異郷の客人



時刻は深夜1時過ぎだろうか。
すっかり町中が寝静まっている頃合いだというのに、
ルーンの流れに少しの乱れが生じたのを感じて、セルザウィードは目を開けた。
「む……。」
「息災のようだな、セルザウィードよ。」
目の覚めるような深い海の青い鱗と大きなひれを持った雄大な水竜。
身のうちから感じられるのは、荒れ狂う奔流のように力強いルーンの巡り。
セルザウィードと同じネイティブドラゴンが1柱・水幻竜アクナビートである。
「おぬしか。前触れもなく現れるでない。」
「つれぬ奴よ。ここに立ち寄るたび欠かさず顔を見せる知人に、それはなかろう。」
くくっと笑うアクナビートが、宙に浮いたまま優雅に円を描く。
キラキラと青い光がこぼれて、どこで手に入れたのか、湯気の上がる寄せ鍋がセルザウィードの前に現れた。
「また寄せ鍋か。他にないのか、他に。」
「知人と食事を楽しむなら、多人数で楽しむ料理と相場は決まっている。」
「だったら丸ごとのケーキでもよかろうに……。」
ご丁寧に鍋の具材はやってくるたびに変わっているが、
どうせなら甘いものがいいと彼女は思ってしまう。
鍋は美味しいが、それとこれとは別の話だ。
「ケーキをホールで欲しいとな?
しかしあれは祝い事と決まっている。残念であったな。」
「だからといって、女への手土産が毎度鍋とはな。デリカシーのない奴じゃ。」
「人間の女ではあるまいに。それとも、そのように扱って欲しいのか?」
風幻竜ともあろうものがと、また彼は笑った。
からかわれてカチンと来たセルザウィードは、目の前で笑う男を半眼で睨む。
「尻尾で横面をはたいてくれようか?」
「冗談だ。次回は菓子を持ってきてやろう。」
「それは良いの。では、冷める前にこれを頂くとしよう。」
彼は一度約束したら違える事はない。
次の機会には菓子が持ってこられることが確定したので、少し機嫌を直したセルザウィードは、
早速鍋に手をつけることにした。


