眠れる君へ… 『蜜月まで何マイル?』より


 広々としていてのんびり穏やかで静かな風呂場の、ほんのりといい香のするさらさらな極上の湯に浸かって、思う存分伸び伸びと全身を伸ばしているような。いい眠りから覚める直前の、そういう満ち足りた感覚からするすると浮かび上がると、潮騒と陽射しの中でやはり満ち足りた安穏とした空気に首まで浸かっている自分だと気がつく。元気だが強すぎない、質のいい陽溜まり。心地良い潮風と、心音ほどすっかりと身に馴染んだ潮騒の音。ゆったりとこの小さな船を乗せてたわむ、人懐っこい波のリズム。そして、
"………。"
 膝あたりに温みを感じて真下を見下ろせば、船端に凭れて座った格好のままに前方へと伸ばしていた自分の脚の、黒いズボンの腿辺りに小さな頭が乗っている。乗せる位置にも慣れたもので、長いこと乗せていてもぎりぎりこっちが痺れない辺りをちゃんと探って乗っかっていて。頭の持ち主の小柄な体が、丁度自分の脚から直角に、甲板の板敷きへと伸びているのを、頭から肩、腕、胴、脚と視線で辿って、それから再び顔へと戻る。不揃いな前髪が潮風に遊ばれている丸みのある額。柔らかな頬に落ちたまつげの陰。ついつい突々きたくなる小鼻と、その下には、合わせ目辺りが少しだけぷっくりした緋色の口唇が、すっかり寛いでか、今にも開きそうな微妙な加減で薄く合わさっていて。
"………。"
 彼のこんな寝顔を自然なこととして目にするようになったのはいつ頃からだろうか。夜陰の中での、無心なまま夜の中へ沈み込んでゆくように見えるそれとは少しばかり違う、どこか開放的で無警戒な午睡中の寝顔。すっかり凭れかかって、安らぎに満ちている、そんな寝顔。これだけは何があっても守りたいと、いつも感じてしまう愛しい子の眠り。
"まあ、いつも寝ているのはこっちなんだが。"
 昼型人間のルフィであるがため、何かして遊んでおくれよとじゃれついて来て、昼寝に誘うとそんなの詰まらないとむくれて膨れて。だが、結局は丸め込まれるように一緒に寝付いてしまうことも何度かに一度かはあって。
"………。"
 薄い胸板の上に伏せられた麦ワラ帽子。飛ばされないように軽く手を載せていて、だが、こちらへと寝返りを打った拍子に、その手ごと甲板へと滑り落ちた。
「………。」
 大切な宝物だろうにと、手を伸ばしかけ、だが、心配せずともちゃんと手が乗っかったままだと判って苦笑が洩れる。大切な物。無意識の内にもしっかり掴んだまま離さないでいるもの。
「………。」
 つい。手を頭へと乗せる。ぱさぱさとまとまりの悪い、だが、水気が多くて手触りのいい黒い髪。眠りの邪魔にならぬよう、そっと梳いてやりながら、だが、もしかして…これのせいで起きないかなとも思った。こうまで間近にあるのに、この無心な寝顔の主の想いは…なんだかとっても遠いところにあるような気がしたから。眠りの中で彼は誰と語らっているのだろうか。こんなに安らかに、こんなに穏やかに、無心なままで漂い続ける夢の世界の中で。


