天上の海・掌中の星

    “意外や、意外?”


 さすがに四月も目前ともなれば、昼間の時間が随分と長くなり。陽が落ちた後も、しばらくほどは仄明るい黄昏どきが続くようになって。その白々とした明るさを滲ませたキッチンにては、

 「…っと。もやし、もやし。」

 筋骨しっかり ぎゅぎゅうと引き締まっているもんだから、背中におまけがくっついたパーカーなんてものを着ていても、しゃきりと着痩せして見えるのだけれども。骨格がっつり、肩幅しっかり。胸板も厚く、腹筋はきれいに割れていて。結構大きめのフライパンが小人数用に見えるほど、ごつりと大きな手も頼もしけりゃあ、顎の下、きりりすっきりした おとがいから連なる首元にも、油断のない筋骨の陰影へ男の色香をまとわして。どこを取ってもなかなかに見ごたえのある男衆。そんな雄々しいお兄さんが、キッチンのガスコンロの前に立ち、フライパンをあおる片手間に冷蔵庫の中を覗いて、みそ汁の具を物色していたりするのが、当たり前の風景となって久しい此処は、決してけして、プロレス道場とか合気道の合宿所とかではありませんで。
(苦笑)

 「若鷄の唐揚げ マヨチリ風味に、キノコとキャベツの塩炒め。
  ポテトフライに、トマトのシュリンプサラダ詰め、
  ひじきの炒め煮にモヤシとちくわのみそ汁…と。」

 今宵の晩餐のラインナップを確認し、配膳台に載った完了分をちらと眺めて。後は炒めものだけかと、瑞々しい春キャベツを一玉、まな板へと載せ、手慣れた包丁さばきでざくざくと切り分け始めた彼だったものの。その手が ふと、

 「………。」

 ふと、一時停止してしまう。

 「…。」

 手元のキャベツに不具合を見つけた訳じゃあない。何年もかけて培った見立ての目は、今や八百屋のおばちゃんのお墨付き。でも、

 「…。」

 ついつい…そう、刃物を使ってる最中に眸を離すと危ないという、基本にのっとっていたそのついで。その目の先に たまたまあったキャベツを、じっと見下ろしているだけのこと。キャベツへじゃあなくの何かしら、思い出したことがあり、それで、そちらに意識を奪われてしまっただけであり。だからして、

 「…っ。」

 ふっと、漠然としていた想いが輪郭を取ったか、それとも、そのようなことへ気を取られていたこと自体が腹立たしかったか。視線がひくりと弾けて、それから。

 「……っ!」

 雄々しい腕が頭上へまでと高々と掲げられ、絶叫マシンのフリーフォールよろしく、
頂点から一気に だんっと、力強くも振り落とされ………かけたのだけれども。

 「こらこらこらこら、キャベツにもまな板にも罪はねぇぞ。」

 剣道や居合いで言うところの“寸止め”というギリギリのところで、包丁の刃がぴたりと止まり。柔らかそうな葉をフリルのごとく、ふわんとふくらませた春の使者、若緑のキャベツにギリギリ触れるか触れないかという位置にて、ぴたりと止まった包丁の柄、ぎゅぎゅうと握った雄々しい拳の甲の側へ、なおの力を思わせる筋が数本、ぴききと立ったのだけれども。

 「く…っ。」

 力自慢が振り切りきれない、何らかの封咒をかけたらしいのが、宙空から現れる。

 「何しやがった、グル眉。」
 「だから。罪のないキャベツへ八つ当たりしてんじゃねぇっての。」

 春だというのに濃い色のダークスーツでその痩躯を包んだ相棒が、形のいい長い指、チッチッチッとワイパーのように振って見せれば。

 「…っ。」

 無体な刻まれようをしかかっていたキャベツが まな板から消えて、既に半分に切られてはいたそのまま、聖封様の手元へ移動する。
「大体だ。こんなぞんざいな切り方したんじゃあ、炒めやすくって ほぐすのが大変だろうがよ。」
 こんな段階でズボラしてんじゃねぇよと。そちら様こそ慣れた手つきで、流しにおかれたザルの中へ、柔らかな葉をちぎっては落とし込んでゆく。さすが、こちらの破邪様へ、料理のいろはを教えたコーチ殿なだけはあり、手際のみならず、そのお言いようも いちいちごもっともだったりし。

 「…偉っらそうに。」

 ぼそりと言って、だがまあ、大人げないには違いないとの自覚も沸いたか。緑頭の破邪様、少々勇んでた肩を落とすと、いきなり高ぶった何かへの気概、ふしゅんと萎ませてしまわれて。

