天上の海・掌中の星 花と霞と追憶と…
 

 
 ぽかぽかとした暖かな日が続いたかと思えば、一転、冷たい雨とともにコートにくるまりたくなる寒さが胸を張って戻って来たりして。春先の気まぐれな気候の変化は、厳冬でも暖冬でも関係なく人々を軽々と振り回す、忌ま忌ましいほどお元気な悪戯者だ。

  "ま。ウチの坊主に這い寄るような
   恐れ知らずで不届きなウィルス野郎は ただじゃあおかんがな。"

 ………そういうもんなんでしょうか? ねえ、破邪様。
う〜ん 大きな手でしっかと握ったグリップは黒。手首のスナップを効かせながら"よ…っ"と揺すりもって振り上げたるは、表面にテフロン加工のされた標準サイズのフライパン。宙空で1回転半してパタンと、見事に元の位置へ着地したホットケーキは、直径 20cm強ほどの大作で表面がキツネ色にこんがりと焼けた上々の出来であり、
"やっぱ、三笠風の焼き方で成功だよな。"
 はい? なんですか? その"三笠風"ってのは。
"だからだな、普通にホットケーキの生地をフライパンへ広げると、どうしても薄いのしか焼けねぇだろ?"
 ええ、そうですよね。四方に流れちゃいますから。
"ホットケーキミックスの箱にあるみたいに厚みのあるのを焼きたかったら、まずは普通に薄いのを焼いて火を通し、それからあらためて も一回、生地をその上へ広げて引っ繰り返すんだと。"
 間にアンを挟んだ和菓子の三笠、別名"ドラ焼き"みたいな要領であり、こうするとそれなりの厚みがあるのが焼けるそうで、但し、欲張ってあんまり分厚くすると"中が生焼け…"なんて事になるので要注意なのだとか。
"コニスに教わったんだが、成程なぁ。"
 作り慣れてる人のアイデアとかコツってのは、時にビックリするほど大胆だったりもするけれど、そこはそれ、ちゃんと体験に基づいたものだから。きっちり目的に嵌まるんだもんな、鮮やかなもんだよなと、つくづくと感心していらっさるご様子の破邪様で。それにしても…本当に家事に慣れて来ましたな、精霊様。可愛い坊やのためならば、でしょうか?

  "…うるせぇよ。"

 今更そんな照れなくたって…vv
(笑)






 春先のぽかぽかと暖かいキッチンにて、腰にロングエプロンを巻き、フライパンと格闘…というか、ひょひょいと軽やかに曲芸技をこなしていらっさるこの御仁。結構な上背のある偉丈夫で、名前をゾロといい、ここだけの話、普通の人間ではない。短く刈られた浅い色合いの緑の髪をし、耳には3つも棒ピアスを下げてと、ちょいと しゃれめかしたことをしているが、その体つきはなかなかに屈強精悍。肩幅も胸板の厚さも相当なものであり、がっしり大きな手は、屋根瓦を 2、30枚は軽く砕いてしまえそうなほどに頼もしく。鋼を呑んだようにしゃんと張った、それは強靭そうな背条に貫かれた広い背中と強かそうな腰は、彼の後ろ姿の何とも男らしき威容を支え、腰の位置を高くしている長い脚は…恐らくは標準日本人男性の 1.2倍はあろうほど。(当社調べ。)
おいおい 切れ上がった眼差しに不敵そうな笑みの似合う口許という、鋭角的に鋭く力んだ男臭い面立ちをした、いかにも武闘家でございますという、強靭に引き締まったガタイと冴えた雰囲気をまとった、頼もしそうな男性だが、実を言えば…生身の人間ではなくて。我々のいる"三次元"より も一つ上の次元世界からやって来ている、役職所属を"破邪"という高等精霊さんなのだ。そもそも彼の存在する場所は"天聖世界"といって、ここから時空軸をすべって高みへと跳んだ高いところにあって、日頃は地上世界をこっそりと監視管理している。だからといって"造物主"だとか"神様"と言ったような偉そうな存在様でもなく。人の行いを断じるような権限は持たない。彼らが手を下したり力を及ぼしたりする相手は、陽世界に本来はみだしてはならない"陰体"の、制御出来ないほど膨れ上がった負の力へ、であり、世の理を揺るがすようなちょびっとばかり物騒な事態が発生しないようにという監視をのみ、行っているのだが…。何だか理屈ばかりでややっこしいですかね。詳細は…このシリーズを最初から読んでいただくのが一番分かりやすいのですが、このお話も結構長大な代物になって来ましたので、手っ取り早く言うならば。邪悪な妖魔やひねこびた悪霊の類を、精霊刀にて人知れず薙ぎ倒しては成敗し、闇から闇へと封滅するのが彼のお仕事。殊にこのゾロさんは、その"邪妖封殺"のエキスパートであり、後となる最近になって判ったことながら、彼の持ち得る絶大な力があって、その部署が出来たという順番であったらしいというから物凄い。隆と張った上腕や前腕の筋肉がきりりと引き絞られ、広い背中やがっつりとした雄々しき肩への連動を見せつつ、気合い一喝、白刃一閃。青々と濡れた精霊刀が、稲妻の如き鋭い一閃にて振り払われたなら、どんな大物邪妖でも大概は霞となって消し飛ぶほどであり。その余燼で大地を抉ることさえ珍しくはないほどの威力に、たまさか居合わせた者が巻き込まれる悲劇も実を言えば少なくはなかったものの、そんな事態を招いても、眉一つ動かさぬほどの乱暴冷徹だった彼が。

