とある写しの恋煩い

―とある写しの不純な夢―




誰だって、体があれば夢も見る。思いがけない突飛な発想が浮かぶ事もある。
まして寝ている間の事なんて、責任持てないのだから仕方がない。


それは大層しっとりとした、情緒溢れる場である。
白い壁に、木の柱と長押が落ち着いた色を添える古式ゆかしい和風の部屋。
障子の隙間からこぼれているのは、雲間から顔を覗かせる月明かり。
部屋の中の明かりは、オレンジ色の柔らかなランプだけ。
天井から下がる輝度の高い明かりは落ちていて、落ち着いた空気をかもしている。
そう、閨事にもぴったりな。

「……あの、今更ですけど……いいんですよね?」
ぽっと頬を染めて恥らう寝巻き姿の女審神者は、
肩甲骨の半ば程に伸びた亜麻色の髪を垂らして、そう囁いた。
年齢は20よりも少し手前か。ちょうど山姥切の外見年齢とつりあう年頃だろう。
鮮やかな唇は、すっぴんなのに薄く紅を引いたようだ。
「野暮だぞ。」
ぼそりと彼女の耳元で囁いたのは、金髪碧眼の男。
刀剣の付喪神の一人・山姥切国広だ。
青みを帯びた翠玉の瞳は、優しげな風情を帯びてうっとりとしている。
もっとも、とろけんばかりの微笑には、確かな下心が溶け込んでいるのだが。
彼は、この女審神者の刀剣ではない。別の主人に仕える存在だ。
本来こんな場所で同席するはずのない者同士が、何故ここにあるのか。
そんな疑問は、2人の中からすっぽり抜けていた。
「ふふ……そうですね。」
笑みを深めた女審神者の大きな栗色の目は、少しばかり潤んでいた。
面布の下に隠されていた瞳は、こんな色なのだろうか。
今この場で初めて目にしたので、これが真実かは分からない。
双方の意識外だが、何しろこれは夢の中の事である。
「……。」
それにしても、見上げる彼女は何と蠱惑的な視線だろう。
背徳性すら感じられるほどに、色気があった。
住まいすら異なる女が、まるで恋人のように腕の中にある。
その事実は、山姥切の体の芯に言いようのない熱をともした。
「優しくして、くださいね。」
「……ああ。」
正直言えば、希望に添える自信がない山姥切である。
しかし、不安がらせるのは男の恥とばかりに、ほんの少し虚勢を張った。
本性が刀剣であり、付喪神となってからも女性に手を出した事がない彼は、
いわゆる耳年増状態だ。
人間ではありえないほど色々な時代の閨事情を見聞きしたとはいえ、
実践はこれが初めてである。
だが、そんな手前勝手な都合で愛しい彼女を泣かせしない。
彼は優しい性根の男である。
意図して乱暴にするなんて事は、思いつきもすらしない。
戦場では鬼のように荒々しいのに。
その落差をおかしく思ったのかは不明だが、
そろりと自分の頬に伸ばされた手を取って、審神者は顔を赤らめる。
「大丈夫、だから……もう少し、その……。」
「みなまで言わなくていい。」
恥ずかしげに言葉を紡ぐ赤い唇を、節くれだった山姥切の指が押さえる。
時代が変われど、この手のことを口にすれば、耐え難い羞恥に染まるという女心は、
変わり映えのするものではないらしい。
古今東西普遍なものを見つけると、
思いがけない拾い物を見つけたような、感心したような気持ちになる。
長い時をさすらう付喪神であるからこそだろうか。
「なあ、――。」
「何ですか?」
亜麻色の髪がかかる肩口に、山姥切は顔をうずめて問いかける。
甘い香りが立っている。酒に酔ってしまいそうな心地だ。
「いや……いい名前だな、と。」
「ありがとう。私、自分の審神者名が気に入ってるんです。」
「誰が名付けたか知らないが、あんたに良く似合ってると思う。」
彼が知る審神者は何人も居る。
ほとんどが女性だが、いずれも自身の気質や特性を表した名を与えられている。
人によっては、真名よりもよほど的確にその存在を表現しているような気がする程だ。
そんな事を口にしたら、苦労して命名したであろう審神者達の親は怒るだろうが。
他愛のない雑念に思考を遊ばせながら、彼は亜麻色の審神者をそっと横たえた。
一心に彼女の事を考えたら急いてしまいそうで、努めて雑念を手繰り寄せたのだ。
「……ねえ、他の人のことを考えてません?」
目の前の彼女は、少し不満そうな顔をした。
嫉妬してくれたのだろうか。
そう思うと、清楚で清らかな霊力を纏う彼女も、良い意味で人間くさいと感じられた。
「すまない。……だが、すぐにそれどころじゃなくなる。」
お互いに、という言葉は飲み込んだ。山姥切の方からそっと優しく口付ける。
遠い記憶で見聞きした知識は正しいだろうか。触れる唇はとても柔らかい。
少し開かれたそれは、まるで食い合うように絡む。
その隙間から、ちろりと舌を伸ばす。
「んっ……!」
驚いてピクリと女の肩が跳ねたが、拒んでいるわけではないようだ。
彼女の元に『山姥切国広』が存在しているかは知らないが、
大まかな気性は存じているだろう。卑屈で自虐的で物静か。仕事には律儀な刀剣。