「そういえば。」
鍋の白菜を食べながら、ふと思い出したようにアクナビートが口を開いた。
「なんじゃ?」
「お前は本当に、人間とじゃれあうのが好きだな。」
彼があごでしゃくって示した先には、今日人間達から届いた贈り物が置いてある。
「今更何を言う。それと、じゃれあいではない。交流じゃ。」
「いやな、また友をなくしたと落ち込んでいた割には、
懲りもせず人間と親しもうとするのが不思議でな。」
機嫌を損ねたセルザウィードに対して、ただ純粋に疑問だという調子で彼は呟いた。
また守人が誕生してしまったと彼女が嘆いていたのは、半年ほど前の事。
「ふん、おぬしにわらわの気持ちなぞ分かるまい。
おぬしは、シアレンスの花と鍋さえあれば満足なのじゃからな。」
単純に共感できないという意味しかないことは承知の上だが、
それでも今の言葉が面白くないセルザウィードは、すねた子供のように嫌味をいう。
そして、それに対して彼は眉間にしわ一つ寄せず、ただ当然というようにうなずいた。
「うむ、分からぬ。私にとって、人やエルフなどは花を愛でるようなもの。
在りようを観賞するのは面白いものだが、あれらの世界に混じろうとは思わんな。」
「そうであろうな。あれだけ町の近くに住んでいながら、おぬしは民の暮らしには干渉せん。
しようと思ったこともなかろう?」
「そうだな。」
「ふふ、やはりな。」
アクナビートはそういう存在だ。他種族の世界の事は、箱庭を眺めるような感覚で見守っている。
近くに居るうちにすっかり親近感を覚えて、友人や家族のように感じるセルザウィードとは違う。
「して、それを非難でもするつもりか?」
「まさか。おぬしが選んだあり方じゃ。わらわが口を出す事ではない。」
寂しいのが苦手なセルザウィードには到底真似できないが、
彼が好き好んでそうしている事を悪いとは思わない。
「そうか。別の意図でもあったかと思ったが。」
「なっ、何を言うか!変な事を言うでない!」
「なんだ、違うのか?何やら恨めしげな目に見えたのだがな。」
不思議そうな声音で、アクナビートがそう言った。
からかうつもりではなく、本当に彼女の表情がそう見えたのだ。
「戯言を……。」
そう答えた後、セルザウィードは目を伏せた。
正直に言えば、アクナビートのような感覚が羨ましいこともある。
自らの住まいのそばにすむ人間たちの営みを眺めるだけで十分に満足できるのであったら、
恐らくセルザウィードが覚える離別の悲しみなどありえなかっただろう。
隣人たちとの交流は、得るものも大きいが失うものもまた大きい。
友を亡くすたびに流れた涙は、今つついている鍋をいくつ満たしてしまうだろうか。
「のう、アクナビート。」
「ん?」
「もしもシアレンスの花が枯れてしまったら、おぬしはどうする?」
彼が特別に愛着を持っている樹木の花。
セルザウィードにとっての友のようにかけがえのないものは、彼にとってはそれであろう。
それをもしもなくしたら、彼は果たしてどう感じるのか。
それが気になって、アクナビートに問いかける。
「ふむ、木にも寿命はあるからな。当分あの花は見られなくなってしまうなら、それは寂しい。
だが、木が育つのを見るのも悪くはなさそうだ。咲くまでは、セレッソなり他の花で我慢しよう。」
「うーむ、そうか……。」
やはりこの男と自分の精神はかなり構造が違うようだと、セルザウィードは結論付けた。
もっとも、神としてなら彼の方がそれらしいありようなのだろう。
心に深い傷を作るような愛着の持ち方をしない。
長く生きるネイティブドラゴンにとって、それは理にかなうに違いない。
「しかしだ。」
「?」
話を続けるとは思っていなかったので、彼女は少し意外な気持ちになった。
「木がまだ元気であるのに花が咲かなくなってしまったなら、それは困るな。」
「そのような事があるのか?」
はっきりと渋い顔をする彼を、物珍しそうにセルザウィードは見ている。
彼はどちらかというと感情表現が平板な方なので、
誰がどう見てもと形容すべき顔をすることはあまりない。
「シアレンスの木は気難しくてな。多数の種族が仲良く住まう地でないと、花を咲かせん。
その癖、住まう種族が険悪になると、すぐに機嫌を損ねて花をつけなくなってしまう。
だからこそ尊く美しいのだがな。」
そういえばかつて、アクナビートがシアレンスの花を一枝持ってきた時、
似たようなことを話していた。
セルザウィードが見事な花だと褒めたら、彼は我が領地の民が円満である証と答えていた。
「そうなったら、おぬしはどうするんじゃ?」
「しばらくは待つとしよう。
それで改善しないようならば、神として些細な干渉をするかも知れんな。」
「おぬしの干渉か……。民に迷惑だけはかけるでないぞ。」
人間と異なる感性で生きている彼だけに、その点は大いに懸念の対象だ。
しばらくの猶予は、人間などからすれば気が遠くなるほど長いだろう。
だがいざ干渉となれば、恐らく彼は小さな隣人達が予想もしないことをやりかねない。
「善処しよう。」
淡々と答える彼は、果たして忠告をちゃんと聞き入れたのか。
怪しいものだとセルザウィードが思ってしまったのは、彼を知るゆえの直感だろう。
破壊を司るフレクザィードとは比べ物にならないほど温厚だが、
この水竜が彼らの都合を考えるとは到底思えなかった。
「何、そう手荒な真似はせん。
仮に私を恐れて民が全て逃げ出してしまっては、二度と花見ができなくなるゆえな。」
「そうしとくれ。異郷の事とはいえ、そのような事は好かん。」
「だが、何かしら取り戻す策は練る。あっさりと手放すには、あまりにあの花は美しい。」
なるほど、この男は失ったものを諦めない性質なのか。
そう感心したところで、ふとある思いが胸に浮かんだ。
「わらわも取り戻すべきであろうか?」
「ふむ……構わんが、それは風幻竜の世代交代と同義。
私とシアレンスの花とはいささか事情が異なるな。」
「分かっておる。」
彼の言うとおり、彼女の友人が守人となってそばを離れてしまったのは、セルザウィードの延命のため。
友を取り戻すということは、彼女の死を意味する。
アクナビートの本意としては、反対はしないが結果は考慮しろといったところだろう。
そうこうしているうちに、鍋はすっかり空になった。
空の鍋は青い光に包まれて消える。
鍋を持ってくるのも持ち帰るのも、いつもアクナビートがやることだ。
「そろそろ帰るのか?」
鍋を片付けると、そろそろ引き上げるというのが習慣だ。
「長居をすると、お前が怒るからな。」
「当然じゃ。人目についたら大騒ぎであろう。」
アクナビートは正直に用件を教えてしれっと済ませようとするだろうが、
普段この地にいない神が降臨して騒がない民は居ない。
事態を収拾する羽目になるのはごめんだから、セルザウィードは彼の長居を許さない。
「先に聞いておくが、次はいつ来るつもりじゃ?」
「そうだな、しばらくは東方を見ておきたい。
向こう3ヶ月はこないが、半年以内には尋ねにこよう。」
「ん?前回までと比べて、ずいぶん間隔を空けたのう。」
ちょうど守人の役につくセルザウィードの友人が現れる前後から、
彼は大体長くても2ヶ月に1度はここに顔を出していた。
前回彼の顔を見たのも、ちょうど2ヶ月前だ。
「以前は、お前が弱るほどルーンが不安定だったからな。
こまめにこの地の様子を見ておこうと思ったまで。」
「ふーん。わらわがへばっている様を見物しておったのか。」
素っ気無いいいように多少腹を立て、揶揄するように言ってやると、
アクナビートがひれでセルザウィードの額を弾いた。
「いたっ!」
「口が過ぎるぞ、セルザウィード。
私は衰えた同胞を嘲笑するほど下衆ではない。
そのような無駄な行動をする位なら、ルーンの安定のためにお前を殺す方が理にかなう。」
「ほう、それは失礼したの。」
叩かれた額にじんじんとする痛みを感じながら、彼女はそう返した。
さすがに露骨に揶揄されれば、セルザウィードと少し違う感覚に生きるアクナビートも腹を立てる。
殺す方が理にかなうというのも、本心だろう。それには別に彼女も怒りは覚えなかった。
「分かればいい。では、息災でな。セルザウィード。」
「当分来んでいいぞ。」
くるりと回って背を向けた水竜に、冷ややかな文句を浴びせる。
すると首をめぐらせて、アクナビートは愉快そうに目を細めた。
「早めに来ないとすねるくせに、天邪鬼な奴だ。」
「うるっさい!さっさと帰らんか!!」
頭にきたのでかまいたちをけしかけたが、笑い声を上げながら去っていく背中には惜しくも当たらなかった。


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pixivにアップしたルンファク4話。時系列的には、3に登場するシアレンスの木の花が咲いていた頃です。
セルフィアの湖で何でアクナビートの鱗が釣れるんだろう。遊びに来てるのかな?というところから出来ました。
ノーラッド王国のあちこちの水場にいそうなアクナさん。
彼はゲーム中であんまり喋ってくれないので、種族融和のためにマイス君を掻っ攫うぶっ飛びぶりから、
人間の感性と思いっきりずれた性格にしてみました。