牧神たちの午睡
        
     
 『蜜月まで何マイル?』より


          1

 パニックという言葉の語源は、ギリシャ神話の牧神"パーン"から来ている。家畜と牧人の守護神であり、山野を好んで散策する彼は、お昼寝が大好きな神でもあって、そんな彼が休んでいる長閑かな午後の森の静寂を打ち破ろうものなら、寝起きの悪い彼の怒りが報復にと人々を大恐慌に陥れる…というところから生まれた言葉だそうで。………オレンジ国のウォルサム陛下じゃあるまいに、神様なのに低血圧だったんだろうか?
おいおい
  *前回からこっち、懐かしいネタが続いておりますが、
   これについて来られる人はまず居なかろうて。ふっふっふ。
こらこら


 すっきりきっぱーっと晴れていれば、一日の内の午前中と昼下がりのそれぞれに、頑丈な鉄の棒へ数百キロもの重りを付けての素振りを数千、数万回とこなしたり、乗せられるだけのあれやこれやをごっそり背負っての腕立て伏せをやはり数千、数万回とこなしたり、それからそれから、えとえっと…。1秒間に2回カウントとして、1分間に120回。ペースを全く落とさぬままに1万回をこなすのに約84分。2万回なら約167分。
「だから。終わるまで待ってたのに。」
 汗をシャワーで流して来た彼の定位置は、上甲板の柵か船端。半乾きの短髪や仄かに火照った肌を撫でてゆく潮風の爽快さを感じながら、板張りに直に腰を下ろして、頭の後ろへ手枕を組んで。その雄々しいまでの逞しい体躯をクールダウンさせるための剣豪殿の休息の一時に、幼いお顔のふかふかな頬を"むうっ"と膨らませて割り込んで来るのが、こちらもお馴染み、我らが船長殿である。刀の手入れとトレーニングだけは誰も邪魔をしてはいけない時間であり、剣士である彼にトレーニングは大切な日課だと判っているから、遊んでほしくてもそこは堪
こらえる。だが、日によっては…興に乗るとあれもこれもと連続して手をつけるため、区切りがつくのが3時のおやつの時間をまたぐ時があって、
「おやつ、アイスだったから溶けちゃったぞ?」
「そか。そりゃあ悪かったな。」
「…勿体ないから俺が食ったけどさ。」
 おいおい。どういう拗ね方をしているのだか、大威張りでそんなことを報告するものだから、筆者同様、剣豪もまた、惚れ惚れと男臭い鋭角的な顔をほころばせて"くすくす"と微笑い。その様子が何とも大人びた余裕に満ちているものだから、船長殿がますますもってムッとする。
「…何だよ。」
「なにが?」
「トレーニング、そんな楽しかったのか?」
「さてな。習慣だからな。」
 何も規則正しい決まり事としてこなしている彼ではない。とはいえ、体への鍛練というものは、一日でも怠ると、せっかくの躍動や充実、瞬発力、そしてそれらへの手ごたえが数日分ほど易々と後戻りする。過激なカリキュラムでなくても良いから、その代わり、毎日連綿と続けること。継続は力なり。それが基本だと、けろっとしている剣豪殿へ、
"…十分"過激"だってば。"