日常の彼はおおむねそれで語れる。
それからすれば、らしからぬ積極性と驚くのも無理はない。
けれども彼は、戦場に出れば別の側面を見せる。
生みの親たる刀匠の傑作という誉れを知らしめんという激情のまま、敵を屠るのだ。
戦場での高揚感と、色事の高ぶりは結びつきやすい。英雄色を好むともいう。
日頃消極的な彼とて、色欲に駆られれば戦場のそれと行かずとも、
積極的になるのは不思議でもなんでもない。
「……は、ぁ。」
濃厚な口付けを一旦中断すると、悩ましげな吐息が女から漏れた。
たったこれだけで、彼女の目は薄く水の膜が張って、息も荒い。
―傍観していた時は、こんな風には思わなかったが……。―
たまらないと、内心で山姥切は一人ごちる。
歴代の所有者達が、細君や妾を愛でる時の心地を実感して、
彼はすっかり己の欲に絡められていた。
―もっと、欲しい。―
再び山姥切は女の舌を絡め取った。
一旦息が楽になったと油断した彼女の口から、細い喘ぎが一声漏れる。
経験豊富な男なら、攻め口を思案して楽しんでいる所だろうが、
あいにくそんな余裕は彼には存在しなかった。
ただ、どうしたら目の前の女を乱せるか。そればかりだ。
数度に渡り口付けを交わしながら、彼女の着ていた巫女服を取り去る。
彼自身も服を脱ぎ捨て、女のひざを割って覆いかぶさった。
いつも被っている布なしで人前にいるというのは、少し気恥ずかしい。
だが一糸纏わぬ恋しい女を前に、そんな事に頓着する余裕はすぐに消えた。
「あっ、やだ……。」
鎖骨に舌を這わされて、女はむずがるように首を左右に振ろうとする。
その様子がなんともなまめかしく、山姥切は思わず生唾を飲み込んだ。
本性が無機物である我が身には、無縁と思われていた情動を感じる。
もっともこれは、彼が付喪神として生まれた時に、神の本能として備わっていた事だ。
たまたまそれを自覚したのが、今この時が初めてであるというだけで。
「人の身というものは、ずいぶんと敏感に出来ているんだな。
こんな、何でもない所でこうも感じるのか?」
「へ……変な事、聞かないでください!」
感心して呟いたつもりの言葉は、思いのほか女の耳には意地悪く聞こえていた。
顔を真っ赤にして、彼女はそっぽを向いてしまう。
「変なのか?」
「そうで――やっ!」
すっとぼけたような事を彼は口にして、きつく女の首筋を吸い上げる。
肌に赤い痕がたやすくついた。
こういう時にこうすると良いというのは、
不思議な位明確に山姥切の脳裏に浮かび、導いている。
見聞きした知識のおかげか、はたまた本能か。
彼にとっては、それで女を正しく愛する事が出来るのならば、どちらでも構わない事だが。
「あ、そこに付けられたら……。」
悟られるといいたいのだろう。女は困った顔をしている。
ここでそんな戸惑いを見せられても、
男の中の獣がより一層凶暴に目をぎらつかせるだけなのだが。
「見られてしまえばいい。あんたが俺の物だって証明だろう?」
「でも、それだと示しが――ああっ!」
御託は聞きたくないと言う代わりに、柔らかい胸の先端を口に含んだ。
空いた側も指で刺激してやれば、思惑通り彼女はあえぐ。
ふわふわして、それでいて弾力のある胸は、指を沈ませれば柔軟に歪む。
痛みを与えないようにと思うが、男は持ち得ないその感触に、
ともすれば歯止めが利かなくなりそうだ。
悲鳴が上がってからでは遅いので、努めて優しく触れる。
「んっ、あ……くに、ひろ……。」
鼻にかかった甘い声音が、山姥切の耳をくすぐる。
耳から脳髄が溶かされてしまいそうだ。
「そんな声で、呼ぶな……。」
「だって、ん……!」
「優しく出来なくなったら、つらいのはあんただぞ……。」
今でさえ、本能が先走るのを何とか理性で押し留めているのだ。
これ以上本能に駆られたら、
初々しい反応を示す彼女に、無体を働く事になるのは目に見えている。
「んふふ、優しいんですね。」
熱い吐息を吐き出しながら、女は山姥切の頭を抱きしめた。
ぎゅむっと胸に顔が押し付けられる。かっと全身の血が沸騰するかのように熱くなった。
「そういうところ、私……大好きですよ。」
鈴を転がすような声音の囁きは、紛うことなく殺し文句だった。
彼の理性は、見事に首を刈られて死に絶える。
「……どうなっても、知らないからな。
本気で嫌だったら、言え……。でないと、止められないからな。」
まくし立てるように言って、片手を胸から離し、わき腹をなぞってするりと下腹に這わせる。
本当はもう少しじっくりと慣らしてみるべきかも知れないが、
甘い声に止めを刺された彼に、もはやそんな余裕はない。
女は困ったように笑って、小首をかしげる。
「そんなに予防線張らなくても、大丈夫だと、思いますけどねぇ……。」
優しいから。というつもりなのだろうか。
どこからその信頼が出てくるのか、山姥切ははなはだ疑問だ。
