或る声楽家への書簡より


 これは私がパリに住んでいた時,現地のテレビで放送されるオペラ等について,日本在住の或る声楽家へ送った書簡の一部である。
 日本ではオペラの舞台を見る機会が極めて限られていた私は,それまで主に耳だけでオペラを楽しんでいた。しかし,かの地でオペラを目から見られるようになって,寧ろ音楽よりも舞台・演出を楽しめるようになった喜びを書き綴ったものである。


同封した絵葉書(Le Grand Theatre, Bordeaux)

この葉書はボルドーの大劇場です。パリのオペラ座のモデルになったとかいう由緒ある劇場ですが,4年前ボルドーをうろうろしていた時は補修工事中で,入ることが出来ませんでした。そのうちボルドーへ行ったらオペラを観て来ようと思います。
ヨーロッパの石造りの建物はみなそうなのですが,昼間見るとただの埃っぽい石の固まりにしか見えないのに(それはそれでまた趣があるのですが),夜になってライトアップされると,とても美しくなります。
こういう建物がある国で暮らしていて,広い居間でオペラのCDを聴いていると,やはり日本の6畳の間で聴いているのとは,随分と違った印象を受けるものです。そして,今まで見えなかったものが段々と見えるようになって来たような気がします。では一体何が見えるようになったかと言われると,うまく説明できないですけど・・・


拝啓 こちらはもう秋の気配が感じられるようになりました。そちらはまだまだ暑い事と存じます。その後如何御過ごしでしょうか。
突然手紙など差し上げたのは,こちらのテレビで毎晩のようにオペラやコンサートを見ていて,嬉しくて楽しくてたまらなくて,誰かに話したくて仕様がなくなったからです。○○○の後輩にオペラ気違いが居たのが運が悪かったと諦めて,どうか読んでやって下さい。
実はテレビを見始めたのはここ1ヶ月くらい,やっと生活のリズムが掴めてからのことです。もう少し慣れて来たら,バスチーユの新しいオペラ劇場に通うつもりです。そういう訳で,これからお話するのは,私がほんの3週間程の間に,たまたま観たものです。


バイロイト音楽祭とブラームスピアノ協奏曲
なんと,こちらのテレビではニーベルンクの指環を全曲放送してくれるのです。先日電話でお話した時は,ジークフリートがブリュンヒルデを目覚めさせた後で,丁度○○○○○用があったのを口実に,ブリュンヒルデに電話してみた訳です。ところでこの4部作については私は勉強不足なので余りコメントしないことにしますが,例によって衣装がやや現代風で,ヴォータンがサングラスを掛けていたこと,ヴァルキューレの鎧兜や楯が透明なアクリル板のようなもので出来ていたことなど御報告しておきましょう。また,ヴァルキューレの中にカタギリ・ヒトミという名がありました。ちなみに,このあと指環の勉強をしようと思って,シャンゼリゼまで歩いて行って買って来たのが1950年ミラノスカラ座でフルトヴェングラーが指揮したライブ盤です。どうしてこれを選んだかというと,理由は二つ。ひとつは私がフルトヴェングラーファンで,例えばベートーヴェンの第9の3種類のLPを持っているような人間であること。もう一つはこれが一番安かったこと。12枚組みで704フラン(約14,000円),よく12枚に押し込んだものです。1枚平均70分以上入っています。4枚入3箱と台本(ドイツ語)がセットになったイタリア製ですが,イタリア語訳は付いてません。
さて,このヴァルキューレを見た夜のこと,終わったのは1時頃ですが,このあとチャンネルを変えたら,ブラームスのピアノ協奏曲第1番のフィナーレをやっていました。最後の3分位聴いただけですが,ついでに良いものを聴いたと満足していると,拍手の中,ピアニストと指揮者が再び位置について,何が始まるのかと思ったら,ホルンの音。おわかりですね。ブラームスのピアノ協奏曲第2番です。私はあと40分寝られないなと観念して座り直しました。確かブラームスのピアノ協奏曲は2曲しかなかったなと記憶を確かめながら。ちなみにこれは絵葉書を同封した,ボルドーの大劇場での演奏会でした。


