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言葉は正しく使いましょう


 現在の日本では,すっかり勘違いされたまま使われている言葉がいくつかある。気になるものをまとめてみよう。


 1.役不足

 2.小人閑居して不善を為す

 3.情けは人のためならず

 4.紳士(ジェントルマン)

 5.社員



1.役不足

 もし私が物の怪連絡会の会長に立候補したとする。みんなこう言うであろう。
 「あいつでは役不足だ。」
 実は,この使い方は根本的に間違っている。役不足とは,重要なポスト(役)に対して,そこに就こうとする人材の力量が不足していることを言うのではない。全く逆で,有能な人材に対して,重要性の低いポスト(端役)しか与えられないことを言うのである。「役」が不足しているのだから,至極当然であるが,どうしてこの言葉が誤った意味で用いられるようになったのか謎である。
 物の怪連絡会の会長で役不足な人がいるのなら,情団連の会長にでも立候補せねばなるまい。
 役不足には,もう一つの用法がある。南四局西家で既に5本場,トップだがジリ貧で僅か800点差。平和で聴牌したが,1翻足りない。立直棒を出した時点でトップから陥落する。どうしよう。役が足りない。役不足。(笑)


2.小人閑居して不善を為す

 四書の一つ,「大学」にある有名な言葉である。小人物は暇を持て余すとろくな事はしないのだから,一生懸命働きなさい・・・と理解している人が多い。しかし,これはとんでもない誤解である。
 原文を見てみよう。
   君子必慎其独也,小人閑居為不善。
 君子は独りでいる時に必ず慎み深くするが,小人は他人の目がないと悪い事をする,これが正しい意味である。そもそも,「閑」(原書では木ではなく月の入った字であるが,異字体と解釈しておく)というのは「閑散」の「閑」で,「余暇」の「暇」と同じである筈がない。それをどこの誰が間違えたのか,誤った解釈がなされたのである。
 欲しがりません,勝つ迄は。二十四時間働けますか。このようにして,日本人は人生をつまらないものにしてきたのである。


3.情けは人のためならず

 これもよく誤用される言葉である。例えば,親戚の放蕩息子が借金をして首が回らなくなっている。しようがないなあ,30万円貸してやるから,必ず真面目に働いて返せよ。−−−そんなの,返す筈がない。そうやって,余計な情けを掛けてやるから,本人がいつまでも真面目に働かないのだ。余計な情けを掛けてやるのは本人のためにはならないんだよ・・・。
 以上に述べたのは典型的な誤用例である。本当の意味は,情けを掛けるのは他人のためではない(結局は自分のためである)ということである。「化け猫さん,月末の支払が出来なくて会社が倒産しそうです。後生だから10日まで百万円貸して下さい。」と言われて,相手が悪い人でなければ貸してみよう。化け猫さんは立派な人だと,他の人が親切にしてくれるかも知れないし,その人自身も恩義を感じて後日報いてくれるかもしれない。人に情けを掛けておけば,後日それ以上の恩恵を受けられるかもしれない。結局は自分のため,損して得取れの発想なのである。

 もしかすると,2.や3.の誤用は,商売の下手な東国の人が,訳も分からずに道徳の理想論を振り回しているうちに発生したのかも知れない。


4.紳士(ジェントルマン)

