罪、かも知れない



ラプラスが延ばしてくれた命は、どれ位持つのだろうか。
そもそも思いを寄せるビオラに、果たして自分はふさわしい男なのか。
酒場で一献傾けながら、アーリンはそんな不安に胸を蝕まれた。
時間が遅くなるに連れて、酒場の喧噪が徐々に止んでしまったせいだろうか。
普段は1人の時にもたげるものが湧き上がってくる。
「おや、ずいぶん不景気な顔をしてるじゃないか。」
「そう見えるのか?」
カウンターでずっと物思いに耽っていたアーリンに、手が空いたノーマンが話しかけてきた。
落ち込んだ顔をしていたことに自分では気付かず、アーリンはつい尋ねてしまう。
「そうとも。悩み事かな?」
「……。」
「はは、人にも話せないほど深刻みたいだな。」
答えに窮して黙り込んでしまった彼の態度を見て、ノーマンは苦笑した。
自分の意図と違う伝わり方をしたので、アーリンはすぐに首を横に振る。
「いや……そういう訳じゃないんだ。
むしろ、あなたには話さないといけないはずだ。」
居住まいを正して、彼はノーマンに向き合う。
「私に?ビオラのことかな。」
人目を気遣い、ノーマンは少し声を潜めてそう言った。
「察しが良くて助かる。まさにその事だ。」
この頃のアーリンの物思いの種は、大半がビオラと言って過言ではない。
核心を突いてきたノーマンの洞察力に、彼は深く感謝した。
「君には彼女にとても良くしてもらっているからね。
相談なら喜んで乗らせてもらうとも。」
「すまない。」
話を本格的に切り出す前に、アーリンは周りに目を配る。
店内は帰る客と酔いが回った客ばかりだ。
幸い、これからしたい話をまともに聞く人間は居そうもなかった。
「その、彼女が結婚するとしてだ。
彼女とあなたには理想の婿像があると思うんだが、どんな男だろうか?」
「おや、意外なことを聞くね。理想の婿さんか。
ビオラは小さい時に一度だけ、お兄さんみたいな人と言っていたかな。」
少し目を丸くしながらも、ノーマンは記憶を掘り返してそう答えた。
「ああ、優しくて頼もしい、それとクレインに少し似ているという……。」
「ははは、そんなに渋い顔をしないでくれ。お兄ちゃんっ子だからね。」
自分に向けられなくて良かったとしか言いようの無い、クレインに対する熱烈すぎるアプローチを思い出したせいで、
アーリンはつい渋い顔になっていたようだ。
言われて初めて、彼は自分の眉間にしわが寄っていたことに気付いた。
「確かに……。で、あなたは?」
「私はやっぱり、ずっとビオラを守ってくれる男にもらって欲しいと思うね。」
「……。」
やっぱりなとアーリンは冷静に思った。
父親代わりの彼なら、必ずそう答えるはずだと考えていたからだ。
「知っての通り、あの子には頼れる肉親が一人も居ない。
村に居た時は、時々様子を見に来た親類も居たそうなんだが、
恐らくゲヘルンのせいで亡くなったし、生きていたとしても居場所が分からない。
私も依頼を出して探してみたんだが、とうとう見つからなかった。」
ノーマンは拾って数日経った頃、ビオラから村に居た親類の氏名や背格好を聞き出し、
あちらこちらに依頼を出して生き残りが居ないか探し回った。
だが、待てど暮らせどついにその消息を得ることは出来なかった。
「女が独りで世渡りをするというのは、男の我々が思う以上にずっと厳しいことだ。
ビオラには幸い魔技師の技があるが、客や商工会とのトラブルにしたって、女であるというだけで増えるものだよ。」
再三にわたる商工会長の立ち退き要請以外にも、数々の揉め事があった事を、ノーマンは良く覚えている。
「だから、頼れる男を?」
「そうさ。私ももう、この年だ。
若いビオラの一生を見届けてやることはかなわない。
だから後見人というわけではないが、しっかりとした男を所帯を持ってくれれば、少しは安心できるだろうと思うよ。」
「あなたは、本当に心からビオラの将来を考えているんだな。
まるで本当の父親のようだ。」
自分が亡き後のビオラを案じる言葉を聞かされたアーリンは、心からの賞賛をこめて評した。
褒められて少し照れたのか、ノーマンは小さく声を立てて笑う。
「まあ、拾ってからずっと育ててきたからね。
私には、亡きご家族に代わってあの子を見守る義務がある。少なくとも心配がなくなるまではね。」
ビオラを親族の元に返すことを諦めてから、ノーマンは彼女を養女としてずっと面倒を見ていく決意をしたのだ。
彼にとって、身寄りの無い彼女を立派な大人に育て上げる事は、実の子に対する責任と等価である。
「その区切りが、彼女の結婚か?」
「そうなるね。はは、分かりやすいだろう?
ま、結婚して全てお終いとは行かないがね。だが、それにしても独りぼっちはあまりに不憫で……。」
「……。」
グラスを拭きながら遠くを見るような目になったノーマンを、アーリンは黙って見つめる。
身寄りの無い彼女がこの先養父と死に別れた時、
本当の天涯孤独の身になってしまう事を、義理の親として嘆かずにはいられないという心境は、さぞ切ないものだろう。
父母を持たないホムンクルスであるアーリンにも、そう想像させた。
「引き取ってから何年経っても、あの子は時々遠くを見ていた。
亡きお兄さんの事が、ずっと気になっていたんだろう。私の前では気を使って、隠そうとしていたようだけどね。」
「……もし。」
アーリンは慎重に言葉を選び始めた。
「もし、彼女がガルガゼットや冒険者と結婚したいと言ったら、あなたは反対するか?」