 内心でやや呆れて呟いたのは、先程まで"おあずけ"状態だったルフィに抱えられていたチョッパーである。余談ながら、聞いた話をここで一つ。人間が一人で抱えられる重量というのは、身体の組織的な構造上、自分の体重の約3〜4倍が限度だそうだ。力自慢が1t以上はある大型バスやトラックを引っ張れるのは、慣性の法則が働いてのことで、最初の一押し以降はそうそう力は要らないし、何より"抱えて運ぶ"訳ではない。…で、我らが剣豪殿は500キロの鉄棒素振りをこなしておられる。いつぞやなど、石作りの建物を頭上に抱えても見せた。いくら実用型筋肉質…見た目よりぎっちり重い体躯だろうとはいえ、あって80キロってトコだろに………まあ、マンガだからねぇ。
(笑) グランドピアノが約380キロ。自動販売機もそんなもんだそうだから、運送会社に入ったら引っ張りだこだぞ、剣豪。(笑)
「なあって。」
 今でも似たような"引っ張りだこ"。傍らにチョッパーを従え、無防備だった腹への傍若無人な馬乗りになって、体ごとゆさゆさと揺すぶって来る船長さんに、
「だからさ。遊ぶんならせめて何して遊ぶのか決めとけっての。」
 余裕で仄かに苦笑しながらも、されるままになっているゾロからのごもっともな提案が出された。盛んに"遊ぼう"と誘う割に、では何をして?と問われると、アイデアがあった試しがないのもいつものこと。
「…だってよ。」
 今日も今日とて、途端にルフィが口ごもる。
「トレーニングしてるゾロはかっこいいから、つい見とれちまうんだ。」
「…はあ?」
 途端に器用に片方だけ眉を上げ、怪訝そうな顔をするゾロだが、
「なあ、チョッパーもそう思うよな?」
「おお、かっこいいぞ、ゾロ。」
 こちらも一緒に"おあずけ"態勢で見ていたから。小さなトナカイドクターもまた、こくこくとしきりと頷いて見せる。赤銅色の肌の下、屈強にして壮健な肉置きを隆々と撓
しならせて。一心不乱、途轍もない集中で、腕から肩から、背中から腰から…と、全身余すところなく鍛えるのに余念のない剣豪殿の、その凛然とした表情の鋭い冴えや鬼気迫るまでの気魄には、傍で見ている者をさえ黙らせるだけの説得力とでもいうのだろうか、只事ではない厚みがあって。力強いものや男らしいものへの憧憬が強いルフィやチョッパーにしてみれば、男の理想が重しついた鉄棒を振るってるようなもの。なんだ、そりゃ(笑) ついつい何も考える余裕なぞないくらい心奪われて見惚れてしまうのであろう。それはそれとして、
「なあ、何かしようよぉ。」
「だから。何かって何なんだよ。」
「だから"何か"だ。」
「じゃあ、決まるまで待ってるよ。」
「あ、あ、ダメだって。眸ぇ閉じたら寝ちまうじゃないか、ゾロっ! 起きろって。」
 厚みのある肩に手をかけて、懸命にゆさゆさと揺さ振るルフィだったが、こう運んだらもう先は見えている。これもまたチョッパーにももう十分に慣れ親しんだ代物で、
"あ、今日もルフィの負けだな。"
 心持ち立てられた膝を椅子でいう背凭れにしかけていたルフィが、身を起こして躍起になるのを見計らい。さりげなく…いつの間にやら背後へと回されていた長い腕に搦め捕られていて。丁度自分がいつもルフィにそう扱われているように、優しく抱え込む態勢ががっちりと整っていることに気がついた時にはもう遅い。
「…あ、あれ? あ、ゾロ、離せって。なあってば。」
 聞こえているやらいないやら。見様によってはうっすらと微笑ったままなような表情を浮かべて、静かに瞼を伏せてしまう剣豪殿であったりする。今日も今日とて、昼の部、勝者、ロロノア=ゾロってか。
(笑) 


