天上の海・掌中の星 “日々是好日vv”
 



 五月も末が近づくと、そろそろ衣替えも近い。初夏を思わせるような陽気の"夏日"がフライング気味に訪れる時期でもあるせいか、春秋用の"間服
あいふく"でも半袖の夏服でもいいという許可が学校側から出る。当家の腕白さんなぞは、早々と夏用の鹿ノ子地の半袖ポロシャツと、軽い生地の夏用ズボンといういで立ちになっている。間服や冬服には付くネクタイを、このシャツでは当然のことながら着用しなくていいのが尚のこと開放的で、
"でもなぁ、雨になると羽織るものも要るんだろうよな。"
 本人は蒸し暑いくらいだから平気だと言い張るかもしれないが、思うよりずっと肌だけ冷えやすいから、学校指定のカーディガンを揃えておいてやらんとなと、ちょっとした花見の重箱くらいはありそうな大きな弁当箱を、こちらも大きな手を無駄のない機敏な所作で動かしての手際の良さで、バンダナできっちりと包んでやりつつ思っていたりするのが、当家の家事全般を担当している働き者の家政婦さん…もとえ、
「ゾロ〜〜〜っ、体操着どこやったっけ?」
「部屋に持ってった筈だぞ。ベッドの下にでも蹴り込んでないか?」
「…あ、あったあった。」
 大河渓谷を挟んでの会話みたいに、天井板を隔てて離れている互いへ、良く通る声を掛け合った彼と彼。一階のダイニングキッチンにて、麦茶を凍らせた500mlのペットボトルをハンドタオルでくるくると巻いてやっているのが、ゾロという青年で、
「凄げぇな、ゾロは。ここから覗いたんか?」
「バ〜カ。こんくらいはな、お前のいつもの行動パターンを把握してりゃあ、簡単に判ることなんだよ。」
 青いキルティングの手提げカバンをクルクルっと回しながら、夏用の制服姿にデイバッグを抱えて二階から下りて来たのが、ルフィという腕白さん。まとまりの悪い猫っ毛をショートカットにした小柄で童顔な男の子で、大きな瞳に小鼻とふかふかな頬、表情豊かな口許をいつもお元気にほころばせているやんちゃ君は、これでも高校生で…しかも少年柔道界では名の知れた猛者だったりするから驚きで。早くも陽に灼けかけて仄かに浅黒くなり始めている腕をひょいと伸ばして来て、まだ立ったままながらお弁当に詰めた余りの玉子焼きを皿から摘まんでぱくりvv
「あ。こら。」
「美味ぇ〜〜〜vv
 仄かにダシの香りのする、しっとりふわふわの出し巻き玉子。他にもとろりんとした照りのかかった肉団子に、尻尾までカリカリのエビフライ、蛇腹切りという飾り切りをした塩もみキュウリに、カボチャとキヌサヤの薄味煮物。それらがちょこっとずつ皿に残っていて、それへとついつい手が伸びたルフィだったらしいが、
「飯食うなら座りな。」
「は〜いvv
 おかずはちゃんと別に作ってあんだから、そっちを食えと、大振りの茶碗にほかほかのご飯をよそってやって、ほいと渡せば、
「いただきますvv
 両手を合わせ、いいご挨拶をしてから箸を取る。ミックスベジタブルとグリーンアスパラとベーコンがちりばめられた"スペインオムレツ風玉子焼き"に、豆腐と油揚げのお味噌汁。肉ジャガとサワラの西京焼きは昨夜の残りの温め直しで、いくらルフィが大食漢でも大鍋いっぱいの肉ジャガは作り過ぎだろうというほど煮てしまったのは、カナダのエースから山のように届いたじゃがいもを使って、ゾロが初めて一人で煮てみた練習だったから。これまで、濃い味付けの煮ものだけは聖封さんが届けてくれた下味用のダシを使って何とか無難にこなしていたのだが、いつまでもそれではいけない。そんなことをする根の暗い奴ではないながら、それを盾に取られたらグウの音も出ないという自分が自分で許せないと、借りの嫌いなキャッシュな彼は、今回一人で頑張ってみたらしく。まま、そこそこのものが出来たはいいが、味見をしながらだったため、気がつけば…父上や兄上が帰って来た時に大量におでんなどを煮るという、特別大きな鍋に八分目ほどもの肉ジャガが出来上がってしまったらしい。そんなに沢山の同じもの、いい加減 飽きて嫌がるかと思えば、
「一晩経つとまた味が変わるんだよな。」
 今朝もまた、にこにこと笑って景気よく食べてくれるルフィの笑顔に、味はともかくこの量は失敗だろうと落ち込みかけていたところをまたまた救われて、
"食べてくれる相手がこいつで良かったよなぁ。"
 しみじみと胸を撫で降ろしていたりする。こちら様も心配だったか、昨夜、弟子の様子を見に来たシェフ殿から、
『まあ…あれだな。ルフィなら、お前の料理なんだ、多少不味くたって"美味い美味い"って言って食ってくれるだろうけどな♪』
 なんていう、自分には少々意味不明なことを言われたので
(おいっ)、それも気になっていたものが、一気に吹っ飛んでしまった気がするらしき破邪精霊様。どこか新妻のような感慨に耽っていたりする…のは、朝っぱらからキツい冗談なのでやめたまい。(笑)
「今日は遅くなるのか?」
「う…ん、そうみたいだな。」
 そろそろクラブ活動も本格始動へと走り出す時期で、中学生時代に国体で都代表で出て優勝したという実績を買われて、文句なしの代表候補に選ばれているルフィであり、
『まだ"補欠"だけれどもな。』
 柔道なんていう、それこそ"実力本位"の世界だろうに、それでもね。一応は"年功序列"っていうのかな、公立のガッコだから尚のこと、逸材だからというだけでいきなり先輩たちを蹴落とさせる訳にも行かないと、部長である先生がそんな配慮を構えたらしい。日々の組み手の練習や、練習試合などの対外試合を重ねつつ、これは申し分のない実力差だと年長さんたちが肌身で理解してから、レギュラーに据えるという…所謂"段階を踏む"必要性を、体育教師でもある先生がついつい考えてしまったのもまた、人間社会のややこしさという奴だろうか。
"体育会系の僻(ひが)み混じりのいじめってのは、かなり陰湿だって話だしな。"
 とてもではないが健全な精神の持ち主のやることではない。そんな下らないことに使うだけのエネルギーが余っているなら、走り込みのキロ数でも増やして自分の底力をつければいいのにと。第三者ならそういうスマートなことも言えるところだが、当事者ともなればそうもいかない。そこはそれ"感情"あっての人間だから。みっともないとか情けないとか、実力が劣るのを自ら認めてるよなもんで ますますみじめだと気づきもしないで、鬱憤晴らしという一時の快感にしか目が行かない。
"まあ…そういうところで人間が出来てりゃあ、そもそもレギュラーから外される筈もないんだが。"
 こればっかりは坊やが自分の根性で乗り越えることだし、そんな気遣いをして下さる先生が指導しているのなら、逆に安心なのかもなと、そういう風に考えることにして。自分の忍耐力をも養っている破邪様だったりするのである。





