天上の海・掌中の星 “君がいない夏”
 


 
  何処にいたって同じだからと、少し面倒臭そうに奴は言って、
  それから、付け足すみたいに笑いやがった。
  ………馬鹿野郎が。
  こんな時に、他人に気ィ遣ってどうするよ。
  器用になったように見せて、その実、
  不器用なトコはまるきり変わってねぇ。
  俺らなんかにすりゃあ、
  そんな見え見えな素振りの裏なんて、あっさり読めんだっての。
  なあ、ルフィ。
  お前に見せてぇよ、こいつの こういう顔…。





 八月の声を聞く前から、今年は凄まじいまでの酷暑・猛暑を迎えており、連続記録でも最高数値でも“記録的な暑さ”というのを、いやと言うほどあちこちで聞く。その不快感の原因だった“湿気”は、思い切りのいい豪雨を招きもして。全くもって今年の日本の夏は、破天荒というのかダイナミックというのか、大胆不敵にして豪快な乱暴さでもって、人々を容赦なく炙り上げていた。

  「………お。」

 つい。感慨が声となってまで口を衝いて出ていたのは、それだけ意外だったからで。植えた覚えがなかったヒマワリが庭の一角でぐんぐん育っていたことには気づいていたが、大きな蕾がいつの間にか、深黄の花を開いていたからだ。大きなものだけに一日一晩で開くものでなし、なのに途中経過に全く気がつかなかった自分だったらしくて。それだけ、この数日をばたばたと過ごし、その繁雑さに翻弄されていた自分だったのだなと、あらためて気づかされる。こんな町の中でも、こんな早朝でも、蝉の声は喧しく。じーじー・しょわしょわと、何種類かの声が入り混じっての合唱は、おざなり程度にひんやりした朝の空気の中にあって…ホントはそこにはないものの幻聴のようにも聞こえて。

  “………ああ、そうか。”

 いつもだったら、あのチビさんの声で知らされるからだ。やれ、今日はいい天気だの、朝から暑いだの雲が多いだの、もうセミが鳴き始めてるだの、ラジオ体操の放送が聞こえるが個人のお家でやってる人もいるのかなだの。

  「………。」

 妙なもんだなと思った。何も日がな一日ずっと一緒にいた訳でもなかったのに。学校がある間は、家事を片付けたら後は適当に、空の上まで散歩にと出向いたり、天聖世界までちょこっと帰って広域的な邪妖の動静ってのを確認したり。結構気ままに過ごしていたもんだのにな。

  “ああ、でも…。”

 それらにしても。今日は昼までだったから、そろそろ戻って飯の支度をしてやらないと。そんな風にすぐにも立ち返る意識の、その先には…必ずあの坊やの存在があり、いつの間にやら“彼”を中心に世界が回っているような感覚になっていた自分。









  「…何を柄にもなく たそがれてやがる。」
  「のあっっ!!」

 真後ろから容赦なく背中の真ん中を蹴り飛ばすという傍若無人な振る舞いに、
「あに しやがんだっ、てめぇはよっ!」
 危うく窓から庭へと転落しかかった緑髪の破邪殿が、窓の桟に掴まったまま文句を垂れる。空気の入れ替えにと窓を開けに来ていた子供部屋の中央に、いつの間に現れたか、長身痩躯にして金髪碧眼のお仲間が立っていて。いつもの闇色のスーツのズボンのポケットへ両手を突っ込んだままという、やはり相変わらずに不遜極まりない姿勢にて。文句を垂れつつ窓から這い上がってくる同僚を、冷然とした眼差しでもって見据えていたのだが。

  「…ったく。俺は別に気配は消してなかったぞ。」

 なのに、その接近に気づきもしなかったお間抜けぶりに、ここは一丁、もの申してやろうと思ったサンジであるらしく。

  “あの腕白さんがいなくて、それが寂しいんだってのは何となく分かるがな。”

