女と男と髪の毛と



それは晴れたある日の昼下がり。
ビオラの魔法屋の奥にある、ビオラの家での事。
「アーリンの髪の毛って、長い割りには痛んでないんだね。」
束ねられたアーリンの長い髪の先を観察しながら、ビオラがそう評価を下す。
「……それがどうかしたのか?」
「あら。さらさらで癖のない髪は、女の子の憧れよ。リイタなんかは気にしてたと思ったけど?」
さらっとビオラが口にした、仲間の名前。
確かに彼女は、毎朝毎朝寝癖と格闘して、時折アーリンの髪をうらやましそうに見つめている。
「まぁ、確かにな……。
だが、男の髪がさらさらだろうが痛んでいようが、どうでもいいだろう。」
あきれ半分でそういったとたん、何を思ったのかビオラは思い切りアーリンの髪を引っ張った。
あまりに突拍子もない行動だったので、防御も出来ない。
「っつ〜……いきなり引っ張るな!」
「ごめん。憎らしくてつい。」
うっかりすると涙目になりそうな痛みをこらえながら、じろりとビオラをにらむ。
だが、悪びれなく返事をよこす彼女に反省の色はまったくない。
髪を引っ張られた痛みが分からないはずはないのだから、確信犯だ。
「……理不尽だ。」
「ふん。宝を宝とも思っていない人に対する正当な処罰だよ。」
それこそ理不尽だとアーリンは言いたかったが、またさっきのように髪を引っ張られてはたまらない。
2,3本抜けたくらいでガタガタ言うほど心は狭くないが、無駄に痛い目に会うのはごめんである。
女性が怒った時、その理由が分からないからといって追求しすぎると、
余計にひどい目に会うということは学習済みである。
リイタ然り、ビオラ然り。乙女心なるものは、非常に複雑で情緒的なものなのだ。
男が考える理屈でどうにかなるものではない。
よって、アーリンは話題をそらす作戦に出た。
「……なんで、さらさらな髪がいいんだ?」
「そりゃあ、普通の女の子なら癖毛よりは癖のないきれいな髪の方がいいに決まってるから。
朝のセットもしやすいし、何より見た感じがきれいだもの。」
分かりきってるじゃないと、ビオラはさらに付け加えた。
「ビオラもそう思っているのか?」
「……最近は、少しね。」
かなり最近までは、髪は生えてればいい位にしかビオラも執着がなかった。
しかしこの頃はそうではない。アーリンと親しくなってから、大分自分の容姿を気にするようになったのだ。
普通の女の子らしくなったといえば、そうなのだが。
―おかげで……。
外跳ね気味の薄茶の髪の端を、指で軽くつまんでみる。
本人曰く剛毛に悩んでいるという喧嘩友達と比べると、硬いというわけではない。
ただ、今までろくに手入れもしていなかったせいで若干毛先は荒れている。
よく考えれば、ここ数日は夜遅くまで起きていることが多いせいで、まだ若さでみずみずしい肌も少々荒れ気味だ。
恐らく前からそうだったのだろうが、近頃やけに目に付いて仕方がない。
そばに容姿に欠点らしき欠点がない人物がいれば、なおのこと。
「……機嫌が悪いのか?」
「あれ、そう見えた?」
自分の容姿の事を考えていたら、眉間にしわでも寄ってしまったのだろう。
アーリンが、怪訝そうな顔をしている。
「気にしなくていいよ。『美形君』には一生分からないことだから。」
「なんだか言い方にトゲがないか……?」
人の感情に疎いアーリンでもわかるほど、ビオラのセリフは刺々しい。
そこまで怒らせることだったのかと、半ば本気で思い悩む。
「……クスッ。」
「何でそこで笑うんだ?」
何かおかしい事をした覚えはないし、笑われるような事を言った覚えもないのだが。
しかしビオラは、何がおかしいのかくすくす笑っている。
「ごめん。そんなに真剣に悩むとは思わなくて。」
人が真剣に悩んでいるのに、なかなかひどい言い草である。
「まったく……。」
「ごめんってば。そんなにあきれた顔をしなくてもいいじゃない。」
