「仙道、ゴメン!!」
仙道の部屋のドアが開くなり、越野はいきなり頭を下げて腰を直角に折り曲げた。ジーンズの縫い目を握った両手から、じっとりと汗が滲み出しているのを越野は感じた。握り直した手は、浅く震えて力が入らなかった。
― play ―
「それで……」
キッチンから、仙道がアイスコーヒーを両手に持って戻ってきた。グラスの中で氷が触れ合う涼しげな音が響く。仙道は今日は講義が休みだったらしい。ジーンズにタンクトップというラフな格好だった。
「一体、何があったんだ?」
ミニテーブルの上にグラスを二つ置くと、仙道は越野の向かいでゆっくりと長身を折り曲げて胡座をかき、首をかしげた。動揺している様子はなかった。その声には、むしろ越野の事情を気遣うような柔らかさがあった。
仙道の借りている部屋は、東京都内の23区と多摩地区の境にあった。人の行き交いが多く、便利な場所だ。仙道の通う大学にも近い。
同じバスケットボール部で高校の3年間を過ごした後、二人はそれぞれ別の都内の大学に進学した。しかし、高校卒業後も越野はよく仙道のマンションに泊まった。仙道の両親が長く海外勤務をしているため、都心にある実家のマンションは賃貸に出しており、仙道自身は便のいい場所にコンパクトな部屋を借りて住んでいた。仙道と同様に大学でもバスケットボール部に入った越野は、練習が夜遅くまで及ぶこともあり、自宅から通うより通学時間が短くて済むその場所を好んだ。それは確かに事実だった。しかしそれ以上に、二人の関係が自然にそうさせるところでもあった。
仙道と越野は、高校時代の半ばから、互いに身体を合わせる仲になっていた。
「うん……」
越野は、正座をして膝の上で手を握ったまま、動けないでいた。喉はカラカラに渇いていたが、涼しげに雫を浮かべたグラスに手を伸ばせるような心理状態ではなかった。膝の上で拭っても拭っても、手のひらからはじりじりと汗が滲んだ。それは、越野が最寄り駅から走ってここまで来たからだけではなかった。
越野は俯いて、Tシャツの裾を握った。視界の隅で、仙道が立ち上がる足元が見えた。カーテンを閉める音がして、仙道は再び同じ場所で胡座をかいた。そろそろ、夕方から夜へと移り変わる時刻だった。
越野は、意を決したように顔を上げた。目の前の、のんびりアイスコーヒーを飲んでいる仙道と目が合った。越野は辛そうに口元を歪めると、再び目を伏せ、絞るように「ごめん」と呟いた。その先に言葉を繋げようとすると、喉が塞がったような重苦しさがこみ上げてきて、越野は息を飲み下すだけで精一杯だった。
仙道がうーん、と唸る声が聞こえた。それから、所在無げに頭を掻く音。
「どうしたんだ?一体……」
眉尻を下げて困惑している仙道の表情が目に浮かぶようだった。分かっている。仙道を、これ以上困らせることはできない。
「その……」
越野は、震えて自由の利かない唇を無理矢理動かした。正直に話さなければならない。越野にとっては、そうすることだけが唯一仙道にできる精一杯の誠意だった。他に選択肢などなかった。再び、越野は顔を上げた。
「ごめん、オレ……」
顔を上げたが、しかし仙道の顔をまともに見ることはできなかった。越野はたまらず目を固く閉じた。手のひらからだけでなく、全身から汗が噴出すのを感じた。
「オレ、ゼミの後輩とキスしちまった」
ことり、とグラスが置かれる音が越野の耳に触れた。越野は身体を強張らせた。仙道がどんな表情をしているか、やはり越野は見ることができなかった。目をきつく閉じたまま、越野は息を詰めて唇を噛んだ。
「ごめん……」
ごくり、と唾を飲み込む音が、いやに大きく聞こえる。仙道にも聞こえてしまっただろうか、と思うと越野は気まずい気持ちになったが、現実にはそんなことを気にする余裕もなかった。
「んーと……」
越野の緊張とは対照的に、仙道が幾分間の抜けた声を上げる。
「相手は……その、どっち?男?」
「あっ、いや」
聞かれて、越野は反射的に目を開けて仙道の顔を見た。というよりも、見てしまった、という方が正確かもしれない。しかし、数分間ぶりに目に映った男の顔は、特に何かの狼狽や険しさが浮かんでいるわけでもない、越野の見慣れた表情をしていた。多少驚いたのか、きょとんと首をかしげているものの、越野の決死の言葉を聞く前となんら変わりのない穏やかさだった。それが越野にはひどく意外に思えた。仮にも同性とはいえ、恋人が他の人間とキスしたと聞かされて平静でいられるものなのだろうか、と不安になった。
越野は仙道の顔を正面から見直した。表情は変わらずのんびりしたものだったが、その目には、越野の目の奥をじっと伺うような色があった。そうだ、正直に話さなければいけない。越野は居住まいを正した。
「いや、相手は……女子だよ。ひとつ下の後輩」