 "…ホイップクリームかアイスクリーム、
  小豆の金時餡などを添えても美味しいでしょう?
  そんなもん急に言われても、用意してねぇってよ。"

 お菓子の本のレシピに向かい合い、そんな文句を言ってたりするのだから、変われば変わるもの。いや、お役目や力量はさして変わってはいないのだが、冷血孤高の鬼神だったものが…ちょっとした経緯から"守るもの"を持った彼であり、そんな立場が…ただただ破壊にのみその存在を添わせて来た彼に、やわらかな感情や温かな慈愛というものを芽生えさせた。彼が初めて覚えたささやかな執着は、それはやんちゃで稚
いとけない一人の少年へとそそがれており。発端こそ彼を苦しめる邪妖の監視だったものがいつしか、二人をつないでいた苛酷な"運命"さえ蹴飛ばして、更なる絆を結び直させたほどの強く大きなものへと成長。そしてそして今や………。

  「♪♪♪」

 鼻歌混じりにホットケーキなんか焼いてたりするんですね、破邪様ってば。
(笑) まま、平和で何よりってことでしょうか。時節も丁度、気候のいい春ですしねぇ…。







            ◇



  「ルフィ〜、おやつだぞ。」

 手作りおやつも準備万端整って、小さな文化住宅のお二階へと向けて、大きなお兄さんが伸びやかな声をかける。今は丁度春休みの真っ只中であり、宿題もなければ部活の練習も…四月になったら高校へと通う節目にいる彼であり、今はフリーの身ゆえ、練習も自主的なものをするだけという状態。よって、お友達と遊びに出掛けることの多かりし日々なのだが、今日は珍しくも…天気もいいのに朝からずっと家にいる坊やであり。

  『そうそう出掛けてばっかだと、ゾロが寂しいだろうからな。』

 偉そうにそんなことを言って下さったルフィだったので、そんなら頼まれてもらおうかいと、ゾロが言いつけたのが…お部屋の掃除。中学生時代に使っていた、教科書だのプリントだのテストの答案だのという思い出深いあれこれを、要るものだけ納戸に収めるから片付けなと、昨夜の内から言ってある。ちぇ〜っとか何とか不平たらたらで、真ん丸な頬を膨らませていたものの、
『あ、これ、こんなとこにあったんだ♪』だの、
『おお、懐かしいな〜。こんな小せぇの着てたんだ』だのと、
 自分の思い出の発掘作業を楽しみ出したので、彼一人に任せてもう半日。お昼ご飯もそこそこに発掘現場へと戻ったほどの積極性に、
"…一体どんなブラックホールなんだよ、あいつの部屋は。"
 一応、毎日のように掃除機はかけてたが、クロゼットや収納は衣替えの時以外はあまりいじらなかったもんな。中まで日頃から確かめといた方が良かったんだろうかと、坊やのあまりの熱心さに逆に心配になっている困ったお人である。

