天上の海・掌中の星

      “梅雨宵一景”


 どうやら梅雨に入ったらしいとのお知らせが、気象庁からあったその前後だけは、何とかそれらしい雨も降ったけれど。その後は微妙な日々が続いた。からりと晴れるという訳じゃあない。だがだが、ならば雨かというと、お湿りにもならない程度の小雨が、思い出したように時たま ぱらりら降るくらい。湿度は高いか、蒸し蒸しするけど。気温も、まま西日本なぞでは高いらしいが、

 「空梅雨ってのになると、夏場に水不足になっからなぁ。」

 なったら困るか? ああ困るな。水道の使用制限とかが掛かりゃあ、そうめんだの冷やして食べるもんとか、よっく洗った方がいい生野菜なんかの料理がおいそれとは作れなくなるしと。上背もあれば筋骨隆々、野性味あふれる精悍な見栄えなのを大きく裏切って、まずは料理の心配をするゾロな辺りが、食べ盛りさんを抱えておいでの“主夫”らしき見解であり。ちなみに、二人してソファーに陣取って観ていた、ニュースショーの気象予報士のお兄さんはというと。夏場に育つ作物の生育に影響が出ますしと、さすがは大人のご意見をまずはと述べておいでで。そんな高尚な(?)見識には、微妙に縁遠いこちらのお二人にとっての、次なる予見はというと、

 「あとは…そうそう、プールも使用禁止になっちまうかもしれない。」
 「あーっ、それは困るっ!」

 座面の上へ足元を引き上げての胡座をかいてた坊っちゃんが、ああそれがあったと弾かれたように驚きのリアクションを見せ。言ったお人が、その両腕をソファーの背もたれへと引っかける格好にし、ゆったり開いてた胸元・懐ろへ、どしよどしよと飛び込んでのむしゃぶりつく。夏休みと言えばの娯楽の筆頭。元気な坊やにはなくてはならぬ遊び場なのに、そこが封鎖されるなんて一大事とばかりなこの言動には、さして大仰なところはないらしく。むしろ、いかにもお元気ありあまる“彼”らしい反応でもあって。

 「なあなあ、そうなったらどうしようか、ゾロ。」

 これが“彼”が相手でなかったならば、まあ落ち着けと宥めるような口調と裏腹、うっさいなぁという意を込めた、拳骨の一つも賜ってたかもしれないが。この坊やが騒がしいのは今更だったし、それにそれに、こうやって懐かれるのは…まんざらでもなかった誰か様。大きな双眸、やや不安げに潤ませまでしている坊やに至近から見上げられ、

 「…まあ、プールばっかが泳ぐとこでもねぇだろよ。」

 お声が低くなったのは、そうそう興奮すんなと宥めるためもあったけれど。既にその小さな顎先が、こちらの胸板に埋まりかけており、総身はもっと密着していての、どちらかと言えば人様を敷きパッド扱いにしかけているよな のしかかりよう。勿論のこと、弾かれた感情に任せた末のものであり、じゃれ掛かりの延長なのではあろうけれど。だったらだったで、これ以上興奮させてのじたばたされちゃあ剣呑だったし、そんな案配で擦り寄って来ていた坊やなのが、妙に愛らしいと思えた破邪様。いい子いい子と大人しくさせる方へと話の舵を取ってみる。

 「…? プール以外って何処だ?」
 「例えば海に行くとか。」
 「海っ?」

 語尾の跳ねように、ルフィの頭の見えないお耳が ぴくんと立ったのが見えたような気がしたゾロで。ちょっぴり身を起こしたのを引き留めるように、こちらの肩や胸元へと突いていた腕へするりと手を添えてやり、
「別にリゾート地じゃあなくたって構わねぇなら、瞬間移動で出掛けりゃあいい。そんなら、宿や移動への予約がどうこうって心配も要らねぇし。」
「そかっ! そだよなっ!」
 そうかその手があったか、でもそれだとウソップとかは一緒に行けないな。なんのエロマユゲの暗示を借りりゃあ、電車乗って出向いたような気にさせられもするから、問題はねぇさ…と。そうは思えぬ乱暴なお言いようにて、実はこっそりと…相変わらずの過保護っぷりをご披露している破邪様であり。お耳どころか尻尾まで振っているのだろ、やったやったと喜び勇んでおいでの、愛しい坊やのはしゃぎようをじっくりと堪能していた破邪様だったものの、

