天上の海・掌中の星

      “きよし この夜”


 師走に入ってすぐ、それまでは穏やかな方だった秋の終わりが、突然の底冷えに襲われ、冬の初めを知らしめた、日之本は武蔵の地にあって。その寒冷を運び来た気団に、こそり紛れるようにひそんでいた“瘴気”の満ちた空域を、そういう感知は専門外な破邪殿の方が見つけたのは単なる奇遇であったので。そっち担当の聖封殿が面目を気にすることもなかったのだけれど。

 “してねぇよ。”

 あらあら、そうでございましたか。結界の咒弊を巡らす手際が、どこか棘々しかったものですから。こりゃあてっきり、そういうのは俺の担当だってんだとばかり、自分よりも先に気づいての、精霊刀を構えてた同僚の後ろ姿さえ 気に食わぬという種の、不愉快抱えておいでかと。

 “〜〜〜。(怒)”

 まま、話が進まぬので揚げ足取りはこのくらいにして。寒いというより冷たい、そりゃあ冷ややかな風の吹き抜けたその後へ。妙に陰気な雲がするすると翔って来て、今にも雪が降るんじゃないかというよなぽっかりとした静けさ、気配の空隙のようなものを齎
(もたら)したものだから。勘違いならそれもいい、だが もしかして障りだったら…今宵をふいにされぬよにと。形になる前に確かめとこうと、寒々しい曇天を駆け登り、怪しい雲間にその存在を見つけたという順番だとか。ゾロが昼日中からそんな行動に出たことで、何かあったなと駆けつけたサンジとしては。本来だったなら自分が気づくべきものの存在へ、うっと怯むよに言葉を無くしたものの。出遅れた言い訳よりも、何でどうしてという自問自答よりも、もっと優先するべきことというのを見失うことはなく。冬場には珍しい積雲の群れの中に厳かに直立すると、荘厳な協奏曲でも指揮するよに長い腕を振り上げ振り下ろし、宙に咒陣を幾つも描いてその空域を支配にかかる。何が起きてもすぐ真下の地上はもとより、広く陽世界への影響が出ぬようにという、空間束縛の結界を張り、その中央に問題の瘴気とそれから、

 「………。」

 冬の陽に刃先を撫でさせての正眼の構え。持ち重りのしそうな、骨張った大ぶりの両手にて、精霊刀の白い柄をぎちりと握りしめているのだろ。戦闘担当の破邪殿の、筋骨の隆としまった背中を見やる。真水の中に何かが混じり込んでの揺蕩
(たゆと)う澱(おり)のような、もしくは宙に揺らめく陽炎みたいな曖昧な存在だったものが。その身を載せて漂っていた風を結界に堰き止められたことで濃度を増し、ぱちぱちっと小さな放電起こしての…それからは速かった。陽炎のような、妙な屈折による透明な陰のような部分が、するするっと色を持ち、やはり真水に落とした色水のようなあやふやなものだったのも刹那のこと。何かしらの形を取り始めたようなと思うと同時の あっと言う間に、足の多い獣のような、明らかに異世界の存在だろう実体を現して見せて。

 「…何だ、こいつは。」
 「西の聖宮の森に巣喰ってる“狗妖”だよ。」

 ゾロの思わずのそれだろ呟きへ、すかさずのように助言を投げて来たサンジは、

 「但し、そこまでガタイが大きくて、
  凶暴そうな牙 持ってんのは見たことねぇがな。」

 そんなありがたい付け足しまでしてくれた。このシリーズにてはお馴染みである“理
(ことわり)”の一つが、陽世界とその他の異次元世界の境界にある障壁で。互いの世界が決して混じり合わぬように設けられた“それ”は、不思議物質で作られた頑丈な壁があるのじゃあなくて。合(ごう)という錯綜型の結界障壁が、特殊な鍵を幾重にもかけているがため、複雑で高度な手順と咒を紐解いてでなければ通過は出来ぬ。力技で無理矢理突き通ったとしても、互いの世界を構成する素養が大きく異なるので、陸に打ち上げられた魚のように、或いは強酸の海へ落とされたように、非力な者ほど無事ではおれぬ。