  「ルフィ?」

 今も。待ってましたと降りて来ない坊やに、怪訝そうな顔になる。そういえば、階上からの物音がしない。あまり丁寧とは言えない作業であり、積んだ本につまずいて崩したり、ビー玉や小物を床にぶちまけて滑って転んだり、思わぬ埋葬品の発見に
おいおい 小躍りして喜んでいるらしき騒ぎが聞こえたりと、そりゃあもう賑やかだったのに、今は…何故だかシンと静まり返っていて、
"何やってんだ?"
 まさか…転んだ打ちどころが悪くて気を失っているとか? そんな危惧にハッと不安を弾かれた破邪様、あっと言う間に宙を跳んで…次の瞬間には子供部屋へと姿を現す。

  「ルフィっ?」

 さして広くもない、八畳ほどの子供部屋。ベッドと学習机と小型のテレビにミニコンポ、漫画や雑誌ばかりを並べた書架などという、いかにも子供向けの家具調度を据えた部屋の中は、お片付けや引っ越しというより…やはり"発掘作業中"という描写が相応しいほど、大胆不敵にも散らかっており、
"…たった一人で、しかも半日で。此処までぶちまけられるもんかねぇ。"
 室内の混乱ぶりの凄まじさに、ついつい妙な方向へ思わず感心してしまったゾロだったのも一時のこと。そんな室内に肝心の坊やの気配がないものだから、
「ルフィ?」
 散らかっている雑貨の織り成す極彩色の間に見落としてはいなかろうか? いやいや待て待て、落ち着けって。いくら小さな坊やでも、そんな…コミックスや雑誌の下に隠れられる訳はないんだし、第一、自分の家で隠れてどうするよ。呼びかけに応じないということは、疲れ果てて眠りこけているとか? だが、それにしてはこの生気のなさ、気配のなさはどうだ。眠っていたって、ちゃんと居場所は突き止められよう。可愛い寝息やらちょっぴり甘い匂いだとか、1つ部屋という同じ空間にいて判らない筈がない。…って、妙なことを断言する精霊様であり、なのに居場所が判らないということは。

  "まさか…。"

 お片付けに飽きて遊びに行ったんでしょうかね。声かけたら何か言われると思ったか、ゾロさんには黙って。腕白さんには良くあることじゃないですかvv …って、何をそんなに、驚愕に固まっていらっしゃるのですか?


  "まさか、邪妖に攫われたのではっ?!"

   ………おいおい。


 そんな、呆然と立ち尽くしたポーズの後ろに見開きぶち抜きで稲妻が背景一面に乱れ飛ぶほどの大衝撃を、天下の破邪様がそうそう簡単に見せないように。
(苦笑) 此処がこうまで散らかっているのは、坊や自身のクラッシャーぶりが遺憾なく発揮されてのことでしょうし、第一、良からぬ存在が守備範囲に接近して来ようものなら、あなたの…殊に坊やに関しての感度は世界最強なまでに鋭い感応器が、そうそう黙っている筈ないじゃないですか。

  "…そ、そうだよな。"
こらこら

 こんな表現をあっさり全部を呑んだ辺り、なんかまだ動揺は収まってないらしいですが。それでも冷静さを取り戻し、一時停止状態からは復帰する。雑然と散らかった室内には、やはり誰の姿も気配もなくて、だが、
"負の陰体が現れれば判らない筈がない。"
 それなりの結界を張っているのだし、それに、くどいようだが…とある事情からそういう輩に取り憑かれやすい坊やの身を、最優先に守ることこそが破邪殿の使命。よって、そんな輩が紛れ込み、あまつさえ坊やにちょっかいを出したなら、この彼が気づかない筈はない…のだが。ホットケーキのフライングに集中してましたからねぇ。

  「………。
(怒)

 ああ、すまんすまん。ふざけてる場合じゃなかったです。気づかせないでの侵入となると、
"結界関係の特殊能力が飛び抜けてるタイプの何物かだということだろうか。"
 大きな手を顎に添えての沈思黙考の構えを取りつつ、周囲へと感知の範囲を広げながら、相手の想定をも拡大してみる。そういうタイプの…自分の気配さえ紛れさせて行動出来る型の相手は、捜索するのがなかなか厄介だが、
"そんな特殊な奴だというなら…。"
 日頃の任務の相棒である金髪のグル眉、もとえ…聖封様が、どんなに遠い天聖世界にいたっても、きっちりと存在をキャッチして瞬間移動にて駆けつけ、