 「大体よ、一体何を思い出したんだってんだ?」

 刀だ刃物だの扱いに限っちゃあ、俺以上に色々心得てるお前がよ、雑念に目が眩んだ末にあんな振るまい仕掛かるとは…と。きれいにほぐし終えたキャベツをざっと流水ですすいでから、ザルごと調理台の上へと乗っけて。さあさあ言うてごらんなと。水色の双眸たわめて、寛大な助言者のお顔を取り繕うサンジだったが、

 「…お前が女以外へ親身になるなんて、誰が信じんだよ。」
 「あ、言ってくれるねぇ。」

 思い切り“疑わしい”という目付きを眇めるゾロの言いようもまた、ある意味、ごもっともなこと。ここにルフィやナミが居合わせたとしても、やっぱりゾロの側へと同意しただろうことは否めない。

 “…そこまで言いますか。”(あっはっはっ)

 おいおいと肩をすくめて、
「今はな、これでも春のキャンペーン中なんだよ。」
 確かに むくつけき野郎相手に親身になんのは俺としても心外だけれどと、やっぱりかという真意を零しての、だがだが、

 「お前がそんな風なのは、あのおチビさんがらみなコトへだろ?」

 お子様へのサービス枠は、これでも多めに取ってる身だかんなと、そういうことならしく、にっぱり笑った彼だったのへ、

 「…大したことじゃあないんだけどな。」

 相手の真意へまで警戒でもしていたものか、やや尖った眼差しをしていたものが、やっとのことで力を抜いて。腰へと引き絞るように巻いた、ギャルソン風の長いエプロンを手早く外す。それを無造作に載せたテーブルには、A4版くらいのバインダーが置かれてあって、

 「? 回覧板か?」

 こちらでの仕事が専門なので、下界の知識もそれなり持ってて不思議はないが、それにしたって、このきらびやかな風貌で すぐさまそれと判る辺り、
“…まあ、ここんとこ此処に入り浸るようになってっし。”
 今時の日本のあれこれへ詳しくなっても当然だろうと、やっと苦笑を零せるまで落ち着いたゾロが。やや重たげな吐息をつくと、忌々しげにそのバインダーを見やって、

 「今度、町内会の花見があってな。そのお知らせだ。」
 「……それがどうして、そうまで渋面作る理由になんだ?」

 人の気持ちを読むのは得意だし、相手がこの、長年の相棒ともなりゃ、よほどに錯綜した事態の最中でもない限り、ぎゅうと寄せられた眉間のしわの深さで、ある程度は不機嫌の度合いも読み取れる。そんなサンジの言いようへ、ますますのこと眉間をしかめたゾロだったものの、


  「…………油断も隙もねぇなと、思っちまってよ。」

  「はいぃ?」





        ◇◇◇



 それ以上のことは、どんなに宥めてもすかしても、頑として話さぬ相棒さんで。ただ、ルフィが何か言うとかするとかしての不機嫌じゃあないらしい。腹を立ててる自身への、情けなさも加算されてのそれであり、それが証拠に、

 『たっだいま〜〜っvv』

 そのルフィが部活の練習から帰って来ると、わたわたと慌てて居住まいを正すような態度を取った。
『凄げぇ、いい匂いっ。あ、サンジ、来てたんかvv』
『まぁな。ああでも、今夜の飯は俺は手ぇ貸してないから。』
 いつものように、こいつが丹精して作った傑作だ、ありがたく喰ってやれ。そんな言い回しへ、おうっと元気に腕を振り上げ、満面の笑みこぼした坊やだったのへ、やれやれと、まんざらでもないなというのとが、見事に入り交じった顔になってた破邪殿であり。

 “……となると。”

 勝手な感情だということも重々判っていての、不機嫌だったということか。これがかわいいご婦人の葛藤ならともかく、野郎の煩悶では、あんまり深入りしたくはないが、
“自分で何とか出来ようほど、慣れてもなかろうしな。”
 まずは根っこを見極めないととか、いやいやあいつ自身に当たってみた方が手っ取り早いかもとか。ああかこうかと作戦を手繰っていた、ルフィ坊やのお家の屋根の上。まだ白々と明るいうちだとはいえ、いい子は帰って家族と夕餉を囲む頃合いだというに、

 「……から、あたしたちも行くんだよvv」

 彼の耳へはそりゃあ自然にすべり込む波長の、愛らしいお声がし、何だ何だと足元を見下ろせば、3人ほどの女の子の姿がすぐ傍らの通りに見えて。
「そっか。じゃあ場所取りから出て来たほうが得だぜ?」
 それへと応じているのが、当家の坊や。回覧板を次の家へと渡しに出た彼を、通りすがった彼女らが呼び止めたらしく。場所取りと言えば、

 “花見の話、かね?”