越野は、今度は仙道の目をまっすぐ見て言った。そうか、と仙道が軽く相槌を打って頷いた。そのまま何も言わないのは、続きを促しているのだろうと越野は判断した。越野は手を膝の上で握り直した。
「たまたま、授業が終わったあと研究室で二人きりになっちまったんだよ。その後輩とは顔見知りで、授業の質問とかたまに受けることがあってさ。わりとどんくさい……というか、天然系でテンポがゆっくりしてるところがあって、それでなんとなく面倒見たりすることはあったんだけど……」
そこまで言って、越野ははたと目の前で相槌を打っている恋人の顔を見返した。そういえば、こいつも高校時代からよく部活の朝練に寝坊したり宿題忘れたりして、自分が面倒を見ていることが多かった。当の仙道は、自分もそうだったなどとは露とも思わないのだろう、本人なりに神妙な顔をして越野の話に耳を傾けていた。思いがけず数年前の自分たちをふと思い出して越野は心の奥がふんわり暖かくなるような気がしたが、気を引き締め直して話を続けた。
「それで……向こうから話しかけてきたんだよ。越野さんって彼女いるんですか、って。まさかそんなこと聞かれるとは思ってなかったから、オレちょっと驚いちゃってさ。一応いる、みたいなこと言ったら、その、いきなりズカズカ近づいてきて……。ほんとにあっという間だったんだ」
「うーん、すごいな。それで?」
「一瞬、何が起こったのか分かんなくて、とりあえずそいつを押しやって、なんか言ったかなあ……あんま覚えてないけど、こういうのは困るんだよ、だったかな、慌ててそんなことだけ言って、大急ぎで鞄だけ持って部屋を出たんだ」
「そうか」
「ほんと、ごめん……。オレ、そいつのこと全然警戒してなかったんだ。ガードが低かったんだろうな……」
そこまで言って、越野は彼女の風貌を思い起こした。世に言う女子大生的な派手さはなくて、むしろシンプルな服装が多く、化粧も濃くなかった。清楚そうな印象で、越野としても別に毛嫌いしていたわけではなかった。ただ、今となっては、その控えめなファッションも、スローテンポで放っておけない印象も、男が自分をどうみるかを知った上で計算してやっていたのかもしれない、とさえ思われた。それだけ、越野にとってはショックな出来事だった。
「で、オレ、すぐお前のことが頭に浮かんで、とにかく1秒でも早くお前に会って謝らないといけないと思って……」
言葉の途中で、越野は胃の辺りが重苦しくなるのを感じた。研究室を出て、仙道の部屋に着くまで、玄関の前で仙道が出てくるのを待つまで、押しつぶされそうな罪悪感に体中を支配されていたその時のことを思い出した。越野は喉元から苦い液が上がってくるのを感じた。
聞き終えて、仙道は眉間に皺を寄せ、腕を組んだ。その様子に、越野は再び身体を固くした。話すことに一生懸命になってつい忘れていたが、自分が伝えたことは、仙道を怒らせるのに十分だと思った。だからこそすぐに謝りに来たのだし、人によっては、これは浮気と取られても仕方ないことだろう。越野は仙道に聞こえないように緊張の息を吐いた。
だが、仙道が次に発した言葉は、越野にとっては随分意外なものだった。仙道は、越野の顔をさも不思議そうに見つめて言った。
「どっからどう聞いても、越野は悪くないだろ。謝る必要なんかないよ」
「い、いや、でも……そうなのか?オレがもうちょっと気をつけてれば防げてたかもしれないのに……」
「そんなこと、後で言ってもしょうがないだろ。その時は分かんなかったんだから」
「それは、そうだけど……」
「事故だ、もう気にするな」
そう言って、仙道は苦笑いして越野の頭に手を伸ばし、くしゃくしゃと髪を撫でた。越野の胸の中に、うっすらと安堵が広がった。が、越野はすぐに自分でそれを打ち消した。仙道は、本当に自分を許してくれるのだろうか。嫌じゃないのだろうか。越野にはまだ半信半疑だった。
「お前は……気にならないのか?オレが、他のやつとそんなことになって……」
「だって、越野はその子に特別な感情を持ってるわけじゃないんだろ。自分で仕向けたわけでもない」
「そうだけど、でも、もしオレが嘘をついてたらどうするんだよ」
その言葉に、仙道は表情を少し落として越野を見つめた。動きを止めて、越野の目の奥をじっと覗き込む。越野は微かに心臓が跳ねるのを感じた。見つめてくる恋人は、こんなときですら、端正で美しかった。
「越野は、嘘をついてないよ。それに……」
不安そうな様子を隠さない越野に、仙道はさらりと続けた。
「わざわざ会いに来て嘘をつくくらいなら、言わないでおく方がずっと簡単だ」
そう言うと、白い歯を見せて笑った。
テーブルの上のアイスコーヒーは、すっかり氷が溶け、薄い水の層が上辺に溜まっていた。越野は温くなったグラスの中身を一気に飲み干すと、思い切り大きく息を吐いた。胃の中に溜まっていたモヤモヤが少し薄らいだような気はした。が、それも一瞬のことだった。すぐに重苦しい気持ちで胸が一杯になった。たまらず、越野は正座を崩した。