            ◇


 ややあって。ひょこんと小首を傾げながら、上甲板から降りて来た船医殿で。
「どした? チョッパー。」
 どこか怪訝そうな顔のまま、板張りにとたとた…と愛らしい足音をさせてやって来た彼へと声を掛けて来たのは、撓やかな長身痩躯をダークスーツで包んだ金髪のシェフ殿だ。いつものようにメインマストの根元で何やら研究中だったウソップに、愛用のフライ返しやお玉の修理を頼んでいたところな彼であるらしく。頭上から問われたチョッパーは、
「んん、ヒトって不思議だなって思ってさ。」
 サンジの顔を見上げてしみじみとした言いようをする。
「? 何がだ?」
 そんな大仰に感じ入るとは一体どんな発見なのだろうかと、すぐ傍ら、長い脚を折って、視線を合わせるべくわざわざ屈み込んで訊くと、

「だって、男同士なんだから子は作れないのに"発情"のホルモンが出てるんだ。」

 今まで居たところの上甲板を小さな肩越しに振り返る彼である以上、その対象は"あの二人"ってば…ということなのだろう。
「………ふ、ふ〜ん。」
「…そうなのか?」
 ウソップが指揮者のようにお玉を振り振りリアクションに困って見せ、こちらも固まりかかったサンジが、フリーズ状態から何とか逃れるべく訊いてみてみている。
「うん。可愛いとか愛しいって想う気持ちが起きた時にも多少は沸き立つものだから、ここからがそうっていうきっちりとした区別は出来ないんだけれどね。でも、あの二人は随分と想い合ってるから、保護欲より強く発情の感情が出るみたいで。それに合わせて、ホルモン分泌も激しいみたいなんだ。」
 あくまでも"医学的な見地から"の発言をするチョッパーで。なればこそ、傍で聞いてると赤面を誘うようなことでも、深読みなくずばずば言っちゃう彼なのだろう。………が、でも、と、彼はそこで"ひょこんと"小首を傾げて、
「子供は作れないのにな。それとも、二人とも、相手の子供が欲しいのかな。」
「さ、さあな。」
 動物のそれがそれのみを目的にしていると分析出来るとして、人の場合は少し違うから。単なる繁殖のみならず、愛しい恋しいという感情・想いの表現行動の行き着く先もまたそれであり、そこに至るための発情反応であるなら…、じゃなくって、気持ちの高ぶりであるのなら、
「人間の感情の分化は複雑ですものね。それでなくてもまだ子供なあなたには、いくらお医者という"専門家"であれ、把握し切るのはちょっと難しいことなのかも知れないわね。」
 そんな風に柔らかく微笑って言ったのが、いつの間にこの場に来合わせたのか、すぐ傍らの船端に凭れて立っていたロビン嬢。相変わらず気配のない出没はお手のもので、まだ慣れないらしい船医殿は"おおうっ"とばかり跳ね上がってビックリしていたが、それって…気配に敏感な彼でも読み取れない神出鬼没だということだろうか。いや、それは今はさておいて。どうやら彼女にも納得ずくな事柄であるみたいですのな。…これも今更か?
(笑) 
「? でも、俺とルフィは二個しか年齢
トシは違わないぞ?」
 ルフィも同じ子供なのに?とますます不思議がる小さな船医へ、サンジがどこか困ったような顔をする。その傍らから、ナミが溜息混じりに助け舟。
「…人にはね、色々なケースがあるのよ、チョッパー。」
「ふ〜ん。」
 そうとしか言えませんわな、今んとこは。医学や生態学においての知識では、ここにいる誰にも引けを取らない彼のこと、何となく…飲み込みかねているような様子を見せるものの、
「学術的に訝
おかしいことだったら、そんなのが傍に居んのはイヤか?」
 すぐ傍らからシェフ殿がにぃっかりと笑いもって訊くと、途端にぶんぶんと首を横に振って見せた。
「イヤなんかじゃないっ。ルフィもゾロも、俺、大好きだし、二人が仲良くしてんのは見ててほこほこして気持ちいいぞvv」
 そ、そうなのね。
(笑) あどけないにこにこ笑顔が戻ったものだから、サンジもついつい端正な顔をほころばせて"にっこり"と笑い返して見せる。………それにしても。
「少し前までは、そりゃあ分かりやすく照れてたんだがな。」
 すぐ傍に座り込むだけで肩がすくむように跳び撥ねてたり、顔を覗き込めば、知らず後ずさっていたり。何でもない筈のことへ、ほんの一瞬のものとはいえ、らしくもない過敏な反応をし、それで互いを傷つけ合ってもいた彼らだったものが。いつの間にやら、
「あの体たらくだもんな、ったくよぉ。」
 苦笑しもって肩を竦めた狙撃手で。おいおい、その言い方はあんまりでは。ここから見えるのは、柵に凭れて座っている剣豪殿の大きな背中だけ。じたじたと抵抗していた船長も、根負けしてか釣られてか、大好きなゾロの体温や匂いに包まれて、一緒にくうくうと寝入ってしまったのだろう。愛用の腹巻きの感触や胸板や腹筋の堅さもまた、寝入るには丁度良いらしく、冗談抜きに船長殿にとって格好の安眠用マットでもあるらしい。まったくもって用途多様な戦闘隊長殿であることよ。(仕様は予告なく変更になる場合があります/おいおい)
「………。」
 頼もしい二の腕で黒バンダナがはたはたと揺れている。敵の急襲もなく、天候の急変もない昼下がり。穏やかで和やかな、のほほんとした。この海賊団の、幾つかの"らしさ"の内の一つの象徴図ではある。
「あれが"らしい"んだから、ウチがどんだけ"海賊らしくないか"よね。」
 どこか芝居がかった仕草で肩を竦めて、大袈裟に溜息をつくナミへ、
「ま、戦闘担当が暇だってのは平和だってことなんだから、善しとしましょうや。」
 サンジが苦笑し、チョッパーをひょいと抱え上げる。
「今日の夕飯はラビオリだ。パスタに具を包み込むの、手伝ってくれないかな?」
「おう、手伝うぞっ。」
 にっこし笑った船医殿が、右手で何かを握って引く真似をしたのは、具材を挟んだシート状のパスタを小さな正方形に切り分ける、小さな円盤型のカッターを使う仕草。それが出るほど手慣れたお手伝いであるらしいから…やっぱり平和な海賊団であることよ。



