オーケストラの話


 高校の音楽の教科書か何かに,オーケストラの配置を図解したものが載っていた。配置方法にはヨーロッパ式とアメリカ式の二つがある。
 ヨーロッパ式は視覚重視。向かって左が第一バイオリン,右が第二バイオリン。アメリカ式は音響重視。向かって左から順番に第一バイオリン,第二バイオリン,ヴィオラ,チェロ。
 こらこら,ちょっと待て。これは如何にもアメリカへのベンチャラ,似非合理主義の官僚の作った話ではないか。
 和声音楽に限って言えば,アメリカ式が合理的かもしれない。しかし,高音から順番に並んでいるのが本当に合理的であるなら,パイプオルガンは向かって右側に巨大なパイプが林立することになるし,フィガロの結婚の最終場面では,向かって左からスザンナ,ロジーナ,ケルビーノ,バルバリーナ,マルチェルリーナ・・・と並ばなければならない。
 その議論はさておき,ヨーロッパ式の配置は,実は多声音楽的発想で作り上げられたものなのである(と私は勝手に考えている)。この配置が合理的な実例を一つ挙げよう。
 ベートーベンの第九交響曲のスコアをお持ちの方は,第1楽章の387小節からをご覧いただきたい。第一バイオリンと第二バイオリンが,1オクターヴ差で同じメロディーを交互に奏でている。当時聴覚をほぼ完全に失っていたベートーヴェンの頭の中では,左右から交互に聞こえてくるメロディーが渦巻いていたに違いない。これをアメリカ式配置で演奏することは,原作の意図を無視して編曲して演奏するに等しい暴挙ではないか。
 ヨーロッパ式配置の利点は多声音楽の場合に限らない。今度はビゼーのカルメンを見てみよう。カルメンは弦のユニゾンを実に効果的に使った曲で,例えば最後のデュエットのところ,第一バイオリンからチェロまでがしばしば同じメロディーを奏で,激しい焦燥感を現しているところなど,実にしびれるが,第一バイオリンと第二バイオリンだけがユニゾンになる場面もある。
 スコアをお持ちの方は第1幕でカルメンが最初に登場するところ,ハバネラの前の合唱が終って,Allegro Moderato になるところをご覧いただきたい。第一バイオリンと第二バイオリンがオクターヴで動いている。これをヨーロッパ式の配置で演奏すると,オーケストラボックス全体から主旋律が襲い掛かってくるような効果があるのである。あるいは,第3幕のミカエラのアリアを見てみよう。前半部分の最後,Vous me donnerez du courage, のところ,美しい旋律がオーケストラボックス全体から沸き上がってくるではないか。これらをアメリカ式配置で上演したらぶち壊しである。
 結論:アメリカ式配置はアメリカ的な単純な発想で,似非合理主義者が作ったつまらない音響の配置。

 ちなみにこれは30年前の教科書の話で、現在は折衷のような配置が載っているだけのようである。実はつい最近国内で、完全にヨーロッパ式の配置のモーツァルトとハイドンを聴く機会があった。余計な物のない綺麗な2管編成で(ホルンが3本いたが)、素敵な響きを堪能出来た。


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