金色ピアス
     “蜜月まで何マイル?”より


  何しろ初めてのことばかりだったので、
  気が動転していて、あまり覚えていないのだけれど。
  ただ、熱くなった唇にひやりと触れたピアスの感触を、
  何故だかしばらくの間、生々しく覚えていた。


            ◇


 あの頃は砂漠の国の皇女がいて、その代わり、雪国からの船医はまだいなかった。何だか辛いままに日は過ぎて。やがて、どちらかを自分が選ばねばならないのだという結論に辿り着いた。

  『もう…約束なんか気にしなくていい。
   元々ゾロは海賊になりたくはなかったんだし…。』

 日を追うごとに息が詰まって、あのまま…曖昧なままを保とうとして黙ったままでいるのももう限界だと感じた。視線さえ合わせてもらえないほど鬱陶しがられているというのは、もしかすると…嫌われていることと大差無いのではなかろうかとも思ってた。思ってたけど気づきたくはなくて。ただ傍らに居るのさえダメなんだと判るのが辛くて。だって、ゾロが船を降りてしまったら、きっともう二度と逢えなくなる。あの雄々しく頼もしい胸や腕にも、無口だけれど何かを一杯背負ってる背中にも。剣を力強く握る、温かで大きなあの手にも、もう二度と触れられなくなる。響きの良い声や不敵で男臭い面差しや、凛とした横顔や、無造作な態度の一つ一つがどきどきする存在感すべてが、背を向けて歩み去り、どこか遠くへ行ってしまうのだ。

  『………。』

 辛かったけれど、気がついたなら、そして決めたのなら、早い方が良いとも思った。これ以上の迷惑をかけたくなかったし、それに…もっと辛くなるだろうと思ったから。そして、俺ってやっぱり我儘だと、自分のことしか考えてないやと、そうと気づいた途端、悲しいのに笑えても来た。

  『もう…約束なんか気にしなくていい。』

 それを彼自身に告げたあの日は。いつ言い出そうかと、ギリギリでまだ少しばかり迷っていたら、思いもかけない突発事故が起こってしまって。そんなせいで予定外ながら上陸した小さな島。何かに怖がっていた自分をいつものように宥めて守ってくれたゾロへ、だが、振り払うように決意のほどを告げたのだ。だのに………。


            ◇


「………んや?」
 ぽかっと眸が覚めて。目だけで辺りを見回しているうちにも、ぬくぬくの褥
しとねの中にいる自分に肌で気がつく。何だか不安な、でも、幸せに出会えそうだった予兆がちらりと見えてもいた、どこか中途半端な夢を見ていた…ような気がして。もうちょっと寝ていたかったなぁと、いつもなら思いもしない種の残念さを少しばかり感じた。
「………。」
 まだ夜明けには間があるようだ。船倉に位置する窓のない暗い部屋だが、いつものこととて何となく判る。鼻先に触れる空気の肌合いや、寝足りなさ、それから…何となくの勘のようなもの。
「………。」
 波の音、風の音、波にもまれて船体が軋む音。もう意識さえしなくなったそんな音たちの中、
「…んぅ。」
 自分と寄り添うようにすぐ傍らで横になっていたゾロが小さく身じろぎをしたらしく、

   ―――しゃら…。

 不意にかすかな音がして、
"………。"
 何だかドキッとした。こうまで間近に寄り添っていると、ゾロの大きな体は正に"壁"みたいで。完全防備されてるみたくて安心出来る反面、視野を塞がれてしまうというのか、お前は何も見えなくて良いんだからと目隠しされてでもいるような。まあ、それは相手の大きさには関係ないのかも知れない。一点にばかりあまりに近づきすぎて、その代わりのように周りが見えないというのはよくある話で、いや…そういうコトじゃなくってだな。
"何の音?"
 すぐ間際で聞こえた。覚えのある音だ。けれど、視野を塞いでいる男の胸元は、要らないことは考えなくても良いんだぞと、朝まで も一度寝なさいとでも言いたげで、気を抜くと"ふうっ"と睡魔に引き込まれそうになる。
"んと。"
 何だったんだろうと、まだ少しぼんやりする頭で考えようとしていたら、
「………。」
 毛布の下で背中へと回されていて、肌に馴染んでそのまま自分の一部みたいだったゾロの腕が少しばかり動いた。起きてはいないから無意識のことだろう、毛布やシーツを掻き寄せるみたいなノリで、きゅうっと引き寄せられて、

