K嬢に捧げるデセールの話


 パティシエールを目指している少女がいる。隣町の中学3年生、まだあどけなさの残る笑顔の愛らしい彼女であるが、決して「お菓子が好きだからお菓子屋さんになりたい」などという、幼稚な女の子の考えではない。両親も辻製菓専門学校かどこかへ進学させることを考えているという本格派なのである。頭が良くて何事も要領よくサボってしまう彼女であるが、いざという時にはやるべきことは確実にこなしている、ごくごく真面目な美少女である。
 筆者はかねがね食文化はトータルで考えるべきであると主張しているが、酒と料理が専門でデセールは比較的苦手分野である筆者にとって、身近にこのような人がいることは喜ばしい限りである。しかしながら、15歳の彼女を相手にフランス料理とワインのデギュスタシオンをする訳にも行かぬ。そこで、将来彼女とテーブルを囲んで語り合える日のために、デセールとその周辺の事物について適宜書き留めてゆくコーナーを開設することにした。(平成16年3月)

 K嬢と逢う機会はそう多くはないのであるが、特に高校生になってからは見るたびに大人の女性の風格が出て、どんどん美しくなって来る。彼女の天性の感覚は実にフランス的で、将来が楽しみである。今日久し振りに逢った彼女を思い浮かべつつ、若干加筆してみた。(平成16年12月、以後適宜加筆)


 第2のメインディッシュ

 デセールの生理的意義

 デセールの社交的意義

 サロン・ド・テ −−− 食文化の変化

 フランスの高級レストランにおけるデセール事情

 デセールとワイン

 デセールに使用する酒類

 
第2のメインディッシュ

 レストランで出されるデセールに限らず、街のケーキ屋さんで売っているケーキであっても、本来はコーヒーや紅茶を飲みながらおやつに食べるものではない。食事の最後を締め括る、いわば真打なのである。その辺の事情について、改めてまとめておこう。
 日本でフルコースというと、昔の西洋(フランスとは限らず、イギリスあたりの習慣も混じっている)の宮廷料理のような大げさなコースを思い浮かべがちである。しかし、今日のフランス料理において、オードブル、スープ、冷たい前菜、温かい前菜、魚料理、肉料理2品・・・などということは、およそ考えられない。今日のフランス料理の標準的なコースをまとめておこう。

  (アミューズ・ブーシュ)
  前菜(比較的短時間で準備できる軽めの料理)
  メイン(魚または肉料理、稀に両方)
  フロマージュ
  (アヴァン・デセール)
  デセール
  コーヒー類
  (食後酒)

 ここで気付くことは、所謂メインディッシュというものは、あくまでも食事の前半の締め括りであり、その後に、いわば第2の食事が続くことである。従来の日本のイメージでは、様々な料理が次々と出て来るのがフルコースであり、デザートは申し訳程度のものを1品であるが、フランスでは料理は2皿にとどめ、その後にフロマージュとデセールをゆっくりと楽しむのである。時間的にも、メインが出て来るのは食事時間のほぼ真ん中辺りになる。場合によってはメインが終わってからのほうが長いことも珍しくない。
 フロマージュとデセールはどちらかにする場合もあるが、本格的な食事では両方を食べるのが普通である。フロマージュは、いわば第2の前菜である。前菜とは、本来はメインの料理が出来るまでに、すぐに食べられる簡単な料理をいただきながら待つものである。メインのデセールが出来るのを待つ間、フロマージュを切って貰ってつまみながら、残りのワインを飲み干す。そして、第2の主役の登場を待つのである。高級店ではその後にアヴァン・デセールがサービスされることもある。そしていよいよ真打としてデセールの登場とあいなる。

