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1969年京都生まれ。幼少のころからMINIに憧れ18歳になり免許をとり初めてミニを手にする。最初に乗ったミニは、83年式 MINI1000 E Typeという左ハンドルの並行輸入車で、センターメーター・10インチ・Mk-3テールランプ・メッキパーツ類(当初、グリル・バンパーなどメッキではなかった。)が標準装備されていた物だった。しかし、買って1ヶ月後にバイクに突っ込まれ左フェンダーがベコベコになる。またまた、その3ヶ月後、走行中オイルが噴出しエンジンが終わる。(精神的に、かなりヘコむ)その頃、学生であった私にエンジンを載せ替える程の経済能力は無く、購入したショップの社長に相談をしたところ、”体で返してくれたらええで〜”の一言で次の日からショップでアルバイトの日々をおくる。(今でも店に行くとこの話は、笑いの種となっている。笑)私にとってショップでのアルバイトは夢の様な生活であった。当時のショップには、ミニを始め、モーガン、トライアンフ、MG-A、B、ミジェット。。。その他、アルファロメオ、フィアット、など(ちと古めの)欧州車の宝庫でもあった。この様な環境であった為、大学の出席率よりショップへの出席率の方が遥かに良かったのは言うまでもない。そして無事エンジンを積み替える事ができたのであるが、どうも今一走りが悪く納得出来なかった為、ウェバーを装着。そして、一年あまりが過ぎ、ある理由で乗っていたMINI 1000を手放し、2ヶ月程、家の国産車に乗ることになる。しかし、ある時一台のMINIが入荷した。それは、BLMC MINI 1000 Mk-3であった。とは言うものの唯のMk3ではなかった。なんと、Sのエンジン(1275cc)を積んだ化け物(ちと大げさ!笑)であった!(当時1300は、旧車のS以外、数少ない並行車でメトロのブロックを使ったものしか無かった。)この時、体に潜んでいたミニウィルスが再発してしまった。店頭に並ぶ前に社長に相談。。。。買ってしまった。これは、今思っても速かったことを記憶する。但し、このミニにもいろいろと笑い話がある。まず、毎年恒例の行事となっていた(今でも恒例である!笑)、CLUB 305の行き帰り往復でオイルを4リットル足した事である。(まさに、走りながらオイル交換をした様なもの!笑)オイルをかなり食っていましたが、金無かったもんでオーバーホール出来ずオイルさえ足せば大丈夫だろう!と、安易な考えで乗ってました。そして3年余りの楽しい生活も終わり(就職の為、アルバイトを辞める)これをきっかけに2代目のミニを手放す。その後、しばらくミニウィルスの活動は休止状態が続き、何を思ったかOPELのワゴンなどを買っていた。(その頃、キャンプなどアウトドアに凝っていた事もあって荷物が載る車が条件であった)そして、27歳で結婚。1年半程過ぎ、乗っていたOPELも今一って感じで、フラフラとショップに遊びに行ったその時、3台のMk-1が目に飛び掛ってきた!その瞬間、またまた潜伏していたミニウィルスが活動を始めた。しかし、この一週間ほど前、嫁のお腹には新しい生命が宿っていることを聞かされていた。(この時、ミニウィルスと家庭を支える父親ウィルスが体内で争っていた事を記憶する)やはりこの様な状況で勝手にミニを買うのもどうかと思い、嫁に相談する。(って言うか、説得する!笑)理解のある奥様(買う事を許してくれたので、言い方が”嫁”から”奥様”に昇格する!笑)から。OKのお言葉を頂き、速攻ショップへGO!で、3台あった内の一台は、アーモンドグリーンのMk-1(スタンダードのはずが、997であった事が最近発覚!)
これは、すでに売約済みとなっていた。もう一台は、1071のSであったが、社長が乗るとの事で非売品。(しかし、その後あっさり売られていた。。。悲)そして残りの一台が、現在所有のMk-1である。でも、これが一番のお気に入りでもある。なぜなら、他の2台はモーリスで個人的に昔からオースティン派であった。(つまらんコダワリかな!?)これが、結構、走ってくれるんで満足。そして、当時(10年余り前)ミニ乗りであったM君(現在ショップ勤務)があることがきっかけでミニを乗ることになり、会うたびにミニ談話の日々が続く。そしてある日、2人でクラブを作ろうということになり、英国車のオーナーズクラブ CAPAELLSを結成する。現在ショップの社長の協力などで14人のメンバーで活動を行っている。