          2


「………。」
 ぽかっと目が覚めた。まだ陽は高いが潮風の流れが穏やかで、辺りには凪の気配がひたひたと。この独特の静けさは、どうやら黄昏時が近いのだろうと感じられて。そのまま懐ろを見下ろせば、
"………。"
 あれほどぶうたれていたのに、自分より深く眠っている少年へ、思わずの苦笑がこぼれる。無心な寝顔。こちらの胸板へ頬を擦り寄せていて、幼さがより強調されている屈託のない寝顔。
"………。"
 大切だし、大好きなのだし。他の誰かと馴れ馴れしく親しげだと、少なからずムッとするくせに。日中からいちゃいちゃと絡み合うのにはやっぱり何だか照れが出てしまう。衒いなく"なあなあ"と懐いて来る彼からまとわりつかれることへの気恥ずかしさを誤魔化すために、寝たふりなぞして見せてきた剣豪殿であったのだが、そんな中にも少しずつ馴らされて来つつあるのだろうか。このところ、膝抱っこだの馬乗りおねだりだの、どう見たって立派な"いちゃつき"を笑っていなせるようになって来てもいる。そのまま掻い込む余裕まで出て来たゾロであり、
"だから、こいつもムキになって"遊ぼう攻撃"を仕掛けて来るのかもな。"
 遊ぼうと言われても正直困る。彼の好きな子供の遊びはよく知らないし、手加減の程も判らない。それに、他愛ないものであればあるほど、それに熱中している無邪気な顔や仕草を傍から見ている方が何だか微笑ましくて楽しく嬉しい。自分の傍らで、持ち得る包容の中で、幸せそうに笑っている彼を見るのが何よりの至福。他を壊し、消し去り、凌駕することでしか掴めない夢が、果たして誇れるものだろうかと、時々不安になりながら、それでも立ち止まる訳には行かないと、自分を叱咤してただただ闇雲に駆けていた。こんな風に迷うのなら、感情なんか要らない。高みに上がるために必要なら鬼にだってなってやるさと失速しかけて、逆に夢から食
まれかけていた自分を、どこか自暴自棄にも近い思い込みからぎりぎりに尖っていた自分を、その独特のマイペースで強引に"まあちょっと落ち着けや"と宥めてくれた少年。それがこのルフィだから。
「………。」
 あれこれと手がかかるところにやきもきさせられながらも、気がつけばあれほどがむしゃらだったものが嘘のように落ち着いていて。最初は馬鹿げて見えた彼の途方もない夢さえ、胸を張って後押し出来る自分がいるから、実際不思議だと苦笑が絶えない。そんな凝視が刺激になったか、

