蜜月まで何マイル?
    風光る

 

 
          



 そういう海域に入ったからではあったが、気候も随分とよくなって。軽やかな温みと光の中、深みのある藍や青の綸子を敷いたような海も、その表面へ綺羅らかな雲母を散りばめたよう。進路上に見えて来た次の島も、その豊かな緑が眸に目映い。クルーたちは皆して、わくわくと心躍らせながら、早速にも下船の準備に入っていた。
「ナミさん、ロビンちゅあん、新しい食材に期待してて下さいねvv」
「ええ、楽しみだわ。」
「で・も。新鮮な女の子を"お持ち帰り"だけはしないでね。」
 おいおい。その一方では、
「何か面白いアイテムがあるかも知れんぞ、チョッパーっ! 遠くのものが間近に見える道具だとか、蒸気でシリンダーを回して動力にする装置だとかっ!」
「おおお、凄いぞ、楽しみだぞっ!」
「こらこら、どっかで聞いたもんばっかだぞ、それ。」
(笑)
 冗談はともかく、彼らが向かうは春島海域に浮かぶ小さな島の中規模の港町。海軍基地や駐在所もなく、のんびりとした交易の市が立つ小さな町。そんな情報を得たのが、前の島から少し進んだ海域に浮かんでいた、物売りたちの浮遊島。筏やフロートを組み合わせた人工の中継基地で、通りかかる船と物品や情報を交換し合う場として発展していた風変わりな島で、
『次の島は穏やかな良いトコだよ。のんびりしていて、そうだね、施設はないが骨休めのバカンス向きかね。』
 海賊でもよほどの札つきでもないのなら、煙たがることなく商売してくれるよ、さほど警戒されはしないよと教えてもらって。それでも一応は用心をして、船は島の死角、人の近寄りそうにない入り江に隠して係留した。食料や資材、いつもの補給班たちは資金や在庫のメモを片手に船から降りる用意をしたが、
「? ルフィ?」
 冒険や新しいものが大好きで、島や港につけば制止する暇もあらばこそというノリで、船から飛び降りてしまうのが常だという船長さんが、何故だか…船端にチョコンと座ったまま、降りようという気配さえ見せないのが皆の目に留まった。
「あら。」
 もうとっくに飛び出してったものだと思っていたらしいナミがまずは見咎め、
「ルフィ? どうした?」
 どっか具合が悪いのか?とチョッパーが心配そうな声をかける。だが、
「んにゃ。俺は元気だぞ?」
 麦ワラ帽子の下、にっぱーと笑うところは確かにいつもと変わりない様子だし。だというのに、船端に軽く胡座をかいて座ったまま。その場に妙に落ち着いていて、一向に下船しようとしない彼であり、
「何だか気味が悪いわね。あんたが降りたがらないだなんて。」
 野生の勘が働いたわけ? それとも この島、何かしら縁起が悪いの? そんな言いようをするナミに、
「おもろいこと、言うんだな、お前。」
 失敬だと怒りもせず、白い歯を見せて"にっしっし"と笑って見せ、足首を掴んで引き寄せていた両の足、草履の裏同士をシンバルみたいにパシパシと叩く。妙に機嫌のいい彼は、チョッパーやウソップが小首を傾げるのへもただ笑って見せるばかりで。

  「とにかく。今回、俺は留守番だ。」

 そうまで言って、にっかと笑って見せたのであった。





 殊勝すぎて気味が悪い、何か起きなきゃ良いんだけど、と。よほど気になってか、眉間を寄せたままで延々とそんなことを言い続けるナミを、サンジが"まあまあ"と引っ張るようにして促して。一行がやっと降り立ったのは正午前。
「………。」
 一気にシンと静かになった船。打ち寄せるさざ波の音や、畳んだ帆をそれでも叩く風の太鼓の音なども依然として聞こえはするが、それでも…この大きさに見合った人数が乗って、四六時中それはにぎやかに騒いでいる船だけに。人の気配がなくなるとそれだけで、どこか空虚な静けさが満ちた空間になる。だが、ルフィが一人きりとなった訳ではなくって。
「うっと…。」
 主甲板から見上げた上甲板にはいつもの常連。文字通りの"大の字"になってぐうぐうと豪快に眠っている人物が一人いて。その緑の髪を載っけた頭が、柵越しにこちらからもよく見える。
"………。"
 よく寝てるよなと、苦笑が洩れる。一見、いつものことだが、今日のはまた微妙に違うと知っていて、それで何となく。陸へと上がる気がしなくなった。それよりゾロの傍にいたいなと、そんな風に思ったルフィなのである。