 
デセールの生理的意義

 このように登場するデセールであるが、単に食事に変化をつけ、楽しむためだけのものではない。生理的にも意義があるのである。ある程度のアルコールを飲み、長時間にわたる食事を締め括るデセールは、快く食事を終え、次の活動なり睡眠なりに向かう肉体の調子を整える効果がある。
 日本の酒席を考えてみよう。比較的カロリーの低い料理をつつきながら、酒を飲む。そのうち多少は脂っこいものも出て来て飲み続ける。酒を飲むのを止めたら、お食事といって、ご飯物か麺類などが出てきて終わりである。あるいは、飲みに行った場合には糖質を殆ど摂らず、あとでラーメンかお茶漬けが欲しくなったりする。このように、体が最後にでんぷん質を欲するのは、一連の食事の間に血糖値が低下してしまうからである。また、あまり飲み過ぎては糖質を摂る気さえも起こらず、翌朝には頭痛を伴う二日酔いが待っていることとあいなる。
 ところが、西洋料理の場合には、十分な食事を摂りながら、適度にワインを飲む。パンやパスタをたっぷりと食べることも珍しくない。更に、食後にデセールを摂ることによって血糖値が上昇するため、その後に活動するにせよ、睡眠をとるにせよ、体が円滑に反応することが出来るのである。酒飲みが甘いものを食べないというのは日本の悪しき風習であって、西洋ではたっぷりワインを飲んだ後に必ずデセールを楽しむのである。あるいは、糖分たっぷりのデザートワインやリキュールを飲むことも珍しくない。
 先般のワインブームの折、安いイタリア料理屋へ繰り出して適度に飲み食いした後、一座を引き留めてデセールとグラッパを強要してみたところ、なるほどこれは良いことだと感謝されたものである。放っておいたら彼らはビールが飲める店→ラーメン屋というコースを辿っていたであろう。

 
デセールの社交的意義

 食事時間が3時間としても、実際に口に物を入れている時間は僅かなもので、かなりの時間は会話に費やされる。しかしながら、例えばメインディッシュの時にはフィンガーボールがセットされたり、付け合わせが別の皿に盛られたりもするし、ワイングラスも複数セットされていたりするので、プレゼント交換などは食後にするのが礼儀である。誕生祝の席などでは、デセールに蝋燭を立てたケーキでも準備して貰って、そこでプレゼントを渡すのが自然である。この時には既にテーブルの上にはデセールの皿しかなく、その後はコーヒーや食後酒程度しか口にしないので、貰ったプレゼントを開いてテーブルの上に置いても邪魔にならない。
 シェフが挨拶に出てくるのもデセールを出し終わった頃である。それまでにシェフが客席に出てくるということは、副操縦士に操縦を任せて機長が客室をうろうろしているようなもので、あまり好ましくない。ベルナール・ロワゾー氏など、全部の客席のデセールを作り終えるまでは厨房から出て来なかったものである。デセールを楽しんでいるときに、世界的に有名なシェフがテーブルを回って来るというのは感激であるから、デセールはゆっくりと楽しみたいものである。
 テーブルの間隔が狭いレストランでは、隣の席の人と話をすることもある。しかし、ゆっくりと話をするのは大抵デセールの時である。それまではそれぞれの食事を楽しむのである。デセールの後も盛り上がった場合には、食後酒をゆっくりとやればよいし、多くの店ではここで別室へ移動することもできる。
 ちなみに、東京のレストランなどでは、テレビでよく見る有名人が隣のテーブルにいることも珍しくない。しかし、それぞれが自分たちの楽しみのために食事に来ているのであるから、横に誰が座っていようが気にする必要はなく、彼らに声を掛けるようなことはしてはならない。楽しそうにワインを選んでいたら、逆に有名人のほうから声を掛けられたことがあるが。

 
サロン・ド・テ −−− 食文化の変化

 実は以上に述べたことをフランスの一般庶民の若者に話すと、それは旧世代の話だと言われかねない。戦後すぐまでは、確かに食事にワインが必須のものであったのであるが、今日では生活様式が変化し、ワイン無しの軽い食事も一般的になってきたのである。昼食時にセルフサービスのレストランへ行ってみよう。ワインは必ず置いてあるが、飲んでいるのは老人ばかりである。あるいは、マクドナルドへ初老の母親と若い息子がやってきて、ハンバーガーセット2つとコーラ、ビールを注文したとする。言うまでもなく、ビールを飲むのは母親のほうである。マクドナルドにワインは通常置いていないが、年配のフランス人は代用品としてビールを注文するのである。
 昼食をワイン無しで軽く済ませるとどうなるか。地方はともかくとして、夏のパリでは夕食が午後8時までに始まることはあり得ない。これではどうしてもお腹が空いてしまう。小腹が空いたところで少し何かおやつでも食べようと考えるのは同じこと。そこでケーキとお茶というのは如何にもありそうな話である。
 近年、フランスではサロン・ド・テ(紅茶サロン)と呼ばれる、やや上等な喫茶店が流行している。もともとフランス人が紅茶を飲むことは稀であるし、これは明らかにイギリスの習慣を真似るところから始まったものであろう。イギリスとはヨーロッパの辺境の地、エキゾチックなものがお洒落に感じられるのは洋の東西を問わぬようである。サロン・ド・テはちょっと気取った場所なのであるが、このようなお茶とケーキの楽しみ方をフランス人がするようになったことで、デセールを取り巻く環境は徐々に変化して行くのかも知れない。

