霧の主従


紅葉さん(@rion_vir_yume)の女審神者・真宵ちゃんと彼女の山姥切国広の話。
真宵ちゃんの設定→審神者設定(別窓)


政府の担当役人の計らいで、真宵が他本丸に視察に出向く事となった。
山姥切も良く知るその担当者は、身寄りのない真宵を何かと気にかけている親切な女性である。
行き先は、審神者号を依代と名乗る、霊媒体質の女審神者の本丸。
そこには当年15歳の見習い審神者が居るという。
他の本丸の審神者の仕事ぶりを学びにいくという名目で、
恐らく担当者は真宵に交友関係を広げてほしいというのだろう。
その意を汲んだのか、はたまた単なる自分の正直な欲望なのか、真宵は乗り気でその話を受けた。

そして、山姥切と乱を伴い真宵が出向いた、件の本丸。
そこは神社のように清らかに澄み渡った、穏やかな霊力に包まれていた。
これなら大丈夫そうと、安心して乱が囁く。
本丸の快適な空気は、管理する審神者の人格に何の問題もないと証拠だ。
審神者も善良なものばかりではない。
担当者を信用していないわけではないが、実物を見るまでは分からないというのが、
山姥切にとっても正直なところであったのだ。


「ようこそお越しくださいました。
本丸一同、皆様をお待ちしておりました。さあ、どうぞこちらへ。」
出迎えの場で深々と一礼したのは、供に刀剣男士を従えた2人の女審神者。
白い面布で顔を隠した、藤色の巫女袴に白い千早の女性と、
灰緑色のフードと口布で顔を隠した、地味な作務衣と前掛け姿の少女。
この本丸の主・依代と、彼女に師事する見習いの幽霧だ。
今日の予定を一通り依代が話した後、真宵が山姥切と乱にこう言った。
「ちょっと、彼女に個人的に相談したい事があるんだ。
すまないが、その間2人は席を外していてくれないか?」
「女の子同士でないと、だめな話?」
「乱は話が早いな。……ちょっと、乱にも言いづらい事なんだ。すまない。」
女性ならではの体の事情の話か、衣類の話か。
普段なら、同性である担当者に持ち掛ける事が多い話であろう。
「うん、分かった。じゃあ僕、ちょっとこの本丸の粟田口部屋に行ってみようかな。」
「ああ、それなら俺が案内しよう。こっちだぞ。」
幽霧の鶴丸が、真宵の乱を早速連れて行った。
だが幸いにして、どうしたものかと山姥切が考える間もない。
「藤花の山姥切国広様、僭越ながらお願いしたい事がございます。」
「何だ?」
呼びかけられた山姥切が、依代の方に顔を向ける。
藤花とは、真宵の審神者号だ。
「弟子の幽霧に、そちらの本丸の事をご教示頂けないでしょうか?」
「それ位なら構わないが、あまり大した事は話せないぞ。」
「そんな事はございません。
自分の本丸にこもりがちなわたくし達にとって、他の本丸の日々の営みのお話一つとっても、
貴重なお話でございます。ご謙遜なさらないでくださいませ。」
「私もこれから色々教えてもらうんだ。彼女のお願いも聞いてもらえないか?
やってもらいっぱなしじゃ、平等じゃない。」
真宵の言う事にも一理ある。何より、主の頼みを断る理由も特にない。
わかったと一言述べた山姥切は、その後幽霧の案内で小さな客間に通された。


