ロマンたっぷりのお月様



アーリンは一瞬、我が身に何が起きたのか分からなかった。
「こんばんは。」
月が綺麗な晩。拠点の家で休んでいたら、いつの間にかベッドサイドに座っていた小柄な人影。
月光で照らされた少女の名は、暗がりでも間違えようなんてない。ビオラだ。
「おい……何でここにいる?」
今日は1人で留守番をする都合、ちゃんと戸締りはしたはずだ。
ビオラが入ってこれるはずはないのだが、現に彼女は悠々とここに座っている。
「開いてたから入ったの。それに、一応ノックはしたけど?」
「本当か?俺は、そんな音がしたらすぐに……。」
「ふぅん。でも、ベッドに座って声かけるまで寝てたね。うかつじゃない?」
「……言わないでくれ。」
無意識に安全な気配と判定して寝こけていた自分を恥じて、アーリンは額を押さえた。
肝心の玄関を閉め忘れたのに、戸締りを済ませた気になっていた事もかなり頭が痛い。
「ま、安心して。無闇に夜這いしに来た訳じゃないから。」
「じゃあ、用件は何なんだ?」
「そう急かさないでよ。無粋だね。」
「夜遅いんだ。急かすさ。」
長居して変な噂でも立ったら、後で困るのは目に見えている。
そもそも未婚の女性が、夜に男一人しか居ない家に尋ねに来るのは問題だ。
「まあまあ。夜にしかできない用件だから。」
「いかがわしい言い方だな……。」
「心が汚れてるね。用って言うのは、これだよ。」
意味深に笑って、ビオラは肩に掛けていたポシェットから小綺麗な箱を取り出した。
箱の大きさはビオラの両手に載る程度で、可愛らしい三日月の形をしている。
「……何だ、これは。」
「お月様。」
「すまない……さっぱり分からない。」
やたらと素っ気ない名前が多いビオラの店の商品らしいと言えばその通りの命名だが、
この名前から用途を推察する事は、聡明なアーリンをもってしてもお手上げだった。
「まだ仮称なんだよね。これ、試作品だから。」
「これの出来を俺に見て欲しいのか?」
「大体そんなところ。こうやって水を注いだら、月に当てるの。」
ビオラはベッドの横にある窓のさんに、ふたを開けた箱を置く。
箱の中には同じ形の白い塊が入っており、そこに水筒から少量の水を注いだ。
「なるほど。それで?」
「じっと待つの。うまく行けば、20分で変化するはず。」
「長いな。」
「でしょ?」
アーリンが率直な感想を漏らすと、彼女もそんな事を言ってきた。
あれこれかき回す手間を省いてくれる代わりに、なかなか悠長な試作品だ。
「で、何でわざわざうちでやりに来たんだ?」
「出来立てを試食させたいから。」
「食べ物なのに、放置して作るのか?」
意外な説明に彼は驚いた。小さな塊が食べ物とは予想もしていなかったから、驚きも大きい。
改めて見直しても、せいぜい角砂糖か何かにしか見えない白い塊は、どんな食べ物に変化するのか見当もつけさせない外観だ。
「そこが魔法屋の商品候補たるゆえんなの。
月明かりの下で花開くロマン。どう?カップル向けにはいいと思わない?」
「……俺にロマンを論じられても、答えられない。」
淡々と仏頂面で語られる商品のコンセプトを聞いても、
恋愛小説の1つも読んだことのない男に、彼女が語る商品の理念は理解しがたかった。
アーリンはムルに作られてからこの方、戦いの修行ばかりで、情緒的なことはさっぱり身についていない。
はーっと、ビオラがため息をつく。
「夢がないよアーリン。朴念仁過ぎ。」
「悪かったな……俺は剣のこと以外は全然知らないんだ。」
実用的でないものを教えられた事もないし、覚えようとした事も一切ない。
特に打倒ムルを決意してからは、ひたすら剣の道にまい進していたからなおさらだ。