 面と向かって指摘してやりゃあ“そんなことはないっ”と敢然と否定するよな可愛げのない男だろうけれど。鬱陶しいほど雄々しき肩や、筋肉馬鹿の象徴のように隆々と張った胸板に、ほら、何となく悄然としているその余波が滲んでいるじゃあないか。あの、いつまでも子供みたいな無邪気な坊やが、この男にとってどれほどの存在であったのかは自分だって重々知っている。ただただ淡々と、邪悪な負の陰体を成敗するためだけに、幾星層もの歳月を孤独にだけ馴染んで存在し続けていた男。時にはその存在を相殺されそうなほどの巨大な相手へも恐れなく突っ込んでいった奴であり、そんな無謀を叱咤されても意に介さない豪の者。だが、それは…彼が感情なんてものを必要とせず、誰かとの繋がりや絆、それを持つ意味さえも知らぬままにいたからに過ぎないこと。他に同類を持たぬ、孤高孤独な存在。理解も共感も得られぬままでいいと、冷めた眸を翡翠石のように凍らせて、永遠に連なる日々を 存在し続けてだけいた“破邪”の青年。それが………。


  ――― 出会ってしまったから。


 ちょっぴり幼い無邪気な少年。霊感が鋭すぎ、しかも、屈託のない気性は懐ろが深かったがため。悲しい立場の者共を、壮絶な負担にも関わらず、追い払いもせず受け入れていた、何とも愚かな…健気で一途な可愛らしい子。そうせざるを得なかった彼の心的背景を知った上で、そんなのは間違った“優しさ”であり“同情”だぞと、きつく叱って…その代わり。この自分が代わってやるから、正しい“行き先”へ片っ端から送り込んでやるからと、掻き口説いたその時から…二人の及び知らないところで、音もなく回り始めていた運命の轍があって。

  ――― これを運命
さだめと呼ぶのなら、何とも皮肉な巡り合わせか。

 かつての天聖界に於いて、神格者たちをさんざ煩わせたという、最強にして最後の大邪妖。決死必死の戦いの末、永遠なる完全封印という手立てを取った、そやつが眷属・末裔が、再び復活した際の筐体になるようにという呪いをかけたその存在と。そやつを封滅退治するためにあった聖なる仙の転生者と。最初はそれと知らぬまま、だがだが互いに惹かれ合い、仲睦まじくも同じ時を過ごすことを幸いに思う愛らしい間柄となり。やがて運命の環がぐるりと巡り、抗い切れぬ悲劇の幕が力任せに上がっても。彼らの絆は断ち切れはせぬまま、むしろ神意さえ越えたのではなかろうかというほどの、荘厳華麗な昇華を見せて。この武骨な破邪の身へと、神にも等しき“淨天仙聖”などという…かつての祖になる存在の素養まで覚醒させたる奇跡を呼んで。世界を再び混沌に帰そうとする暗黒の大邪を一閃の下に滅ぼしたのは、まだまだ記憶に新しい大きな大きな騒動であって。可愛らしくもささやかな…なんてもんじゃあない、そうまで壮絶な宿命まで何するものぞと振っ切った、何ともバイタリティあふれる絆を結んだ二人には、天世界の重鎮たちも、感謝と敬愛と、それからそれから。そんな大それたことだというのにも関わらず、本人たちには自覚が全くないらしき暢気さへ、なんだかなぁという何とも言えない苦笑が絶えない、そんな天下無敵な幸せが、そこかしこを取り巻いていたというのに。

  “…ったくよ。”

 そんな途轍もない功労者が。何とも生気のないお顔でいるのへ、こちらも複雑な表情を隠し切れないサンジであって。この男にとってのあの坊やは、そんなややこしい事情も何も関係なく、ただただ愛しい対象であったに過ぎなくて。ちょいとずぼらなところや、いつまでも子供であるがゆえに物分かりが悪いところが多々あった頑迷さや、不器用で癇癪持ちで、それからそれから。どんな疵さえ愛しい宝にすぎなかったほどに、それはそれは愛惜しい存在であったから。そんな彼が…あまりに不意に、間近からいなくなったこの昨日今日というものは。まったくもって目も当てられぬ、情けなくも腑抜けた様相を隠しもせずに、時間を過ごしているばかり。

  “天下に名だたる封魔の勇者が、何とも心許ないことで。”

