難うございます。 お礼といっては何ですが、今回珍しいものを目にする機会に恵まれまして、 それを皆様に紹介しようと思います。
 珍しいものというのは古い「キネマ旬報」の事でして、ちょうど初代「ゴジラ」当時の物です。 「ゴジラ」が当時の映画批評家にゲテモノ扱いされて相手にされなかったというのは有名な話ですが、 どう批評されたかが良く分かります。後の世に名作と尊ばれている作品が、 当時の人間からはたいした評価も受けなかったという事は、私たちが作品の価値というものを 考える上で極めて重要なことだと思います。私たちが今有り難がっている物が後の世で無価値になったり、 全く注目されなかった物が名作となるのかも知れないのですから。 (あまり関係ないけど、「タイタニック」も50年後には名作呼ばわりされてるのかなぁ...。)

 評を書いているのは、映画評論家として有名な双葉十三郎氏 (当時44歳、こんな時から書いていたのか、ちなみに私はこの人ちょっときらい)。 この年代の評論家諸氏は大体、着ぐるみ特撮はけなしていますが、 レイ・ハリーハウゼンやジョージ・パルなどの作品には素直に感心している様です。 でも、こうして見ると特撮ファンである私からさえ、割と当たらずしも遠からじな感じがあって (苦笑)、昨今のにわか「ゴジラ」びいきの人に読んでもらいたい文でもあります。

 「キネマ旬報」1954年12月上旬号NO.106通巻921号  「日本映画批評」ゴジラより抜粋

 「・・・たしかにこの特殊技術は、日本映画には珍らしくよくやった、と誉めたくなる。 しかし、残念なのは、この折角の努力が、映画として充分に実を結んでいないことである。 つまり、空想恐怖映画としてのつくり方がよくないのである。・・・

 ・・・この怪獣があばれまわっているぶんにはこの種の作品として結構たのしめるのであるが、 困ったことに脚本家と監督者はいとも現実的なみみっちい場面をもちこみ、 小市民映画みたいなぼそぼそした演出をえんえんとはさみ、なんだか深刻な理屈まで加えて 普通の劇映画も及ばぬくらい人物をおう悩させる。そのために全体がひどくちぐはぐになり、 空想を空想としてたのしめず、うす暗いいやな後味がのこる。 もちろんこの怪獣によって水爆時代に対するレジスタンスをこころみよう という意図があったにちがいない。 が、それはいささか慾張りすぎだし失敗である。 お客様は怪獣が東京をあばれまわるのがみたくてやってくる。 お説教の伏勢を予期してはいない。だからうじうじした場面になるとそっぽを向いてしまう。・・・

 ・・・また尺数を埋めるためには人間同士のドラマ場面を相当に加えなければなるまいが、 一般の生活ドラマとおなじタッチでやられては気分もテンポも合わない。 まあすべてこの種の作品に不慣れなためであろうが残念である。

なお、この種の作品では適当にユウモアを織りこむことも必要だと思うのだが、 今回は真面目すぎ、恋愛の悩みなどをゆっくりと展開したりしているので、余計まどろっこくなってしまった。 試みや佳し。が、もうすこしつくり方を考えてもらいたい。・・・」
(98/08/22)

えくすりぶりす(蔵書票)