追悼 ベルナール・ロワゾー氏


 2003年2月24日、偉大なるシェフ、ベルナール・ロワゾー氏が突然亡くなってしまった。ロワゾーさんについては今更私が語るべきこともないが、ここにロワゾーさんの思い出を書くことで、追悼の意を表したい。

 私が初めてソーリューを訪れたのは1996年の秋のことであった。シャブリで仕事を済ませ、翌日ボーヌへ行かなければならなかった私は、高速6号線には乗らずに国道6号線を走り、ソーリューに一夜の宿を取ることにしたのである。
 3ツ星レストランとしてあまりにも名高いコート・ドールはアレクサンドル・デュメーヌの頃から偉大なレストランであったが、そもそもは国道沿いのホテル・レストランである。3ツ星になる直前にホテルや中庭を大改装して高級ホテルになってはいたものの、国道側の棟には1泊7千円(ダブル、2人分の料金)程度の部屋もあったのである。私はこの古いホテル棟の中ではやや上等な、中庭の見える1万円程の部屋を取っていた。
 やや小さめのダブルベッドは1人で眠るには十分過ぎる大きさで、部屋に入った時点では枕2つにベッドカバーが完全に掛けられた状態であった。シャワーを浴びようと浴室に入ると、ブルゴーニュ地方の古いホテルで時々見られる深い浴槽があった。日本人には嬉しい、肩まで浸かれる風呂である。湯を張ってゆっくりと浸かることにした。風呂から上がり、テレビを少し見てから、8時過ぎにレストランへ降りていった。
 この古いホテルはルレ・エ・シャトーの格付対象外であったが、同じサービスがなされていたようである。食事を終えて部屋に戻ると、ベッドカバーは外されて、枕が1つ、中央に置かれていた。そして風呂場を見ると、さっき使ったタオルとバスタオルが新しいものに交換されていたのである。1ツ星クラスのホテル・レストランでは絶対にあり得ないサービスである。
 さて、肝心の食事であるが、まずアペリチフに何か面白い物がないかきいてみた。すると、ラタフィア・ド・ブルゴーニュのクレマン割りが出てきた。言われてみると至極当たり前のブルゴーニュ風アペリチフであるが、その後も他所では見たことがない。それほど美味とは言えないが、ブルゴーニュらしい面白い物を出せと変なリクエストをした私に責任の大半はあるのであろう。もっとも、キールほど甘くないし渋味・酸味もあるので、食欲増進の点からは正解である。
 前夜コート・サン・ジャックで無茶をして、昼にもシャブリでたらふく食わされた私は、極力軽い料理で済ませることにした。詳しいメニューは残念ながら覚えていないが、サラダ系の前菜に、魚料理であった。魚料理のソースには、海水が使われていた。水の料理もここまで来たかと驚いたものであるが、それ程印象には残っていなかった。ただ、意外にもボリュームがあって重い料理に感じられた。
 それよりも印象に残っているのは、例の有名な朝食と、そしてロワゾーさん自身である。ここに泊まる人は大抵はゆっくりと食事を楽しみ、少し寝坊してから遊びに行くものである。私のようにビジネスで泊まる酔狂な客は滅多にいない。7時過ぎに朝食を摂りに降りて行くと、他に客の姿はなかった。朝食を終えてフロントの前を通ると、ロワゾーさんがいて、挨拶してくれた。前夜遅くまで厨房で指揮を執っていたのに、朝早くから朝食の準備までやっていて、一段落ついて今度はフロントで挨拶である。驚いた。
 部屋へ戻り身支度を整えてから荷物を持って再びフロントに降り、支払を済ませた。これからボーヌへ行くが、どの道が近いかと尋ねると、フロントの男はどうにもよく分かっていないようである。すると、横からロワゾーさんが出てきて、そこを暫く真っ直ぐ行って・・・45分くらいだと教えてくれた。
 朝の国道は空いていた。かなり飛ばした。途中から少し峠越えのような道に入ると、後ろから速い車が付いて来る。多少腕に覚えはあったので、時折カウンターステアを切りながら一気に峠を下って行った。やがて突然視界が開け、見慣れた景色になったと思ったら、そこがボーヌの環状道路であった。時計を見ると、コート・ドールを出発してから丁度45分が経過していた。

 それからも国道を走って前を通ることはあったが、なかなか行く機会がなかった。次にロワゾーさんの料理を味わうことになったのは、今年、2003年の元日のことである。ミシュランを見ると、部屋代がやけに高いものしか載っていない。古いホテル棟のほうは載せていないのだろうと電話で確かめると、現在は全ての部屋がルレ・エ・シャトーで4ツ星ホテルであるとのことであった。中庭に面したスタンダードの部屋を予約すると、195ユーロと言われたが、実際の勘定書きは割引料金で125ユーロ(約1万5千円)であった。この部屋は以前に泊まった古いホテル棟にあったが、何が変わったかというと、中央に廊下があって中庭側と国道側にそれぞれ部屋があったのを、国道側はすべて廊下にし、中庭側にゆったりと部屋を配置し直したのであった。ベッドもフルサイズのダブルベッドになっていた。
 この時、私は無名だが恐ろしく優秀なソムリエールをエスコートしていた。元日早々、人も車も殆どいないのをいいことに、コート・ドール中の有名畑を走り回り、車をドロドロにして辿り着いたのであった。テーブルに着くなり二人のいつもの習慣でシャンパーニュを注文し、彼女は野菜料理だけのムニューを選んだ。私は逆にビスクとジビエにしてみた。ロワゾーさんの料理の両極端を見てみようという訳である。ワインはコッシュ・デュリーのコルトン・シャルルマーニュ1998年をデカントして貰い、その後に飲めるブルゴーニュの赤ワインなどロマネ・コンティ位しかないので、ボルドーに逃げてシャトー・クリネの1986年で続けることにした。
 このビスク・ド・オマール・ブルーには驚かされた。トゥール・ダルジャンのカフェ・アングレーズなどは問題外である。今迄純粋に味だけで最高のビスクはラ・プティット・トゥールのイスラエル氏の作品だと思っていたが、それをも凌駕する深い味わいであった。帰国後に思わず「世界最高のビスクがソーリューにあったので驚いた」とロワゾーさんにメールしてしまったほどである。そして野生鴨のパイ包み焼きは、しっかりと取ったフォン・ド・ジビエに赤ワインを入れてじっくりと煮込み、適量の血で仕上げた濃厚なソースが掛かっていた。これもそれ迄フランス中で味わったジビエの中で最高の物と言って間違いないものであった。一方、野菜のムニューはソムリエール嬢のお気に召さなかったようである。
 今思えば、あるいはロワゾーさんは新しい料理、水の料理に行き詰まりを感じていたのかも知れない。ロワゾーさんにエスコフィエをやらせれば完璧に出来ることは誰でも知っている。しかし、ロワゾーさんが古典に回帰することを誰が予想し、あるいは期待したであろうか。いや、違うかも知れない。たまたま私が古典的な料理2品を取って満足しただけなのかも知れない。
 翌日の朝、朝食の時にもチェックアウトの時にもフロントにロワゾーさんの姿はなかった。私はメートル・ドテル然としたポーターにディジョンへの道を確認し、TGVの時間を気にしながら、豪雨の中を時速170キロで走り抜けた。ブドウ畑でドロドロになっていた車は、ディジョン駅に着いた時にはすっかり綺麗になっていた。


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