 ほりほりと、綺麗な白い手で後ろ頭を掻いて見せた聖封様は、唇の端に咥えていた紙巻きをぴょこりと上下させてから。呆れたように、こう言い足した。






    「たかだか“いんたーはい”とやらに出掛けてっただけだろうがよ。」



 日本中の高校生たちの代表が一同に集って、得意な運動競技を競い合う夏の祭典。それの柔道部門への、東京都代表だかに電撃的に選ばれて急遽参加しているルフィであり。たかだかそんなくらいのことだってのに、何ともまあ…この世の終わりを見たかのように、しょぼぼんと萎
しおれていたゾロだったもんだから。それを見かねたサンジとしては…あまりの情けなさに呆れ返って、おいおい・もしもし?とその広い背中を叩きにやって来たらしい。ポンッと中空へ国土院謹製の地図を取り出し、
「今年は中国地方だって? 柔道は広島の呉? そんなもん、あっと言う間に行ける距離だろうがよ。」
 ただの人間だって飛行機にでも乗りゃあ半日で着く距離。ましてや、時間軸への自律移動をこなせる自分たちであれば、あっと言う間の瞬間移動だって可能なことだ。だというのに、何を意味なく たそがれてるかなと叱咤した聖封様だったのだが、


   「行けねぇんだな、それが。」


 屈強精悍、それはそれは頼もしいまでに男臭い横顔を、ほんのかすかにこちらへ向けると。ちょいと詰まらなさそうに言い返した破邪様であり、
「去年までの、国体の時なんかには“すぐにも”ってカッコで呼ばれもしたんだがな。今回こそは一人で頑張るんだと。だから、個人戦の応援にだけ来てくれだとさ。」
 他所へのお泊まりの晩の、されど物寂しい人恋しさに。ついついこっそりと旅先まで呼ばれたことは数知れずだった彼なれど。今回は…そんな覚悟を他でもないご本人様から、出発前に語られたということか。
「ほほぉ。」
 成程。選りにも選って、坊や本人からの禁令が出ていたから、それでの待機だという点へは一応の納得はしたものの、

  「だったら。」

 サンジが更なる言葉を継いだ。
「暇なんなら、天聖界に戻ってても いんじゃねぇのか?」
 あの坊やが居ないのなら、此処に居る意味もなかろうに。下手に彼を思い起こすばかりの“此処”にいるから、そんな風に未練たらしき想いやら何やらがついつい沸き起こってしまうのではなかろうか。
「天聖界からだって坊主が居るとこへ直行は出来んだろ?」
 それより何より、肝心な“護衛対象”が居ない土地にいることほど無駄はないというもので。
「それとも回覧板でも回ってくんのか?」
「…お前。」
 他人のことは言えない、この彼にしても。随分と人間世界の事情に通じるようになったなぁとの認識も新たに、

  「………別に戻らにゃならんこともなかろうよ。」

 小さく破顔し、静かな声でそうと言い。お元気な坊やがつい昨日までの毎日を“水やり”というよりも“水遊び”のようにホースでやたらと水を飛ばして、びしょ濡れになってははしゃいでた、駆け回ってた庭を見下ろしてみたりするゾロであり。

  “こいつが感傷に耽るようになろうとはな…。”

 世も末だねと肩をすくめて、だが。青い眸をやわく細めた、しょっぱそうな苦笑い方には嘲笑の気配などないままに。金髪の聖封殿、暇
いとまの声をかけることもなく、その姿をすうっと宙へと掻き消した。馬に蹴られる野暮はしたくなかったんでしょうね、きっと。(笑)










            ◇



 誰の声も、誰の影も訪れぬままの小さなお家。なのに去来する様々な感触へ、ほのかな苦笑を噛みしめながら日を過ごし。ああそろそろ陽が暮れるなと夕刊を取りにゆき、そういえば劇場版のアニメが放送されるからと録画を頼まれていたことを思い出し、タイマーをセットして…幾刻か。

  “………………。”

