空白の過去




過去がないというのは、その時に生きていなかったことと同じだ。
ある時カボックの酒場で、そう言った男が居た。
たまたま食事をしていたリイタの耳に、その言葉はひどくこびりついて。
とても重い響きがあったわけでもなく、
しかも前後の話を知らなかったというのに、振り払えない力があった。
「生きていなかったことと同じ……かぁ。」
そう呟いて、1人家の中で呟く。
彼女が住む家は、ガルガゼット達に貸されている家の一つだ。
ゲヘルンを退治し、町を守るガルガゼットにはよそ者も多い。
また、元々近くにある古代都市アバンベリー探索を志すもの達も多いことから、
カボックでは宿の他に空き家を彼らに貸す商売も繁盛する。
「ふう……。」
1人で暮らす家に帰り、リイタは帽子を外してからベッドに腰掛ける。
この家は2階建てなので、彼女には少し広すぎるくらいだ。
前は違うガルガゼット達が使っていたらしいのだが、彼らは違う町へ旅立ってしまったらしい。
彼らが使っていた家具などはそのままなので、生活には困らない。
だが、複数置かれたベッドや、数が多い食器はリイタの孤独感を増す。
記憶が無いリイタだが、かつてはこんな寂しい暮らしをした事がなかったような気だけはしていた。
もっとにぎやかで暖かい、そんな場所に居たような感覚になるのだ。
そんな記憶は無いのに、不思議なことである。
「いっけない。洗濯物たたまなきゃ!」
物思いにふけりかけたが、急に脳裏をよぎった用事に現実に引き戻される。
今のリイタにとっては、かえってありがたい。
取り込んだまま放り出されていた洗濯物を、てきぱきと片付ける。
元々1人分しかないので、すぐに終わってしまった。
やる事があっという間になくなって、またリイタはため息をつく。
憂鬱な気分になんてなりたくないのだが、今日はそうも行かないらしい。
それもこれも、きっと酒場で聞いてしまった言葉のせいだ。
家の中に居ると余計にふさぎこんでしまいそうな気がしたリイタは、
また外に行くことにした。

夜風が心地よい中、リイタは拠点にしている家の屋根の上にひらりと飛び乗った。
この身のこなしの軽さは、自他共に認める彼女の長所だ。
飛び乗った屋根から空を見上げると、満天の星空がカボックの空を包んでいる。
たくさんの星が瞬く光景は、見ていると悩みを忘れてしまうほど美しい。
先程までの寂しさも、星が見守ってくれていると思えば幾分和らぐ。
だからだろうか、彼女は星空を見るのが好きだ。
いつまで見ていても飽きないくらいである。
「やっぱり、星空っていいなぁ……。」
うっとりと眺める。
一緒に眺めてくれる人が居れば、きっともっと好きになれるのだろうが。
しかしあいにく、そんな風にリイタと同じ時間を過ごす人物はいなかった。
もしも1人でもいれば、彼女の寂しさはきっとなくなるに違いない。
だがそれは、今のところないものねだりで終わっている。
それをわかっているから、リイタはあえてそのことに知らん振りをしていた。
そうでなければ、もしかすると寂しさでどうにかなってしまうかもしれない。
こんな危機感を漠然と抱いているのだ。
幸いなことにそんな思いも、この満天の星空の前ではおとなしくなる。
いつまで持つかは分からないが、一日が終わった後にこのご褒美があるのなら、
まだまだ頑張れる気がした。

そして、1時間くらい経った。
もうそろそろ、明日の準備をして寝る仕度をしなければいけない。
いつまでも外でぶらぶらしていて風邪を引いても困るので、
リイタは少し名残惜しかったが家に戻る。
いつかこの広い家が、にぎやかな声でいっぱいになればいいなと、
小さな夢を夜空に託していってから。


―END―  ―戻る―

いつもは明るくても、ちょっとしたことで暗い気分になるというネタ。
リイタはそういうところがあるのもいいんじゃないかなと思います。
キャラとしてその方がやっぱりリアルというか深みがあって。
で、これはちょっと更新ネタがなかったので発掘してみました。
1人よりやっぱり2人以上の方が話は伸ばしやすいですね。
そうしみじみ思った次第です。