きれいな悪夢。






500年以上もの歴史のある和菓子屋の菓寮。落ち着いた店内には同じく落ち着いた物腰の客がよく似合う。
初めて行洋とがこの店で会ってから、行洋は数回この菓寮を訪れていた。

さん?おーい、さんってば!」
「は…は、はいっ!」
「また先生に見惚れてたの?じゃぁお茶のおかわりでも煎れて差し上げれば?」
先程と茶の葉の種類をこっそり変えて、盆に乗せる。

「見惚れていた」とは何と的を得た表現なんだろう、とは茶を運びながら顔を赤らめた。
……見惚れていたのだ、自分はあの人に。自分の父親の歳とそう変わらぬであろう、あの人に……。
時々とても難しそうな顔をして目を閉じたり、かと思うと、菓子を口に運んで嬉しそうに独り微笑んだり。彼の小さな表情の変化を見る事が出来るだけで、はとても幸せだった。



「先生、おかわり如何ですか?」
「ありがとう。でも遠慮しておくよ。もう閉店の時間も近い」
「そんな事、お気になさらないで下さい」
いいながら湯飲みをさげ、新しいものを出そうとするを柔らかく制した。
「店を変えて、ゆっくりするよ」
「そうですか…」
余りにもがしょんぼりしてしまったからであろうか、行洋は困った顔をして「やはり頂こう」と新しい湯飲みを手に取った。

「君ももう上がれるのかね?」
「あ…はい。閉店後の作業は他の者が致しますので、閉店と同時にあがります」
「では…」
「はい?」
行洋が何か言いかけたので聞き返す。
「…いや…何でもない」

「ごゆっくりどうぞ」
軽く会釈をして、彼に背を向けたを行洋が再び呼び止めた。
「では…仕事の後、少し付き合ってくれないかな」
「……へ?」
自分の聞き間違えではないかと、は間抜けな返事を返してしまった。
「イヤならいいのだが…」
「とっ、とんでもない!光栄ですっ!」
大きな声を出してしまい、先輩の店員に睨まれてしまった。
「ホラ、先輩が怖い顔になっている。早く行きなさい」
「はい。では又後程…」


まさか自分から誘ってしまうとは…行洋は自分でも驚きを隠せない。自分の誘いを嬉しそうに受けたの真意が掴めずに、行洋はの煎れた茶を飲みながら大きく深呼吸をした。





「ご苦労さま」
「お待たせしました」
店の外で待っている行洋が見えると、裏口からが駆け寄ってきた。
「私の知っている店でもいいかね?」
「はい」
ニコリと笑って答えるにつられて、行洋も笑顔になってしまう。そんな自分に気付き、咳払いをしながらタクシーを止めた。
を先に乗せ、その隣に座る。
は緊張のあまり、不自然なまでに姿勢が良くなってしまった。
「ハハ…そう固くなることは無いよ。そう言えば、最後に煎れてくれたお茶は違う種類だったような気がしたが?」
「わー、やっぱり気付いてくださいました?さすが先生!」
は人差し指をぴっと立て、得意げに茶葉の説明を始めた。
「しかし、茶葉を変えるとなると、料金も…」
普通なら違う種類の茶葉に変える場合は更に料金が追加される筈なのに、料金に変化が無かった事を行洋は気にかけた。
「実は先輩に内緒でやっていたんですが、見付かっちゃって…」
「こら、私の為に怒られる事は無い」
「それが、皆先生のファンだから許してくれて、店長にだけは見付からないように気を付けなさいって」
いたずらっぽく笑うに、気が付けば行洋は惹き込まれていた。



「先生ってイメージ通りの方ですね」
タクシーから降り案内されたのは、入口は薄明かりになっていて、出で立ちだけでも充分情緒のある料亭。あまりに行洋のイメージ「そのまま」で、は笑ってしまった。
「予約をしていないのだが、2人、大丈夫かね」
店の女将だろうか、和服の似合う年配の女性は快く頷くと、2人を個室に案内した。
「要予約」の店なのだと分かると、は先程の緊張が甦ってきてしまった。高級そうな料亭。は自分の服装をチェックし、ジーンズを穿いて来なくて良かったと肩を撫で下ろした。



行洋が注文してくれた料理が次々と運ばれ、はそれらをキレイに平らげた。
「おかしいなぁ…普通は緊張して喉を通らない筈なのに…あまりに美味しくて緊張も忘れちゃいますね」
「それは本当に良かった。沢山食べなさい」
「はい」
素直に頷くが微笑ましい。
行洋は意を決して、話を切り出した。

「実は…私には昔、妻と出会う前に付き合っていた女性がいてね。その人の名前は…」
って…私と同じ…」
「それだけじゃない。君は…その…言いにくいのだが…彼女と瓜二つ、なのだよ」
箸を止めて、は行洋を見詰める。行洋はそんな彼女から少し目線を逸らすと、話を続けた。
「碁が軌道に乗った時期で、別れてしまってね…今思うと、ひどい別れ方だった」
「後悔していらっしゃるのですか?」
「その時は、碁しか見えていなかった…若かったのだね。碁も…彼女も、両方大切だと言うのは弱い者のする事だと勘違いしていた。碁の為に愛した女性位捨てられなくてはプロも務まらないと、可笑しな美学を持っていたのかも知れない」
行洋は日本酒で口を潤すと、すっかり箸が止まってしまったに頭を下げた。
「こんな話…聞かせてしまって済まないね。気分を害したろう?」
「いいえ。話して下さって嬉しいです。今まで自分の顔を余り好きだと感じなかったのですが、この顔で良かったと生まれて初めて思いました。この顔だったから先生と出会えたんですもんね」
「そんな寂しい事を言ってはいけない。君はとても可愛いよ」
「えへへ…お世辞が上手いですね」
「お世辞など言わないよ。私がもっと若かったら、一目惚れしていただろうな」
言いたい事を全て伝え終えた安堵感から、自然と酒の量も増える。


「私も先生に一目惚れ…でした」


の言葉に、行洋は酔いが覚める思いがした。
が行洋の誘いを嬉しそうに受けたのは、自分の事が好きだからと行洋は理解し、それはいけない、と心の中で叫んだ。行洋だけの一方通行の恋心で終わる筈だったのに、互いの想いが通じてしまったら、それは辛い恋になる。
しかし…の気持ちも正直嬉しかった。

「先生って和菓子みたいですよね」
黙ったままの行洋に気を遣ってか、が口を開いた。
「私が?和菓子みたいかね?」
「和菓子って奥が深くて、芸術品のように美しくて…そして美味しい」
は立ち上がり行洋のすぐ隣に中腰でかがむと、彼の頬に唇を寄せた。
…くん…!」


「先生の事、食べても…いいですか?」





* * * * * * * * * * * * * * *

とことん囲碁から離れた話になっています。
どう考えても院生とかプロ棋士設定とか、上手く書けないと思いまして。
こんな話でもついて来て下さる方がいたら嬉しいな。

行洋氏が歴史小説口調になっちゃいそうで;;
「そなたは〜」とか「〜であろう」とか(笑)
あとどうしてもぶっきらぼうな口調になっちゃう。
あ、でも結構ぶっきらぼうでいいのかな。口調はぶっきらぼうでも、声のトーンに温かみがあって…カンジかしら。

それからヒロインの事は「さん」と「くん」どちらの呼び方の方がいいのでしょうか…。
難しいです…ほんと(T_T)

相変わらず続きます…。

03.03.27




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