 録画が終わったからか、リビングのDVDデッキがささやかな音を立てて勝手に電源を切り。庭に向いた小さなウッドデッキ風のぬれ縁に腰掛けていた破邪殿は、そちらをちらりと見やってから、視線を再び庭へと戻す。宵が垂れ込め出してからのずっと、生温かい夜風に頬を撫でられながら、静かな夜陰と向き合っている彼であり。さほどに郊外ではないせいで、時折どこかで空き缶を転がすような音が立ったり、改造されたそれだろう、オートバイのイグゾートノイズがいやに長く響いて来たり。それほどまでに“静か”でもないのだが。寝つくギリギリまでお元気に騒ぎ続けるやんちゃ坊主がいない分だけは、随分と静かな盛夏の夜で。

  “………。”

 本来だったら…たとえルフィ本人が言い張っても、その身辺から離れない方がいい。彼にはあの大邪妖の残した影響力が依然として染みついており、魔物や邪霊が引き寄せられては害をなすから。常に傍にあってその存在感により魔を払うというのだって、ゾロの立派なお役目なのだけれど。

  『独りでも平気なんだからな。だってもう高校生なんだしよ。』

 今度こそはの“独立宣言”を、守護者であるゾロへと言い置いていった坊や。何かあったら呼べと、常から言ってある。彼にだけ教えてある“真
まことの名前”を、口に出さずとも…胸の中ででも呟けば、何処に居ようと光の速さで駆けつけるからと言ってある。いつもの簡単な“魔避け”の封咒も出がけに唱えておいてやったし。だから、そうそう危険に晒されることもなかろうと、そっち方面の心配をしている彼ではないのだが、

  “………。”

 何をか、待っている彼であり。窓の敷居に腰を下ろして、薄闇をぼんやりと眺めやっていたその視線が、小さく瞬き…くすんと笑う。


  ――― pi pi pi pi pi pi …。


 傍らに置いた携帯電話が、電子音の呼び出しを鳴らし始めて。大きな手でそれを拾い上げ、ゆっくりと開けば、

  【ぞろぉ…。】

 第一声からして。何とも情けなく、ふやふやと撓
たわんだお声が零れて来たものだから。破邪殿の精悍な横顔が、堪え切れずに“くくく…”とほころんだ。




  ――― どうしたよ。そろそろ消灯だろうが。
       ………んん? 独りで頑張るんじゃなかったか?
       ああ。録画だろ? ちゃんと済ませたサ。
       明日はいよいよ個人戦なんだろが。
       朝一番の電車で………
       ………今すぐが良いってか?
       俺が寂しい? 退屈だろうって?
       そんなこともねぇがな。
       ほれ、とっとと寝ねぇか。

       …………………………………………。

       判った、判った。
       今から行く。東の方の空を見てな。
       え? だから、陽が昇る方角だ。
       まあ、あっと言う間だから、どっちでも構わないんだがな。
       ああ。じゃあな。



 電話を切って、おもむろに見上げた夜陰に…いつの間にか昇っていたお月様。お庭に咲いてたヒマワリといい、実のところ何も目に入ってはいなかった辺りは、坊やのことをどやこう言えない破邪様なのだが、

  “やれやれ、しゃあねぇか。”

 苦笑混じりに立ち上がり、頭上に掲げた腕の先。重ねた指をパチンと鳴らして、まずは…家中の戸締まりをするところが、聖封様のことを言えない“世間ずれ”なのだが。
(笑) それから今度は懐ろ胸元、顎を引いたその下へと柔らかく降ろした手の指先を、パチンと弾いたその途端、

  ――― ぶわっ、と。

 一瞬、弾けた青い光。それが瞬く間に掻き消えて。愛しいあの子の待つ西の地へ、夜空を越えて 翔
けてゆく魂。海に近い街だというから、潮騒を聞きながらそっとそっと、坊やを寝かしつけてやらなくちゃあね、破邪様vv ………余計な“いちゃいちゃ”は明日まで我慢だぞ。


   ――― ………っ、☆

   あ、コケた。
(笑)




   〜Fine〜  04.8.5.〜8.6.


   *今年の高校総体は中国地方で行われておりまして。
    登山なんて種目もあるんで、びっくり。
    日程は8月末までなんですが、
    柔道は開始早々からいきなり試合がありまして。(広島・呉市)
    団体戦と個人階級別。
    ルフィくんは、軽量級の中でも一番軽い 60kg級辺りなんでしょね。

ご感想は こちらへvv**

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