 素人目には"少し大きいお兄さん"くらいにしかみえないそれだが、がっちりと鍛え上げられた見事な肢体は、これまで彼が相対して来た様々な"実戦"にて培った、使い勝手のいい…文字通り"実用適応型"の身体であり。無駄な贅肉も過剰な筋肉も寄せつけないまま、持ち主の意志と覇気をのみ、的確に効率良く、素晴らしいまでの迅速さで表現してくれる究極の代物。機能美さえ感じさせる"逸品"でもある。隆と張った胸板に、頼もしい肩と広い背中。鋼の芯を呑んだかのように強かに引き締まった背条は、頑丈そうな腰から撓やかに伸びて、これほどの体格をした彼の、その動作の冴えた鋭敏さをきっちり支えている。得意の技であり、愛用の武器である精霊刀"和同一文字"の、鋭利ながらも剛の重さを存分に発揮出来る膂力の凄まじさは、その一閃の切っ先に触れずとも…剣撃の圧力風に撒かれただけで吹き飛ばされるほどという威力を持って彼を知る者どもを震え上がらせ、世に怖いものなしの"鬼"とまで噂されていた男。それがこの、ゾロという青年だった。

  "…そんな頃もあったかな。"

 天上天下、唯我独尊。聖徳太子様のお言葉ではないが、天上世界に数多
あまたある、様々な能力を授かった精霊たちの中でも特に特に破格の能力と出力を持った"破邪"の精霊、それがこのゾロという青年であり。同じようなお役目、陽世界にはみ出した負界の陰体を成敗し封印する破邪精霊たちの中でも、最上級のパワーを誇る彼は、唯一"単独で"仕事に当たることが出来る格の存在として、気が遠くなるほどの長い長い間、邪悪な霊魂だの暴走した邪妖だのをただただ淡々と封印滅殺して来たのだが。

