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中将棋成立事情に関する独断的想像


 中将棋は大将棋を簡略化して作られたと言われている。大将棋は対局にほぼ1日掛かるため、いくら暇なお公家さんでもやってられないということで、いくつかの駒を省略し、盤を小さくして、早く勝負が付くようにしたのである。
 しかし、大将棋が指されなくなって5百年以上にもなると、その詳細がよくわからないため、疑問な点も多々出てくるのである。ここでは、独断でこの説を説明してしまおう。なお、文献調査等は一切していないので、これは単なる想像の域を出るものではない。(=^^=;; ← 毎度お馴染み無責任猫

 では、ここでまず、大将棋と中将棋の概要についてまとめておこう。大将棋は図1のように双方65枚ずつの駒を15×15の盤に並べ、中将棋は図2のように双方46枚ずつの駒を12×12の盤に並べる。何れの場合にも、現代の将棋とは異なり、取った駒は使えない。

















 

 

 



 

 

 

 

 

 





 

 

 






























     

             

     
                             
                             
                             
     

             

     






























 

 

 





 

 

 

 

 

 



 

 

 

















図1.大将棋















 

 




 

 

























     

       

     
                       
                       
     

       

     

























 

 




 

 














図2.中将棋


 ここで、各駒の動き方についてまとめておく。なお、黄色で塗りつぶした駒は中将棋に使用されているものである。

駒名動き方成駒動き方
仲人前後に1コマ酔象前左右斜め1コマ
歩兵前に1コマ金将前後左右斜め前1コマ
飛車前後左右へいくらでも龍王前後左右へいくらでも、斜めへ1コマ
飛龍斜めへ1〜2コマ金将前後左右斜め前1コマ
横行左右へいくらでも、前後へ1コマ奔猪左右斜めへいくらでも
竪行前後へいくらでも、左右へ1コマ飛牛前後斜めへいくらでも
角行斜めへいくらでも龍馬斜めへいくらでも、前後左右へ1コマ
龍馬斜めへいくらでも、前後左右へ1コマ角鷹前へ1コマを1〜2回または居食い、左右後と斜めへいくらでも
龍王前後左右へいくらでも、斜めへ1コマ飛鷲斜め前へ1コマを1〜2回または居食い、前後左右斜め後ろへいくらでも
奔王前後左右斜めにいくらでも  
猛牛前後左右に1〜2コマ金将前後左右斜め前1コマ
嗔猪前後左右に1コマ金将前後左右斜め前1コマ
悪狼前左右斜め前に1コマ金将前後左右斜め前1コマ
麒麟前後左右に2コマ、斜めに1コマ獅子前後左右斜めに1コマを2回まで
鳳凰前後左右に1コマ、斜めに2コマ奔王前後左右斜めにいくらでも
獅子前後左右斜めに1コマを2回まで  
反車前後にいくらでも鯨鯢前後と斜め後ろにいくらでも
猫刄斜めへ1コマ金将前後左右斜め前1コマ
猛豹前後斜めへ1コマ角行斜めへいくらでも
盲虎後左右斜めへ1コマ飛鹿前後にいくらでも、左右斜めへ1コマ
酔象前左右斜めへ1コマ太子前後左右斜めへ1コマ
香車前にいくらでも白駒前後と斜め前にいくらでも
桂馬2列前の左右へ金将前後左右斜め前1コマ
石将斜め前へ1コマ金将前後左右斜め前1コマ
鐵将前と斜め前へ1コマ金将前後左右斜め前1コマ
銅将前後と斜め前へ1コマ横行左右へいくらでも、前後へ1コマ
銀将前と斜めに1コマ竪行前後へいくらでも、左右へ1コマ
金将前後左右斜め前1コマ飛車前後左右へいくらでも
王将前後左右斜めへ1コマ  

 ここで気が付くことは、歩兵は別にすると、大将棋にあって中将棋では使われていない駒の成駒が全て金将であることである。ここで、次のような疑問が湧いて来ることになる。

 1) 実は、これらの駒の成駒も、それぞれ別のもの(例えば飛鹿を90度回転させた動きをするとか)があったのではないか?
 2) 実は、中将棋が先に出来て、あとから無理矢理大将棋を作ったが、成駒まで考え付かなくて、取り敢えず金将にしておいた。

 ここで、成駒が金将であることの意味について考えたい。現代の将棋では、王将・金将は成らず、飛車・角行以外は全部金将に成る。また、平安時代の将棋は大将棋(13×13の盤を使用)、小将棋(現代将棋の双方2枚落ち、または金将が1枚という説もある)ともに、王将と金将以外は金将に成ったと考えられている。この金将というのは、実は最高位の将軍という意味である。金将は中国将棋の士に相当する。飛び道具や戦車などがあったとしても、これらはあくまでも兵器であって、最高位は将軍である。したがって、成った駒は全て金将になるという最高の栄誉に浴するというルールになっているのである。
 しかし、大将棋のように派手な動きをする駒が多数出来てくると、金将になっては却って弱くなってしまう。そこで、派手な動きの駒は、より豪快な動きをする駒に成るようにしたのである。その名残が、現代将棋の龍王・龍馬である。
 さて、ここで上記 2) の説は、文献調査などから、ほぼ否定されている。やはり大将棋が先にあって、それを元に中将棋が考案されたようである。盤の縦横が偶数格の将棋は例外的なものであることからも、中将棋が後から作られたものであると言われている。また、「車」の付く駒は大型将棋では基本的に全て両端にあるので、飛車が両端にある大将棋のほうが自然である。
 では、上記 1) の疑問にどう答えるか。筆者は次のように考えている。

 大将棋のルールを定めるにあたり、
 1) 走り駒が成ると、もっと派手な動きをするように決めた。
 2) 小駒の成駒に、適宜走り駒を割り当てて行った。
 3) 盲虎の成駒が金将では弱いので、飛鹿を考案した。
 4) 残りの駒の成駒は金将にしておいた。

 ここで、小駒は、走り駒に成れるものと、金将にしか成らないものに大別される。大将棋の場合、終盤での攻防を考えると、棒銀や棒銅あるいは棒豹は避け、棒鐵か棒石、あるいは棒猫、棒猪、棒狼で攻めなければならない。飛龍や猛牛も使い捨てにして良いのである。このように、2つのタイプの小駒を使い分ける醍醐味が大将棋には本来あったと考えられる。
 さて、大将棋を簡略化して中将棋を作るとき、面白い成駒は全て残しておきたいと考えたのであろう。そして、金将に成る駒は、終盤のスピードアップに繋がらないので、思い切って全部省略してしまった。このようにして、終盤がスリリングなゲームである中将棋が成立した。これによって、誰もが疑問に思うところの、中将棋には桂馬がないことの理由も合理的に説明されるのである。また、銀将・銅将を合わせた動きの猛豹が銅将よりも外側にあり、駒も小さいのは、桂馬の空いた位置に無理やりはめ込んだからで、元来大将棋ではもっと大きな駒が使用されていたに違いない。
 ほんまかいな? (=^^=;; ← やはり無責任猫



付記
 名古屋大学の武田教授の研究によると、中将棋が先に成立し、後に大将棋が成立したと考えられるとのことである。しかし、まだ上記の問題が完全には説明されてはいないので、今後の研究が待たれる。



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