 『ルフィって、これまでに熱とか出したことないってホントか?』


 ふと思い出したのは、砂漠の国での死闘が終わった翌日のこと。あれほどの大怪我を負ったにも関わらず、包帯が邪魔だと言い出す我儘な剣豪に"まったくもうっ"と呆れながら、ふとチョッパーが訊いて来た。訊かれた質問へ、ああそう言ってたぞと何気なく応じると、頼もしき船医殿は…普段の小型トナカイの格好のままながら、由々しきことだぞと言いたげな、どこか深刻そうな顔をしたのだ。
『それって、なんか不味いのか?』
 ルフィに限らず、この海賊団の面々は…ナミが唯一常人並みに風邪を引いたり発熱したりすることを除いて、怪我と空腹による疲弊以外の病や憔悴には全くと言って良いほど縁がない奴らばかり。だからこそ、ナミが原因不明の病気で倒れて大恐慌を来
きたしたのだし。
『う…ん。』
 今回もまた、あれほどの死闘を、それぞれに、また一丸となってくぐり抜けたにもかかわらず、ルフィ以外の面々は、怪我こそそうすぐには塞がらないながらも、一晩分の熟睡でしっかり気力充実な回復を果たしていて。ただ、幼い船長だけは、異様な高熱にうなされ続けていた。王都アルバーナでの最終決戦の場に駆けつけたその直前に、砂漠の只中で繰り広げられたのだろうクロコダイルとの第一戦。そこで受けた深い傷もまだ癒えてはおらず、しかも再戦の場では卑劣なクロコダイルから毒の攻撃を受けた。何だかんだ言ってもそこは船長
キャプテン。これだけの顔触れが、その侠気おとこぎに惹かれ魅せられついて来ただけの奴であり、何があっても怯まず引かず諦めない、強い強い"信念"が彼を支え、ただひたすらに前進させる。最終局面で、持ち得る限りの力を出し尽くした彼は、王下七武海の一角を見事に叩きのめして沈没させて見せたものの、そのまま意識を失ってしまい…収容された王宮の寝所の中、なかなか下がらぬ熱を出したのだ。チョッパーは浮かない顔のまま、剣豪を始めとする仲間たちに自分の"杞憂"を…取り越し苦労になれば良いんだがという心配事を告げた。
『…うん。そうも悪い方にばかり考えちゃいけないんだけれど、熱を出すっていうのは体が必死で細菌を殺そうとする自然な治癒の働きなんだ。ただ、あまりに高い熱がいきなり出ると、慣れがない小さい子や体力がないお年寄りなんかは体の方が参ってしまって、脳炎を起こしたり後々に感覚への障害が残ってしまったりすることだってある。』
 あのヘレン=ケラー女史が、光や音への感覚、そして声を失ってしまったのも、ほんの五歳くらいの頃に発症した猩紅熱の結果である。
『基礎体力は充分あるから心配は要らないとは思うんだ。けれど、熱を体験したことがない体が、免疫も薄いんだろうに、耐え切れるのかなと思って。』
 チョッパーが憂慮していたのは、細菌やウィルスへの抗性という意味ではない免疫、別な言い方をするなら"抵抗力"についてだ。近年、あちこちで使われている言い回しに"一病息災"という言葉がある。本来は無病息災と言うのだが、そうではなくて、何かしらの持病とうまく付き合って体調をコントロールする方が、完璧なまでに病に縁がないよりもよほど息災に過ごせるもんだという意味である。なんとなく鼻がむずむずすれば"ああこれは風邪を引く前兆、無理はやめておこう"と考えることで用心が出来、それ以上の悪化を防ぐことが出来る。古傷が疼くからここで控えようとすることで…以下同文。
こらこら よって、案外と持病持ちの方が長生き出来たりもするし、逆に言うなら、日頃病気に縁のない頑丈な人の方が、ちょっとした病からいきなり重症に陥るケースも少なくはないのだ。
『………。』
 実際、苦しげな息を吐き、高熱に苛
さいなまれている様子は痛ましすぎて、とてもではないが楽観的な見解は出せないチョッパーなのも判らないではない。ただ見ているだけでさえ辛いものがあったが、医者でもない自分にはどうすることも出来ない。唯一出来たのは見守っていることだけ。それにしたところで、何かの助けになるとも思えず、居ても立ってもいられなくなる身を押さえつける、一種"我慢大会"のような様相になって来て。心配のしすぎで殺気立ってさえいた剣豪を見かねてか、やや熱が下がったところを見計らい、ビビが"気晴らしに散歩でも…"と言い出して。それで、自分の身を苛むようなトレーニングに手を出す辺り、進歩のない人であったりしたのだが…。
"あれに比べりゃずっと良いか。"
 苦笑が洩れる。そして、心だけどこかへ旅立っている彼であっても、ムッとしないで待っていようやと自分に言い聞かせ、髪を梳いていた大きな手を止めた。独占欲に我を忘れるとは修行が足りんなという苦笑と共に。………が、
「………ん。」
 時、既に遅かったのか、手のひらの中で小さな丸い頭がかすかに身じろぎをした。こしこしと目許を擦りながらうっすらと眸を開いたルフィであり、ぼんやりとしていた視線が、こちらの腹から胸へ、そして顔まで上がって来て、