  『俺のテリトリーで勝手してんじゃねぇよっ!』

 怒号とともに自慢の蹴り技にて、鮮やかに瞬殺して下さっている筈である。何だかんだ言って、あの方も坊やには甘いですからね。
「う〜〜〜〜。」
 何なんだよ、何が起こったんだよと。覚えのない大穴がすぐ間近の足元に唐突にぼこぉっと空いたかのようなこの薄ら寒い事態へ、じりじりと苛立ちながら…それでも自分を叱咤して集中し。次元世界の垣根を越えて自分の移動と存在が可能な限りの周囲全般、まるで膨張させた空気が音を立てながら周囲を圧倒して広がるかのように、爆発に近い"ヴォワッ…"とばかりの勢いに乗せて、その感応器の適応範囲を広げてみる破邪殿であり、

  "………何処だ、何処に居る。"

 本来なら最も苦手な探査の術。いつもだったらサンジに任せ切っている代物だが、今は彼を呼んでる寸暇さえ惜しい。鋭角的な目許をきつく…歪むほどにぎゅうと伏せて、何事かを深く念じているかのような強い強い集中の顔。塵ひとつ見落とすまいと、様々な気配をまさぐりながら、感応器のゲインをどんどんと上げて上げて…針を落としたようなかすかな気配が耳をつんざく大音響に聞こえる程まで反応感度を上げたところで、


   ――― それ以上は お辞めなさい。


   「……っ、うあっっ!」


 凛と冴えた声がして、声の大きさよりもその迫力に弾かれ、痛いほどびりびりと全身が震えた。静謐にして、だが、泰然と大きな威容を余裕で孕んだ、堂々とした声音。
「な………っ。」
 この自分をただの一喝だけで叩き伏せ、目が眩んだような状態に追いやって機能を封じてしまえる存在など、そうそう滅多にいない筈。何となれば自分の上官である天使長ナミの制止さえ振り切れるほどの、荘厳にして強壮な…神格の力をさえ繰り出せる"浄天仙聖"の生まれ変わりという存在のゾロなのだから。大きな力に どんと突き飛ばされたような衝撃を受けて、実際に立っていた子供部屋の床へと崩れるようにへたり込んでしまった破邪様の耳へ、

  「…ゾロっ!」

 やわらかで甘い、一番の特効薬となるお声が飛び込んで来た。
"………え?"
 遠く高く広くと、その網を広げていた感覚を人間並みのレベルへするすると集約し、ゆっくりと眸を開ければ、
「大丈夫か? ゾロ。」
 早く早くと気ばかり焦ったほどに会いたかった稚
いとけない童顔が、心配そうな表情を浮かべてすぐ間近から自分を覗き込んでいるではないか。
「どっか痛かったのか? なあ、ゾロ。」
 苦しげなお顔になってへたり込んだゾロなどという、到底信じられないものを見たからか、ルフィの心配の程度は半端ではなく、傍らに同じようにしゃがみ込むと、小さな手で懐ろへぎゅうとしがみつき、ちゃんと体温があるかを確かめるかのように、自分の頬を擦り寄せて来る。
「ルフィ、お前…。」
 間違いのない重みと温もり。やわらかでお元気で、でも…時々は甘えたで寂しがり屋でもある小さな坊や。今の今までこの姿をくらましていた彼に、だが、何をどう聞けばいいのやらと言葉を探す破邪殿へ、

  「心配させたわね、ごめんなさい。」

 もう一人の、そんな声が届いた。

  「坊やと少しお話がしたかったの。
   でも、此処はちょっと散らかっていたから…。」

 汚いの乱雑だのと特に嫌悪の表情を見せるでなく。むしろ、くすくすと楽しそうに微笑って見せて、

  「後で私もお片付けを手伝うからって。
   それでちょっとだけ、亜空へね、来てもらったの。」
  「な…っ。」

 簡単そうに言うけれど、本来そんなことは理屈から言ってもそうそう出来ることではない。この三次元の存在は全て"陽体"という器に精神や気力を宿すことで居場所を得ており、それは強烈な"日輪"から得る生気により器を機能させ、短い生を逞しく活動している。一方、現在地とは別の空間へ移動する場合…次元壁を通過して行き来するという行為は、時空軸による制約を受けない、例えば精霊である自分のようなアストラルボディ、所謂"陰体"でなければ不可能。この世界に生を受けた人間やその他諸々の生き物全般には、その"陽体"を失わねば出来ない離れ業であり、よって、