  『兄ちゃんたち、人間じゃあないんだろ。』

 無邪気な坊やと出会い、その正体をあっさりと看破されてから…運命の歯車は大きな奔流を生み出すためにと回り始めた。屈託のない霊感少年。誰からも見つけてもらえない者たちの寂しさが分かるからと、尋常ではない負担だったろうに邪陰からのちょっかいを受け入れてやっていた心根の優しい子供。誰でもいいのではない、強い奴なら優れているのならそれだけでいいというのではない。他でもない"あなた"だから必要だと、傍に居てほしいと求められることの、つきつきと切なくも甘い、それこそ他のものでは代え難い"情"というものを知ってしまったものだから。懐ろに庇ったこの温もりを面子に懸けても傷つけさせる訳にはいかないという想いは、さして時もかからずに"失いたくはない"という想いへとすくすくと育ち。そして…そんな当人たちの葛藤への配慮もなく、彼らの前に忽然と現れたのが、彼らの生まれにまつわる途轍もない暗雲で。彼らのみならず、天聖世界も人世界全体までもを巻き込んで喰らい尽くすような、それはそれは大きな脅威が復活しかかっていたのだが、

  『お前なんかがゾロに触るなっ!』

 巨大な邪妖の前に立ち塞がり、必死で威嚇して大好きなゾロに触るなと怒鳴ってくれた小さな坊や。一瞬にして骨まで煮溶かすだろうほどの熔岩の満ちた谷へと墜落していた最中にも、

  『ぞろ、だいすきだ…。』

 精一杯のお声で囁いてくれた愛しい子。そんな二人にとっては、たかだか"運命"なんてものさえ、あっさり一蹴して乗り越えてしまえるものだったらしくて。関わった人々を様々に苦しめ哀しませた一大悲劇の幕を引き摺り下ろしてしまった二人は、神様に近いほどの力を覚醒させたゾロであることも、さしたる変化と数えぬまま、相も変わらずのドタバタした日々を送っており。
"それほど"相変わらず"ってだけでもないんだがな。"
 おや? そうでしたっけ? ………あ、ああ。そういえば。ルフィくん、昨年末には"大人"になっちゃいましたしねぇ。
(苦笑)
"………。"
 笑いごとではないとでも言いたいのか、ちろりんと背条が凍りそうな流し目をこちらへ放って来た破邪様ですが。だって、だからといってあれから更なる変化はないのでしょうに。
"…更なる変化?"
 だから。声変わりとか、お髭が生えてくるとか。そういうのは、まだ全然なんでしょうに。それに、
「? どした?ゾロ?」
 筆者とのMCに気が逸れていたことを素早く察知されてか、お箸の先、大きめのジャガ芋を差したままなルフィ本人から怪訝そうな視線を向けられている彼であり。
「何でもねぇよ。」
 それよか、こら。行儀が悪いぞと。箸の使い方をちょろっと叱れば、てへへと笑ってから赤ん坊の拳ほどもありそうだったそれを…大きく開いたお口に もぐと咥え込む豪傑で。そのまま もごもごと頬を膨らませ、嬉しくってしようがないという満面の笑みを見せてくれる可愛らしい子。いつだってゾロの方ばかりを向いていて、

  ――― 自分だけじゃなく、ゾロも楽しい想いをしてくれなきゃあ、と。

 それこそ柄じゃあなかったろうに、色々と気を回してくれる時さえある優しい子。愛しい人。彼と出会い、彼とこうしていられる何でもない時を至福と感じることが出来る自分にこそ、生きている実感のようなものを覚えてやまない破邪さんであり。これまで過ごした永劫にも近いほどの長い長い歳月は、何とも味気無いもののまま、時間の無駄遣いばかりしていたのだなと、そんな風にまで思うことがあるくらいだから半端なことではなく。これ程までの啓蒙を自分にくれた坊やが、尚のこと大切にもなるというもので。だからだから、