「そうは言ってもなあ。なんか釈然としないんだよな。お前は嫌じゃねーの?」
「どうしようもなかっただろ。つまり、あとは越野の気持ちの問題ってことだ」
そこまで言うと、仙道はバスケット雑誌をめくっていた手をふと止めた。
「もし、唇に感触が残ってて嫌なら、オレが上書きしてやろうか?」
上書き……。越野がその言葉の意味に驚いて仙道を見遣ると、仙道は眉を上げて悪戯っぽい笑みを浮かべていた。勘弁してくれよ、と越野が苦笑すると、仙道は好相を崩して楽しげに笑った。確かに、あのとき触れた後輩の唇の感触は、今も消えずに越野の唇の上に残っていた。仙道の言葉でそれをはっきりと自覚し、越野はげんなりした。仙道の提案は、冗談だとしても越野にとって嬉しいものではあった。自分は、仙道以外の人間とキスなんてしたくない。その気持ちを仙道が察してくれているようで嬉しかった。だが一方で、越野は自分の唇を介してあの後輩のキスが仙道の唇に移るような錯覚を覚えて、素直に喜べなかったのも確かだった。間接キスなんて、それこそ仙道が言うように気持ちの問題でしかない、とは分かっていても、複雑な気持ちは残った。それが、仙道に対する独占欲が形を変えたものだと越野は気付き、ひっそりため息をついた。
浮かない顔をしている越野に、仙道は「ふむ」と唸って腕を組み、それから顎に手を置いた。
「そうだな……。もし、越野の気がどうしても済まないっていうんなら……方法がないわけじゃないけど」
「なんだよ、それ」
越野の額に、不安げな色が乗った。
「要するに、越野の罪悪感が消えないなら、それに相当するような別の何かで置き換えてやればいいのかな、と」
「……どういうことだ?」
「本気でするのは趣味じゃないから、まあ、そういうプレイってことになるけど」
越野には、仙道が何を意図しているのか全く見当が付かなかった。それが越野の不安を増幅させた。悪いことが起きなければいいのだけれど。
「つまり……」
仙道は立ち上がって部屋の隅の棚に向かうと、そこから一枚のフェイスタオルを取り出した。洗濯済みのものをストックしてあるようだった。そして座っている越野の手を取ると、器用に後ろ手を取ってあっと言う間に手首を縛った。抵抗する隙もないまま唖然としている越野に、仙道は軽くウィンクをした。
「お仕置き、ってこと」
「それって……その、SMプレイ……ってことか?」
越野は、肩越しに自分の手首を気にしながら、恐る恐る仙道に尋ねた。突然のことに動揺しているせいか、言葉は途切れがちでぎこちなかった。
「まあ、そうなるかな。越野が罪悪感を捨てられないなら、その分“お仕置き”で相殺ってこと。それでチャラな。痛いことはしないから」
仙道はそう言うと、眉を上げてニヤリと笑った。
痛いことはしない……。仙道が言っているその意味を、越野は漠然とではあるが想像できた。手首を縛っているタオルの締め付けは、決して強いものはなかった。跡が残るレベルでもなさそうだし、何より、越野が本気で動けば拘束を外すことも可能な程度の強さだった。仙道が本気の力で縛ったら、こんな程度で済むはずがないのは、越野にもよく分かった。つまり、そういうシチュエーションプレイとして、特殊な状況を楽しむ目的で、お互いの同意の下に役割を演じる……ということなのだろう。
越野が仙道と肉体関係を持つようになって、すでに数年が経っている。しかし、越野はこれまでSMめいたこととは無縁で、同性同士とは言っても所謂ノーマルな行為しかしたことがなかった。自分がそういう嗜好を持っているとも思っていない越野にとって、多少の心理的抵抗感はあった。
だけど……。越野は思った。今回のことは、完全に自分に非がある。その上、笑って「気にするな」と言ってくれた仙道に対して、自分はいつまでも後ろめたい気持ちを捨てられずにいる。ならば、今回は罪滅ぼしに身を任せてみてもいいのかもしれない、と思った。無論、肉体的に物理的な苦痛や負傷を与えられるとしたらそれは越野であっても易々と了承するわけはないのだが、仙道がそういうことをする人間ではないということは越野が一番よく知っていた。
越野が戸惑いつつも顔を上げると、仙道は薄く笑みを浮かべて越野を見下ろしていた。もうプレイは始まっているのかもしれない。越野の中に、今まで感じたことがない感情が微かに沸いた。心臓に甘い針を立てられるような感覚。それが、性的な好奇心によるものなのか、あるいは自分の中に眠る被虐心の兆候なのかは、越野にはまだ判別が付かなかった。越野は息を吐き、喉をこくりと鳴らした。
「……分かった。どうすればいい?」
ふむ、と満足そうに呟くと、仙道は越野の身体を座ったままベッドの方に向けさせた。そして、自分はベッドの縁に越野の正面で腰を掛けた。仙道の長い脚の間に、床に座った越野が収まる形だ。
