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東京の西側はド田舎


 東京が本当の意味で日本の中心になったのは明治維新以降であろうか。あるいは,今日に至っても尚,全ての点で日本の中心であり,最も進んだ街であるとは言えない状況であるのかも知れない。20年前に東京の地下鉄に乗ったら,改札口で駅員が切符切りを持っているのには驚かされた。名古屋の地下鉄などは,とっくの昔に自動改札になっていたし,東海・関西地方の私鉄の多くも自動改札機を導入した後だったのである。
 また,子供の頃,大きな街には地下街があって,繁華街の交差点は車ばかりだと思っていた。ところが,渋谷の駅前の交差点で,何千人もの人が信号待ちをしているのに驚かされた。どうしてこの人たちは地下を歩かないのだろう? 渋谷には地下街がないことを私が知ったのは,その暫く後のことであった。よく考えたらあんな坂だらけのところに地下街を造れる筈もないのであるが。
 さて,私はその渋谷へ行くと必ず迷子になる。あの街でちゃんと目的地に辿り着ける人が不思議でしようがない。渋谷の道が分かりにくい理由の一つには,建物に地番表示が殆どなされていないことがある。目指す店が宇田川町の何番地だと聞いて行っても,肝心の宇田川町では殆どの建物に宇田川町とも何番地とも表示されていないため,結局は仕方なく交番へ行って尋ねることになる。パリ,ロンドン,ニューヨーク,大阪,千代田区,中央区などの国際都市では,誰が見ても分かるように地番が表示されているのであるが,渋谷が如き田舎では,きっとまだそこまで整備されていないのであろう。逆に,文化村通りとか,109前とか,地元の人にしか解らない言葉で場所を表しているようである。
 渋谷の道が分かり難いのには,もう一つ理由がある。道が全く出鱈目に広がっていることである。計画的に造られた都市の道路は,パリや田園調布などのように広場を中心に放射状に道路を配置するものを別にすれば,京都,大阪,千代田区,中央区のように,道路が碁盤の目状に整然と並んでいるものである。ところが渋谷では,まるで乱数で配置したのではないかと思わせるほどに,道路が任意の位置から任意の角度で枝分かれしている。おまけに起伏の多い街で,どっちを向いても坂だらけである。これは言うまでもなく,渋谷がかつては野山に広がる農村であったものを,東京市の拡張に伴って徐々に宅地化し,更に都市化して行ったからに他ならない。
 ところで,私はここ1年程の間,故あって荏原郡の馬込文士村(現在は大田区)に住んでいる。坂だらけで道が無秩序に走っている点では渋谷と五十歩百歩である。先日,村の南端を過ぎたところにある新井宿(現在は大田区中央と呼ばれているらしい)に用があり,往路は臼田坂を越えて行ったが,帰り道は佐伯栄養学校の山の麓を抜け,桜並木を通って西馬込駅へ向かうことにした。馬込文士村は日本人なら誰でも知っているという程に有名な大作家はあまり見当たらないが(萩原朔太郎以外殆ど聞いたことがない =^^=;;),そこそこ売れた小説家が沢山住んでいたところである。この馬込文士村桜並木の周辺には作家の記念館が点在していて(本多忠親記念館は存在しないのでご注意を),休日にはガイドブック片手に散策している観光客の姿も見られる。そのような観光客のために,桜並木には大田区によって設置された案内板がそこここに見られる。ところが,西馬込駅何メートルと表示されている看板を見て,西馬込駅に迷わず辿り着けたためしがない。確かにそちらの方向にその距離行けば西馬込駅があるのであるが,途中で道があちこち枝分かれしていて,どの道を行ったら良いのか分からなくなってしまうのである。そして,観光地として整備された桜並木の辺りには案内板が充実しているが,駅の近くまで行くと案内板がないところは,如何にもお役所仕事である。
 さて,西馬込駅に辿り着き,隣のスーパーの横にある地図を見ると,なるほど道が入り組んでいる。これでは,仮令この地図を持っていたとしても,最短距離で目的地に辿り着くことはなかなかに難しそうである。



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