 「で? 感想文はどこまで進んでる。」

 何げない口調で訊いたその途端に、

 「う……☆」

 喜びの絶頂にあった坊やがピキンと固まるから面白い。くどいようだが、この童顔のちびちゃい坊やに限ってだけは、不器用なりにそれでもとことん過保護な破邪様であり。朝昼晩の食事の支度や掃除に洗濯、学校がある間は昼のお弁当も作ってやる手の尽くしようだし。そういった家事だけにとどまらず、学校行事もきちんとチェックし、忘れ物はないか、やっとかなきゃならない準備はないかと、のんびり屋な坊やの尻たたきも請け負っての、保護者の任をきっちりと全うしておいで。感想文というのもそのうちの一つのようなもので、現代国語の先生から、指定された小説を読んで、内容と感想をレポート用紙何枚かへまとめておいでと言われているルフィであるらしく。固まったと同時、ぽそんとこちらの胸板へお顔を埋めた坊やなのへ、顎を引いての見下ろして、ほれほれ、どしたと髪をやや手荒にまさぐってやれば、

 「………まだ。」

 くぐもったような小さな声が返ってきた。しばらくほど、じっとそのままでいたルフィだったものの、

 「………。」
 「………。」

 自分のはともかく、ゾロの側の根気よく続く沈黙が。まだ言い分はあるんじゃね?と急っついてるようにでも思えたか、

 「だってよ、来月頭の期末考査は俺だってちゃんと出んのによ。」

 がばぁと顔を上げての反論がそれであり。

 「何で俺だけレポートのおまけつきなんだよ。」
 「それはだな。その後にすぐ、柔道の都大会があるからだ。」
 「???」

 どうせお前のこったから、赤点を取るに違いない。だがだが、試験休みの末頃に設けられる“補習”とか、夏休みに入ってすぐの“夏期講習”とかには、高校総体代表合宿があったりするから到底参加出来まいと、そこまで見越しての前倒し…だと思うが?と。まるでゾロがその教諭ででもあるかのように、すらすらすらと応じたもんだから。しかも、ややこしい おためごかしや何やの挟まらぬ、スパッと明解な言いようだったもんだから。

 「……見越すか、普通。」
 「落第だけはさせまいっていう、先生からの恩情だ。」

 だから励めということか、再び懐ろへと沈没した、愛しい和子の髪をまさぐる。こうしているとただの甘えたれな男の子。高校生だってのに、今でも時々中学生扱いされてる腕白なおチビ。でも実は、柔道の世界で期待されまくりな新星で。生来の勘のよさとずば抜けたバネを生かして、どんなに体格差があろうと、はたまたキャリアのある相手だろうと、ほいっという絶妙な畳み掛けにて技を仕掛けて、あっけなくも素っ転ばしてしまう猛者であり。それからそれから、

 「………。」
 「…何か見えてんなら言えよ?」
 「うん。」

 彼の魂が特殊であるがため、そこへと惹き寄せられてしまう“招かれざる客ら”というのがあって。ホントは人間じゃあないゾロが、最初はしょうことなしに、今じゃあ何よりも最優先で。どちらかというと そら恐ろしい存在たちによる蹂躙から、この子を護りたいと、望んでこうして傍にいるのであって。

 「ルフィ?」
 「…う〜、今日はもうやめ。」

 蒸し暑いからと、薄いTシャツにジョギングパンツという軽装になってる坊や。何とも無防備に ぼふりとこちらへ埋まっておいで。

 「堅いばっかで居心地悪いだろうに。」
 「そんなことないもん。」

 ゾロって力持ちでもあっけど、瞬発力もあっからさ。そこんとこが俺と一緒で、柔らかい筋肉もあって、それがふかふかしてて気持ちいい…と。そっちこそふわふかな頬をぐりぐりと胸元へ擦りつけて来る幼さよ。

 「それにいい匂いするし、こやってるとゾロの声が胸からも聞こえるし。」

 二人しかいないのに声を張り上げてもしょうがないから。先程からは殊に、声を低めて囁くように話しかけている破邪様で。大好きな声が、深みを増してのこちらの胸へ、じかに響いて届くのって、

 “凄っげぇ気持ちいい〜vv”

 ……きっと、大人に撫で撫でされて気持ちいいって感覚なんでしょうよね、恐らくは。にまにま・うくくと、妙に楽しそうにしている坊やを抱え、やれやれと小さな吐息をついたゾロの側の内心はというと……

 “またぞろこのまま寝ちまって、二階までを抱えてかないといかんのだろうな。”

 重くはないが、それって躾けとしちゃあいいことじゃあないかも…と。こちらさんもまた、五十歩百歩なレベルのそんなこと、困った困ったと案じているようだけど。けどでもお顔は正直に、くすすという苦笑を浮かべておいで。困っているのと裏腹に、こんな至福はありませんという眼差しで、愛しい和子を見下ろす彼へ。窓の外では軒に下がったてるてる坊主が夜風にゆれて。もっと頭上で群雲に取り巻かれている煌月見上げ、明日のお天気を語り合っているようにも見えておりました。

*****

   〜Fine〜  09.06.24.


  *今年の5月6月は異様に早く過ぎたような気がします。
   やっぱ、どたばたしてたからですかね。
   ああ、そろそろ完全に夏の衣類とか布団とか用意しなくちゃだなぁ。

めーるふぉーむvv ご感想はこちらvv

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