            ◇


  「…あり?」

 夜中に起きるなんて珍しいこと。陽が落ちると眠くなるところを"お子様体質"と皆から言われているほど、生粋の"昼型人間"なルフィであり、しかも一旦寝つくと滅多なことでは途中で起きない。舟幽霊が怖いからと一緒に寝てもらっているゾロが…彼はどうやら"夜型"であるらしく、夜更けに傍らからごそごそ抜け出してサンジのところで酒盛りをしていても、全く気づかぬままなことがザラだのに。昨夜は何故だか"ぽかり"と目が覚めた。
「…?」
 訝
おかしいな、何か聞こえたからかなぁ。ひょこりと首を傾げ、起きた時に暗かったことから少しは利く夜目で辺りを見回す。ベッドを置いたらもう一杯いっぱいという狭苦しい空間。洗剤やらロウソクやらという備品を並べた棚に壁を覆われ、窓さえない船首下の元倉庫には、だが、
"あれ?"
 自分以外の人の気配がない。寝乱れた毛布たちをわしわしと身近に掻き寄せ、その仕草の中でまさぐったベッドのどこにも"彼"の温もりや気配はなくて。
"…ゾロ?"
 漆を流したようなという言い方の当てはまる、どこまでも吸い込まれてゆきそうな厚みや奥行きのある、底の見えない暗黒の闇の圧迫感が、音もなく身に迫って来るようで。
"ふえぇぇ…っ。"
 大慌てで毛布をしっかと握って、ぐるぐるっとくるまってしまうルフィである。
"何でだ? 何で起きちゃったんだ?"
 ゾロがいないのは珍しいことじゃない。宵っ張りなゾロは、甲板に出て"月見酒"とか"雪見酒"とか、何かというとお酒飲んで夜更かししまくってるって知ってるし。でもでも、そういうのは後で分かることで、いつもだったら朝まで起きない自分だから、此処に居ないって事、その最中に気づくことは まずないのにな。
「…うう。」
 頭からかぶった毛布の陰から、辺りの様子を窺ってみる。聞こえて来るのは壁の向こうでたゆとう細波の音。確か今夜は錨を降ろしている筈で、だが、見張りは立ててない。そんなに急ぐ理由もないしと、それでの停留であり、皆それぞれにぐっすりと眠っている筈………だったが。

  "………あ。"

 ごとりと。頭の上から、妙に気になる音がした。






   ……………………………………………………。


 上空では風があるのか、目映い月の上を幾つもの雲が行き過ぎる。夜陰の立ち込める甲板の上。様々なものの影の輪郭のピントが、じわじわとぼやけては音もなく蘇る。そんな影の内の一つが"じり…"と動いたのは、あまりの緊迫の重さに気圧
けおされてのことだろう。上甲板に立ち尽くすは数人の人物たちで、結構堂にいった態度で手に手に様々な武器を構えた海賊たちが10人近く身構えている。その陣幕の中央に、取り囲まれて立つは、一際存在感のある、一人の剣士。
「あんまドタバタしねぇでくれよな。」
 今夜は波も風も静かな夜だから、甲板での物音が下の船室までそれはよく響くことだろうからなと、年若い剣士は随分と気さくな言いようでそんなことを口にした。これも余裕からか、口角を上げて笑ってはいるが、その顔つきは決して穏やかな笑みではなく、むしろたいそう凶悪。そして、それよりも何よりも。怖いほど鋭く尖った眸が、周囲のぐるりに居並ぶ賊どもを隙なく射貫いて恐ろしい。こんなにも年若い青年だのに、何と威力のある睥睨を放てるのだろうか。