 最近,サッカーのワールドカップとやらが日本で開催されるということで世の中が賑やかである。サッカーファン(サポーターと言うらしい)の盛り上がりは当然のことであろうが,フーリガンなる暴徒がイギリス,それもイングランドからやって来るというので問題になっている。
 英国,とくにイングランドと言えば紳士の国と言われている。それなのに,フーリガンなる無頼の輩が暴れ回るのは,紳士のイメージに合わないではないか? そう疑問に思われる方も少なくあるまい。ここに大きな誤解がある。イングランドには確かに紳士が沢山いる。しかし,紳士が1人いるということは,その蔭に数十人,数百人の農民職工車夫馬丁の類がいるということなのである。
 ヨーロッパは階級社会である。上流階級に生まれた者は最初からエリートとなるべく教育を受ける。英国は王制・貴族制度を残しているが,爵位などなくとも,財産・地位・名誉のある者は上流階級として四民の上に立つことを運命付けられているのである。これは共和制を採っているフランス等でも同じ事である。そして,一般庶民は上流階級の人間を自分達とは別世界の人間と思っていて,例えば江戸時代の町人が武士に接するような態度を取るのである。信じられないとおっしゃる方は,ロンドンやパリへ行ったらスーツにネクタイを締めて,背筋をピンと伸ばし,落ち着いて丁寧な英語なりフランス語で話してみるといい。あなたが黄色人種であることなど関係ない。現地の庶民はあなたを外国から来た貴族として扱うであろう。英語を話す時はアメリカ訛りにならないように注意すると良いかも知れない。そういえば,ロンドンの下町訛りとクイーンズイングリッシュは似ても似つかないものであるが,ここでも階級による違いがあるのである。
 上流階級と庶民では,衣食住から読むものまで異なる。英国のタブロイド版大衆紙の話は,ダイアナ妃を追い掛けたパパラッチで有名になったが,紳士はそのような新聞は決して手に取ることはない。逆に,高級紙を庶民が読むのも奇異な感じがするのである。背広を着てネクタイを締めた人間が,地下鉄の中で大衆週刊誌や低俗な漫画雑誌を読んでいる国は,恐らく世界中で日本だけであろう。
 さて,そのような階級社会においては,上流階級と庶民階級では生活の全てにわたって区別がある。サッカーというのは庶民のスポーツなのである。上流階級はクリケット,ゴルフ,競馬等を楽しみ,サッカーなどという下世話なものは問題にしないのである。そういう訳であるから,英国紳士はサッカーなど見に行くことはない。したがって,イングランドのフーリガンというのは,間違っても英国紳士が血迷ったものではなく,上品さや優雅さとは縁遠い,英国の一般庶民の乱暴な者達なのである。
 もっとも,サッカーが下品なスポーツと見られるのは英国なりパリを中心とするフランスの北部なりにおいてのことである。これが南仏やイタリアへ行くと様子が一変する。ボルドーの名士で元首相とも仲良しの某氏等,サッカーが始まると落着かなくなる。イタリアは多くの都市国家が便宜的に一まとまりになっただけで,統一国家になっていないと言われるし,いまだに北部同盟の独立運動などもあるが,ワールドカップで優勝した時には,イタリアが歴史上初めて統一されたと揶揄された程である。
 さて,話を紳士に戻すと,実は今日の日本における紳士という言葉の使い方にも問題がある。紳士は本来ジェントルマンの訳語に違いないが,現代の日本で「あの人は紳士だ」と言う時には,そのニュアンスがジェントルマンの本来の意味とは掛け離れているのである。例えば,インターネットで知り合った女性を食事に誘い,その後軽く誘惑して拒まれたので,何もしないで帰したら,「あの人意外と紳士だったよ」と言われたりするが(笑),これは紳士の本来の意味ではないのである。
 例えば,尾崎紅葉の「金色夜叉」を読んでみるとよい。紳士という言葉が頻繁に出て来るが,必ずしも品行方正な人間ばかりではない。では,紳士とは何かというと,高等教育を受けたり,大金持の家に生まれたりして,社会的な地位のある人間のことを言うのである。昭和の半ばまでは紳士という言葉はこの本来のジェントルマンの意味で使われていた。ところが高度成長期に日本人が一億総中流化して,どこの家庭にも三種の神器と呼ばれる家電製品が普及し,大学進学が当たり前になるに従って,紳士と庶民の区別が不明確になって行った。それに伴って,紳士という言葉も本来の意味から変化して行ったのである。


5.社員

 まずは、頓珍漢な事例を見てみよう。

 「私、○○生命の社員になっているんです。」
 「え、保険の勧誘をなさってるんですか?」
 「違います!」

 「私、これでも父の会社の社員なのよ。」
 「え、あの有限会社化け猫商店の。へえ、化け猫ちゃん、働いてるんだ。」
 「違うわよ。社員になってるだけ。」
 「なぁんだ、税金対策でお給料貰ってるのね。」
 「何言ってんの、違うってば!」

 この二つの事例、何が違うのか分からない人も多いであろう。私の経験では、商学部や経済学部を卒業している営業マンが分からない可能性が高い(爆)。商法なりなんなりを読めば分かるのであるが、社員というのは従業員のことではない。本来は株式会社以外の形態の会社に出資している人間のことをいうのである。
 最初の事例から見てみよう。生命保険会社は多くの場合相互会社の形態を取っている。相互会社とは、みんなで出資して利益を分かち合う会社であり、生命保険に加入した全ての人が出資者すなわち社員となるのである。生保の外交員は(実際には保険に入っているのでその人自身も社員であるが)社員ではなく、従業員(職員と呼ぶことが多いらしい)としての立場で活動している。生保の社長も決して生保のオーナーではなく、単にその相互会社のマネジメントのために雇われた従業員に過ぎないのである。
 次の事例は有限会社である。有限会社についてはもともと商法に規定がなく、有限会社法によって別途定められたが、現在ではミニ株式会社という位置づけと考えてよかろう。株式会社の出資者は株主と呼ばれるが、有限会社の出資者は社員と呼ばれる。したがって、この化け猫ちゃんは、父の会社の資本の一部を自分の名義で所有しているのである。
 ちなみに、株式会社には社員というものは存在しない。多くの大企業が株式会社となった現在、従業員という言葉のイメージが余り良くないので、一般に社員と通称されるようになったのであろう。したがって、「○○株式会社の社員には、決して悪い人間は存在しません」と言っても、絶対嘘にはならないのである(爆)。
 ところで、有限会社はどうして有限会社と言うか。それは無限会社に相当する二つの会社形態に対応するものだからである。有限会社の社員は、もしその有限会社が多額の負債を抱えて倒産しても、その責任を問われることはなく、自分が出資した金額の損をするだけで済む、つまり責任が有限なのである。では、無限会社というのがあるのか? 無限会社という名前ではないが、合名会社と合資会社の二つの形態が存在する。合名会社は社員全員が無限責任である。合名会社が負債を抱えて倒産した場合、社員全員の連帯責任で支払わなければならない。一方、合資会社には無限責任社員と有限責任社員が存在する。無限責任社員(複数いてもよい)がオーナー社長で、有限責任社員は一定額の出資でサポートする応援団である。合資会社が倒産した場合、有限責任社員は自分の出資額を限度として損をするが、無限責任社員は残った負債の全てに責任を負う。
 私はある合資会社の無限責任社員になっている。普通は名刺には代表取締役とでも書くのであるが、わざと無限責任社員と書いた名刺を持ち歩いている。そして、名刺を出した相手が「無限責任社員って何ですか?」と訊くようなら、その相手が完全な技術屋でもない限りは軽蔑することにしている。



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