これから何が始まるのか、越野に不安が全くなかったわけではない。仙道を信頼している気持ちと、そうは言っても何をされるか分からないという危機感が、交互に越野の思考を揺さぶった。緊張した様子を隠せずにいる越野を、仙道はしばらく楽しげに眺めると、つと手を伸ばして越野の顎を持ち上げた。越野の身体が慄いて小さく震える。まともに目を合わせられないでいる越野を見下ろして、仙道は薄く笑った。
「いい眺めだな」
その言葉のつめたい響きに、越野は震えが走るような思いがした。全身の皮膚が粟立つような感覚。越野は息を飲んだ。不安はもちろんある。でも……嫌な恐怖感というわけでもない、と越野は感じ始めていた。自分を後ろ手に縛った仙道に、その無抵抗の姿をじっと見られているということが、越野が今まで感じたことがない感覚を刺激し始めていた。
越野の顎を、仙道がさらに力をこめて持ち上げた。不安げに揺れて落ち着かない越野の瞳を、仙道は口元に薄く笑みを乗せたままじっと見つめた。越野は仙道とまともに目を合わせることはできなかった。しかし、いくら目を逸らそうとしても、それなりの力で顔を向かされている以上、瞬きの合間に仙道の顔が目に映るのを避けられなかった。そしてその度に、越野は自分の心拍数が上がっていくのを感じていた。じっと自分を見つめてくる恋人の顔は、目蓋の隙間からでも、怜悧で美しかった。
どのくらいの時間そうしていただろうか。仙道が不意に、上体を屈ませて越野に顔を近づけた。越野は、恐らくキスをされるのだろうと思い、目を閉じた。予想通り、越野の唇には柔らかな感触が触れて、一、二度軽く啄ばむようなキスが落ちた。仙道の唇にはほんの数日前に触れたばかりだったはずだが、越野にとってはひどく懐かしく思えた。越野がついその舌を求めて歯列を開くと、それを合図にしたようにふいと仙道の頭の影が遠のくのを感じた。越野が思わず目を開けると、既に顔を上げていた仙道と目が合った。越野の薄く開いたままの唇に、それまで顎を持ち上げていた指を沿わせる。そのまま、唇の間に人差し指を差し込み、歯列の隙間をこじ開けた。
「しゃぶって」
目を細めて、仙道は越野に命じた。
しゃぶる……。仙道の言葉に戸惑っているうちに、越野の口内に仙道の人差し指が侵入してきた。その粘膜の柔らかさを楽しむように、舌の裏側や、頬の内側を撫で、気ままに掻き混ぜていく。越野は息を漏らし、刺激で溢れてきた唾液を飲み込んだ。その結果、舌の上で仙道の指を深く咥え込む形になった。
仙道は変わらない様子で薄く微笑し、越野を見下ろしていた。だが、越野にはひとつ気づいたことがあった。仙道は、口の中を有無を言わさず蹂躙しているようで、粘膜に爪を立てるようなことは決してしていない。口の中を傷つけないように、慎重に場所や強さを選んでいる。もっとも、仙道はバスケットボールを扱うために必要不可欠な指先の感覚を妨げないよう、常に爪を綺麗に切り揃えていることも、越野はよく知っていた。
プレイ、か……。仙道の言わんとしていることが、ようやく具体的に分かってきたような気がした。越野は、改めて仙道の目を見た。どこか楽しげな色を伴って、仙道は悪戯っぽい視線を寄越した。越野は確信した。そうか、要するにこれは、いつもの仙道だ。自分に対して怒っているわけでも、罰を与えようとしているわけでもない。言わば、「ごっこ遊び」を楽しんでいるだけだ。
そう気付くと、背中を強張らせていた不安感が緩むのを越野は感じた。それならば、この際仙道の挑発に乗ってみるのも、悪くはないと思えた。恐る恐る、越野は口内の仙道の指に舌を掛けた。それから、爪の先に舌を回し、その形をなぞる。開いた唇の隙間から、濡れた音が漏れた。
仙道の指……。越野は目を閉じた。大きな手で自在にバスケットボールを扱う仙道の姿を目蓋の裏で思い浮かべる。越野が、一番近くで憧れ続けたプレイヤーだ。その長い指が、今、自分の口内を唾液に塗れて侵している……。越野は、甘い痺れがぞくりと背中を登ってくるのを感じた。
所謂口淫行為については、越野は慣れていないわけではない。この同性の恋人と関係を持つようになって以来数年間、もう何度となく日常的に行っている行為だ。だが、こういった擬似行為をした経験はなかった。普段なら決して歯を立てないようにするところだが、越野は敢えてその長い指に軽く歯を立てた。前歯で、奥歯で、柔らかく刺激を加えながら、いつもしているように、舌先で唾液を塗りこめる。通常の行為なら、奥まで咥え込んでしまうとその大きさで口内が一杯になってしまいあまり舌の自由は利かないのだが、指ならばそういう制約もない。関節の根元から指先の爪の際まで、舌先を使って何度も愛撫を施す。それから、舌と上顎で指を根元まで挟んで包み込み、吸い上げてきつく締め付けながら、押し付けた舌を細かく前後させた。口の中で、じゅぷ、といやらしい音が響く。
「上手いじゃないか」