嬉しいような困惑するような、複雑な気分が胸中をぐるぐると彷徨う。
「まったく、あんたは……。」
もう黙れと言わんばかりに、下腹に這わせていた手を足の付け根に忍び込ませる。
女の体がぴくんと跳ね上がる。
反射的に足を閉じようとしたが、
最初から山姥切の体に割り込まれているため、それは防がれる。
彼が探るように指を一本蜜壷に差し入れれば、
すでに潤い始めたそこは、とろりと蜜を垂らして応えた。
ついでに密やかな芯にも触れれば、一瞬高い嬌声が上がる。
己の手管で、確かに彼女は快楽を得ている。
その証拠を実感すると、ぞくりとした感覚が彼の背筋に走った。
早く食らってしまいたい。そんな凶暴な情動が身の内を焼いていく。
戦場で敵を屠る時の念よりも、禍々しくさえある。
「んっ、あぅ、国、ひろぉ……あっ。」
指で蜜壷を弄びながら、白い胸に赤い痕を散らしていく。
その度に女は浅い息であえぎをもらす。
気付けば彼女の肌はしっとりと汗で湿り、山姥切の手のひらに吸い付いてくる。
肌の一片に至るまで、彼に馴染んで離れない。そんな風に思える。
胸元に赤が増えるに連れ、蜜壷に差し入れられる指の数は増え、
女の体の震えも大きくなっていた。
「は……んっ、ああぁっ!」
女が背を反らし、電流が走ったかのようにびくびくと体を震わせた。
「あぁ……綺麗だな、――。」
熱を帯びた翠玉の目で、達した女を眺める。
乱れた髪の一筋すらも愛おしい。
そんな美しい愛情と、熟した機を悟って一つになりたいとうずく劣情が、まだらに渦巻いた。
その衝動に導かれるまま、彼は息を整えようとする彼女の腰を掴み、一気に押し入った。
「ひゃああっ!!ちょっと、まだっ――!」
「……悪い、もう限界だ。」
今まで痴態を見せられて、散々煽られていたのだ。
今更悠長に行くはずもなかった。
彼女が未経験かもしれないということにすら、頭が回っていないのだ。
もしも今まで誰も受け入れた事がないのなら、
こんなに性急に事を運んだら、いくら事前に慣らしていても苦痛一直線であろうに。
「国広、くに、ひろぉ!」
「くっ……!」
ただうわごとのように山姥切の名を呼ぶ彼女の中は、とても狭かった。
というよりも、彼自身を締め上げてきているというのが正しいかもしれない。
思わず息をつめ、眉間にしわが寄る。
「熱い……こんな熱は、鍛冶場だけかと思っていた。」
「あぁっ!だめ……そこはぁ……んんっ!」
艶めく声がひときわ甘くなる。
ぐりっと当たった場所が、たまたま彼女の過敏なところだったようだ。
もう一度その甘い声を聞きたくて、
山姥切は彼女の体を引き寄せながら、より強くそこに自身を押し付ける。
「やんっ!だめ、だめなの、そこはっ……ああっ!」
いつの間にか丁寧語も外れた彼女は、いやいやと駄々を捏ねるように首を振る。
びくびくと大きく体を震わせて、頬を真っ赤に上気させている姿は、
相手の情欲に火をつけるものでしかない。
「だめじゃないんだろう?むしろ――。」
「い、言わないで、そんな……ああっ!」
みなまで言おうとした山姥切の口を、女は必死に伸ばした腕で塞いでくる。
情事の熱で半泣きの目は、嗜虐心を煽った。
力の篭らない手を彼はあっけなく外し、彼女の腰を浮かせて最奥をえぐる。
女の全てを征服したい。深い根源に至るまで、全て。
所詮は刀に宿る付喪神。そんな事を考える事すらおこがましい。
日頃ならそんな卑屈な思考が頭をもたげたはずだが、情事の熱は偉大だ。
余計な自虐も何もかも、女を我が物にしたいという本能が蹴散らしていく。
「ああ、――、――。もっと、鳴いてくれ、聞かせてくれ……!」
最奥をえぐりながら女の審神者名を何度も呼んで、懇願するように低く囁く。
「いやっ、そんなっ、恥ずかし……!」
もう十分恥ずかしい事をしているじゃないか。と、一瞬思ったが、野暮なので口をつぐむ。
そんな事を口にする程、彼は馬鹿ではない。それに、恥らう姿はそそるものである。
「ひゃんっ!あっ、もっと、あんっ!やだぁ、くにひろぉ!」
身も世もなく喘ぐ女の言葉は、意味を成した羅列ではない。
意味を成すのは、恋しい男の名前くらいか。
情欲に溺れて、気付けば彼女は自ら彼の腰に足を絡めていた。
意識してはいないだろうが、無意識で女は山姥切の行為を促す。
望まれているなら重畳。
痛がる様子も一向に見えないので、彼は遠慮なく女を貪り続けた。
心地よい彼女の中を、いつまでも味わいたいと思うも、気付けば彼の限界も間近だ。
せり上がる衝動に、ぐっと歯を食いしばる。
「くっ、もう――!」
「あっ、私もいっちゃ――ああぁーーーっ!」
今までで一番強い、いっそ酷なほどの快楽のうねり。
ペンキで塗り潰したように、2人の頭が真っ白になっていった。
思考が焼き切れるその刹那。
山姥切は彼女の中を己の色で染め上げた事を悟って、知らず高揚感を覚えていた。
体を通して想いが通じ合う瞬間というのは、世界で一番幸福な瞬間に違いない。