 
フランスの高級レストランにおけるデセール事情

 さて、ここでフランスの高級レストランでは、どのようなデセールがどのように出されているのか概観してみよう。とは言っても、ここに記す内容は筆者が最近十数年の間にフランス全土で僅か百軒ほどのレストランで延べ数百回食事しただけの経験によるものであるので、本当にフランス料理界の全容を網羅しているかどうかは、些か心許ないのであるが。

1)注文のタイミング
 まずはデセール注文の仕方について述べる。本来デセールはメインの料理が終わってから注文を取るものである。料理が終わると、黙っていても皿とフォークナイフがセットされ、フロマージュのワゴンが出てくるが、そのフロマージュが終わった後に注文を取ることもある。あるいは、特に昼食時などは料理が終わったときにフロマージュかデセールかと訊かれることも多い。
 ところが、近年複雑な手法を用いたデセールが多く作られるに及んで、食事の最初に注文を取る店も出てきた。しかし、食前酒を飲みながら、デセールまで決めるのも難しい。デセールというものは、そもそも料理が終わって腹具合を考えてから注文するものだからである。そこで、デセールのリストのうち、準備に時間の掛かるものだけに印をつけ、これらは食事前に注文してくださいという表示をする店もある。コート・サン・ジャックなどがそうであるが、これは実に良心的である。
 また、予め作ってあるデセールを並べ、フロマージュが終わったらワゴンを押してくる店もある。そこから好きなものを選ぶのが普通であるが、トロワグロのように、ワゴンの上に載っているものを全部少しずつ皿に盛り付けてくれるところもある。

2)デセールの内容
 高級レストランを何軒か回るだけで、フランス菓子の殆ど全ての手法に出会えると言っても過言ではない。その中でも、店によって得意分野があるので、デセール目当てに通ってみるのも面白いものである。
 シャーベット、アイスクリーム。これはフランス料理をかじった人なら誰でも美味しく作れるが、これの盛り合わせだけを堂々と出してくる高級店も少なくない。あるいは、アヴァン・デセールとしてシャーベットを少し出してくれる店もある。ちょっと工夫するなら、フルーツや生クリームなどと盛り合わせたり、ケーキと組み合わせたり、十数年前に流行ったところでは、温かいアップルパイなどにアイスクリームをかけてみたりと、何でもありである。
 ケーキの類も豊富である。単にスポンジにデコレーションしたようなものは少なく、例えばオペラのように濃厚な味わいであったり、バタークリームをたっぷりと挟み込んだパヴェのようなものであったりすることが多い。また、ミルフィーユは実に多種多様なものが見られ、生地も色々なタイプのものがある。
 折込パイ生地が自分で作れないシェフなどいないが、練り込みパイ生地の微妙な食感を得意とする人も少なくない。あの絶妙の歯ざわりは病み付きになるものである。シュー生地も使いようで様々な組み合わせが考えられるが、オーソドックスにサントノーレを出すシェフもいる。クレープ生地を使ったものもいい。
 季節の新鮮な果物が美味しいときには、何も飾らずに果物だけを出すこともある。今日はイチゴが美味しいがどうだと薦められるままに注文すると、へたを取っただけのイチゴが皿一杯に並んでいたこともある。フランボワーズ、フレーズ・デ・ボワ、どちらも微かに味付けしただけが一番美味しいものである。あるいは、カフェなどでよく出されるものであるが、数種類の果物を細かく切って盛り合わせただけのものも、単独で食べるよりも遥かに美味しくなったりするものである。また、果物にリキュールを掛けてフランベするというのも時折見られる手法である。
 その一方で、高度な技法を使って果物を巧みに調理したデセールも少なくない。例えば洋梨は火を通したほうが美味しいが、ティエドで出すか、火を通したものを冷やして出すかで違ってくる。火を通すときに何で煮るかもあるし、どのようなソースにするかが腕の見せ所である。十数年前のこと、洋梨の芯をくり抜いた中にチョコレートのムースを詰め、生クリームたっぷりのチョコレートソースを掛けたものを出されたときには感動したものである。また、果物のグラタンもよく見掛けるものである。カスタードクリーム系のソースを掛けてグラタンにするのであるが、果物は一種類でもいいし、何種類も細かく切って入れるのも美味である。
 盛り付けもそれぞれに工夫があって楽しい。飾りの飴細工にも見事なものがあるし、粉砂糖やソースの掛け方にもしばしばしびれさせられる。また、皿の選び方にも、なるほど流石と思わせるものが少なくない。
 以上に述べたのは、フランスのレストランで見られるデセールの、ほんの一例に過ぎない。ちなみに、日本の西洋風宴会料理で時折デセールとして供されるメロンは、フランス料理の世界ではあくまで野菜であり、常に前菜として供される。フランスのレストランにおける、筆者の僅か数百回の食事の中では、これを使ったデセールを見た記憶がない。