仙道が鼻先で笑った。目が合って、越野は全身がじわりと熱くなるような思いがした。息も乱れ始めている。こんな擬似的でしかない行為に、興奮し始めている自分を見透かされているようで、恥ずかしさが込み上げた。その上、仙道と正面で顔を向かい合わせたままでこんな行為をしているたのだ。通常の行為なら、仙道が越野の顔を見ていることはあっても、越野は仙道の顔を見ていることはない。引き締まった下腹に唇を寄せて、愛撫を加えることだけに意識を集中しているのが常だ。だが今は、息を乱して仙道の身体をいやらしく咥えている自分の顔を、正面に据えられて全て見られているということに、越野はたまらない恥ずかしさを覚えた。
目を逸らして舌の動きを止めた越野に、仙道は再び指先を動かし始めた。越野も、戸惑いながらも性的な意味合いを伴ってその指先に舌を絡ませる。その様子をひとしきり満足そうに眺めたあと、仙道は徐に人差し指を抜いた。唾液が越野の口元で細い糸を引く。指先に残る唾液を仙道は自分の舌で見せ付けるように舐め取ったあと、まだ湿り気の残る指で越野の顎を再び持ち上げた。
「越野が好きなのは、誰?」
その質問に、越野は潤み始めていた瞳を大きく見開いた。自分を見下ろす恋人の名前を呼ぼうとした。しかし、突然のことに上手く声が出ない。中途半端な形で唇が強張り、飲み込んだ息がこくりと鳴るだけだ。
「聞こえない」
仙道が越野の顎をさらに引き上げた。思わず、越野の口から息が漏れる。越野には、もはやプレイかどうかを意識する余裕はなくなっていた。目元を染めて、悔しそうに仙道を見上げる。
「オレが……オレが好きなのは、お前だ」
そう言うと、越野は苦しげに眉根を寄せて目を瞑った。
「お前だけだ……」
喉の奥から、必死に声を絞る。仙道が鼻先で笑う気配がして、越野はじっとりと頬が火照るのを感じた。
仙道は満足げに目を細めると、越野の顎をついと押し遣って離した。越野は項垂れた。吐く息が熱い。自分が肩で息をしていることに気付いた。それから、下半身に熱が溜まり始めていることも。
「じゃあ、これもできるよな?」
どこか楽しげな仙道の声が響く。続いて、ジーンズのボタンを弾く金属音。それに気付いて越野が顔を上げると、仙道は脚の間で座り込む越野に見せ付けるように、ゆっくりと音を立ててジッパーを下げた。開いたファスナーの隙間をぐっと広げると、勃ち上がりかけた形が下着越しでも分かるほどだった。
「そろそろ、本物が欲しくなった頃だろ」
そう言うと、下着に指を掛け、徐に引き下げる。越野の目の前で、反り返った自身をゆっくりと露にした。それから、裾が邪魔になると判断したのだろう、来ていたタンクトップをたくし上げると躊躇なく脱ぎ去り、ベッドの隅に軽く放り投げた。
息を飲んだまま、越野は未だ動けないでいた。仙道の要求は分かっている。散々指をしゃぶらされた結果、仙道の言うように舌がその圧倒的な質感を欲していることも確かだった。こくり、と越野は喉を鳴らした。頭の上から仙道の視線を感じながら、越野は上半身を傾けてゆっくりとそこに唇を近づけた。
「素直だな」
仙道は鼻で笑って、反り返った根元を親指でぐっと押し下げた。狙いを定めるように、越野の口元に向ける。いつもの行為であれば、これは越野が自分自身でしていたことだ。しかし今、越野の両手は背中側で自由を奪われている。越野は一度だけ悔しそうに仙道を見上げたあと、目を閉じて先端に舌を這わせた。
「ん……っ……」
越野は思わず声を上げた。両手が自由にならない状態で、上半身の動きだけで深く咥え込むのはそれなりに難しかった。それでも、自分の体温をそこに移すように、必死に舌を絡ませる。唇で締め付け、身体を使って前後させる。口内を一杯に満たされて溢れ出た唾液が、唇を伝って顎に流れた。今の越野には、それを手で拭うこともできない。越野が一度仙道から口を離して口元の唾液を舐め取ろうとすると、仙道の手が上から伸びてきて、指先で顎に流れ出た唾液を拭った。それが、仙道の優しさなのか、あるいは早く続けろという無言の命令なのかは、越野にももう分からなかった。
「仙道……」
越野は顔を上げた。前髪が汗で頬や額に張り付いているのが鬱陶しかったが、構わずに言葉を続けた。
「その……前が、ジーンズが、きつい……」
仙道は微笑したまま越野の顔を見下ろしていた。その視線が、ゆっくりと顔から下へと移るのを感じて、越野は恥ずかしさに駆られた。その部分は、既に痛いほど張り詰めて、じっとりと熱を蓄えていた。
「ふうん……」
仙道が片頬を上げて首をかしげた。両手を自分の膝に乗せて、越野に顔を近づける。喉の奥でくつくつ笑う音が、越野にも聞こえた。
「こんな状況で、興奮しちゃったんだ?」
