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「釜山アジア競技大会2002」

           〜オマーンVS韓国戦応援記

 板倉昭子

 人を好きになるのに理屈はないように、なぜオマーンが好きかと聞かれてもうまく答えられない。「一度オマーンという国へ行ってごらん」としか言えないのだが・・・。
 2002年アジア大会のオマーンの応援に、友好協会からも行くと決まったので早速申し込み、二十二名の参加者の一員として九月末、韓国へ向けて出発した。
「必勝」と書いた広島名産の大しゃもじを贈呈のため、釜山のロッテホテルへ先ず行く。
  待つほどに、オマーンのオリンピック組織委員会・モハマド・マバーン・アル・マアマリ会長(青年スポーツ・文化担当大臣)が昼食を終えて現れ、友好協会の福島団長と固い握手。しゃもじの贈呈。しばらく歓談が続いた後、大臣を囲んで記念撮影。
 いただいたオマーンのハンジャ(短剣)と、アジア大会の五輪とを組み合わせたバッジをそれぞれ服に着け、宿舎のコモドアホテルヘ向かう。

  

 荷物を置いてすぐ、開会式のある釜山アジアードメイン競技場ヘバスで移動。やっと見つけた席は選手入場口の真上に当たり、入場する選手の背中ばかりを見ることになった。ひときわ目立つオマーンの民族衣装の団長、選手たちが、会場を一巡し、何とか顔が見える所まで来た時は、日本とオマーンの二本の小旗を両手に持ち、みんな立ち上がって懸命に振ったが、見えただろうか。

 翌日のオマーン対韓国のサッカー戦は午後七時から梁山会場にて。
 広島から持参したオマーンの大国旗のアルミのポールが『武器になる』という理由で持ち込み禁止となり、二本とも入口で預けさせられたのは残念だった。プラスチックならよいのだそうだ。

 大国旗は応援の時、振る予定だつたのを、急遽、応援席の前の手すりに紐で吊り下げ、アラビア語と英語の横断幕[勝敗は時の運ですが、私たちは心からオマーンチームの勝利を願っています]も並べて吊り下げた。
 韓国色の赤が会場を埋め尽くし、韓国側の応援の大合唱が夜空を揺るがす中で、オマーンの若い選手たちはよく戦った。
 試合は五対二で負けたけれど、広島の一館一国応援運動から学んだという、韓国のオマーン応援団がいて、オマーンの旗を振り続けてくれたのが少し嬉しかった。
 「さようなら選手たち・・。遠い所からご苦労さま。次の機会を頑張ってね・・。」と心の中でエールを送りながら梁山を後にした。