「君がもらってくれるのかな?」
「あっ、いや……その……。」
ニコニコとも、にやりとも取れそうな意味深な笑顔を向けられて、アーリンはしどろもどろになった。
どこまで本気か分からない言葉に上手く対応することは、口下手な彼には難関だ。
「はは、初心だね。クレインに夢中だった時もあったからね、考えたことはあったさ。
あの子がそういう好みならってね。」
「……そうか。それで?」
からかわれて少し恥ずかしくなったが、ここでめげているわけにも行かないので、
アーリンは続きを促した。
「彼もそうだったが、気立てのいい男なら反対はしないさ。
まあいくら気の優しい男でも、ほいほい何年も留守にするんじゃ困るが……。」
「だろうな。」
アーリンは知識と見聞でしか家族のありようを知らないが、
家族というものは共に暮らしてこそだろうということは理解している。
この酒場に通うガルガゼットの中には、ゲヘルンや魔物の退治が立て込んで、
最近は妻子の顔もろくに見られないというぼやきなども耳にする事があった。
「だがうちの常連みたいに、この辺りを中心にやってるなら構わない。
一ヶ月に何度もうちの店に顔を出せるような生活ならね。
毎日家に帰ってこいとは言わないさ。ビオラがそれを許すなら、私は口出ししないよ。」
「……あなたはずいぶんと大人だな。」
人生経験の豊富さの賜物なのだろうが、ずいぶんと物分りのいい意見である。
「夫婦も色々だ。私も若い頃は、散々わがままを言って妻を苦労させたよ。」
「あなたが?」
懐かしそうに話すノーマンの言葉を意外に感じて、アーリンは少し目を瞬かせた。
「おや、意外かな?店を持とうとする人間は、結構私みたいなものだと思うよ。」
「そうなのか……。」
店を切り盛りする苦労は、生死と隣り合わせのガルガゼットとは別方向のものだが、
決して軽んじられる類のものではない。
若かった頃のノーマンが、ここまで立派な店を作り上げるまでに払った労力は、消して少なくないだろう。
「文句も色々あっただろうが、それでも妻は私について来てくれた。
そういう関係になれれば、冒険者との結婚だって幸せだろう。
「それに、あの子の職業と冒険者ってのは、相性は悪くないと思うがね。」
時には店ではなかなか手に入らない貴重な材料も扱う魔技師と、
危険な場所での採集も可能な冒険者のタッグは、とても都合がいい。
クレイン達と旅していた頃、ビオラが彼らが持ち込むものでずいぶんと助かっていることを、
ノーマンは本人から聞かされたことがある。
「……。」
神妙な顔つきで、アーリンは耳を傾けていた。酒場に残る人の話し声も気にならないほど、彼は真剣だ。
いったんは冗談として取り合ったような反応をされたが、
ノーマンがアーリンをビオラの婿に迎える前提でここまでの話をしてくれた事を、彼は理解していた。
場を改めるまでも無く、ここでビオラに求婚する意志があることを告げたとしても、
聡いノーマンは全く驚きもしないだろう。
「まあ、これは私が世の中の悩める男全般に向けたアドバイスなんだが……。」
「何だ?」
残っていた飲み物を一口飲んだ後、アーリンは意味深長な言葉をもらしたノーマンをいぶかしげな目で見る。
「大事なのは、お互いに納得して決める事だ。恋愛も結婚もね。
何かを理由にして、向き合うことから逃げていたら、いつまで経っても進めないよ。」
「……なるほど。貴重なアドバイスだな。」
これは十中八九、ビオラと話し合えという、彼女の婿になるかもしれない男への発破だ。
どんな顔をしていいのかわからないまま、アーリンはとりあえずそう答えた。
話し込んだ気がしてふと時計を見る。いい加減に家に戻る頃合いだった。
「もうこんな時間か。すまないな、忙しいのに付き合わせてしまった。」
「気にすることは無いよ。悩めるお客の相談に乗るのも、マスターの仕事のうちさ。」
今日の飲食の代金を支払いながら、2人は言葉を交わす。
アーリンは、話す前と比べて少し心が軽くなっていたことに気付いた。
「じゃあ、また明日。」
「ああ、お休み。」
酒場のドアを開けると、深夜のひんやりした空気が頬を刺した。
どこか浮かれた空気が残っていた酒場の中とは打って変わったそれに、頭の芯も冴える心地だ。
―明日、魔法屋の閉店時間になったら彼女に会おう。―
くよくよと悩んでいても、それこそ限り少ない時間の無駄だ。
アーリンの体の事情については、彼と同じホムンクルスであるリイタの事を知っているビオラなら、理解してくれるだろう。
事情を知った彼女が、それでもアーリンを選んでくれる保証は無いが、
いつまでも引き伸ばす方がかえって良くない事は、今日話をする前から分かっていた事だ。
後は決心がつかなかっただけの事なので、腹が決まれば話は進むだろう。
―お互いに納得して決める……俺にもちゃんと出来るだろうか?―
口下手な自分に上手く彼女に打ち明けることが出来るのか、不安が拭い去れたわけではない。
だが、ノーマンからありがたい激励も受けてしまった以上、逃げるのは男ではない。
魔物と戦う事と比べれば、そう怖いものでもないだろうと、心のどこかで笑う自分に同意して、
アーリンは帰路についた。


―END―  ―戻る―

「3つの恋のお題ったー」で出たお題の一つ。
アーリンはED後も寿命でずっと悩んでいそうだなと思ってこのネタ。
先が短いかもしれない奴が、女の子に懸想していいのかなっていうお悩み。
ノーマンさんの口調がすごくうろ覚えですが、台詞書いてて楽しかったです。