  「…なあ、ゾロ。」
  「んん?」

 大きかったジャガ芋、よ〜く噛んでからお腹へと収めたルフィが、うっとえっとと視線を泳がせ、珍しくも逡巡の気配を見せながら。それでも…意を決したか、傍らの椅子の上に置いていたデイバッグの背中側の薄ポケットに手を突っ込んで、
「こんなの、貰っちまったんだけど。」
 差し出したのは…1通の封筒。白い洋型の、はがきが入りそうなタイプのもので、右下の端っこにエンボス加工のお花の縁飾りが浮き出している。宛て名書きはなく、はいと手渡されたままに裏を返したが、そこにも差出人の名前の記載がないから、
「手渡し…か。」
「うん。」
 それがな、知らない女の子だったんだ。駅から出て来たら、サッて近づいて来て"これっ"て渡された。そのまま、それじゃあって走ってっちゃってさ。けど、これじゃあ相手が何処の誰だか判んないから、返事のしようがねぇじゃんか。どこか不満げにちょこっと口許を尖らせている坊やだが、
「そんなもん、中の手紙に書いてあるんじゃねぇのか?」
「…それじゃあ、封を切らなきゃ判らないんじゃんか。」
 何だか妙なことを言う。そういえば、封はどこにも弄られた跡がなく、んん?と怪訝そうに、目線だけを上げてそちらを見やれば、こういう華やいだものを貰ったにしては、あんまり…ときめいてるような浮き立ったお顔ではない坊やでいる模様。
「好みの相手じゃなかったのか?」
「何だよ、それ。」
 出来るだけさらりと言ったつもりだが、それでもからかうようにでも聞こえたのか。ぷく〜っと頬を膨らませるものだから、
"微妙に潔癖なお年頃だからな。"
 色恋沙汰になんか、まだ関心ありません…だなんて、過敏になっているのかも? 先にそんな態度を示されたものだから、封筒を手の中にカードのようにクルクルと回しつつ、ゾロとしては…内心で苦笑が止まらないでいる。
"お年頃、か。"
 きっちりと封をされたこれは、どう考えたって…新製品の商品説明会への招待状なぞではなかろう。
おいおい 見知らぬ女の子から、勇気を奮っての手渡しという付け文を貰うような、そんなお年頃になったんだねぇと、何と申しましょうか、感慨深いものがある破邪様であるらしく。
"………。"
 今回の場合は。どこか戸惑いを隠し切れないという憤然としたお顔で、ちゃんと話してくれたルフィだったから、こんな風に余裕の顔で相対することが出来ている自分であるが、これが恥ずかしさなどから逆に内緒にされていたら? それとも、それは嬉しそうにニコニコと告白されていたら?

  "………う〜ん。"

 冷静に相談相手になってやったり、見守ってやったりが、果たしてこの自分に出来るものだろかと、そんな杞憂をふと抱えてしまったのは。

  『こんなの、貰っちまったんだけど。』

 差し出されたその瞬間。最近、鋭敏に邪妖の気配を嗅ぎ取れるようになったくせして、こういうことには相変わらずとことん接触が悪かった…筈の鈍さを蹴っ飛ばし、どういう種のものかを素早く察して、しかもしかも。ムッとばかりに、その眉間がキツく寄りかけた自分だったから。あり得ないことではないのだ。いくら…命を賭してという勢いの修羅場をくぐり抜け、固い絆を結びあったと思っていても。ルフィは人間で自分は精霊。それに。ルフィが"大好きだ"と自分へ懐いてくれているのは、もしかして。父上や兄上への親愛の情と同じカテゴリー内の感情なのかも知れなくて。だとしたら、恋愛感情の対象という存在が彼の前へ現れれば、大好きなゾロへだって理解を求めてくるに違いなく。

  "…素直に祝福してやれるんだろうか。"

 いやいや、その前に。何の先入観もなく、どういうお嬢さんかをきっちりと検分出来るのかな。妬みに似た感情が邪魔をして、難癖探しやアラ探ししか出来なかったら、それこそみっともねぇよなと。そんな未来図を思っての苦い苦い笑みが止まらない。
「ゾロ?」
「ああ、いや…。」
 何でもねぇよと小さく笑い、
「とりあえず、中を読んでやれや。」
 指先に摘まんだままだった封筒をついと差し出し、坊やへ返そうとすると、
「うう…。」
 何故だか、受け取ろうとしないルフィであり。唇を突き出すように尖らせて…と、妙な態度を見せる彼へ、
「?? どうしたよ。」
 素のまま"訳が判らん"という表情をするゾロだったが………はは〜んvv

  「前にサ、ゾロ、自分は字が読めないって言ってたよな。」
  「あ? …ああ、言った。」

 世界各国各地域、人が紡ぐ文化の数だけ存在するだろう"文字"というもの。遠い地域やもしくは未来へ向けて、直接会えない人へと思いや情報を伝えるためにあるのが"文字"であり、だが、地上に様々に存在するそれら全部をコンプリートするなんて やってらんない。そもそも自分たちは、何らかの事態が生じたときに駆けつけて、対象へ直接接して対処する存在であるのだし、精霊には残留思念ってのを感じ取る能力があるから、書き綴った文字ではなく、そこに刻まれた書いた人物の想いを読み取ることで記載を理解出来るんだよと、そんな言い方をいつぞやの夏休みにしていたような。