 ルフィが童顔で無邪気なものだからついつい失念しがちだが、そんな彼と向かい合う女性陣らは、制服姿だのに仄かに化粧もしの、随分と大人びた雰囲気がしており、
“今日びの高校生ってのは、あのくらいで標準なのか?”
 女子大生と言って通りそうな、だがだが、どこかで…体型とか見た目だけではなくの寸が足らない風情もあって。それを裏打ちするかのように、

 「え〜、なんでぇ?」
 「朝早くってまだ寒いじゃん。」

 大仰にも蓮っ葉な声を上げるところが、やっぱり幼いと苦笑を誘う。そんな反駁へ直接向かい合ってたルフィはといえば、

 「でも、今年はゾロも場所取り係だぜ?」

 王手飛車とり、とでも宣言するように、びしりと言ってのけてやれば。その途端に、え〜っといういかにも不満そうだった女の子たちのお顔が、現金にも一斉に“わあvv”とほころんだ。

 「じゃ、じゃあ行こっかな。」
 「そうだね。どうせ暇だから参加すんだしさ。」

 “……ほほぉ?”

 成程、こういう形で気にされておいでの手合いが、こんなご近所にいるんだあのやろがと。案じてやって損したとまでは言わないが、それでも“いい気なもんだ”と肩を竦めておれば、

 「…サンジ、いんだろ降りてこい。」

 じゃあまたねと、ワクワクしもって立ち去る彼女ら見送ったまま、ルフィがそんなお声をかけてくる。気配は消していたその上、こんなとんでもないところに立っていたっていうのにね。さすがは陰体の気配をあっさり拾える特別な子供なだけあって、そこへとまして、親しい間柄の相手、気づかんでどうするかと胸を張るかと思いきや、

 「勝手なもんだろ。あの子ら皆ゾロが目当てなんだぜ。」

 まだ何にも訊いてないうちから、そんなことを語り始めて。秋口の町内会のレクでサ。あ、ウチの町内会って異常なくらいに仲がよくって行事も多くてサ。遊園地に行ったんだけど、小さい子たちだけじゃなく、あの子らも一緒に来てたんだよな。そういう集まりとか煙たがる年頃なのにねぇなんて、大人たちが不思議がってたけどサ、

 「何のこたぁない、俺のお供でゾロも来たんでって順番でついて来たらしくてサ。」

 そんなお言いようをする坊やだが、リビングの大窓からこっちを見ていた誰かさんの表情には、全然別の感情がこもっており。

 “……何なんだかな。”

 ゾロがむっかり来ていたのも、恐らくは似たような感情。しかもしかも、

 “確かにな、こいつも結構な鈍感だしよ。”

 先程のお嬢ちゃんたちは、何も3人共にゾロが目当てってんじゃあなかったと。そこは人の心という領域のたたえる色合いさえ、微妙に嗅ぎ取れる聖封様で。3人が3人とも、実はルフィにも結構な度合いでの好意を持ってたと、とうに気づいていた模様。面と向かって素直に好きよ好き好きと態度に出すのが照れ臭いのは、実をいや この年頃なら男子も女子も変わりない。少年誌によくある、女の子が大胆に擦り寄ったり言い寄るなんて図こそ珍しく、最近の風潮のように言われている“ツンデレ”こそ、十代女子の王道なのだ。そこんとこ、間違えないように男子。(いるんかい、ウチに来る人に。笑)何にでも持ち出される“かわい〜いvv”とかいう手合いの上からのそれじゃあない、しっかりと“かっこいいvv”な部類での好き好きを抱えていた彼女らへ、いやさ、もっとたくさんいるのだろう愛らしい好敵手たちへ、らしくもなくの焼き餅やいてた破邪殿らしいと、

  “……さぁて、どのタイミングで教えてやろっかねぇvv”

 さすがに暮れ始めた黄昏の中、むむうと膨れる坊やを前に、ゾロの嫉妬から話してやったがいいものか、そこは隠してやるのが武士の情けってやつかしらんと、楽しい算段固め始めた聖封さんであり。勿論のこと、あまりに馬鹿馬鹿しいてんまつだったので、ゾロにはケアなしでも良かろうだなんて。そうまで思ってるサンジさんであっても、これは仕方がないと思う人、手を挙げて。
(おいおい)






  〜どさくさ・どっとはらい〜  09.03.31.〜04.01.


  *妙なお遊びに構けていたんで、都合2日かかってしまいましたが、
   書き終わってみれば、何のことはない、
   お互いこそが好きなんだよんというのを、
   またぞろサンジさんへ見せつけただけな二人でございまし。
   …いい加減に、付き合いよすぎることへ気づけ、サンジさん。

めーるふぉーむvv めるふぉ 置きましたvv

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