「………。」
 美味しいものを食べたことで無意識に頬へと滲み出してくるような。何とも言えないふわりとした微笑い方をするものだから、
「………どした。」
 静かにそうと声をかけつつ、わずかに眸を張っただけに堪
こらえることが出来たのは上々。実を言えば…咄嗟に息を呑んだほど、ギクリともドキリとも言えない、いやいやどちらとも言える、そんなような鼓動が胸の奥底で撥ねて躍ったから、相当に焦ったゾロだった。こちらの胸中には当然気づかず、
「あんな、あんときの夢、みてた。」
 ルフィはまだ呂律が怪しい口調で言葉を紡ぐ。
「あの時?」
「うん。」
 頷いて腕を立て、ふらふらと身を起こそうとするから、
「…っと。」
 自然、手が出ていて。胸元と二の腕を抱えてそのまま軽々と引き寄せて、横抱きの形で膝の上へ座らせる格好で抱え込む。置き去りになった帽子を掴んで膝へ乗せてやると、こちらの胸に腕に抵抗なくぽそんと凭れて来て、そのまま言葉の続きを紡ぎ始めた彼だ。
「アラバスタで、クロコダイル殴って、全部終わった後の夢だ。」
 おや、と。再び、今度は素直な感情のままに眸を見張ったゾロだ。丁度自分が先程まで思っていたのと同じこと。頭を撫でていたことで何か伝わりでもしたのだろうか。
「あん時、ゾロ、後から顔出したろ?」
「…ああ。」
 トレーニングにと外に出ていたからだが、そんなせいで3日振りの彼の目覚めの瞬間には立ち会えなかった。
「あん時、何で居ないんだろって思ったから。目は覚めてたのにまだ寝てんのかなって、ゾロがいないっていうお芝居みたいな変な夢を見てるような、そりゃあ妙な気がしたからさ。」
 そう言って、見上げてくると"にへ…"と小さく微笑って、
「今はそうじゃなかったから。ん〜ん、あれからずっと、目ぇ覚ますといっつも、一番最初に逢えるすぐ傍に居てくれるから嬉しかったんだ。」
 拙い言い方をして、すり…とやわらかな頬をシャツへと擦りつけてくる。
「オレってさ。いつも一番最初はゾロと逢いたいんだなって、そんな風に思っちまったんだ。」
 言い回しが少し妙なのは、まだ半分ほど頭が寝ているからだろう。だが、そんな半端な言いようでも剣豪殿には充分に伝わって、
「…色気のねぇこと、言ってんじゃねぇよ。」
 こちらもまた滲み出してしまった笑みは隠し切れず、こんな言いようにも"言葉の意味合いを正確に伝える"という効果はまるきりなかったりするのである。
あはは そういえば、あの時も"久し振りだな"とゾロにだけわざわざ話しかけて来たルフィだった。意識がなかった間は、当人である彼にとっては瞬きの狭間、つまりは"一瞬"も同様だったろうに、だ。それとも、その前の、珍しくも長く離れ離れになってた間のことを言った彼だったのだろうか。
"…ったく。"
 腕の中へと何かから庇うようにして、胸元に見下ろした童顔は、すぐ間近に顔を寄せても…いつまでもとろんとした大きな瞳を見張っているものだから、
「…目ぇつぶれって。」
「えへへ…vv うん♪」
 素直に伏せられた瞼へ、そして頬をすべって口元へ、ついばむようなキスを落とす。子供のくせに、自分以上の朴念仁なくせに。どうしてこの坊ちゃんは、こうも…人の心をひと掴みにするようなことを、無意識の内に口に出来たりするのだろうか。青い青い海原を、なめらかにすべってゆく船の上。無骨な海賊船だというのにもかかわらず、もしかして甲板中が…溢れ出すハートマークで埋まっているのかもしれない様相であり、キッチンの小窓からたまたま目撃した誰かさんたちが、一様に肩をすくめたのは言うまでもない、ハッピーな昼下がりの一幕だった。



  〜Fine〜 01.1.20.〜1.21.


  *カウンター13714HIT リクエスト
    クマ野クマ子サマ
     『ゾロがルフィのことを好きだと改めて自覚して、
                    こりゃまいったねvv』


  *リクの"こりゃまいったね"という部分に、
   苦笑交じりという意味を勝手に感じて、
   こういうお話にしてみました。(てへvv)
   心置きなく"いちゃいちゃ"させるには、
   やっぱり"蜜月"ですねぇ、うんうん。(おいおい)
   実は…知ってる人は知っていることながら、
   Morlin.は本誌を読んでないアニメ組でして。
   よって、時々は"見て来たような嘘"を書いてもいます。
   ですので、ディテールがあちこち違っても勘弁してくださいませね?(こらこら)
   こんな出来になりましたが、いかがでましょ? クマ子サマvv


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