   ―――しゃら…。

 また同じ音。でも、今度はすぐに判った。上になっていた左側。その耳朶に連ねている三連のピアスがかすかに触れ合って立てた音だ。他に誰もいない夜の底で、二人きりになって求め合う、いつものドキドキが始まるまず最初。キスをしてから深く抱き合い、耳の後ろから首条へと深くすべり込んでくるゾロの口づけが始まるその時に、頬に触れてくすぐったかったり唇に掠めることがあったりする、つややかで冷たいアクセサリー。洒落っ気と言えば言えるが、どちらかと言えばむしろ体の一部っぽくって、
『これって"三刀流"だからか?』
 横になったままで手を伸ばし、しゃらしゃらと掻き上げるみたいに指先でもてあそびながら訊いたら、子供の手遊びを見やるような顔でくすぐったげに微笑いながら、
『さてな。忘れたよ。』
 若気の至りってやつさ、なんて、いきなり年寄りめいた言いようをしていたゾロだったが。
「………。」
 シャツを脱いで、少ぉしひんやりとする鞣
なめした革みたいな素肌に触れると、知らず洩れる溜息が一つ。そんな安堵の様を見やった男の、刀から離れた大きな手が、不器用に抱き締めたり愛しげにあちこちをくすぐったりして。無口な口許はやはり無口のまま、されど忙しく這い回り、一緒に少しずつ熱くなってくその中で、だが、このピアスだけは、いつだってひやっと冷静だ。どんなに熱くなっていてもどこかで冷静な、ゾロという存在そのもののようで。曖昧に蕩けそうになる意識を、不意に冷ややかに撫でては、頼りなく溺れかかる間際で引き上げてくれたりもした。………けど、
"………。"
 それさえも馴染んだのか、今の今、無音の中に響いたからこそ意識した存在…になっていたと気づく。胸の傷だってそうだ。半裸で抱き合えば否応無く間近に見えるものには違いないけれど、恨みもこだわりも昔よりはずんと薄まっている。今だって思い出せば、あの男がそれはそれは憎いけれど、
"………。"
 その傷跡の奥にいる、変わらないゾロしか要らないからだと思う。いつも高みを見据えた強い眸の、大好きなゾロしか知らないで良いのだと、そう思うようになったから。いつも今でも、胸の裡
うちであの"鷹の目の男"を目標にし続けている彼なのは百も承知。だが、今ここには自分たちしか居ないのだから。余計なことは考えなくても良い。いつも自分を求めてくれる、やさしくて大きなゾロしか知らなくて良いのだ。柄ではない洒落たものを身につけている理由だとか、あの白い刀の由来だとか。そんなもの、目に映るまでの形さえない"見えない"ものだから。案じる必要なんてない。
『いないもんを怖がるなんて、器用な奴だよな。』
 幽霊や何かの気配がするようで怖い…と怯
おびえて抱き着くと、決まってゾロはそう言って笑ったもの。
『見えるもんにさえ不注意な奴なのに。』
『う、うるさいなぁ。…あ、また何か音がしたぞ?』
『大丈夫だって。』
 そうと言いながらも、しがみつく身を向こうからもきゅうっと抱き込んでくれる。頼もしくて温かな匂いのする、ちゃんと此処に居るゾロ。
「………。」
 もしかしたら、明日にも何かが降りかかってくるやも知れない。ホントは手と手をつないでいられるのさえ精一杯なのかも知れない場所なのだ、此処は。見えてるものだけを信じて何が悪い。全てをいちいち裏までまさぐって把握していられるほど自分は賢くないから、せめて大好きなこの男のことくらい、好きなように好きで居たい。
「………。」
 そぉっとその、温かで何でも抱えられる胸元へと頬を寄せる。何でも背負ってしまいたがる背中は見ないで。何かしら謂れがあるのかも知れないピアスにも目をやらないで。まだやって来ない"明日"に辿り着くため、眸を伏せる。何も考えず、何も恐れずに………。