  「そんな馬鹿げたことが…っ。」
  「出来るの。私にはね。」

 くすくすと笑う嫋
たおやかな顔容かんばせは、そのまま射貫いて殺しかねないほどの鋭さで凝視を向けているゾロからの視線さえ涼しく受け止めており、たいそう落ち着いた芯を呑んで泰然と揺るがず。澄み渡って美しく、だが、感情を一切浮かべてはいない点では油断がならないほどの瞳の冴えに、逆に射竦められそうになる。年の頃は…そう、弾ける若々しさをほんの少しだけ、コクの出る熟成への傾きへと伸べかかっている妙齢のご婦人という頃合いだろうか。真っ黒な髪に ほのかにスミレ色の滲む黒耀石の瞳。彫が深く、神秘的なまでの冷たさで整った美貌に、大胆にも胸元をのみ覆うチューブトップとタイトなミニスカートなんぞを着ていつつも、その色香さえ大人びた余裕で知的な色合いのものへと落ち着かせてしまえる、どこか掴みどころのない…冷然とした存在感。
「なあ、ゾロ。」
 それは綺麗なお姉さんと、どうやら"異次元デート"と洒落込んでいたらしき坊やが、
「この人、ゾロのこと、良く知ってるって言ってた。怪しい危険な存在だったなら、あっと言う間に此処に駆けつけている筈でしょって。そんな言われたから、ついてったんだけどサ…。」
 やっぱりそんな口車に簡単に乗ってはいけなかったのだろうかと、苦しげな、そして憎々しげな形相になっているゾロに、懐ろから恐る恐るの声をかければ、

  「あなたは何も悪くはないのよ。」

 ゾロよりも先、謎のお姉さんがあっさりと応じて下さって、
「あなたはちゃんと警戒していたわ。私が色々と理屈を捏ねてさんざ説得しなけりゃ、此処から動こうとはしなかった。むしろ、私が危険な存在だったなら、こうも易々とあなたを攫わせてしまった彼にこそ問題があるの。」
 そうよねと。やわらかく笑うお姉様に…、

  『…彼にこそ問題が…。』

  「………あ。」

 ゾロが…ムッとするより早く、ぎょっとしたようにその眸を見開いて、
「あんた、まさか…。」
「やだ。やっぱり忘れてる。」
 不躾にも指差されたその先で、うふふんとやっぱり余裕で柔らかく微笑ったお姉様に、今度は…滝のような冷や汗をかいたゾロであり。

  「………ゾロ?」

 何だか、ご本人たちだけでご納得がいったようなご様子ではありますが。………ホント、一体何なんでしょうか、この人たちってば。








            ◇



 とりあえず。どこぞの腐海のような有様の子供部屋では落ち着いて話も出来ないからと、階下のリビングへと降りて来た3人だが、
「わ、ホットケーキだvv
「ああ、おやつだぞ。」
 大人しく食べてなさいと、8段重ねのケーキの皿に蜂蜜のポットを添え、ホイップクリームを何処の空間からか引っ張り出して来て、ガラス鉢へと波模様に捻り出してやったのをキッチンダイニングのテーブルに並べる。それから、紅茶を3つ淹れ…2つはトレイに載せてリビングの方へと運ぶゾロであり。ソファーに腰掛けていた謎めきの美女は、家事を手掛ける彼の手慣れた様子にくすくすと笑い、
「変われば変わるものよね。」
 優雅な会釈とともに紅茶を受け取り、そのまま口をつけた。
「あら、美味しい。」
「そりゃどうも。」
 知り合いには違いなさそうだが、何でだろうか。ゾロの方の態度が…やっぱりおかしい。お仲間のサンジさんへも偉そうだし、お話に聞いたことしかないけれど、彼らの上司に当たるナミさんとかいう天使長様にさえ、尊大な態度で通しているというゾロだのに。この女性へは…丁寧とはとても言いがたいけれど、それでも。彼にしては礼を尽くした態度というものを取ろうとしており、とはいえやっぱり慣れない事ゆえ、お顔がどうしても強ばってしまうのへ、

