空言の恋。






私は春が好きです。麗らかなこの季節が1番好きです…。行洋さんは?



丁度見頃の桜の下を歩きながら、過去の記憶が自然と甦る。
ふぅ、と小さく息を吐いて立ち止まった。
思い出さない訳がない。忘れられる筈が…ない。
「きみは、桜がとても好きだったね」
柔らかな春を共に過ごせたのは1回だけ。

桜よりも、彼女の方が綺麗だと…。

「伝えられなかったのを何十年も経った今尚後悔しているなんて…」


声に出して言うと、可笑しくて乾いた笑いがこみ上げる。
その時ベンチから立ち上がって手を振る少女が視界に入り、私は夢を見ているのではないかと我が目を疑った。
もう2度と会えないだろうと思っていた想い人が、昔のままの姿で、あの時と変わらず桜の下で、私に手を振っている…。

「先生〜!」

呼ばれてはっとした。
「あ…あぁ、少しボーっとしてしまったみたいだね…」
「先生?顔色が良くないみたい」
澄んだ瞳に見つめられて、思わず目を逸らしてしまった。
「そんな事はないよ。それより、待たせてしまったね」
そう、私は2人分の飲み物を自販機まで買いに行ったのだ。それなのに、こんな郷愁にかられてしまって…。

「先生が買ってくる缶ジュースって何だろうって考えてたんですが…案の定」
「案の定…?」
「はい、きっとお茶だろうなと思いました」
私が手にしている缶を指差しながら、彼女特有の無邪気な笑いを見せた。
「他のジュースではどんな味かわからないだろう?そんな物を君に買って行けないよ」
本当は悩みに悩んで結局緑茶を選んでしまったのだが、そんな事を言ったら更に笑われそうなので黙っておくことにした。


2人並んでベンチに腰を下ろすと、君は早速缶を開けた。プルタブの開く特有の音が今日は新鮮に感じる。
「なんだか今日はヘンに暑いですね」
「夏が勇み足を踏んだようだね」
春とは思えないような暑いくらいのこんな日に熱い茶を飲む私と、爽やかに冷たい茶を飲む君と…。
熱いお茶と冷たいお茶。
私と君の距離を物語っているようで、嫌になる程胸が痛い…。

「私は穏やかな春が好きだよ。君は?」
「私は…うーん…あんまり好きじゃないです。ダラダラした締まりのない気温がイヤ」

…彼女は私と同じ季節が好きだった。
でも、君は春が好きではないと…。

彼女とこの子はやはり違うのだと、こんな時に感じてしまうのは不謹慎だろうか。
しかし、思い出の人と違う所があったというのが逆に愛しい。
今この時、君の事を愛しく思う自分が嬉しくもあり、安堵している。

いつも考えていた。私はこの子が好きなのではなく、昔の人の面影をこの子に重ねているだけなのではないかと…。
でも…そうだ、私はこの子が好きなのだ。
私は碁以外の事に関してはめっきり鈍い。自分の気持ちさえも分からないのだから…。


「今日は梅園のあんみつでも食べに行こうか」
「…?…先生?なんだか…ご機嫌?」
「私はいつもご機嫌だよ」
「やっぱり…おかしい…です」



「桜よりも、君の方がきれいだよ」



小さく呟いたのを、君が聞いていたかは解らない。それでもいいと思う。ただもう後悔はしたくない。





* * * * * * * * * * * * * * *

これまた季節外れな話になってしまいましたね。
なんて言うか「あの時言えば良かった」的後悔って
何年経ってもなかなか消えないものだと思うんです。
それを書きたかったのと
「昔の恋人とさんを重ねて見ている行洋氏の苦悩」
みたいなのを書きたかったのですが
うまくいきませんでした。ちぇっ(笑)

03/06/03




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