3)プティ・フール
 いわゆるプティ・フールはそれ自身がデセールではなく、デセールと一緒に、あるいはデセールの後のコーヒーのときに出される。オペラなどのケーキを小さく切ったもの、小型のカヌレ、チュイール、チョコレートなど、店によって様々な工夫が見られ楽しい。

4)サービスについて
 普通の料理と同様にサービスされることも多いが、前述のように、デセールは食事の最後を締め括る真打である。そこではある程度の演出があっても良い。例えば、事前に誕生日のお祝いだと言っておけば、ケーキにメッセージを書いて蝋燭を立てたり、場合によっては小型の花火を載せてきたりもする。ポール・ボキューズなどは手回しオルガンを演奏しながら歌を歌ってくれる。
 通常のデセールでも、サービスに工夫を凝らしたものがある。例えば果物のフランベは、サイドテーブルでおもむろに火をつけ、火が消えてから皿に盛り付けてくれたりする。あるいは、ラセールのように皿の上にリキュールを掛け、客の目の前で点火して皿を動かしながらフランベするという演出も面白い。
 プティ・フールはデセールの時に一通り出して、コーヒーの時には別途チョコレートが出てくる店もあるし、コーヒーを別室で楽しむ場合、そこでプティ・フールを出してくれることもある。ちなみに、デセールと同時にコーヒーを出すのは日本の2流レストラン以下に見られる奇習である。デセールを楽しんだ後、ゆっくりコーヒーを味わうのが正しい。

 
デセールとワイン

 日本では甘いものを食べながら酒を飲んだら変人扱いされそうであるが、フランスやイタリアではごく普通にデセールとともにワインを楽しむものである(勿論ワインに合わせにくいデセールもあるが)。ここではデセールに合わせるワインを概観しておこう。

1)甘口ワイン
 ソーテルヌに代表される貴腐ワインはデセールに合わせる定番である。セミヨンを主体としたソーテルヌ及び周辺のワイン、コトー・デュ・レイヨンなどのシュナン・ブランを使用したロワールのワイン、アルザスのヴァンダンジュ・タルディヴならピノ・グリなどが良かろう。勿論ドイツのトロッケンベーレンアウスレーゼやハンガリーのトカイ・エッセンシアでも良いが、高価である。
 高価な貴腐ワインでなくても、甘口の良質なワインなら良い。モンバジャックなどは安価なソーテルヌに近いし、パシュラン・デュ・ヴィック・ヴィルやジュランソンも美味しい。場合によってはドイツのアウスレーゼあたりでも十分楽しめる。今ちびちびやっているカベルネ・ダンジュのコントル・エチケットに、ほとんど甘みのないデセールに合うと書いてあるが、どのようなものか、ちょっと思いつかない。(笑)
 ちなみに、国産の甘口ワインの多くはあとで糖分を加えただけの酷いものであるので、デセールに限らず、食事を楽しむ際には避けるのが賢明である。

2)赤ワイン
 イチゴに赤ワインが合うというのはよく言われることであるが、生のイチゴよりは、イチゴのタルトなどがよく合うようである。ドメーヌ・ド・シュヴァリエで食事に招かれた際には、マダムお手製のイチゴのタルトのために、わざわざ1971年の赤を開けて貰って恐縮した。
 ロワールやブルゴーニュなどで時折見られる、赤の発泡性ワイン(大抵は微かに甘口)もイチゴにぴったりである。

3)発泡性ワイン
 シャンパーニュは極辛口のものは避けるべきである。甘いものと一緒に飲むと、苦く感じるだけであるから。もし手に入ればドゥミ・セックくらいのものがお薦めである。デセールによっては辛口でもロゼのシャンパーニュが合うこともある。甘口といえば、イタリアのアスティ・スプマンテでも良いが、モスカートの香りが強いので注意が必要である。好みによってはブラケット・ダックイという手もあろう。
 弱発泡性では、ヴーヴレーやモンルイなども面白いかもしれないが、これはどちらかというと食前酒向きのようである。現地ではデセールに合わせるのをあまり見たことがない。イタリアのモスカート・ダスティもアペリチフとして供されるが、これはデセールにもぴったりであろう。