その言葉に、越野の頬に羞恥の熱が灯った。越野は思わず顔を背けた。否定はできなかった。手首を後ろ手に縛られ、プレイとはいえ行為を強要されている状況で、確かに自分は興奮している。仙道の言葉や視線に煽られて、ある種の感覚が鋭敏になっているの確かだった。それは、肉体的な物理的刺激とは違うところで、越野の性感を危うげに揺さ振っていた。
しょうがないなあ、と呟いて、仙道が上体を屈める。そのまま長い腕を伸ばして、躊躇なく越野の下腹部に触れた。途端、越野が喉を反らせて声を漏らした。触れられないまま熱を蓄えていたそこが、びくんと反応する。張り付いた前髪の隙間から、越野が諦めたように仙道を見ていた。
かちゃり、音を立てて仙道は越野のベルトとジーンズの前を寛げた。越野が、幾分ほっとしたようなため息をついた。だがその安堵感も一瞬のものだった。仙道の口元が笑みの形を作り、今開いたばかりの越野の部分を見つめた。
「越野、随分長いこと我慢してたんだな」
促されて越野が視線を落とすと、開いたジーンズの隙間からグレーの下着が見えた。その中は、既に透明な分泌液が布地に滲んで大きな染みを作っていた。途端に、また新たな羞恥が越野を襲う。越野は唇を噛んで目を伏せた。その越野の顎を、仙道は逃さずに指先で持ち上げる。手を緩めるつもりはないようだった。
「続けて」
仙道にじっと見つめられ、越野は熱を帯びた息を吐いて項垂れた。視線を落とした先にあるものに、再び唇を寄せた。
「飲んで、って言うつもりだったけど……必要なかったみたいだな」
脚の間に座り込んで息を荒くしている越野の髪を、仙道は満足げに撫でた。汗で張り付いた前髪を、指で掻き上げる。越野の唇は、今放たれたばかりの白い粘液で濡れていた。乱れた息の間に、越野は何度目かの唾液を飲み込んだ。
「サンキュ、気持ちよかった」
目を細めて言う仙道を、越野は目元を染めて幾分恨めしげに見上げた。手首は未だに背中側に回され、自身の欲望は満たされないままだ。そこに触れることすらも許されない。越野は、もどかしそうに呻いて腰を震わせた。刺激が欲しくて、限界だった。
「さて、次はどうしようかな……」
苦しげな様子の越野をのんびりと眺めながら、仙道が言った。やがて、何かを思いついたようにふむ、と呟くと、その場に立ち上がって越野の腕を背中側から持ち上げて膝立ちさせた。戸惑う越野を気にする様子もなく、そのまま、強い力で下着ごと越野のジーンズを膝まで引き下ろした。越野の、勃ち上がり切った部分が露に揺れた。中途半端な露出をさせられ、越野は気まずさを覚えた。そして、仙道がこれから何をするつもりなのか、再び不安感が胸を覆った。
仙道は、そのままの位置でまたベッドに腰掛けた。それから、ここでようやく越野の手首を縛っていたタオルを外した。越野が心底ほっとした表情で息を吐いていると、仙道はベッドの枕元の引き出しから、チューブを取り出した。二人が行為を行うときにいつも使っている、潤滑ジェルだ。
鼻歌でも歌いだしそうな表情で、仙道はチューブの蓋を開けた。そして、首をかしげて越野の顔を見遣る。そのままチューブの先を越野に向けて、手を出すように促した。
何を……?越野が仙道に尋ねるより早く、やっと自由になった越野の右手の手のひらに、透明なジェルがたっぷりと落とされた。不安げな目で仙道を見つめる越野に、仙道は薄く笑んで告げた。
「自分で、解してもらおうかな」
その言葉に、越野は息を飲んで仙道を斜めに睨んだ。
「ここで……か?」
「もちろん」
仙道は楽しげに頷いた。
越野は舌打ちでもしたい気持ちになったが、悔しいことに、仙道の表情には有無を言わさない強さもあった。結局越野は、これもプレイのうちだ、と自分に言い聞かせ、仙道の要求に従うことにした。他の選択肢が与えられているようにはどうしても思えなかった。
ベッドの縁、仙道が座る脚の間の隙間に、越野は頬を預けた。それから、ゆっくりと腰を上げて、右手をその部分に近づけた。知らず、喉がこくりと鳴る。抵抗感はあった。なにしろ、こんな行為を仙道の前でしたことなど今まで一度もなかった。セックスのときはいつも、仙道がゆっくりとそこを愛撫して、丹念に緊張を解いてくれた。それに甘えていたといえばそれまでなのだが、越野にとって今からしようとしていることは、自慰行為を晒すようにも思え、相当な勇気が要ることだった。
頭の上から、仙道が自分を見下ろしてくる視線を感じた。もう、逃げられないのだと。越野は諦めにも似た気持ちになった。小さく覚悟を決めると、手のひらに溜まっているジェルを指先に塗り込め、その場所に押し付けた。
つぷり、と中指の先が狭い入り口を分け入った。越野はベッドに頬を預けたまま息を吐いた。もう少し力を込めて、その先まで指を侵入させる。中で小さく動かすと、身体から力が抜けていくような特殊な快感があった。思わず声が漏れる。
「今、どうなってる?見えないから教えて」
越野は、閉じていた目を薄く開けた。心の中で畜生、と呟く。
「今……一本、入ったところだ……」
