桜花爛漫



満開の桜の木。立派に育ったその木に登って腰掛けて、山姥切は一人春の息吹を満喫していた。
暴風が吹き荒れがちなこの時期としては穏やかな風が、
山姥切の陶器のような肌や、汚れたぼろ布を撫でていく。
花や芽吹きで春を歓迎する木々の合間を、小鳥が行き交う。
その愛らしいさえずりに耳を傾ければ、自然と彼の口元は弧を描いた。
穏やかな季節の訪れは、日頃は仏頂面ばかりの彼の心を和ませるものである。
そんな彼がふと木の根元に目をやれば、そこには通りがかった恋人の姿があった。
鴇環(ときわ)の審神者。彼とは異なる本丸の主たる少女だ。
ツーサイドアップにしたまっすぐな亜麻色の髪が、春の柔らかい日差しを受けて光っている。
枝を埋め尽くす花から垣間見るその姿は、春に愛されたように華やいで見えた。
それは惚れた欲目だろうと、誰かが居ればからかったに違いない。
そもそも、秋の盛りに生まれた彼女を祝すとすれば、それは恐らく紅葉が担い手だ。
けれどもその身に、春が似つかわしくないということもない。
少なくとも山姥切は、恋人にはこの春らしい風景がとても似合うと思っていた。
第三者が彼の思考を覗いたら大いに首をかしげるに違いないが、欲目を治す目薬はないので致し方ない。
誰の邪魔も入らない事を幸いと、彼は優しい視線を恋人に注ぐ。
「……?」
樹上の鳥の鳴き声に気を取られ、鴇環が不意に視線を上げた。
意図せず目が合う。彼女の目がまん丸に見開かれた。
「……国広さん、居たんですか?」
「ああ。」
「気付かなかったです。すごいですね。」
「別に……気配を消していたわけじゃないが。」
山姥切は怪訝そうに答える。ここは本丸の敷地内。
戦場と違い、別に意識して身を隠す必要はない。
誤解を招いたと気付いた鴇環が、慌てて首を横に振った。
「えっと、木を登れるのがすごいなって思ったんです。私は登れないですもん。」
「そうなのか。……それが羽衣なら、登れたかもな。」
この春爛漫の景色が浮かれさせるのか。
鴇環の薄い桃色の肩掛けに対して、そんな冗談が彼の口をついた。
天女の持つ羽衣は空を飛ぶ便利な道具である。桜の木の上位、簡単に飛び上がれるだろう。
「そうですね。持ってたら出来たんでしょうけど……。」
下から山姥切を見上げる鴇環は、優しく微笑んでいる。
山姥切と桜の木の作る光景が、彼女の眼には天人もかくやという浮世離れした情景に見えていた。
彼は日頃容姿への言及を嫌がるが、美しいものと取り合わせれば、端正な美貌は一層引き立つ。
「でも、私は見てるだけでいいですから。」
その気になれば、鴇環は鳥に姿を変えて、簡単に恋人の傍まで飛んでいける。
だが、彼女の眼前にあるのは、美しい桜と容姿端麗な付喪神。
そんな幻想的な光景の前では、人間は鑑賞者に徹する事が望ましい。
遠慮もあるが、せっかくの眺めをじっくり見ておきたいという欲もある。
だから簡単に届く距離ではあるが、彼女はあえてそこから動かない事を選んだ。
「……。」
来ないのかという言葉が、山姥切はのど元まで出掛かっていた。
元々一人で桜を楽しむつもりで居たのだが、そこに恋人が来たら急に気が変わった。
花を愛でるのなら彼女と共に。そう思うが早いか、彼はいきなり木から降りる。
急に動いたせいで、たまたま傍にいた小鳥が驚いて飛び去った。
「あれ?もう、いいんですか?」
降りてくるとは微塵も思っておらず、鴇環は目を丸くした。
「別に、あそこでずっと過ごすつもりじゃなかったからな。」
「……写真、撮っとけば良かったです。」
「何故だ?」
「えっと、きれ……素敵だったからです。残しておけば良かったなって……。」
そう言われた山姥切は、何故か彼女の傍から少し離れた。
おもむろに鴇環に向けたのは、主である火輪の審神者から持たされた端末。
そこから、唐突にシャッター音が響いた。
「え……?あの、何を撮ったんですか?」
「残したいものは撮るんだろう?」
山姥切は、真顔でしれっと言ってのけた。言われた方は苦笑いだ。
「あー……。桜を撮るんだったら、言ってくれれば良かったのに。」
自分が映り込んだら困るものという前提で、鴇環はぼやく。
彼に言わせれば、彼女こそ桜と取り合わせて愛でたいものなのだが。
――撮ると言ったら、あんたはそこをどくだろうが。――
口に出したら彼女が羞恥で死ぬのが目に見えているので、山姥切はあえてだんまりを決め込んだ。
桜と一緒に写した恋人の写真は、ぶれずに綺麗に取れていたという。



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一周年記念のまんば君の公式お祝い絵が元ネタ。
彼は写真を撮られる方は、そこまで好きじゃないかも知れない。