 「…暴走したか。」
 「そんなこったろうな。」

 強い意志のない獣の場合は、十中八九、障壁を構成する地脈や磁場の発する歪みに呑まれてしまっての“紛れ込み”という手合いであり。途轍もない苦痛や衝撃に遭ってのこと、その身も精神も崩壊してしまい、苦痛や恐慌からただただ暴れて、乱入した先にて被害を齎す“疫魔”や邪妖と化してしまうので。

 「あんま、苦しめてやんな。」
 「了解。」

 毛並みの名残りか、総身をくるむは青白い燐炎。大きく裂けた口許に、ぬらぬらした牙を食いしばっているのは、苦しみ耐えてるためかも知れぬ。何か誰かに食いついて、がっと叫んで身もだえし、痛みを紛らわしたいのだろ。こうなっては元の世界に戻すも叶わぬ。哀れではあるが、手早い処断を下してやるのみ。6本の足を宙に踏ん張り、頭を下げての唸り声も低くなっての、こちらをジリリと睨み据えているのへと、

 「いい子だな。全力でかかって来い。」

 意識も闘気も、他へと逸らさせず逃させず。腰を落として視線を絞れば、

  ―― がっふ・ぐるるぅうぅ……っっ!

 泡をこねるよな濁った怒号を吐いたそのまんま、左右に3本ずつの足、器用に連動させての雄々しき跳躍で、自分を迎え撃つ破邪の男を目がけ、砲弾のように突っ込んでいった狗妖であり。それへと対するは、頭上に広がる天へ向け、高々掲げられた白銀の刃が一閃。どれほどのこと気配に聡い人であれ、その、音のない稲妻に気づいた人は一人としていなかったことだろて。たとえ、凄まじいまでの範囲を白い灼光で染め上げた代物であったとしても……。





      ◇◇◇



 特に敬虔な仏教徒でもないもんだから、厄落としにと何かするでなく。後始末はサンジに任せて地上へと戻れば、

 「仕事だったのか?」

 小さな文化住宅の、お庭を向いたリビングにて。オーナメントを詰めた箱広げ、ツリーの飾りつけに手をつけていたルフィが、お空から戻って来た破邪殿へと声かける。特に何の用向きだと言い置いて出てったワケじゃあなかったけれど、そういう気配には、ともすればサンジと同じほどのレベルで聡い子だから。ゾロの態度とそれから、それへ続いた一連の気配の動向みたいなものから、何が起きていたのか、大まかにでも察したのかも。

 「ちょっとした迷子が出ただけだ。」
 「そか。」

 よほどに手を焼く相手との惨憺たる戦いの末ででもない限り、やったなとはしゃぐような蓮っ葉な子じゃないが、さりとて いちいち鎮魂を構えたり…と重く考えることもない。ちらとこちらを見やったのも、破邪殿が人知れずの怪我を抱えてやないかと思っただけのことであり、気の毒だったがしょうがないと、そこへはきっぱりした割り切りもってあたれる彼であり。


  ――― ただ


 「これも“聖護翅翼”の効能かね。紛れ込みは格段に減ってるとよ。」

 銀のモールをお膝に乗っけ、どこに巻こうかと迷う素振りの坊やへと、すぐ傍らまで歩みを運んだ破邪殿、ついでのような口調で言ってやる。

 「俺らが出張るほどじゃねぇ小者なら、
  結界でのくるみ込みが間に合いさえすりゃあ元の世界へ戻せるのだし。
  それが適わぬ厄介な手合いもな、
  以前に比べりゃ かなり減ってるんだとよ。」