絶え絶えの息で、ようやく答える。仙道が言葉を続けた。薄く笑っているのが分かるような声色だった。
「一本じゃ、足りないだろ?」
「分かってる……!」
中指をゆっくりと埋め終えると、越野は一度それを抜き出し、人差し指を添えて再び中に滑り込ませた。狭い入り口が指先を締め付ける。それを、小刻みに指先を動かしながら、少しずつ和らげていく。喘ぎ声が漏れるのを、越野はもう止められなくなっていた。堪らず、越野は空いている左手で硬く勃ち上がり切った自分自身に指を掛けた。先端は、既に雫で濡れていた。
「待った」
様子を眺めていた仙道が、その左手を取った。
「や……」
驚いて顔を上げ、嘆願するような目を向ける越野を見下ろすと、仙道は
「こっちは、まだ禁止な」
からかうような表情を浮かべ、越野の手首をしっかりと取り上げた。
「ちゃんと解さないと、どうなるかは……自分で分かるよな?」
言い含めるような仙道の声に、絶望感にも似た思いが越野の身体を貫いた。越野の最も敏感な部分は、今や刺激を求めてびくびくと震えていた。
「くっ……そ……!」
越野は仙道に握られている左手の拳に力を込めた。もちろん、仙道の握力は越野の力で振りほどけるようなものではない。越野にもそれは分かっていた。ささやかな、悔しさの発露に過ぎなかった。越野にとって、これがプレイであるかどうかは、もう意味を成すものではなかった。ただ、焦らされ煽られて行き場のない体内の熱を、早く放ってしまいたかった。
早く、早く……。その思いだけで、越野は右手の指を動かすのに集中した。二本の指を奥まで埋め、揃えた指を少しずつを回す。じわじわと、粘膜が広げられていくのを感じる。仙道が行為の際にいつも越野に施すやり方だ。指の根元を使って十分にそこを寛げると、越野は指をさらに一本増やして、狭い隙間に進入させた。堪らず、越野は喉を反らして切なげな声を上げた。頬を預けたベッドのシーツが、撚れて皺を作った。
このままイってしまえたらいいのに……。越野は歯軋りした。浅い呼吸を繰り返しながら、秘肉に送り込んだ指の動きを早める。しかし、徐々に熱を帯び始めたそこは、動かせば動かすほど、もっと大きな質量を求めて越野を駆り立てるだけだった。
「今、何本?」
仙道がストレートに尋ねる。口元には、相変わらず薄い笑みを浮かべていた。越野は額に汗を浮かべて、舌打ちをする代わりに苦々しく答えた。
「三本……だ……」
「そうか。もうちょっとかな」
「もう……」
仙道の視線を感じながら、越野が悔しそうに言葉を続けた。
「もう、十分だ……。早く……!」
越野の頭の上から、哀れむようなため息が聞こえた。
「……早く、何?」
仙道が殊更ゆっくりと尋ね返す。越野は眉間の皺を深くした。予想はしていたけど、やっぱり言わせるんだな……。越野は諦めたようにシーツの上でかぶりを振った。
「欲しい……。挿れて欲しい……!」
仙道は、越野の左手首を握っていた力を、無言で緩めた。疲れ切ったように、越野がぽとりと腕を落とす。荒い呼吸で上下する背中は、汗でTシャツが張り付いていた。その腕の下に、仙道が両手を差し入れて越野の上体を持ち上げた。越野が戸惑うように顔を上げる。つ、と額から汗が一筋流れた。
「脱いで」
越野が見上げた仙道は、眉毛を下げて苦笑いを浮かべていた。さっきまでの、傍観を決め込んでいたような薄笑いとはいくらか違っているように越野には見えた。促されて越野がジーンズから脚を抜き、Tシャツを脱ぎ去る間、仙道も前を寛がせていただけのジーンズと下着を脱ぎ落とした。一度越野の口内で精を放ったそこは、再び十全に膨張して硬く反り返っていた。
仙道が越野をベッドの上に引き上げ、四つに這わせる。その背中の上に、仙道がゆっくりと身体を重ねた。熱を持った越野のその箇所に、仙道の硬い先端が触れる。越野の背中がびくんと跳ねた。仙道は越野の耳元に唇を寄せた。
「……よく頑張ったな」
柔らかい声だった。
「欲しかったんだろ?」
その瞬間……越野の全身を、甘い痺れが貫いた。腰が砕けそうになるのを、越野は必死で耐えた。上半身を支える肘の力が抜けて、越野は項垂れた頭を何度も何度も頷かせた。ここまで抑え付けられていた欲求が、留めようもないほど一気に越野の意識を支配した。膝ががくがくと震えた。
「早く……!欲しい……」
意識せず、越野は叫んでした。懇願するような声色になっていた。
仙道は、越野に使わせたジェルを自分の手にも落とし、たっぷりと自分自身に塗りつけた。そして根元に親指を添えると、越野が自ら解した入り口へ先端をぐっと宛がった。
「慣らしてあるんだろ……?一気に挿れるぞ」
その言葉も、今の越野にとっては全身が震えるような喜びをもたらすだけだった。越野は頭を伏せ、じりじりとその瞬間を待った。
