欠片。






雑踏の中友人の声がして振り返った。まさかこんな所に居る訳が無いと思い、再び歩き出そうとしたその時。
「もうっ!ってば〜!!」
肩を掴まれて足を止めた。やっぱり呼ばれてたんだ。
「何度も呼んだのにっ!」
「ごめん。ちょっと考え事してた」
そう、私は今、友人よりもこの手の中にある雑誌を早く読みたくて仕方が無いのだ。
「これから仕事?時間があるならちょっとお茶でもどう?」
どこでも目にするコーヒーショップを目で指しながら、その子は歩き出した。
…まぁいいか…雑誌は逃げないんだし。

「ねぇさー、何か…あった?」
「な…なんかって、なによ」
内心ドキリとする。今の私に「何か」心当たりがあるとしたら、あの人との事しか無い。
「うーん…悔しいけどさ、キレイになったよね」
女の勘とは怖いものだ…。
しかしキレイになった、という友人の言葉は素直に嬉しかった。少しでもキレイになってあの人と釣り合う女性になりたい。
私の複雑な表情を訝しく思ったのだろう、友人は「ワケありなんだ」と言うと、それ以上何も訊いて来なかった。
ごめんね、ありがとう。いつかキチンと話すよ。

「で。さっきから気になってたんだけど、、いつから碁に興味を持ったの?」
私がさっきまで大事そうに抱えていた雑誌を指差しながら言う。
早く読みたいと気が逸っていたのは、この碁雑誌の事だったのだ。勿論目当ては先生の記事。
「んー…何となく」
「何となくってなによ」
ちょっとツッこまれて、「何となく囲碁雑誌を買ってしまう」なんて有り得ないか、と自分でも苦笑してしまった。ウソは苦手だ。
「でもまぁ、買っちゃう理由も分かるけどね。だってさ、最近の囲碁界ってカッコイイ人多いでしょ?」
「そ、そうなのよ」
ぎこちなく相槌。へぇ、そうなんだ…先生しか見てないから知らなかったよ。
友人は雑誌を手に取って、パラパラとページをめくった。
「例えば、ホラ、この子なんて可愛くない?」
友人が指差した先には、黒髪の男の子。落ち着いた雰囲気が制止した写真画からでも窺える。
「塔矢アキラ君だって」
塔矢…。そうか…この子が先生の息子さんか。息子さんもプロ棋士だという事位は知っていたけど、顔を見たのは初めて。
先生に似ているけど、似ていない部分もある。それは…もう半分の血、つまり奥様の要素が混ざっているからなワケだ。
「なによー、今日のはノリ悪いなぁ。いつもなら美少年に目が無いのに」
口を尖らせる友人に「そんなに飢えてないわよ」と笑って返す。

友人は自分の近況を話すだけ話すと、用事があるからと帰ってしまった。
私も丁度仕事の時間になったので、職場に足を向ける。

今日は早上がりなので仕事明けに、先生と会う約束をしていた。そうなると、断然仕事に身が入る。





「どうした?キライなものでもあったかな」
突然口をつぐんだ私に、先生も箸を止め心配して訊いてきた。
有名旅館の経営する割烹料理店の一室に案内され、並べられた料理に舌鼓を打ち、いつもの様に他愛も無い話をしていたのだけど、やはり心の隅に友人と見たアキラ君の顔が浮かんでは消える。
別にアキラ君に罪悪感を感じているとかそういうんじゃなく、ただ、アキラ君の事が少し…気になる。それは、彼があの人の息子だから。そして先生がアキラ君の事を何も話して下さらないから。

「ねぇ先生?アキラ君の事、大切に想ってる?」

どう考えても不自然な話の流れに、先生も少し困った表情をした。いけない…先生を困らせてる。
「今日、アキラ君の写真を雑誌を見たんです…先生に似て、すごく知的なカンジ」
「ハハ…そうかね、知的かな。でも意外にアキラもドジなところがあるんだよ」
柔らかく笑う姿は父親のそれで、そういう姿がまた、私の胸を締め付けた。

「ついでに訊いちゃってもいいですか?あの…奥様のお名前は?」
「明子、だよ」
先生は少し間を置いてから答えた。
「じゃぁ、奥様の事愛していますか?」
今度はなかなか答えてくれない。
「意地悪で言っているんじゃないんです。ちゃんと正直に答えて下さい」
「…愛しているよ」
「アキラ君の事も?」
「勿論だよ」
先生は大きく溜息を着いた。ごめんなさい、私たちの関係を憂いでいる訳ではないんです。先生からこの答えを聞きたかっただけなんです。
「いい答えが聞けて良かった。私は『奥様を大切にし、お子さんの事もキチンと愛している塔矢行洋』を好きになったんです。だからご家族の事を意識的に隠したり、話を逸らしたりしないで欲しいんです」
「…ありがとう」
先生は驚いた顔をした後、優しく笑ってお礼を言った。
「お礼なんて…」

「しかしこういう時、向かい合わせの席というものは困る」
「はい?」
「今すぐ君に触れたくても、料理が邪魔で叶わない」
私の顔が赤くなるのが自分でも分かる。やだ、先生…そんな色っぽい事、言わないで。

「酌を頼もうかな」
「はい…」
お酒の入った器を持って、先生の隣に座る。先生がおちょこを差し出したのでそれにつごうとしたのに…手が震えて上手く注げない。
「ご、ごめんなさい」
先生は無言で私の手から器を取ると、台に置いた。その手がそのまま私の頬に伸びる。先生の手が触れた部分だけじんわりと熱くなる。
自然に先生の顔が近付いた。
私も自然に目を閉じようとしたのに、上手くいかず、固くつぶってしまう。先生とはもっと大人のキスをしようと思っていたのに実際は緊張のあまり予定通りになんていく訳が無かった。
目を閉じてしまったから先生の表情が見えないのが少し残念…。
女の子は一瞬の内に沢山の事を考えるものだ。

唇に少しだけ暖かい感触がして体が強張る。一瞬触れたかと思うと、すぐ離れ、再び彼の唇の暖かさを感じる。何度か唇をついばむように繰り返すと、先生が手を離したので私も目を開いた。


キス…しちゃった。
先生が私に…キスしてくれた。

キスだけなのに涙が滲む。
もう、どうしよう…どうしよう……嬉しい。


「済まない…」
泣き出してしまった私に、先生は驚いたようだ。
私は首を振って答えた。
「先生は笑うかも知れないけど、その…嬉しいんです」

先生は相変わらず優しく微笑んでくれた。きっとこの笑顔はアキラ君や奥様に向ける笑顔とは又違ったものだろうなと、あつかましくも思う。
先生はその大きな手で私の涙を拭き取ると、頬に唇を寄せた。

「さ、自席に戻りなさい。最後のデザートがそろそろ運ばれてくる」
ここのデザートがこれまた絶品なのだよ、と笑う姿が本当に愛しい。



「先生?」
「どうした?」
「これから、沢山ご家族のお話聞かせて下さいね。そうして先生の事もっと好きになりたい」





* * * * * * * * * * * * * * *

チュウしました。キャッ!
でもまだディープじゃないよ。
先生は昔の人だから(←失礼)いきなりディープなのはしないの。
ゆっくり少しずつ段階を踏んでキスもしてくれるの。
でもチュウのシチュエーションになっても自分から近寄らない。
コレが行洋流(笑)

しかし先生とのデートってどこに行けばいいのでしょう?
ううむ…やっぱり難しい…。

03.04.05



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