旅人の歌




季節の移ろいと共に、遠い土地に旅立っていく鳥達。
遠い地を行き来して暮らす彼らを、人は渡り鳥と呼んでいる。
諸国を放浪する旅人は、まだ見ぬ土地を目指して大地を彷徨う。
旅に身をやつしてその生を終える者、いずれは愛しい故郷へ帰る日を夢見る者。
彼らもまた、大地を漂う渡り鳥なのかも知れない。


「セシル殿、どうなされたのですか?」
考え事をしているようなセシルに、ヤンが声をかけた。
少々緩慢な動作で、振り向いたセシルの横に腰を下ろす。
「ヤン。」
パチパチとはぜる焚き火の音が、後ろから聞こえてくる。
もう夜も遅い。空にはいくつか雲の帯がたなびき、雲をかぶった月がぼんやりとした淡い光を放っている。
その周りを星が彩るさまは美しいが、
ここはのんびり月見が出来るほど安全ではない。
人里から遠く離れた森の中では、いつ魔物に襲われるとも知れないのだから。
「その顔ですと……あのお二人の事ですか?」
最近セシルの表情がかげる時は、クリスタルの事、バロン上で犠牲になった双子の魔道士の事、
そして親友のカインと愛するローザの事と相場は決まっている。
ヤンだけではなく、シドもテラも知っている事だ。
「ああ……。」
ヤンには敵わないなと力無く笑って、ふうっとセシルはため息をつく。
―いつから、僕達の関係は壊れてしまったのだろう。―
セシルとカインとローザ。今は訳あって離れ離れだが、幼い時は違った。
初めて会った時から3人はいつも一緒で、仲良く野山を駆け回ったり、森の奥の秘密の花畑で遊んだりしていたものだ。
勿論時には喧嘩もした。けれど、次の日にはもう仲直り。
今思えば何と気楽な事かと思う。
やがて年月を経て、兵学校に入った頃。
貴族の令嬢であるローザは兵学校には入らず、幼い頃と同様に、家庭教師から弓や勉強を学ぶ事を選んだ。
一方同じ道を選んだものの、クラスが離れたセシルとカインは、自然とそれぞれ新しい友人を作っていた。
厳しい学校生活も手伝って、少し疎遠になっていた事は否めない。
だが、それでもお互いの友好が途絶えたわけではなかったし、
暇を見つけてはお互いの友人も巻き添えにして遊んだりもした。
けれど思春期に差し掛かってからは、やはりそれまでと同じというわけには行かなかった。