4)ヴァン・ドゥー・ナチュレル
 ミュスカ・ド・ボーム・ド・ヴニーズを初めとするミュスカ系のものが定番であるが、グルナッシュ系の赤もいける。チョコレート系のデセールにはバニュルス・グラン・クリュのちょっと古いの、1982年あたりがあれば言うことはない。
 ポートもいい。普通のルビーでもいいが、ヴィンテージか、むしろトーニーのちょっと古いものがお薦めである。マデラなら、マルムジーのちょっと古いのがあれば申し分ない。マラガもいけるし、マルサラ・ドルチェもよかろう。

5)ミステル
 所謂ヴァン・ド・リキュールもいいものがある。ラタフィアはむしろ食前酒向きであるが、最近は南仏辺りで面白いものが作られている。マス・ド・ドーマ・ガサックのリキュールなど、デセールにぴったりである。

  
デセールに使用する酒類

 平成17年のバレンタインデーのこと、突然K嬢が現れ、自作のチョコレートケーキをプレゼントしてくれた。私はその場でこれを一口食べて、ただならぬものを感じ取った。帰宅してじっくり味わってみたが、改めてK嬢の感性に驚かされた。これは所謂チョコレートケーキなどではなく、高級レストランで供されるガトー・ショコラそのものであった。それも、飛びっきりレベルの高いものである。甘みを極限まで抑えた味はフランスのレストランでは珍しくないが、日本人のパティシエは余程の勇気がない限り作れないものである。この味なら、生クリームなり然るべきソースなりを掛けてもいいが、そのままでも十分に楽しめる味わいに完成されていた。
 このガトー、ブランデーやリキュールは一切(あるいは、もしかすると殆ど)使っていないが、それでも十分にバランスが取れている。これはこれでいいのであるが、やはり何かを入れるという手法も十分に身につけておいて欲しいものである。そこで、下戸の彼女のために、製菓用に用いられる酒類の代表的なものをメモすることにした。製菓用の酒類は飲んで覚える必要はない。なるべく多くのものを頻繁に、香を嗅いで覚えて行って欲しい。もう少し近くに住んでいれば、私の寝酒を全部嗅がせるのであるが・・・。

1)ブランデー
 果実酒を蒸留したものはすべてブランデーに違いないが、原料や産地、製法(蒸留法、熟成方法および年数等)によって、その香と味わいが大きく異なる。
 コニャック等:専用のブドウからワインを醸造し、蒸留して樽で熟成した、最もオーソドックスなブランデーである。最も繊細で香り高いものがコニャックであるが、これもコニャック地方の各地区で味わいが明確に異なるし、熟成年数で香の高さが違ってくる。アルマニャックは蒸留方法と樽の材質が異なるため、少々癖のある味わいになるが、高級品はかなり上品になってしまう。フランスでは製菓用・料理用に若い荒々しいものが好まれるが、日本では滅多にお目に掛かれない(幸い現在のところカルフールで売っているが)。一方、このような高品質の産地のものではない安価なフレンチブランデーでも、製菓用には意外といい香を出すことがある。
 マール等:ワインの搾りかすを蒸留したもので、シャンパーニュ、ブルゴーニュ等のものが有名である。イタリアではグラッパと呼ばれる。樽熟成をしないか、短期間で済ませたものが多く、比較的強い刺激があって、使い方がやや難しいかも知れない。  ブドウ以外の原料:カルヴァドスはリンゴのブランデーの最高級産地である。これも地区と熟成年数によって大きく味わいが異なる。アルザスやドイツでは、様々な果実を原料にしたブランデーがある。キルシュ(サクランボ)、ポワール・ウイリアム(洋梨の一種)等十種類くらいあるが、並べて比べてみるしかない。

2)リキュール
 蒸留酒に糖分を加えてあれば全部リキュールであるが、製菓用に用いられるのは主として果実をアルコールに漬け込んだものである。それぞれの果実の香がストレートに出ていることが多いので、果実を用いたケーキのシロップに使用すると相性が良いが、わざと果実を変えるのも面白く、腕の見せ所である。オレンジ、リンゴ、桃、杏など、様々なものが発売されている。製品によってアルコール度数と糖分が大きく異なるので、使用の際には確認する必要がある。アルコールは少々残っていても良いが、糖分が予想以上に多くて甘みのバランスが崩れるのはぶち壊しであるから。
 K嬢のガトー・ショコラ、グラン・マルニエ(コニャックベースのオレンジリキュール)を加えた生クリームをホイップして掛けてみるというのは蛇足だろうか?
 ガトー・ショコラを貰った時、K嬢に、これは義理か本気かときいたら笑っていたが、本気であって欲しいと願っている自分に気付き、焦った。



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