「別にあきれてるわけじゃ……。」
が、そう返事をした時には、
ビオラは少し離れた場所で何か始めているところだった。
「すっかり忘れてた。お手入れオイル作らなきゃ。」
「オイル?……そんなもの何に使うんだ。」
そういえば以前、ある種の油はそれ専用の使い道があると聞いたことがある。
しかし、手入れ用のオイルと聞いても金属用のオイルしか浮かんでこない。
「髪のお手入れ。」
「……お前もそういうことに興味があるのか。」
やや意外そうなニュアンスが、アーリンの声に滲む。
すると、ビオラは少々不機嫌そうに眉をひそめた。
「悪い?」
「いや……そうじゃないんだが。」
何と言って返せばいいのだろうか。
これがデルサスなら軽く返せるのだろうが、あいにくと会話のスキルに欠けるアーリンには反応のしようがない。
「まぁ、変に思ってても怒らないから。
私だって、こういうのに少し前までは興味なかったもの。」
「じゃあ、なんで興味がわいたんだ?」
最近興味がわいたというのだから、そのきっかけは何なのか。
あまり他人の行動に興味を持たないアーリンも、今回は少し気になった。
「聞きたいの?」
「まぁ、気にはなるからな。」
人の変化には、必ず理由があるものだ。ビオラの考えが変わったその理由には興味がある。
愛する人のことならば、なおのこと。思わせぶりな彼女の口調も、知らずの内に好奇心をあおっていた。
「ふーん……でも内緒。」
「……は?」
思わせぶりに言っておきながら、内緒ときた。
あんまりな仕打ちに。思わず間抜けな声が出てしまう。
「女の子のささやかな秘密を無理に聞こうとするなんて、野暮なことはしないよね?」
「……わかった、聞かない。」
口では女性にかなわないことは、よく分かっている。
ビオラには敵わないとばかりに肩をすくめて、おとなしく引っ込んだ。
「まぁ、お手入れしても、簡単には誰かさんみたいにはならないだろうけど……。」
そういいながら、手際よく数種類のハーブをブレンドして、透明感のある黄色い油の中に放り込んでいく。
放り込むだけ放り込むと、ビオラはもうそのままビンにふたをしてしまった。
こうやって置いておくと、薬効成分が染み出てくるのだろう。
「女性の考えることは、男にはさっぱりだな……。」
「よくわかってるね。男と女の間には、深くてくら〜い溝があるっていうし。
私だって、男の人が考えることはさっぱりだよ。」
即座にそう返されて、思わずガクッときた。彼女の言葉は、時に痛いくらい直接的だ。
別に他意はないのだろうが、この場合少し位否定してほしかったかもしれない。
「俺の考えていることもか?」
「まあね。でも、大体あなたは考えてることを言わないじゃない。
それじゃ、分かる分からない以前の問題だと思うけど?」
「……悪かったな。」
どうやら爆弾を踏んでしまったようだ。日頃の不満をさりげなく皮肉にこめられる始末。
言葉で皮肉と分からなくても、ビオラの冷たい目をみれば一発でわかる。
今度からは、もう少し自分の考えを伝える努力をしたほうがいいかもしれない。
「まぁ、無理に言えなんて私も言わないけど。
でも、嬉しいとか嫌だくらいの意思表示くらいははっきりして欲しいな。
これは、私からのお願いだから。」
「努力する……。」
いつも言うタイミングを逃してしまったり、うまく表せなかったりすることで、
ビオラを困らせたり怒らせたりすることはわかっている。
もちろん努力を怠っているわけではないのだが、まだまだ足りない。
「ビオラ。」
ともかく、今日は残念なことに2回も損ねてしまった機嫌をまずは直さなければ。
そう思ったら、自然と口が彼女の名をつむいでいた。
そういえば、少し前まではこれだけ口にするのもなかなか努力を要した。
「なーに?」
「髪の事、気にしてるなら……今度、何か探しておこうと思うんだが。」
意思に反してなかなか回らない唇を無理やりに動かして、どうにかそれだけを伝えた。