濡れた先端がひたりとそこに触れたかと思うと、すぐに強い力で粘膜が押し開かれた。越野が切なげな声を上げた。ずっしりと圧倒的な体積を持ったそれは、狭い内壁の間を容赦なく進入し、越野の体内をぎっちりと満たしていく。越野の唇から震えた声がとめどなく漏れた。その声は泣き声のようにも聞こえた。しかしその身体は、背を反らせて身を捩じらせながら、ようやく与えられた快楽を奥へ奥へと飲み込んでいくようだった。
越野は手の中でシーツを握った。そうしていなければ、意識が飛んでしまいそうだった。ゆるゆると動き始めた仙道の身体は、確かに、越野の一番感じるところを正確に突いていた。その度に、越野は体内が熱く溶かされていくように感じた。今まで、もう数え切れないほど交わした行為。仙道の身体は、最早越野の体内を知り尽くしている。抗うことなど、不可能なのだった。焦点を結ばない瞳をうっすら涙で滲ませて、越野は叫んでいた。
「仙道……好きだ!好き……だ……!」
その言葉に、仙道は越野の横顔に後ろから唇を寄せた。そのまま、深く口付ける。触れた唇は、越野と同じくらい熱かった。
その唇を名残惜しそうに離して、越野が切れ切れの声で訴える。
「仙道……オレ、もう、イきたい……!」
「まだ駄目」
越野の快楽の芯は、仙道の右手で根元をきつく締めつけられていて、射精を封じられていた。
「も……無理……ッ!出る……!」
「駄目。お仕置きなんだから、我慢して」
仙道の声は、どこかおどけているようでもあった。しかし、越野を攻め立てる動きに容赦はなく、狭い内壁の中を確実なリズムで打ち付けていく。越野は首を振り、苦しげな声を上げた。きつく閉じた目蓋から、幾筋か涙が流れる。
「や……あああ……」
越野の全身ががくがくと震えた。体内の収縮が、仙道の形をきつく締め付けていく。仙道が右手を緩めて越野を包み込んだ瞬間、越野は行き場を失っていた熱を全て吐き出した……。
「興奮した?」
額に浮いた汗を、仙道はタオルで拭ってテーブルの上に置いた。数十分前、越野の手首を縛っていたタオルだった。一度ベッドから立ち上がると、棚から新しいタオルを取り出して越野に手渡す。越野は、うつ伏せのままベッドの上に身体を横たえていた。その目元には、涙が乾いた跡と、いくらかの気まずさが残っていた。越野は仙道からタオルを受け取り、そのまま手を身体の横に下ろした。
「お前、ほんとに怒ってねえの?」
照れ隠しのためか、越野がいくらかぶっきらぼうに問う。仙道はきょとんと越野の顔を見返すと、そのままふんわりと頬を緩めた。
「初めから怒ってなんかないよ」
「でも、お前……」
いくらか躊躇うように、越野が言葉を探す。
「その……。やることが上手すぎるんだよ……オレ、途中からプレイだとは思えなくなってた」
「上手い、か……」
仙道がニヤリと視線を寄越す。
「確かに、随分感じてたみたいだな」
仙道の言葉に、越野は顔がかっと熱くなるのを感じた。耳を塞いで思い切り大声を出したいような気分だった。越野は、さっき受け取ったタオルを勢いよく頭から被って、仙道に背を向けた。鼓動が早まるのを止められなかった。
確かに……。越野は唇を噛んだ。欲情を煽る仙道の目線に、言葉に、普段以上に身体が敏感になっていたことは否定できなかった。仙道から浴びせられた言葉を思い出すだけで、先ほどまでの狂おしい行為の余韻が蘇ってきて、身体が反応してしまいそうだった。形の上ではただのプレイでも、越野にとってはそれ以上の意味を持っているように思われた。結果として、自分がいかに仙道を欲しているかを、改めて身体に刻み付けられてしまった。そう思うと越野はいくらか悔しいような気もして、握った手のひらにひっそりと力を込めた。浮気など、そもそもできるわけがないのだ。
そこまで見越してこのプレイを提案したというのなら、仙道は大した策略家と言っていいだろうが……。越野は身体を捻ると、ちらりと仙道に顔を向けた。目が合った仙道は、気の抜けたような幸せそうな顔をした。この男が、そこまでのことを考えているかは、越野にははっきり言って疑問だった。
それよりも、越野にはもっと具体的に向き合うべき問題があった。越野がそのことを切り出そうか迷っていると、仙道がぽつりと口を開いた
「その、ゼミの後輩はどうしたもんかなあ。面白がってるだけならいいけど」
越野はこくりと喉を鳴らした。
「そうなんだよ……。とりあえず、もう二人きりになるようなことはしないよ」
「うん、それがいいだろうな」
仙道が越野を労わるような目をした。嫉妬心からというよりも、そのことで今回のように越野が苦しむことを危惧しているようだった。
「いっそ、“彼氏”がいる、ってバラしちゃえば?」
そう言って仙道は楽しげに笑った。冗談で言っていることは明らかだったが、
「……それも、いいかもな」
予想外の反応に目を瞬かせた仙道に、越野は「冗談だ」と首を振った。心のどこかで、それも悪くないかもしれないと思っていた。
結局、自分の心が仙道から離れることはないのだから……。
―終―