「やれやれ、しょうがないね。さて、待ってる間は暇だからね。何かしない?」
「夜だぞ?今から何をするっていうんだ。」
本を読むと言ってもこの家にはろくな本がないし、出かけるには遅いし時間が不十分と来ている。
手持ち無沙汰になる以外、ろくな道がなさそうだ。
「夜這いらしいことの方が良かった?」
「っ、馬鹿言うな!!」
「そこまで怒ることないじゃない。冗談だよ。それは置いといて。暗がりでも、口は動かせるでしょ?」
「話に付き合って欲しいのか?」
思わせぶりな事でからかう前に、最初からそう言って欲しいとこっそり思うが、賢明な彼は口にしない。
この程度のからかいや毒舌でめげていたら、彼女と付き会うなんて到底出来なかっただろう。
「20分くらいだしね。それが適当でしょ?」
「そうだな……だが。」
「ああ、大丈夫。話のネタはこっち持ちにしてあげる。アーリンは話下手だからね。」
「おい……。」
気を回しているのかけなしているのか。
さすがに抗議の声を上げると、これもからかいだったらしくビオラは楽しそうな笑い声を上げた。
「あはは、大したことじゃないよ。これを作ろうと思い立った理由だから。」
「なんだ。どういうきっかけだったんだ?」
「常連の夫婦が居てね。うちの近所のお店の人。
そこのご主人が、3ヶ月後の結婚記念日に、奥さんを驚かせたいって言ってたの。」
「相談されたのか。」
魔法屋とはあまり縁がなさそうな客だなと思いながら、興味を持って話に耳を傾ける。
結婚記念日関係で彼女の店を頼るというのも、珍しい話ではないだろうか。
「そう。うち、魔法屋でしょ?面白い物色々作ってるから、何かないかって言うわけ。」
その店の主人は、今年の結婚記念日がちょうど5年目という節目の年なので、何か特別な事をしたいと考えていた。
そこで、普段材料を卸しているビオラの店に目を付けて、これはという珍品を求めてやってきたのだと、続けてアーリンに説明する。
「でも、いい物はなかったんだな。」
「あいにく、クレイン君からもらったレシピのも含めて、うちの商品はときめき不足でね。
思い切って、新開発することにしたんだ。当てはあったから。」
「それは思い切ったな。レシピでも見つけてたのか?」
「応用できそうな理論は知ってたの。ご主人はダメ元でいいからって言ってたし、気楽に受けたよ。」
ビオラは頼んできた主人と共に色々な商品を見比べて検討したが、
薬や爆弾、マジックアイテムといった冒険に使うアイテムが主体なので、記念日のプレゼントにふさわしい物がほとんどなかった。
それなら新しく作った方が早いと、ビオラは判断したのだ。
「そうか。しかし、お前がそういう依頼を受けるのは意外だな。」
「どういう意味?」
今度はビオラがむっとする番だった。
「いや、あまり近所付き合いをしないから心配だと、酒場の主人が……。」
アーリンにはそんなつもりはなかったので、慌てて弁明する。
「失礼だね。『あまり』でしょ?『全然』じゃないんだから。」
「悪かった。で、この商品はこのテストさえ終われば完成なのか?」
「ううん。もっと時間を短縮したいの。どんな使い方してもいいようにね。
こうやって完成まで眺めたい時、20分じゃだれるかも知れないし。」
「そうか、難しいんだな。」
彼女が持っている合格ラインにはまだ一歩及ばないらしい。
こういう実験を地道に繰り返して、望み通りの出来に近づける手間は途方もないのだろうなと、アーリンは何となく感じた。
普段の新商品開発のように、レシピ通り作ればいいものとは勝手が違う。
「ま、どっちにしても当日晴れないとだめだけど。」
「……本当に難しそうだな。」
こうやって作るのでさえ大変だろうに、成功は当日の天気次第とはまた手厳しい。