自分からこういうことを提案するのは、何故か苦手だ。
「……探してきてくれるの?」
「ああ……さっきのオイルの材料でもいいし、他の物でも……かまわない。」
アーリンの気持ちとしては、この世に存在さえしていればなんでも取ってくるつもりでそういった。
「じゃあ、今度お願いしようかな。
今使っているのより、もっとよく効くっていう物のレシピを見つけたから。
材料の場所とかが分かったら、その時頼むから。」
「わかった。ただ……すぐには持ってこれないかもしれないな。」
アバンベリーを目指す旅の途中であるがゆえに、
新しい情報をつかめばすぐにそちらの方に向けて旅立ってしまうことが多い。
すぐには探しにいけないことも、当然考えられる。
「わかってるよ。そんなわがままは言わないから安心して?」
ビオラもその事情は当然心得ている。
材料探し云々は抜きにして、一緒にこうして過ごす時間を多く取れたらと思ってはいるが。
ただ、いかに直球ストレートな物言いの彼女でも、それをアーリンの前で口に出したことはない。
―困らせちゃっても、仕方ないもの。―
そう思って、ふと窓の外に目を向ける。
もうそこそこ日が傾いていて、夕の買出しにいそしむ女性や子供の姿が目に入った。
「……もうこんな時間か。早いな。」
「今日はアーリン料理当番なんでしょ?早めに帰ったほうがいいんじゃない?」
本当は1分でも長く居てほしいのだが、
ご飯が遅れて彼の仲間が腹を減らすのもかわいそうだ。
「……今日のメニューは大して時間がかからないし、
材料もここに来る前に買って家においてきた。もう少し位ここに長居しても大丈夫だ。」
最初から少しでも長くここに居られるように、午前中にあらかじめそうやって手を回しておいたのだ。
聡明な彼のことなので、そのくらいの頭は当然ある。
「そっか。ならいいよ。……そうだ、じゃあこれをついでに持ってって。
さっき取ってきたばかりの、うちの裏で育ててるハーブだよ。
この辺の奴は魚とかお肉とかの臭みを取って、いい感じの風味付けもしてくれるの。
確か、魚とか肉料理が多かったよね。」
「ああ、ありがとう。デルサス辺りが喜びそうだ。」
ビオラが渡してくれたのは、タイムやセージ、それにオレガノなどだ。
臭み消しになるもの以外のハーブも、みな料理に使えるものばかりである。
普段から台所の主さながらの料理の腕を持つデルサスに渡せば、さぞかし喜ぶだろう。
今日の料理にもいくらか使えそうだ。
「そうだ。……今度、うちでハーブを使った料理食べてかない?
あのね、2ヶ月くらい前にまいたとっておきのが、もうすぐ収穫できるから。」
「……楽しみにしてる。」
それまでにはきっと、ビオラが欲しがっている髪の手入れに効くという物の材料を持ってこよう。
アーリンに言わせれば今でも十分きれいな彼女の髪が、
さらにつややかになったらどれほど美しいことか。
何よりも、彼女の喜ぶ顔が見たい。
材料を取りに行くついでに、花の一つでも取ってこようかなどと思案しながら、
結局アーリンは夕の支度ギリギリまでビオラの家にいた。


その日の夕食には、ハーブを使った魚の香草焼きがお目見えしたという。
もちろん採りたての香り高いハーブを使ったそれの味は、デルサスもほめる一品に仕上がっていた。


―完―  ―戻る―

最近一緒にチャットをさせて頂いている、うにまんの天海風さん(現・いまち月管理人いまちさん)へのプレゼントです。
アービオなんてどマイナーだろ?なんていわないで下さい……。
自分にしては珍しく、アーリンがへたれてます。ビオラが強いから(笑
とりあえずリクエストの「髪」から話がそれてる気がするのは気のせいじゃないですよね……。
こっそり目標だった短く話をまとめるという点で言えば、トータル4000字オーバーという段階で挫折しているという説も濃厚。