魔笛
これも電話で少しお話しましたが,ある日の深夜にテレビを点けたら,大蛇に睨まれたタミーノが30小節目辺りを歌っているのです。これは良いものをやっていると観ていると,いつまで経っても画面が切れずに続いて行くのです。何だ,これも全曲やるのかと覚悟を決め直して午前3時迄見てしまいました。エクサンプロヴァンスの音楽祭だということで,舞台装置など簡単なものでした。もっとも,モーツァルトの3大オペラ,殊に魔笛はリアルに舞台を作るよりも,小学校の学芸会のような舞台の方が似合うというのが私の持論ですが。
この上演,第2幕が非常に面白い演出でした。冒頭の僧侶の行進のところ,原作では18の座に僧侶達が着席し,議論することになっていますが,ここでは長いテーブルに白い布を掛けたものに12の椅子があるだけで,白い衣に白いヴェールの12人が着席します。そのうち10人がヴェールを脱ぐと,それはザラストロ,弁者,3人の僧,3人の尼僧(夜の女王の侍女と2役),そして何とパミーナにパパゲーナなのです。ヴェールをかぶったままの2人がタミーノとパパゲーノで,この2人はヴェールのために目が見えない訳です。第1場には彼らは登場せず,第2場で場面が変わって連れて来られる筈ですが,単に舞台装置の節約だけでなく,意味があるのです。パミーナもパパゲーナも,これからタミーノとパパゲーノが試練を受けることを承知して待っているという訳で,僧がパパゲーノに試練に耐えることを約束させて Deine Hand と言うと,パパゲーノが差し出した手をパパゲーナが握ったのは珍しい演出ですね。
驚いたのは夜の女王が第12場に出て来て,ザラストロに屈服してしまうのです。そして「この神聖な殿堂には」が始まるとすぐにパミーナは眠りに落ち,女王が毛布を掛けてあげて,アリアの終わりとともにゆっくりと消えて行くのです。そして第28場の終わりでは,試練を乗り越えたタミーノとパミーナをザラストロと夜の女王が祝福するのです。
しかし夜の女王は本当に屈服した訳ではありません。3人の侍女とモノスタトスを連れて再びザラストロの寺に忍び込みます。原作ではこの5人はすぐに地獄に落とされる筈ですが,何と最後の一同の喜びの輪の中へ迎え入れられ,モノスタトスまでもが祝福されて終わるのです。大胆な演出に,途中どうなることかと思いましたが,これを見て納得し,かつ感動しました。魔笛というオペラはスコアの隅々まで研究し尽くして,あるいはフリーメイスンについて研究したりして,死を目前にしたモーツァルトのメッセージを読み取り,作曲者の真意に基づいて上演しようなどと考えるよりは,自由な解釈で好きなように上演した方が良いと思います。ところでこの最終場面,一同白い衣を纏っているのですが,拍手の中舞台に上がって来た指揮者,演出家も白い服を着ているのです。真夏の南仏にふさわしい爽やかな舞台でした。


アイーダ
これも夏の南仏,オランジュという街での上演です。劇の解釈としては特別変わったことはやってませんが,少し面白い演出がありました。第2幕の奴隷のダンスのところ,アムネリスの世話をしている奴隷の女たちは合唱団ですから,通常別にバレエ団の奴隷(schiaviと書いてあるので男性あるいは男女混合ということになります)が出て来て踊るのが普通でしょうが,ここで出て来たのは黄色い水着姿の黒人の子供達,男女あわせて十人余りでした。彼らはダンスなどせず,舞台の上,合唱団の女達の間を走り回り,引率して来た黒人の若者に促されて,一同アムネリスの回りに集まって挨拶して去って行きました。その代わり,例のトランペット(古代エジプトの筈なのにバルブが付いたトランペットを吹く真似を舞台上でやるのはちょっといただけませんが)の後のバレエは見事なものでした。
舞台装置は比較的簡素で第4幕後半はやはり台本に書いてあるような2階建ての舞台にはしていませんでした。第2幕で王座に使っていた台をそのまま持って来て,上にアムネリス,台の前にラダメスとアイーダがいるという訳です。もっともアイーダの舞台を本気で作ったら何億円あっても足りませんけどね。
しかし,下にアイーダが一緒に居ることも知らずに,ひたすらPace, pace...と祈り続けるアムネリスはいつ見ても哀れですね。


トスカ
これはパリで今春上演されたもののようです。指揮は勿論ジョルジュ・プレートルです。プレートルでトスカというと,やはりマリア・カラスの強烈なイメージがあって,どうしても物足りなくなってしまいますが,ドミンゴのカヴァラドッシは流石でした。やはり舞台は比較的簡素なもので,どうやらすべてを犠牲にしてでも芸術に打ち込もうとする時代は終わってしまったようです。
第2幕まではほぼ原作のト書き通りでしたが,第3幕でかなり演出家の個性が発揮されていました。まず,サン・ピエトロ寺院などどこにも見えず,建物の屋上のようではあるものの,まるでヴァーグナーでもやるような殺風景で幻想的な舞台なのです。そして,原作のト書きとかなり違うことをやっています(私が原作のイタリア語を読み違えてなければ・・・)。第1場で随分変わったことをやるのですが,ここはまさに腕の見せ所,何をやっても良さそうなのでいいとして,刑吏に連れられてカヴァラドッシが現れる所からお話しましょう。原作では,トスカに遺書を残したいと言うカヴァラドッシが刑吏に指輪をやると言うと,刑吏は少し躊躇ってからその指輪を受け取ります。カヴァラドッシは机に座って自分で手紙を書き始めます。そして数行書いたところで感極まって立ち上がり,例のアリアになる訳です。しかしここでは刑吏はすぐに引ったくるように指輪を取って自分の指にはめます。そして紙とペンをカヴァラドッシに渡そうとするのですが,拷問で手を痛めつけられた彼は両手首に血染めの包帯を巻いた姿で,とても字が掛けません。そこで刑吏がペンを取り,カヴァラドッシがつぶやく言葉を書き留めます。 書き終わった手紙を見せられたカヴァラドッシがうなずき,そしてアリアに入るのです。この方が確かに筋は通るのですが,何かそっけない気がしました。やはり痛む手をかばいながらも必死に字を書く方が良いと思います。


(以下略)


オペラのページ   ホームページ