  「子持ちになったって聞いたから、会いたくなっただけよ。」

 だっていうのに そんな怖い顔しないでよと、やっぱり楽しそうに笑ったお姉さんへ、
「あんたは そんな暇な身じゃあない筈でしょうが。」
 ゾロが…ともすれば、目下からですがご注進申し上げますと、そんな語調にて言いつのる。
"…うわぁ〜、ゾロが"です・ます"つけて喋ってるのって初めて聞いた。"
 フォークの先っぽを咥えたまま、大きな瞳をますます見開いたルフィだと気がついたのだろう。お姉様は坊やの方へと微笑んで見せ、
「ねえ、紹介してくれないの?」
 ゾロへと急っつくようなお言いよう。今さっきのゾロからのご忠告は、てんで全然聞いていなかったみたいな彼女であり、だというのに、
「〜〜〜〜〜。」
 何とも言えない渋面を作ったゾロが、これが本当に信じがたいことなのだが…余程のこと、逆らえない相手なのだろう。深々と溜息をついて見せ、そして。その大きな肩をがくりと落としつつ、
「ルフィ、この人は…この方はな。」
 ダイニングの方を向いて、坊やへと声を掛けて来たものだから。話の成り行きがこっちに向いたことで、
「あ、うん。」
 慌てて居住まいを正したルフィへ、緑髪をした破邪殿は何とも気が進みませんというお顔のまま、彼女を坊やへと紹介してくれた。


  「"風の使い"というお役目のロビンさんだ。」

  「……………………はい?」


 例えば。SFやファンタジー小説なんかで、次元の壁やら時空の流れやらを突き抜けて辿り着いた先の地名が、ミューヌ地方のアドロンパだの、サッサカ王国のウォットナム市だのと言われても、何のことやら即座に理解は出来ないことだろうし、もっと現実に話を持って来るなら、

『テリーヌの華麗な味覚の組み立ての妙にも驚かされたが、コアントローで風味づけをしたフレッシュなソースが、軽くポアレした淡白な白身の奥底から沸き立つ芳醇な旨みにそれは良く合って絶品で…。』

 なんてことを突然滔々
とうとうと語られても。よほどお料理に詳しい人でもなければ、専門用語が名詞なのか調理法なのかさえ分からないままに"何にを寝言を言うとるのだろうか?"と、サンジさん辺りから後ろ蹴りをかまされそうなことを、ついつい思うのがオチであり。………………早い話が、

  「で、誰なの?」

 風の使いと言われても。天聖世界の住人ではないルフィには、さっぱりと訳が判らない。小さなリスの仔かジャンガリアンハムスターみたいに、きょとんとしたまま小首を傾げた坊やを前に、
「だから、えっと…。」
 こちらさんはこちらさんで、あまり語彙が豊かではなく。自分が知っていることを他人に説明出来るかどうかなんてこと、これまでさして必要としなかった境遇が祟ってか、あーうーとやっぱり困ってしまっている破邪様を見かねてか、
「私はニコ=ロビン。彼と同じく天聖世界の存在で、そのお役目が風を運ぶ"風使い"というお仕事でね。」

 相変わらず不器用なんだからもう。そんな風な苦笑と共に、なめらかに説明して下さったロビンさんは、

  「判りやすく言うと、私はこの人の母親代わりだったの。」
  「………っ☆」

 何とも衝撃的なことを言って、ルフィの度肝を抜いて下さった。
「…ゾロのお母さん?」
「いや、だから。この人から生まれたって訳じゃねぇんだぞ?」
 それくらいは判っておりますがな。
(笑) あなたは、天聖世界でも一際厳重に守られてた神殿の奥の御神木の根元に、いつの間にか現れていた不思議な赤ん坊だったんでしょうが。そういったところは、ルフィもまた多少は聞いていたプロフィールであり、ということは…。
「嵐や霆
(いかずち)と戦いを司る天使長様がとりあえずは引き取った、まだ手のかかるだろう赤ん坊だったこの子にね、風の使いというご縁の遠からずな間柄だった私がついていてお世話をしていたの。」
 くすくすと楽しそうに笑うロビンさんは、だが此処で…ちょいとばかり、困ったことにと綺麗な眉に憂いを滲ませて見せ、
「なのに。さっきの上でのやりとりを、見てたでしょう? ほんの幾星層ほども会わなかったというだけで、人のこと、さっぱりと忘れていたんですもの。」
 …そういえば。警戒心丸出しにしていて、ルフィを攫うとは一体どこの邪妖なんだお前と、言わんばかりだったような。
「…ゾロって結構"薄情者"なんだね。」
「悪かったな。」
 こらこら、開き直って不貞腐れないの。
(笑) 口の端を蜂蜜でほのかに光らせている稚(いとけな)い坊やに、擽ったげに…それこそ自分がその甘い蜜を舐めたかのようなお顔になって。大人の落ち着きあふれるロビンお姉様は、あらためての優しい微笑みを差し向ける。
「風は一つ処には留まれない。だから、私は本来ならあまり一つ処に居られない身なの。だのに、ちょっとばかり無理をして、この子の傍らに居続けたものだから。いよいよ手を放しても大丈夫ねって離れた途端、それまでの無理を通した反動が大きく襲い来てしまい、ずっとずっと逢えないままだったの。」
「…ふ〜ん。」
 天聖世界というところは、この地上の世界とは様々に有り様が違い、しかも邪妖との厳しくも壮絶な戦いだってあったというから。よくは判らないながらも…特別なお役目を持つ彼女は、育ての親であるにもかかわらず、何かしらどうすることも出来ない待遇の中、ずっとずっとゾロに逢えないでいたんだなって、そういう事情だけは呑み込めたルフィであり。んん?と。優雅に小首を傾げて見せる、それはそれは知的に美しきお姉様へと、
「……………。」
 何となくの真っ直ぐな視線を向けていたものが、

