音楽家の服装


 いつの間にか私も服装に相応の気を配るような年齢になってしまった。普段着はジャケットにネクタイであるが、ちょっと人に会うときにはスーツで、ポケットチーフとタイピン・カフスは欠かさないようにしている。少し改まった場所ではスリーピースで、ベルトはせずにサスペンダーを使用するし、やや時代錯誤かも知れないが、ウエストコートの釦に懐中時計の鎖をぶら下げたりもする(鎖の先に携帯電話が繋がっていることは内緒である)。若い頃は外套もいい加減なものを着ていたが、最近は黒のチェスターフィールドを着るようにしている。眼鏡も2種類使い分けるようにした。
 そんな事をしている内に、自然とシャツやら靴やら細かいところに目が行くようになって来たのであるが、ステージ上の音楽家を見ていると、結構いい加減な服装をしている人が少なくないことに気付いた。
 音楽家といえばまず燕尾服。燕尾服の正式な着こなしには殆ど変化の余地がない。白のウェストコートにイカ胸ウイングカラーシャツ、白蝶貝のスタッド釦とカフス釦であるが、これを勝手に変える人がいる。ウェストコートを白のカマーバンドにするのが昔流行ったが、動きの激しい汗っかきの音楽家には実用的で、見た目も悪くないかも知れない。しかし、黒のカマーバンドをしている指揮者がいるのには驚いた。シャツは変えて欲しくないのであるが、百歩譲ってモーニング用のシャツ(イカ胸とスタッド釦がなく、比翼仕立て)でもいいとしよう。ウェストコートを着ていればイカ胸と普通のシャツは遠目には同じように見える。しかし、普通の背広に着るようなワイシャツを着ている人がいるのは流石に見苦しい。
 タキシードでステージに上がることもある。タキシードは若干の変化の余地があるが、オーケストラや合唱等の場合、ある程度統一して欲しいものである。普通はカマーバンドであるが、黒のウェストコートでも構わない。しかし、どちらも着ていなくてお腹が見えているのは論外である。シャツは燕尾服と同じもので黒蝶貝等のスタッド釦とカフス釦が正式であるが、襞のシャツでも構わない。音楽家の場合、スタッド釦ではなく、比翼仕立てを好む人も多いが、まあそれで良かろう。何れにせよ、ウイングカラーでなければ可笑しいのだが、ここでも普通の背広用のワイシャツを着る人がいるのは見苦しい。
 靴はオペラパンプスに決まっていると思っていたが、サラリーマンが日常用いるような紐の付いた革靴を平気で履いている人がいて驚いた。最前列のチェロ奏者が紐付きの革靴に普通のワイシャツ、それはないだろう…。でも、そういう無神経な人がいるのである。関西の音楽家なら、オペラパンプスが普通の革靴の値段で買える店が大阪にあることをご存知だろう。私はこのオペラパンプスをピアノの下に常備して、ペダルの練習をするときにはこれを履くことにしている。
 先日ちょっと拘って聴きたい音楽会があったのであるが、何分にもマチネなので礼装するのも変である。紺のスリーピースに懐中時計、モーニング用のウイングカラーシャツにブランド物のネクタイ、ポケットチーフは白でツーピークという古典的な服装で行った。その足で副業に行ったのであるが、田舎ではやや年配の分限者でも懐中時計やウイングカラーのシャツを見たことがないらしい。たまたま傍にあった歴史の資料集を開いて吉田茂の写真を見せたら納得して貰えた。




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