ほんとは分かってたんだ。
窓から入る夕陽が、仙道の指先をオレンジ色に照らしてた。
オレは、それをぼんやり見てた。
ずっと遠くから、グラウンドの野球部のランニングする声が聞こえてた。
土曜日の課外の後の教室は、たいていこんな風に静かで。
夏で部活を引退してから、どういうわけかこうして二人で過ごすことが増えた。
結局3年間、腐れ縁で一緒だったチームメイト。
別に、何か話すことがあるわけじゃない。
何するってこともない。
ただ、そこらの机に腰掛けて。
夕焼けの色が辺りに映らなくなるまで。
もうじき、こんな無為な時間を過ごすこともなくなるのだろうけど。
「なー越野、」
2コ隣の机の仙道が、こっちを向きもせず言った。
「……なんだよ」
自分の声は、なんとなくだるそうに響いた。
別に、なんか喋ってなきゃ間がもたないって仲でもねーだろ、なんて思ってたら、
仙道は、また黙った。
うんと遠くで、野球部の金属バットの鳴る音が響いていた。
そして、そのあと聞こえてきたのは
「好きだ、って言ったら、どうする?」
独り言みたいな仙道の声。
聞き間違いだったら、良かったのに。
オレは唇を噛んで俯いた。
「……な、何言ってんだよお前、」
クソ、声、震えてやがる。
「てか、冗談だよな?」
顔を上げて、必死に苦笑いしてみたけど、
見慣れた横顔は何も言わなくて。
「ウソだろ?」
何とか言えよ。
「なんで……」
手のひらに汗がにじんだ。口が渇いた。
「なんでそんなこと今言わなきゃなんねーんだ?」
辛くて、座っていられなくて、オレは椅子から立ち上がった。
「無理だろ?」
……やべえ、なんか泣きそうかも。
「そんな、なんで、」
息が詰まりそうだったけど、それでも、
「今までのままじゃダメなのかよ」
それでも、何か言葉を声にせずにはいられなくて。
「オレら……男じゃねーか」
……おい、こんなこと言ってどうなるんだよ。
「何ができるってんだよ」
こんなこと言ったって、
「もうじき、受験で卒業だってのに、そんな、何ができんだよ!」
ああもう何言ってんだよオレ!こんなこと仙道に言ってもしょうがねーだろ!!
「オレに、一体どうしろってんだよ!!」
仙道は、そんなオレにも特に表情を変えなかった。
まるで、反応を予測してたみたいに。
うん、そうだよな、とかそんなことを言って、仙道は鼻の頭をかいた。
教室の中は、また静かになった。
息を飲む音が聞こえてしまうくらい。
だけど、耳の奥では心臓の音がうるさいくらいに響いていて。
身体がこわばって、オレは立ちすくんだまま何も言えなくなった。
オレは、力の入らない拳を握り締めて仙道の反応を待つことしかできなかった。
「……それじゃ、」
仙道が、何か思い出したように急にこっちを向いた。
「1個だけ頼み聞いて」
柔らかい眼差しで見上げてくる。
ずきん、と、痛いほど打った鼓動を悟られないよう、オレはことさら不機嫌そうに視線を返した。
仙道の表情は、いつもと変わらず穏やかだった。
「キスさして」
……!!
「一回だけ。それで、もう忘れる」
――忘れる。
お前は、それで忘れられるんだな?
そんなら、
「……ああ、分かった」
そんなら、さっさとそうしてくれ。
「一回だけ、だな?」
オレの無愛想な確認の言葉に、仙道は目で頷いた。
ガタッと机を鳴らして立ち上がると、そのままオレのまっすぐ前に立った。
長い廊下のずっと向こうで、誰かの帰っていく足音が小さく遠ざかっていく。
仙道の大きな右手が、オレの左耳にそっと触れる。
胸の芯が、疼く。
仙道の、深い色をした瞳が、少し近づいて。
オレは小さく息を飲んだ。
……辛くなるから、そんなムード出すな。そんな目で見んなよ。
それから、仙道の眼差しから逃げるように……目を閉じた。
仙道の吐息が、かすかに鼻先に触れる。
――これで、忘れるんだろ?
目蓋に、唇に、痛いほどの視線を感じる。
――だったら、早くしろよ。
オレは、もう一度ぎゅっと目を閉じなおした。だけど……
ふっ、と、小さな溜息みたいな音と一緒に、仙道の頭の影が少し離れた気がした。
……?
オレは、眉間の皺を少し解いて、半分目を開けた。
当たり前だけど、仙道の顔はびっくりするくらいすぐ近くにあって。
そしてオレがいきなり目を開けたりするから、仙道はちょっと驚いたようで。
それから目の前の友人は、眉尻下げてククッと笑った。
「越野、顔真っ赤だよ?」
そう言った仙道の笑顔は、ひどく悲しそうにも見えた。
どうして、そんな顔する?
これで、いいんだろ?
忘れるんだろ?
「……越野、」
これで。
「泣くなよ」
その声が急に近くなって、嗅ぎ慣れた微かな匂いが鼻先をかすめた。
仙道のムースの匂い。
と、唇に温かく触れているのは、
思いのほか柔らかい、仙道の……唇。
どこか非現実的なその感覚に、くらりと引きずり込まれそうになる。
仙道……。
ジリッ、と、胸の疼きが騒ぐ。
……やばい、マジやばい!ダメだ!!
とっさに……オレは仙道の肩を突き放した。俯いて、頭を強く振った。自分を、いつもの常識に引き戻すために。
そのまま何も言わないオレに、仙道は
「……」
悔いるように長いまばたきをすると、
「ゴメン」
そう言って、
「やっぱヤだったな」
苦笑した。
……違う。
違う、そうじゃない。
「ゴメン」
そんな、謝るな。
だけど、声が出ない。
オレは、にじんだ涙を収めるのに必死だった。
動けなかった。
夕陽の色も薄れた天井を仰いで、仙道は長く呼吸した。
まるで、この教室の今の空気を、記憶に大事に刻んでいるような。
まばたきと一緒に最後の息をゆっくり吐き出すと、
「ホント悪かったな」
もう一度そう言って、今度は笑顔を見せた。
それは、どこかすっきりしたような表情。
息が、止まりそうになった。
心臓を締め上げられるようだった。
……頼むから、そんな風に笑うな……。
握った手のひらに爪がくいこんだ。
「それじゃ今日はオレ、一人で帰るな」
滞りかけた空気を破って、仙道がきまり悪そうに笑って言った。
オレのこわばった肩に、その大きな手をポンと置く。
足元の荷物を持ち上げる途中、仙道はふと腕を止め、肩越しにこっちを振り向くと。
「また明日な」
……その顔を、もうまともに見ていられなかった。
オレはただ、うなだれるように頷いた。
仙道はちょっと安心としたような表情をした後、右手をひらひら振って歩き出した。
そしてその手を下ろしてドアを開けた。
仙道が教室を出ていく後姿が、妙に視界に焼きつく。
これで、いいのか?
このままにしてしまって、いいのか?
ほんとにいいのか!?
「待て仙道!違う!聞け!!」
オレは教室のドアを飛び出すと、廊下の仙道の背中に叫んだ。
仙道が立ち止まり振り返る間、ジリジリする気持ちをようやく抑えて。
震えて詰まりそうになる喉から、必死に声を絞り出した。
「オレは――。」
知ってる。
ほんとは分かってた。
お前の気持ちも、
それから、
自分の本心も。
終
ひとくちメモ
書いてみたかったんす。