            ◇


 ………とか何とか、珍しくも刹那的な感傷に耽ってみたことも、たまにはあったよなぁと、くすぐったげに思い出しつつ、
「なあ、ゾロ。」
 作務服姿の胡座での…という変則的な膝枕を"してくれている"夫に声をかけている。竹の細い棒をそっとそっと操っている彼は、
「んん?」
 視線は逸らさぬままに声を返して来た。作業に集中しているのだろうが、
「初めて…のって、覚えてるか?」
 頬を乗せている膝頭を手のひらですりすりと撫でながら訊くと、
「ん…まあ、な。覚えてる…さ。」
 上の空での生返事かと思いきや。耳かきの動きがぴたりと止まっているから、この短い言いようでもちゃんと判っていての"お答え"らしく、
"昼日中から一体何を訊くかな、こいつは。"
 宙に浮かせた竹の匙を、摘まむようにして持った指の間でクリクリと捩るように回している。一応"平生の顔"でいるにはいるが、そんな風な手遊びっぽい動作は、ある意味、注意力の拡散を招くから滅多にやらない剣豪殿。ということは、もしかして…どこか含羞
はにかんでさえいるのかも知れない、秘やかな動揺も窺えたりして。この二人、相変わらず剣豪の方が、常識的な分野においては純情な性分たちであるらしい。(笑)
「そいでな、あの時の島ってさ、何かの神様が祀
まつられてたんだよな。」
 そっちへ話が逸れたので、知らず安堵の吐息をついて、
「…ああ、そうだったな。確か女神だったぞ?」
 狙撃手が器用にもその像のレリーフを彫ったのを覚えている。結局何の神様だったのか、自分たちは知らないままだ。(おいおい、ビビちゃんが調べて来てくれただろうに。)そんなこんなを思い出していた旦那様の耳へと、
「あの子たちが授かったのも神様の島だったろ?」
 どこかわくわくと続いた奥方の言葉が届いて、
「……………で?」
 再び竹の匙が止まったのは、何となく予測するものがあって…脱力しかねない先を慮
おもんばかってのこと。
「やっぱりさ、俺たち、行いが善いからご褒美にって子供たちが授かったんだって。」
「そぉ〜ぅかぁ〜?」
「そうだよ、きっと。うん、そうなんだ。」
 春先の縁側は、いっぱいの陽射しが降りそそいで温かで、黙っていると眠ってしまいそうになるから。耳掃除の邪魔にはならない程度に、屈託のないこと、脈絡のないことなど、様々に話しかけているルフィだったりする。そこへ、
「あらあら。仰有って下されば私がお手当てしましたのに。」
 ぱたぱたと奥向きへやって来たのはツタさんで。ご夫婦の仲睦まじい様子に微笑みつつも、そうと声をかけてくれて、
「いいんだよ。こんなことまでツタさんにさせちゃあ罰が当たる。」
「そだな。それにな、ゾロって結構上手なんだぞ? 全然痛くないもん。俺、自分でやっても痛いからサ。」
 この春から子供たちが幼稚園へ通うようになって。その間の少しだけ、昔みたく二人きりで居られる時間が陽のある内にも出来たから。
「…っ☆」
「んん? 痛かったか?」
 不意に目をきつく瞑ったルフィに手を引くと、
「ん〜ん。眩しかっただけ。」
 膝の上から見上げたゾロの顔の脇で、あの金色のピアスがちかりと光って揺れている。そういえば、これの謂れは結局あの時に聞いただけとなっている。
"も少ししたら子供たちも訊くかも知れないよな。"
 その時は一体どんな風に何と答える彼なのだろうか。まだ少し先のやり取りを今から予想して、ルフィは小さく笑って眸を伏せた。二人して辿り着いた、温かな"明日"で………。


  〜Fine〜  02.3.27.〜3.28.


  *所詮シリアスは書けないというか照れが出るというかで、
   変なオチですみません。(オチって言う辺り…/笑)
   書いてる本人でさえ、色々と忘れてまして、
   ああ、そういえばこのルフィに限ってはオカルトが嫌いなんだったっけとか、
   まだ一年と経ってないのにこの始末です。

  *あの『
朝 睦み』よりは少し大人(?)になったルフィかなということで。
   お帰りなさい、カエルさまへvv

  *岸本サマから、お素敵なイメージ画を頂戴しましたvv  こちらです→


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