ビオラ本人はあっけらかんとしているが、かなりシビアな話である。
「水を注いで放置だけで作れれば楽なんだけどね。
それが出来る材料は高くなっちゃうの。お金持ち向けならいいけど、うちの商品はそうじゃないからね。」
「そうか、そういう苦労もあるんだな。」
確かにいくらいい商品でも、肝心の買い手に手が届かないのでは困る。
いつもアーリン達は、自分で集めてきた材料やレシピを渡して彼女に作ってもらうというスタイルを取っているので、
売り物にするには材料が高いとか安いとか、そういう事を考えた事はないが。
「そうそう。予算内でのやりくりは四苦八苦ってわけ。うちは人件費がかからないだけ、いいけどね。」
「だが、大変じゃないのか?普段の商品の製造と平行でやるのは。」
「いつもの事だよ。おじさんは、そろそろお店番を雇ったらって勧めてくるけどね。」
「お前の心配をしてるんじゃないのか?」
持ち込まれるレシピのおかげで品物は種類が増え、客も以前とは比べ物にならないほどだ。
細腕で商品の製造から販売まで一手に行う彼女の体調は、育ての親のノーマンにとって心配の種なのだろう。
「うん。一人で切り盛りするには、お客さんが増えすぎたんじゃないかって言ってるよ。
まあ、今でもお客さんの相手はちょっと面倒くさいとは思ってるけど。」
「だったら雇ってみればいいじゃないか。」
無愛想であまり人と接する事に興味を持たないビオラの性格を思えば、
むしろ接客は適当な人間に任せっきりにして、彼女自身は奥で商品の製造に専念した方が快適に仕事が出来そうだ。
「うちに一日中他人がうろうろしてるのって、落ち着かないから嫌。」
ぺろっと舌を出して、にべもなく却下する。
接客の手間よりも、店に他人を入れて気を使う面倒が勝ったらしいう。彼女らしいと思ったので、苦笑ですませる。
「ま、アーリンがお婿に来てくれるって言うなら、お店番を任せるけどね。
女性客の財布の紐を、ゆるゆるにしてもらっちゃおうか。」
「お前な……俺に店番が勤まると思ってるのか?」
接客の才能なんて全くなさそうな相手を捕まえて、よく言えたものだ。
そもそもどこまで本気なのかも分かったものではないが、呆れたので素直につっこんでおく。
「大丈夫だよ。無愛想な店番なら、お客さんは私で慣れっこだから。」
「そういう問題なのか?」
確かに今更無愛想な人間が出てきた位で文句を付ける客は少ないだろうが、
雇った店番まで無愛想で揃えてくるのは、客に対する嫌がらせではないだろうか。
どうせ知り合いを雇うにしても、そこはもっと愛想のいいリイタやノルンに頼むべきだろう。
「そうだよ。大丈夫でしょ、お金のことさえきっちり出来れば。」
「いい加減だな……。」
そうこうしているうちに、白い塊が変化を見せていた。
むくむくと大きくなり、半透明で卵色の綺麗なバラのような形が出来上がっている。
月明かりの下で花開くロマンと先程ビオラが言っていたが、それはたとえではなくそのものずばりだったと気付いて、何となく感心した。
彼女にしては抽象的な言い方だと思っていたのだが、いつも通り率直な事実を述べていたのだ。
「あ、出来たね。食べられるよ。」
「バニラみたいなにおいがするな。そのままつまんで食べていいのか?」
「どうぞ。簡単に取れるはずだよ。」
出来るだけ形を崩さないように、花弁の一枚を折り取ってみる。
言われたとおり、抵抗なくぷちっという柔い音を立てて切れたそれは、どちらかというと硬めのグミに近い感触だ。
薄いから噛み切りにくいという事もなく、食べやすい。
「……上品な味だな。くどくない。」
さらっとした甘みはすっきりしていて、べたべたする嫌な感覚がない。
大して甘い物に興味がないアーリンでも、抵抗なく食べ終えた。
