シャルル・バリエ貸し切り!


 トゥールの町外れにあるレストラン,シャルル・バリエ。20年も前なら,その名を聞いただけで畏怖の念を抱く料理人も少なくなかったであろう。私は5年前の夏のある土曜日,このレストランを貸し切りにしたことがある。
 その朝,私は少し寝坊して,ロモランタン・ラントネーという町のレストラン,いや,レストランのついたホテルを出発し,西へ向かった。シャルル・バリエを12時半に予約してあったが,間に合いそうにないので,途中の町から電話して,1時過ぎになると言っておいた。
 やっとトゥールの町を抜け,橋を渡り坂を登って,バリエの玄関に車を停めた。出て来たボーイさんに駐車場はどこかときいたら,入れておくからと,中に案内された。確かに,落ちぶれたとはいえ,まだ2つ星。このクラスの店なら当然のサービスである。
 さて,店にはオペラが流れている。予想したほどには広い店ではなかったが,天井も高く,庭に向かって開かれた構造がゆったりとして気持ちいい。ところが,どうして誰もいないのだ? なんと,かつては世界中から何ヶ月も前に予約した人々が押し掛けてきたレストランが,いくら土曜日の昼とはいえ,お客が一人もいないのである。
 私は気を取り直してテーブルに着いた。アペリティフには勧められるままにモンルイ・ペティヤンにクレム・ド・フランボワーズを入れたものを飲み,お勧めの鳩の料理などを注文した。1枚しかないワインリストを見ながら,ソムリエにドゥミ・ブテイユだったら何がいいかと言うと,リストにはないシノンのやや古いのを出してくれた。
 私は夕食の予定を入れていなかった。短いヴァカンスを食い倒れで過ごしていたので,最後の夜は軽く済ませるつもりであった。それに,夜のシャルル・バリエがヴァカンスの真っ最中に取れるとは考えもしなかったのである。私は恐る恐る尋ねた。「もしかして,今夜テーブル空いてますか?」
 結局夕食もバリエで摂ることになった。私は車をバリエのすぐ裏のホテルに入れると,トゥールの町中を腹ごなしのために散歩した。
 午後8時過ぎ,再びバリエへ行くと,昼と同じテーブルに案内された。夜はさすがに数組の客がいたが,半分以上の席が空いたままであった。私はヴーヴレー・モワルーをアペリティフにしながら,名物のピエ・ド・コション等を注文した。
 ソムリエが来て,何がいいかと尋ねると,Menetou Salonはどうかと言う。私がピノ・ノワールよりもカベルネの方が合うんじゃないかと言うと,あれ,ご注文のお料理は何でしたっけ? こらこら。で,またまたリストに載っていない古いブルグイユを出させることに成功した。
 食事が終ってデザートを食べていると,ソムリエが小さなグラスに黄色いワインを入れて持ってきた。「これなーんだ?」
 お,ヴーヴレーの89年でもサービスしてくれるのかと思ったら,明らかにミュスカのVDNである。「うーん,これはボーム・ド・ヴニーズじゃないな。よし,ミュスカ・ド・リヴザルト!」ソムリエは一瞬ぎょっとした顔をして,「惜しい! ミュスカ・ド・キャップ・コルス!」
 そんなもん,わかるか!?
 それ以来,バリエに行く機会がないが,今でも行けば私のことを歓迎してくれるであろう。


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