そんな絶頂の中。不意に山姥切の視界が切り替わる。
「……夢?」
彼が呆然と見上げた先にあるのは天井。見慣れた私室のそれだ。
先程までの出来事は、夢である。
現実に起きたように、頭から終いまで事細かに脳裏に刻まれているが、れっきとした夢である。
何度も重ねて書き連ねるほどに、紛うことなく夢である。
おいしい思いの詰まった素敵な夢である。
とはいえ、それを素直においしいと感じるには、彼はいささか生真面目すぎた。
意識が覚醒すると共に、顔にじわじわと熱が集まる。
「なっ……あっ……〜〜〜〜っ!!!」
声にならない奇怪な叫びがのどから漏れた。
がばっと上掛けを頭まで引き上げて、うつ伏せに丸くなる。
いたたまれない。出来るものなら、今すぐ主人に頼んで炉に放り込んでもらいたい。
何言ってんのあんたと、呆れ返ったレンガ色の釣り目に半眼で睨まれても構わない。
夢の女の優しい栗色の目とは、全く似ても似つかないあの目に睨まれる位でちょうどいい。
何なら、炉ではなく池に放り込まれてもいい。
熱して鉄に還るか、水で全身キンキンに冷やしたい。
思考回路がすでに相当支離滅裂なのだが、本丸中に響く声で叫びだしたい衝動を必死にこらえている反動である。
よりにもよって、今まで見た夢の中で一番詳細に記憶している夢が、
淫夢極まる代物とは何事か。
ちなみに夢の彼が散々審神者名を呼んで睦みあっていた彼女は、よその本丸の審神者である。
先日演練で見かけた、可憐で美しい女性。
思わず見とれてしまったが、その可憐な花を、夢とはいえ何て仕打ちに。
聖域を穢したような心境が、一層山姥切のいたたまれなさに拍車をかける。
「誰か……誰か……。」
布団の中、亀かカタツムリのように引きこもりながら、震える声で彼は呟く。
「俺を……俺を……うわぁぁぁぁーーーーっ!!」
ついに我慢できず絶叫してしまった山姥切。
その声を聞きつけた近隣の部屋の刀剣達が駆けつけて、
朝っぱらから一騒動巻き起こり、彼が余計に死にたくなったのは言うまでもない。


―END―  ―戻る―

とある写しの恋煩いシリーズ。時系列はインク壷にある「一目惚れ」が先ですが、書いた順序はこちらが先。
一目惚れした鴇環(ときわ)の審神者相手に、いきなり見た夢がこれという喜劇。
ちなみにこの夢は、「エロい夢」として延々シリーズ内で引っ張られるという落ちつき。
ちなみに目の色が設定上の柘榴石の色ではなく栗色になってるのは、文中にある通り、彼が目の色を見てないせいです。