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2002年9月7日(土) 闘病生活最終日そして新たな旅立ち日
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●体調
9月7日午後7時2分、主人は永眠しました。
意識がなくなるまで家族と自宅で過ごしたいという主人の希望通り愛用していたソファーで眠るように意識が薄れていったようです。
〜死ぬことは さほど怖くは ないけれど
必ずそばで 手を握ってよ〜
夜中0時と1時に、全身がかゆく息苦しくなり、目覚めました。
1時30分、冷たく冷やしたおかゆを食べました。
朝方からゴロゴロ、ゼーゼーと痰が絡んで痰が切れない様子で、私から見ればとても苦しそうにも見えました。しかし主人のメモ書きには「痰が詰まっているようで喉がゼーゼー、ゴロゴロしている。苦しくはない。」と2回記してありました。
「病院に行こうか?」という周りの者の問いかけに、ひとさし指を口に当てて、「しー その話は後でするから、待っていて」と答えるばかりでした。
とにかく心配だったので、近所のお医者さんに往診をしていただき痰が切れやすくなる薬と注射をしてもらいました。
先生をお送りして帰宅したら主人は待っていたかのように排尿をすると言いました。一人で採尿器を持ってしました。
私は少し手助けをしただけです。自分で後始末もきちんとして尿量も確認していました。
それが夕方の4時40分でした。
亡くなる1時間半くらい前におかゆを食べると言って食べようとするのですが、器を手に持ったままうとうとしてしまいました。
結局食べさせてもらうことになりましたが、「美味しい、美味しい」と言いながら食べていました。
昨日までは何を食べても後口が悪いと言っていたのに、この時は本当に美味しそうに食べていました。
〜美味しいと 確かに 君は呟いた
母のおかゆを かみしめながら〜
〜大空に もうすぐ 君は帰ってく
痛み苦しみ 脱ぎ捨てて〜
夕方6時くらいからはずっと手を握っていました。
6時20分くらいに私の手をぎゅっと握って酸素マスクをはずし「ありがとう ありがとう」と言いました。
マスクを戻さないと苦しいと思い、私がマスクをつけにいくと首を横に振ってもう一度マスクをはずして「ありがとう ありがとう・・・」と何度も何度も繰り返しうなずきながら目を閉じていきました。
この時の主人の声はもう痰も絡んでいなくてはっきりと聞こえていました。
気が付くと私も主人に「私こそありがとう」と繰り返していました。
〜手を握る 時間が長く なるたびに
別れがそこに あることを知る〜
〜お別れが 「さよなら」でなく 「ありがとう」
心に響く 君の優しさ〜
この時点で私は初めて主人が亡くなるのでは・・・と感じて、実家に預けていた子供たちを呼び寄せて救急車を呼びました。
子供の到着と救急車の到着とはほぼ同時でした。
子供と主人はぎりぎりで対面できました。
救急車に乗ってドアが閉まったとたん「呼吸停止」という救命士さんの声が響きました。
人工呼吸器等の延命措置はしないでほしいと主人が希望していたので心臓マッサージのみしてもらいながら病院に到着して死亡確認をしてもらいました。
おそらく主人は救急車の中で息をひきとったのだと思います。
〜夢なのか 君が旅立つ その時に
空へと続く階段をみた〜
「この状況の中で家族と共に自宅で過ごせてどんなにか心の支えになっている。良かった。」と主人はいつも言っていました。
「末期のがん患者が家族と共に家で過ごすことの大切さと大変さを、同じような状況の人やその家族や周りの人々に知ってもらいたい。そのためにもホームページの更新はできる限り続けたい。」とも言っていました。
主人が闘病生活を終えたということで精巣ガンのページはしばらく更新することはないかと思います。
それと同時に主人と私たち家族の新しい旅立ち日が始まったので今後は私が My Schoolの中に新たなコーナーで主人にメッセージを送っていきたいと思います。
何でも相談に乗ってくれて優しかった主人は今はもう傍にはいないけれども私たちの心の中では今までと変わらずにいてくれることと思います。
結婚してわずか10年だけれども、とこしえの時間を一緒に過ごしたような気がしてなりません。
本当に今は主人に対する感謝の想いでいっぱいです。
2人の娘もまだ幼いですが、彼女達なりに父親の死を受け止めているようです。
子供たちの成長と共に主人の生き様を伝えていきたいと思っています。
主人を励まし応援してくださった皆様に感謝いたします。
本当にありがとうございました。
〜君といた 十年の 月日永かった
五十年よりも 百年よりも〜
〜おとうさん エレベーターで 昇ってく
眠ったままで 大空高く〜
〜寂しさや 悲しみよりも ありがとう
君の優しさ 君の強さに〜
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