  「読めない代わり、感じ取ることが出来るんだろ?
   だったら…封を切らなくても判んじゃねぇの? 相手のこと。
   せいぜい優しく感じ取ってやったら良いじゃんかっ。」

  「………………ちょ〜っと待て。」

 喧嘩腰な言いようをされて、ここでようやく全てを察した、やっぱり鈍チンな破邪精霊様。この流れから察するに、この封筒の宛て先って…。

  「何でこんなややこしいもんを預かって来るかな。」
  「知らねぇもん。
   いつも一緒にいるのを見かけるお兄様へって、
   それだけ言ってあっと言う間に逃げちったんだもん。」
  「お前、駆けっこだって得意だろうが。」
  「追いついて、じゃあ何て言や良いんだよっっ。」

 ふえぇ…と。坊やの少し大きく張られた声の語尾が、掠れて撓(たわ)んだのに気がついて、はっとする。昨日預かったという封筒を、今の今まで渡せずにいたルフィ。バレンタインデーに近所のお母様たちからゾロへ渡してねと預かったチョコは持って来れたくせに、一晩、触れることさえ出来ぬまま、どうしたもんかと対処に困っていたらしき、特別なお手紙。
「…ルフィ。」
 思い切り力んでいる大きな瞳にほのかに潤むものを見て、ゾロは"ああ、まただ"と痛感してしまう。どうしてこうも、彼には敵わないのだろうか。無邪気で屈託がなくて、天真爛漫で。そんなただの元気なお子様だと、選りにも選ってこの自分が丸め込まれていてどうするか。本当は繊細な部分も多々あって、精一杯に気を遣ってこんな自分を好きでいてくれる可愛い子。

  「すまん。…悪かった。」

 椅子から立ち上がり、お向かいからテーブルの縁を回って来たゾロへ、うつむくように視線は落としたままながらも、

  「ん…。」

 すぐ傍らに屈み込まれて、ふわりと抱えられても抵抗はせず、そのまま暖かな懐ろに やあらかい頬をグリグリと押しつける。小さな手が肩にしがみつくようにと伸びていて、その真摯な力が"自分のものでしょ?"と懸命に訴えているようにも解釈出来て…愛惜しい。立ち上がりながら小さな肢体を、腕の中全部に包み込んで柔らかく抱き締めて、間近に引き寄せたお顔の、額に頬にと啄むようなキスをする。お願いだから、もう泣かないでと謝るみたいに…。


  「何にも感じ取れなかった。
   …っていうより、そんなものだと頭っから思わなかったからな。」
  「なんで?」
  「ルフィへの手紙だと思った。
   俺に見せたのは、どうしていいか判らないんだなって。」
  「自分にって手紙なのにゾロに見せるのか?」
  「だから…ラブレターなのにそんなことするとは、って。
   お前にはまだまだ関心がないんだなって………ホッとしてた。」


 こつんとくっつけた額とおでこ。覗き込んで来た翡翠の眸の揺るがぬことへ、やっとのこと安堵の吐息をついた小さな王子様は、頼もしい肩口へ小さなお顔をちょこりと乗っけて、
「俺、言っとくけど、浮気なんかしねぇから。」
「…そっか。」
 可愛らしい宣言は、恋情というものをどこまで判っていての代物だか怪しいものだが、今の今、彼の思うところの一番の真実を紡いだ宣誓には間違いないから。

  「…凄げぇ嬉しいな。」

 抱き上げた小さな背中を、大きな手のひらでそぉっと撫でてやりながら、こちらも偽らざるところを告白する。途端にぎゅうと、背中を掴んでた小さな手に力が籠もって。ルフィの側も"凄く嬉しい"を表明してくれて。



  ――― あ、ほら、遅刻するぞ。
       あ、やっべー。
       弁当、入れたからな。
       うん。あのな、あのな、今日は焼肉食いてぇ。
       判った、準備しとく。
       やたっ!


 ばたばたと。何事もなかったかのように、玄関までのダッシュをみせる小さな坊やと、それを見送るために追うお兄さん。テーブルに残された白い封筒は、恐らくはこのまま、封も切られずに置かれることだろう。思わぬ形の小さな波が立ったけれど、それでもやっぱり、彼らには、彼らの絆のようなものには、何の影響も与えぬまま、今日も今日とて"日々是好日"なようでございます。




  〜Fine〜  04.5.28.〜5.30.


  *何と言いますか。
   この蒸し暑いときに書く話じゃないよなと、
   そんなこんな思いながら書きました。
   本人たちには、やわらかいHOTであるらしいです。
やれやれ

ご感想は こちらへvv**

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