これもカップル向けというコンセプトの元で、男性の好みも意識した結果なのだろうか。だとしたら大成功である。
「味にはこだわったからね。食べ物は味が一番だし。もっと食べる?」
「ああ、そうする。」
プチプチと数枚花弁を千切って渡される。1つずつ口に放り込んで行くと、あっという間になくなった。
元々大した量ではなかったが、しつこくない味だからあっさり食べ切ってしまったのだろう。
「味はこれで問題ないと思うぞ。」
「そうみたいだね。協力ありがとう。残りはどうする?いらないなら私が食べちゃうけど。」
「明日の朝に帰ってきたら、リイタやノルンに食べさせようと思う。味見役は多い方がいいだろう?」
せっかくなのでお菓子が大好きな2人にも食べさせてやりたくなって、そう提案した。
ビオラにとっても、悪くはない話だろう。
「うん、いいよ。でも2人に食べさせるなら少ないね。もう一個今の内に仕掛けとこうか。」
お菓子大好きな彼女達が、半分だけ残ったお菓子をさらに折半で満足できるわけがない。
ビオラは多めに持ってきていた試作品を1つ取り出して、先程と同じ手順でセットした。
「ちなみにこれは、出来上がった後はそのままテーブルに置いといても大丈夫か?」
朝にきちんと帰ってくるはずだが、もしかすると昼近くにずれ込むかもしれないと思い直して尋ねる。
ビオラはうんと言って軽くうなずいた。
「1,2日中に食べるんならね。それ以上は保障しないけど。」
「わかった。なら大丈夫だな。」
「2人から感想を聞いといてね。何なら、直接私に言いに来てもらってもいいけど。」
そう言った後、ビオラはにわかに帰り支度を始めた。
一応、今の時間に長居をするとアーリンがいい顔をしない事を分かってくれているのだろう。
「それじゃ、また明日ね。」
寝室の入り口に立ったビオラが、ひらひらと手を振った。
「送っていこうか?」
「いいよ。着替える方が時間かかるでしょ。」
確かに今の彼の格好は、タンクトップにルーズなズボンというものなので、このまま外には出られない。
ビオラの店は歩いて5分とかからない場所にあるので、確かに着替えてる間に待たせる時間の方が長そうだ
「気をつけて帰れよ。」
「わかってるよ。アーリンこそ、戸締りを忘れずにね。」
「うっ……。」
ぐさっと刺さる置き土産の発言に不覚にも傷つきながら、枕元の台に置いた鍵を持って、
玄関で見送るためにビオラと一緒に階段を上がった。
「じゃあ、お休み。」
「ああ、お休み。」
見送りを済ませたアーリンは、彼女がこちらに背を向けて歩き出したのを見届けてすぐに扉を閉めた。
もちろん、今度こそしっかり鍵はかけた。再び寝室に向かう前に、窓からビオラの鼻歌がかすかに聞こえてきた。
話している間はあまりそう見えなかったが、今日の結果には満足しているようだ。
「たまにはこういうのも悪くないな。」
クレインが散々怖がっていたパンの件があったから、彼女の新商品開発に付き合うのは大変だなと思っていたが、
今回のような真っ当な商品なら、次も付き合ってみたいものだ。
しばらくたったら、今日の試作品が無事完成品したか聞いてみようと思いながら、アーリンは再び床に就いた。


―END―  ―戻る―

夜這いビオラさんといういまちさんの発言(確か)で思いついたアービオ。
文中の通り、カップル向け新商品開発テストのお話ですが、甘いというかのんびりしてます。まったりまったり。
ビオラさんはぶっきらぼうで露骨かつど直球な発言で相手を振り回すタイプなので、
普段小屋の方で女性側が振り回されるネタばっかり書いてる中で書くと、なかなか面白いです。
仲直り後のリイタと一緒にアーリンを振り回してても楽しいかなとか、ちょっと悪い事を考えないでもない。