 「…ふ〜ん。」

 暴れることで居合わせた者を傷つけたり飛ばしたりという被害を生み、当人も苦しいばかりの悪夢にいつまでも捕まえさせておくよりは……という処断なのは分かっていても。かつて、自分でよければ声を聞くから、寂しいの悲しいのと語っておくれ、八つ当たりしてもいいよと、邪霊に対してさえ構えていたほどの坊やには、もしやして辛い話には違いないのかも知れなくて。それでと付け足したゾロだったのなら、感情なんて要らぬとただただ処断の鬼と化してた彼には、そっちもまた結構な進歩なのだけれど。


  あのさ、俺、ダイジョブだから。
  そうか?
  ダイジョブだって。
  ふ〜ん。
  それよかさ、ゾロの方こそ、気ィ散らすんじゃねぇぞ?
  ああ"?


 何の話だと少々険のある顔をした破邪殿だったりするのだが、それを受け止めたのは…余計な罪悪感や同情やらを抱えた、切なげなお顔なんかじゃあなくっての。

 「知らない奴が可哀想なのより、
  大事な奴が大変だの方が大変なんだからな。」

 「………あ?」


  だからっ、俺は今、じゅうごの母の心境だったんだ。

  十五じゃねぇだろ、十七だろが。

  違くって!
  じゅーごだじゅーご、
  息子が戦いに出てくの見送るお母さんみたいな気持ちだって言ってんだ。

  ああ、銃後な…って誰が誰の息子だって?

  気にすんな、心意気の話だっ。

  あのな……。


 勿論のこと、ふざけているルフィではないと、それこそよくよく判っておればこそ。ゾロとしては“何だかなぁ”という複雑な気分にもなろうというものだったけれど。

 “銃後の母、ねぇ。”

 罪もない身なのに封じられ滅せられる対象も気の毒じゃああるけれど、それよりも大切な人の身の方が…と。それをむんと胸張って言えるのは、ある意味 強さには違いなく。

 「ま、一番文句のない運びは、
  そういう邪妖が生まれねぇよにするこったろけどな。」

 えっへんの延長で、そうまで大層なことを言い出すルフィのお言葉へ、

 「そうさな。帰ったら爺ぃに言っとくわ。」
 「………っ☆」

 でっかいキャリーバッグとクーラーバッグの2段重ねを引いて、窓から音もなくのお越しになってた、聖封一族の御曹司さんが。いかにも自分の立場を踏まえた一言仰せになったもんだから、これにはさしものルフィも 赤や緑のガラスボールをとっ散らかすほど、どっひゃあとビックリして見せて。

 「ササササ、サンジ?」
 「おうよ。御辛言、確かに賜りましたってんだ。」

 咥え煙草をしているせいか、お口が歪んでるのがまた、不機嫌でおいでなようにも見えているが。紋切り調な口調なのも合わせて、実のところはムッとさえ来ちゃあいない。こんな小さな坊やにまで、案じられててどうするよと思っただけのことであり。

  怒ってないか?
  べっつにぃ〜〜。
  怒ってんだな、きっとそうだ。
  別にと言うとろーが。それよか冷蔵庫をとっとと開けな。

 今日は何の日か忘れたか? イブだっ。そうだ、御馳走 食いたいだろうが。食いてぇ。だったらとっとと戦闘準備にかかりやがれ。ほい来たっ。そこの二等兵も参戦しな。誰が二等兵だ、誰が。………とまあ、神妙に萎れて しんみりしてる暇間も与えず、現実の逞しさに追いつ追われつしている彼らで。そしてそれがまた、一番に似合う強わものたちで。何はともあれ、


      
Merry Christmas!!



  〜Fine〜  09.12.23.


  *途中で所用から何度も立ったり座ったりしたもんだから、
   主旨がどっかいっちゃった一景ものになってしまいました。
   (いや、舞台は2つだから二景か?)
   しんみりとなって真理を深く追及するのがいかんとは言わないが、
   肌合いで判ってれば十分な彼らだと思うので、
   今回は“ま・いっか”という方向で。(う〜ん?)

*めるふぉvv ご感想はこちら

**bbs-p.gif


戻る