―幽―
主たっての要望という事もあり、
山姥切は自分達と主が日頃どのような関係であるか、幽霧に語り聞かせた。
真宵の詳しいいきさつは、特殊な生い立ちであるとぼかしながら、
気付けば自分達がいかに主を大切に慈しんでいるかという話になっていた。
警戒心というものが欠如しがちな主を守るため、
近づく人間には自分達が代わって目を光らせねばならない事。
万屋の界隈も含め、外は何かと物騒であるから、一人で外出させたりしない事。
寄ってくる魑魅魍魎を追い払うため、本丸内でも気を配っている事。
何しろ、どこに彼女の身の安全を脅かすものがあるか分からない。
だから、常に自分達が手厚く守護しているのだと、山姥切はそう述べた。
一通り話し終えたところで、ふっと幽霧は皮肉めいた笑い声を上げた。
「恐ろしいね、藤花の山姥切。
君の主は何も知らない、知らされない、無垢で綺麗なお姫様だ。」
幽鬼のような審神者は、淡々とした声音で山姥切を揶揄した。
部屋の空気の冷たさは、人を拒む霧深い深山のような霊力のせいだろうか。
主を思う心がけを揶揄されては、山姥切は当然面白くない。
そんな彼の剣呑な感情が、より一層部屋の体感温度を引き下げる。
――あんたに何が分かるというんだ。
主の、記憶をなくす程の辛酸を舐めた日々を知らない、ただの小娘に。――
そもそも、無垢は罪悪ではない。傲慢と無配慮に結びつかない限り、無知もまた然りだ。
第一、世界はあまりにも彼女にとって峻厳で過酷だ。
そのありようを知る事が、果たして正しいとは思えない。
一本丸の主として毅然とした振る舞いをしていても、真宵は柔らかな心を持った、か弱い少女なのだ。
第一、審神者が刀剣を所持するように、刀剣もまた審神者を独占する権利がある。
贄と言い換えてもいい。人の物を盗んではならぬと、法も言う。
所有物をいかに愛でようが、それはその本丸のあり方であり、口を出される筋合いはない。
その思いを、山姥切は揶揄として揶揄に返す。
そもそもと、彼は続けた。
「あんたのような、普通の育ちでないからな。
そんな人間を、同じように育てていいわけがないだろう。」
「言ってくれるじゃないか。……まあ、いいよ。君には関係ない事だ。」
とげのある言い方で、幽霧は呟く。
その名に違わぬ、生気に乏しくどこか不気味なこの少女は、何を思っているのだろうか。
目深なフードと口布で表情が隠されて、山姥切には推し量りがたい。
そもそも彼は、彼女の個人的な事情に関してほとんど何も知らない。
指導役が依代で、初期刀が鶴丸である事位か。
「ひとつ、僕の経験からいい事を教えてあげるよ。」
「?」
訝しげに眉根を寄せた山姥切と、幽霧の目が合う。
冷めた鶯色の三白眼が、彼を見上げている。
「何も知らないお子様は、自分の身も守れやしないんだ。
守ってくれる人間が居なくなったら、その瞬間から地獄に真っ逆さまさ。」
吐き捨てるような言葉は、呪詛に似ていた。
「……あんたは、地獄を見てきたというのか?」
真宵のように、記憶が飛ぶ程の悲しみとは方向が違っても。
高々15歳の娘がこう述べるというのは、穏やかではない。それは山姥切にも分かる。
「さあね。ご想像にお任せするよ。」
そっけなく幽霧は答える。彼に己の身の上を教える気はなかった。
「でも、何も知らないお姫様じゃ、将来彼女は苦労するだろうね。
誰にも守られなくなった姫は、落ちぶれる一方さ。」
以前、幽霧が所属していたいとこの本丸。
そこで、鶴丸が彼女に暇潰しに語り聞かせた源氏物語。
寄る辺ない姫君達は、生活の困窮という一点で誰も彼も翻弄されていた。
赤貧を極めた姫、今後は面倒を見れぬからと、望まぬ婚姻を勧められた姫。
高貴な姫君さえ、頼れるものをなくしたら転落の危険が待っている。
「例え、俺が居なくなっても――。」
山姥切は、開いた障子から空を見やる。
「兄弟達が、粟田口一門が、数多の仲間が、あいつを守り続けるだろう。
志半ばで倒れる気などさらさらないが、後顧の憂いはない。」
真宵を置いていくつもりなどないが、万一の事を考えないで過ごす程、山姥切は愚かではない。
何かあっても託す仲間が居るというのも本当だ。
一抹の不安がないわけではない。だが、それは今この場で口にすべき事ではない。
「……そう、うまく行くかな?」
「どういう意味だ?」
幽霧の声に、からかうような笑みの色が宿った。
怪訝な顔で、山姥切は真意を問う。
「君のお姫様が、王子様抜きでも頑張れる子だといいね。」
謎かけのように言った幽霧の真意は、やはり量りがたかった。


―鶴―
「綺麗な世界に居続けるためには、汚いものも知らなきゃならないからなあ。」
浮世離れした見た目に合わない言葉を、その鶴丸は綴る。
「主に、美しい世界だけを見ていて欲しいとは思わないのか?」
そう尋ねると、彼は肩をすくめた。
「君の言いたい事はわからんでもないが、俺の主はどぶからやっと這い上がったようなものなんでな。
あいにく、手遅れなんだ。」
「汚い世界しか知らないというわけか?」
審神者というものは、皆そうなのだろうか。
知己の少ない真宵に仕える山姥切には、よく分からないが。
「そうでもないな。」
つまりは、両方知っているという事か。
失礼ながらそう見えなかったので、意外な返事だった。
「そうだな、綺麗で幸せな世界が、一瞬で壊れる事を肌で知ってる……という事だな。」
「だから、さっきの持論に続くのか。」
「そういう事さ。だから俺は、君の持論には賛同できないというわけだ。」
かごの鳥は、外では生きて行けないのだ。それでは困ると鶴丸は言う。
それは、彼が己の主に対して、外界で生きて行けるようにと願うからだろう。
だがしかし、山姥切は思う。真宵は言うなれば、飛び方を知らない鳥だ。
一生、人が手をかけてやらねばならない存在。そのように彼は思えて仕方がない。
しかし、山姥切が懸念をそれとなく漏らすと、かの鶴丸は遠慮なく笑った。
なんて仕打ちだと山姥切が内心苦虫を噛み潰していると、彼はこともなげに言う。
「そんなの、試してみなきゃ分からんじゃないか。
何、泥だらけになって遊んだ子供の方が丈夫に育つって、昔の人間も言っただろう?」
「泥だらけ……なあ。」
「親が見てる場所で遊ばせる分には問題ないだろう?」
一理ある、あるのだが。
「……すぐに親の目がない所に行こうとする場合は、どうすればいい?」
大真面目に尋ねると、今度こそ鶴丸は腹を抱えて大笑いした。



―END―  ―戻る―

真宵ちゃんの本丸の面々は、彼女に対して過保護なイメージ。
ちなみに紅葉さん曰く、真宵ちゃんと幽霧は愛称がいまいちそうとの事。個人的に完全同意。