   「…んや?」

 眸が覚めて、自分を見下ろす視線に気がついたらしい。彫りの深いはっきりとした造作の面差しの中、光を吸収して底まで透けて見えそうな、透明感に満ちた翠の瞳に、少年の目線が留まる。日頃はその強い意志を映して深色をたたえているのに、今は宝石みたいに透き通って見えたものだから、
"…きれーだなー。"
 ぽややんと、うっとりするほど奇麗なものだから。ぼうっとしたまま見とれてしまう。そんな様子へ、
「どうしたよ?」
 訊くと、
「きれーだなーと思って。」
 見惚れたままに呟くルフィの視線が自分の顔から離れないことに気がついて、よせやいと言いながら丸い後ろ頭に手をやると、ばふっと胸元へ押し付けてやる。彼なりの照れへ"くくく"と笑い、
「なんかゾロ、変わったよな。」
 しみじみとルフィが呟いた。
「そか?」
「おお。何か丸くなったぞ。」
「旨いもんの食いすぎで太ったかな。」
「…じゃなくって。」
 ウソップの真似をして、手の甲でビシッと突っ込む。
「以前
まえは俺が傍に寄ると寝たりしないで相手してくれてたのにさ。今はあっさり"ぐーぐー"じゃん。怠け者になったんか?」
 彼らしい妙な言い回しだが、そこはちゃんと通じて、
「そうだったかな。」
 苦笑する。そんな自覚はないのだが、そうだとするならそれはきっと、この彼を相手にでさえ僅かながら警戒心があったからだろうなと、自分へと断じるゾロである。誰かが傍らにいると落ち着いて熟睡出来ない。警戒なぞ要らない相手だと判っていても、だ。そうまで頑なで用心深かった魔獣が、今では骨抜きも同然なのだから、変われば変わるもの。

 自分だけに限らない話。この彼に出会うまでは、皆、どこか行き場のない、かつかつとした焦燥感を人知れず抱えていた。飢えていた。夢を見失い、だのに立ち止まれず、苛立たしいばかりの日々。

  ――― なあ、お前。俺の仲間にならねぇか?

 背丈
タッパも手足もこんなに小さいのに、物知らずで世間知らずで、やること成すこと悉ことごとく危なっかしいのに………途轍もない居場所をくれた。破天荒な夢や果てしのない野望をぶつけても、怯むどころか頼もしいぞと、呵々かかと笑って受け入れてくれた。彼自身がそれは大きな夢を語り、しかもただの夢想ではないと、それを裏打ちして余りあるほどの力と自負と覚悟とを見せてくれた。常に前向きでいられる逞しさと、際限の無い生気エナジーと、そして底の見えない懐ろの深さ。本当の強さというもののその原点を、改めて再認させられたような気がした。足のつかない深みで当てもなくもがいていたような自分へ、舟をこぎ寄せてくれたようなもの。最初は単なる足掛かりのためのような小さな舟だったが、気がつけば、今や"仲間"という名の頼もしいそれへと変貌していて、力強い船足で先へ先へと着実に進んでもいる。
「…ゾロ?」
 急に口を噤んだ彼に、未来の海賊王がひょこんと小首を傾げて見せた。
「どしたんだ?」
「いや…何でもねぇよ。」
「そか? …でも、お父さん、早く起きないと。」

   ………"お父さん"?