  「お姉さん、ずっとずっとゾロに逢いたいってことばっか考えてたんだな。」

 ふわっと笑って。そんな唐突なことを言い切る強者
つわものであり。
「な…っ。///////
 いきなり何て的外れなことを言い出しやがるんだよと。彼には珍しくも赤くなって…そんな感傷的な人じゃねぇんだよというゾロの大きな手で口許を塞がれた坊やが、むいむいと抵抗して暴れるじゃれ合いを、
「………。」
 よほどに意表をつかれたか、こちらさんまでが呆然としてしまったロビンさん。とはいえ、
「…ふふvv
 小さく小さく微笑んでから、困ったようなお顔になって、緩んでしようがないお口を白い手でずっと覆っていらした彼女であった。








    「可愛い子ね。」
    「見かけほど簡単な奴じゃないけどな。」
    「あら。」
    「ホントだって。…笑うなよな。」
    「あなたが天聖世界へ戻れなくなったって聞いたから、
     それで頑張って"合
    ごう"の結界を幾重にも解いて戻って来てみたのだけれど。」
    「悪かったな。そんな無理させたのに、大したことなくて。」
    「いいのよ。むしろ、間に合えなくて ごめんなさいだもの。」
    「? 何がだ?」
    「黒の鳳凰。時の呪咒が相手なら、私が最も適役だった筈なのにね。」
    「………。」
    「聖封様のところの奥方のような、悲しい犠牲をまたも払うことになるのかしらって。
     そう思ったらもう、何だか生きた心地がしなかった。」
    「…そっか。」
    「でも、杞憂になってよかった。」
    「うん…。」
    「大事になさいね。」
    「ああ。」
    「あの子のことだけじゃないのよ?」
    「?」
    「あなたはこれまで、本当に、長い長い時間を無為に過ごして来た人なんだから。
     あの子と一緒に、沢山たくさん楽しい思いをなさい。」
    「………。」
    「懐ろの深い、それは優しい子だから存分に甘えさせてくれる筈。
     あなたみたいに単純に見せといて面倒な人にはうってつけよ。
     だから…判ったわね?」
    「………ああ。」



 知的で冷静、いつだって取り澄ましていた"お母さん"。

  『…彼にこそ問題が…。』

 身の危険に関わるような、迂闊なおいたをしたことを叱る時でさえ、まるで大人相手のように理路整然と懇々と言い聞かせた変わり者で。だのにそんな"母親"の…カッコつけない本当の気持ちが、あっさりと判った優しい子。そうなんだと、そういう子なんだと前から判ってたゾロにしてみれば、そんなルフィの口からひょいと飛び出した"的外れな一言"が、実は真実だったと判って…感じ入ること しきりであるらしく。春の宵の中、やわらかな風に紛れて…別れも告げずに旅立った育ての母に、今度逢えたら"お母さん"と呼んでやろうかななんて。クラッチ3段固めを掛けられそうな物騒なことを、思っていたりするのである。





  〜Fine〜  04.3.22.


  *BBSカウンター1500hit リクエスト
     Pchanさん『天上の海〜設定にて、ロビンさん登場。』

  *そういえば出て来ていませんでしたね、このお方。
   謎めきの美女で、しかもお年もちょいと上という設定を生かして、
   こんな役どころに据えてみましたが…いかがなもんでましょ?

ご感想は こちらへvv**

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