ある日の昼休みのときだった。
「なあセシル、一個聞いてもいいか?」
家から持参してきた弁当を突っつきながら、友人のロビンが口を開いた。
「?なんだいロビン。」
彼は、数少ないセシルとカインの共通の友人だ。
彼自身も幼少の頃からの悪がき仲間が2人いて、それ以外にも友達は多かった。
教官達にはかなり頭が痛い問題児の1人だったが、生徒にとっては学校の人気者だったのだ。
赤っぽい茶髪に、オレンジがかかった色の目。
ごく普通の容貌の持ち主だったが、友達を大切にする明るいムードメーカー的存在で、憎めない奴だ。
その一方で、優れた天性の勘を持つ事でも有名である。
「お前さ、ローザと付き合ってんの?」
弁当をつつきながら、何の気なしにこんな事を言い出した。
「○*%□☆!!?」
ぶぼっとセシルが勢いよく水を吹き出した。
彼にとってはあまりにショッキングな質問だったらしく、ゲホゲホと激しくむせ返る。
「きったねー。何してんだよお前。」
驚かせたのはそっちだろと言い返したかったが、原因を作った張本人は無責任だ。
「ゲホッゲホッ……ど、どこから聞いたんだい、それ。」
「どこって、みんな噂してるぜ〜?しらねーのはお前だけじゃねーの?」
そんなに皆に噂が知れ渡っているとは思わなかった。
思わずセシルは、自分はそんなに単純で分かりやすい人間だったのかと自問する。
「そんな……。」
「そんな……っていうけどさ。
お前、おれには超分かりやすいぜ。つーか、噂流したの俺だし。」
悪びれない様子でとんでもない事を言いのける。思わず耳を疑うところだった。
「君が大本なのか!」
呆れてものも言えない。仮にも友人に対する仕打ちとは、セシルにはとても思えなかった。
「失礼だな〜。おれは『好きらしい』って言ったけど、
『付き合ってる』なんて一っ言も言ってねーよ。で、ほんとにお前ローザと付き合ってんのか?」
わざとらしく声をひそめて、いかにも楽しそうに聞きだそうとしてくる。
この男は、噂には尾ひれがつくという法則を知らないのか。
いや、知ってて流したのかもしれない。
「〜〜〜!!!」
セシルはこぶしを固めて、必死に殴りたくなる衝動を抑える。と、そこにカインが通りかかった。
「ゲッ、冷血ドラゴン!」
ロビンが、あからさまにカインから遠ざかった。当然カインは憮然とした表情を浮かべる。
「誰がドラゴンだ。俺は竜騎士見習いで竜じゃないと何回言ったら分かるんだ?
まあ、馬鹿には一生かかっても足りないかもしれないが。」
きつい嫌味に、ロビンの短い導火線に火がついた。
「んだとてめー!!てめーなんか自分の竜と結婚してろ!」
「馬鹿め。あいつはオスだ。それに本物の竜ならともかく、飛竜と人間じゃ結婚は出来んぞ。」
飛竜はとても賢いが、残念ながら人間の姿に変化できないので混血は無理である。
もっとも竜騎士の中には、自分の竜と結婚してしまったという、かなりのつわものが居るという噂もあるが。
こちらは普通の飛竜ではなく、代替としてつかわれているグリーンドラゴンなのでOKだ。
本当ならばの話だが。
「二人とも……食事の時ぐらい静かにしてくれないか?ケンカなら休み時間だけにして欲しいね。」
放っておけば、カインが論破するまで続くやり取りを早々にやめさせる。
やらせておくと、喧嘩の声で周りが迷惑するからだ。
教官に見つかって説教されるのもごめんこうむりたい。
「すまんすまん。ところでお前ら、何の話をしてたんだ?」
最近本気で喧嘩することがほとんど無い彼は、セシルの言葉でぱっと話題を切り替えた。
いつまでもだらだら続けるのは、彼の美学に反するのかもしれない。
「ん?話って言ってもな〜、セシルがローザの事好きって……」
「……!!」
ロビンが言いかけたとたん、カインは突然走り去ってしまった。
あまりに突然の事だったので、引き止めようと手を伸ばすのさえ忘れてしまう。
「カイン!?」
「あ、おいなんだよお前!?」
2人が大声を張り上げても、カインは振り返らなかった。