「おいおい、今、何てった? ルフィ、おい………。」


            ◇


「…さん。お父さん、起っきして。」
 小さな温みが肩に添えられていて、ゆさと体が微かに揺れたのへハッと目が覚めた。単なる風景として視野に漫然と飛び込んで来た色彩や情景、物たちの中、
「お昼寝してたの?」
 肩先から流れる真っ直ぐな黒髪もつややかに、小首を傾げて見せる愛らしい少女の姿に、あらゆる感覚が一気に目を覚ます。
「あ、ああ。そうみたいだ。」
 男臭い顔をほころばせ、ふわりと微笑んで見せると、途端に少女はにこにこと笑って、
「私、お父さんのお昼寝、初めて見た。」
 殊の外、嬉しそうである。ここは茶の間の定位置で、今朝からあれやこれやとにぎやかに行事が立て続いたその狭間、不意に手持ち無沙汰になった師範殿は新聞でも読もうかなと此処へ足を運んだものの、いつしかうとうとと座ったままで眠ってしまっていたらしい。
「あのね、ツタさんが"ご用意出来ました"って。広間にいらして下さいませって。」
「そっか。」
 にっこりと笑って小さな娘御を紬の袖に包まれた腕の中に抱き上げると、座敷の中、すいっと立ち上がる。急に近くなった天井に娘は"わあっ"とはしゃいで見せ、その様子が父御の口許へとやわらかな笑みを誘った。中庭から外への枝折戸の脇には小さなつつじの茂み。ラッパの形をした紅紫や白い花が幾つも開いて、やわらかな新緑に映えている。表の方には娘御の大好きなユキヤナギや馬酔木が、これもまた新緑に映える小さな白い花々をたくさん咲かせていたのを今朝見たばかりだ。縁側から望めるそれらを何気に見やっていると、
「お父さんも"お昼寝"するの?」
「ん? ああ。時々な。」
 世間様で言われているほど
(笑)そうまでしょっちゅう寝てばかりいたつもりはないのだが。それでも日課のようにごろっちゃしていた当時に比べたら、最近にはまるきり覚えがなくて。お陰で懐かしい夢を見た…ような気がするのだが、もう思い出せない。欄間のある鴨居を避けるように少し首を下げて廊下に出、広間までの道行きをゆっくりと辿る。
"することが増えてぱたぱたと忙しくなったからというよりは、昼間にせよ夜にせよ、昔ほどの警戒をしてない証拠なのかもな。"
 それがいけないことではないのだが、それでも剣豪殿には少々苦笑を誘われることであったらしくて。
「お父さん?」
 腕の中から怪訝そうに見やってくる娘御へ、
「いや、何でもない。…良い匂いだな。」
 誤魔化すと、娘は呆気なく笑った。
「あのね、ツタさんたち、レストランのご飯みたいなの一杯作ったのよ? こんな大きなエビさんのフライとかオムレツさんとか。あと"えるど"のサミさんも来てて、こ〜んな大っきなイチゴのケーキとハンバーグと、それから"ぐらたん"っていうのも作ってくれたの。」
 日頃は馴染みの薄い洋食メニューが一杯並んでいるのよと、身振り手振りを織り交ぜて、それはわくわくと嬉しそうに話すものだから無邪気なもの。その仕草や屈託のない笑みが、まんま母御に瓜二つなものだから、師範殿には余計にくすぐったくて、
「そっか。じゃあ早く行かなきゃ冷めてしまうな。」
「そーよ。お母さんとお兄ちゃん、早く食べたいって待ってるのよ? みおも"おめでとう"って早く言いたいんだもん。」
 まるで午睡の夢が辿り着いた先のような、やさしくて長閑な日々の幸せを噛みしめて、剣豪殿は大切な宝物の温もりを腕に、妻と坊やが首を長くして待つ座敷へと向かう。初夏の長い日和もやっと仄かに暮れかかる頃合い。どこかでホトトギスが間延びした声で鳴いて、間近い夏の到来をこの山野辺の里へと告げているようだった。


   〜Fine〜  02.5.11.〜5.12.


   *"Erde."様、祝15000HIT突破リク
      SAMI様『昼寝する二人へ一言、ほのぼのヴァージョンで』


   *SAMI様、サイト『Erde.』1周年おめでとうございますvv
    お知り合いになれてからというもの、
    とても繊細でお素敵なゾロルのお話を、沢山々々拝見出来て嬉しいです。
    これからもどうか
    "ゾロル大好きなSAMI様"のままで
(こらこら)
    ご活躍下さいますように。
    …なんて我儘なお祝いの言葉でしょうか。
(笑)
    最近ちょっと図に乗っておりますね。反省せねばです。
    なんだか無理矢理の合わせ技っぽい終わり方になってますが、
    いかがなもんでしょうか?
    楽しみな"はなび"や"萌黄色の風"も待ち遠しいですし、
    ロロノアさんチの坊やの冒険話ではご協力もいただいていて。
    とってもシヤワセなMorlin.でございますvv
    これからも仲良くしてやって下さいませね? ではでは。


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