その日の夕方、食堂で会った時カインは昼休みの事を謝りに来た。
「昼間は悪かった。」といつも通りの様子だったから、
あの後何となく気になっていた気持ちはどこかに隠れてしまった。
セシルはロビンが言いたかった事を説明し、それでカインも納得していたという事もある。
少なくとも、見ていた限りではあの後彼の態度は変わらない様に見えた。
だが、今思えばそれは間違いだったのだ。恐らくあの時すでに、カインはローザに密かな思いを寄せていたのだろう。
走り去ってしまった事も、それで説明がつく。
何年も前の事実を、今更気がつくとは何とこっけいな事か。
自分でも間抜けすぎて、腹立つ気力もなえる。
それこそ悪友のロビンだったら、「お前激ニブ!」と言い飛ばしてくれただろう。
しかしその彼でさえも、風の噂でバロンからふっつりと姿を消したと聞いた。
他にも何人か、セシルやカインの知り合いで、投獄や国外追放された者が居るらしい。
どうせ、今は亡き偽バロン王・カイナッツオと側近のベイガンの仕業だろうが。彼らのことは、考える余裕も無かった。
恋人と親友。世界の至宝と最大の敵。
これだけ重い事が両の肩に乗っていれば、誰だってそれで一杯になってしまう。
その上に、行方不明になったままのリディアと、身代わりのように石化したパロムとポロムのことが重なるのだ。
悩みと心配事は増えるばかりで、一向に片付かない。
それどころか、セシルを押しつぶそうとするかのようにどんどん山積みになる。
「セシル殿?」
ヤンに呼ばれ、はっとセシルは我に返る。また、思考の世界に意識が飛んでいってしまった。
「あ……すまない。」
ここ2、3年で、すっかりこの悪い癖が染み付いてしまっている。
ばつが悪そうに笑うセシルを見て、ふうっとヤンが息をついて座り直す。
そして、静かに口を開いた。
「悩む事を悪いとは言いません。悩む事は、人を成長させることですからね。
ですが、これだけは言わせていただけないでしょうか?」
年月に応じた経験を感じさせる、包容力と品がある低めの声。
己の実力に決しておごらず、礼節をわきまえた大人の風格を漂わせている。
「え、ええ……。」
やや戸惑いながらも、セシルは彼の言葉に耳を傾けた。
ヤンは、わずかに口元に微笑を浮かべているように見える。
「抱えるものがあまりに重ければ、誰でも疲れて倒れてしまいます。
あなたは一人ではありません。ですから、もし相談に乗れる事でしたら、遠慮せずにいつでも私たちに話して下さい。
シド殿が言っておりましたよ?『あいつはいつも一人で抱え込むから、見ているほうが落ち着かん。』とね。」
ヤンの話を聞いているだけで、シドがどんな風にその言葉を言ったのか手に取るようにわかる。
少し濁った豪快な声が、耳に聞こえて来る錯覚さえ覚えた。
「シドが……。」
思えば、すいぶん彼には可愛がってもらった。
跡取り息子が欲しかったらしい彼は、まだセシルが幼い頃からずいぶん良くしてくれたのだ。
その分といっては何だが、色々心配もかけた。だから、もうかけさせないようにしていたのに。
「ええ。あの方は、いつも心配していますよ。勿論、私やテラ殿も。」
全く気がつかなかった。
こんな事にも気が付けないほど、自分は思いつめてしまっているのだ。
そう思うと、何だか申し訳なくなる。
「……ありがとう、ヤン。」
セシルは、いつの間にか下を向いていた顔を天に向けた。
流れる時は、いつか和解出来るチャンスを与えてくれるのだろうか。
若ければまだ先はいくらでもあるといわれるが、誰でも明日の保証は無い。
夜空にぽっかりと一つだけ浮かぶ暗いグレーの雲は、まるで今の自分のようだ。
あの雲は、どこへ流れていくのか。いつ朝を見つけるのか。
すうっと空を流れた流れ星は、願いをかける間もなく消えた。
「それじゃ……もうテントに戻るよ。」
しばらく流れ星が消えた後を見ていたセシルは、思い出したように立ち上がった。
「そうですね。明日に響いてはいけませんから。」
ほおに当たる向かい風は、少しばかり冷たかった。
それはまるで自分たちの行く末を示しているようで、決して優しくはない。
けれどセシルは、今の自分なら『向かい風』を乗り越えられる。そんな気がした。


―END―  ―戻る―

『超』久しぶりの短編です。2月ぶりですね、多分。
お寒いインク壷の肥やしをつくろう作戦その1です。
書きかけは山ほど溜まってるんですけど、一行に完成しないんですねこれが……。
話しの時期的には、中盤の男パーティになってから、
カインが取引を持ちかけてきてすぐの頃と思っていただければ。
この頃って、一番セシルの悩みが多い気がします。胃に穴が開きそう。
個人的に、ヤンが出せてちょっと満足。彼はいい人です。