  「………。」

 一通りの群雲が通り過ぎたか、蒼い月光に煌々と照らし出された甲板の上。すっくと立つ剣士の姿が、着ているものや肉づきの陰影も色濃く、幽鬼のような迫力で夜陰の中に浮かび上がる。随分と腰高で、すらりとした脚なぞ見ていると機敏そうな印象も感じさせるが、よくよく見れば…まるで鋼を呑んだかのような、ただ立っているだけでも充分に威圧感のある強靭そうな立ち姿。一端
いっぱしの海の荒くれ男に相応しい、重厚感さえ漂わせた厳つい雰囲気は、周囲の夜気まで従えてしまうよう。薄いシャツに包まれた上背は、がっしりと厚い肩や胸板、そこに隆々と盛り上がる肉置ししおきの陰を黒く映してそれは雄々しく。腰に一本残したままに二本の刀を構え持つ、充実した豪腕の隆起なぞは、そのまま分厚く頑健な鎧の籠手の装備に匹敵するほど、いかにも堅く強靭そうだ。そしてそして、
「………。」
 立っている位置の関係でその半分…頬骨の下辺りから深く切れ込んだおとがい、喉元までが闇に沈んでいる彼の顔であるのだが、唯一見えている切れ上がった眸の冷ややかな冴えは、厳冬の空に鋭く凍る碇星のよう。その冷たい眸が、波の音・風の音を数えでもした結果か、不意にかっと見開かれ、

  ――― …っ!!

 星の囁きさえ聞こえてきそうなほど穏やかな夜に、突然の疾風が躍り込み、銀色の迅撃一閃、音もなく吹き抜けて去った後には。

 「あ…。」
 「はがっ。」
 「ぐあぁっ。」

 低い呻き声をそれぞれに上げて、海賊たちが次々に倒れ伏す。自分の身に一体何が起こったのか、ちゃんと理解出来た者は恐らくいないだろう。刀の鞘だの、手から滑り落ちた武器そのものだのが、板張りに当たってゴトガタと響き、自分は静かに刀を収め終えたゾロが、チッと短く舌打ちをする。
「音もなくってのは、なかなか難しいもんだな。」
 昏倒した賊どもを見下ろして、変な感慨を呟く剣豪のその声に、
「大丈夫だぞ。聞こえてねぇ。」
 間髪を入れず、そんな声が返って来たものだから、
「…な〜んで此処にいるかな、お前はよ。」
 ゾロは自分の背後を肩越しに見やって、そこにいた人物へ少々目許を眇めて見せた。それへと、
「何か聞こえたんで出て来てみた。」
 けろりと答えるルフィであり、柵の上へ危なげなく座っている彼に、剣豪殿は肩を落として溜息をこぼす。
「そか、聞こえたか。」
 こんな晩のような"係留中"に見張りを立てないのは、決して油断してのことではなく、この剣豪や腕の花を咲かせることの出来る女考古学者が、怪しい気配には途轍もなく敏感であるがため、そんな彼らの"天然センサー"に信頼を置いてのこと。よって、
「でも、今のドサッてのは聞こえてないと思うし、聞こえてたとしても皆わざわざ見には来ねぇよ。」
 もっと分かりやすいほどの、雄叫びだとか入り乱れる足音だとか、傍若無人なまでの騒ぎならさすがに跳ね起きもするだろうが…と、この程度の物音で済ませたゾロの腕前に"にしし…"と何故だか嬉しそうに笑うルフィであり、
「…ま、いっか。」
 ゾロの側でも"それもそうか"と納得したか、甲板に伸びている連中を片っ端から肩の上へとかつぎ上げ、船端へ寄ってそこから"ぽいぽい"と外へ投げ落とす。水音はしないから、大方そこに彼らの乗りつけた小船か何かがあるのだろう。最後の一人を放り投げ、
「…っ。」
 大太刀一閃、据えもの斬りで、こちらの船端へと引っ掛けられてあったロープを寸断。
「迷子にならんかな。」
 傍らまで寄って来て、波に押されてどんどんと後方へ流されて行く小船を目で追うルフィの呟きに、
「そこまで心配してやる義理はねぇよ。」
 ゾロは"ふんっ"と鼻で息をついてから、舳先の羊の根元近くに屈むと、そこ置いてあった小さめの小瓶を大きな手で拾いあげる。中身はどうやら酒であるらしく、コルクの栓をきゅぽんと抜いて、濃い琥珀色の液体を軽い仕草で一口あおった。
「なんだ。酒飲みに出て来てて、たまたま鉢合わせしたのか。」
 その鋭敏な感覚にて賊の襲来を嗅ぎつけて、それでの殺陣回りかと思っていたのにと、詰まらなさそうな言い方をするルフィに、
「悪かったな。」
 こちらもちょいと目許を眇めたゾロだったが、
「それよか。お前、何でこんなトコに居んだよ。」
 海の上、船のあちこちの闇溜まりには、舟幽霊が潜んでいそうで怖くて怖くて。それで自分と同じ部屋で寝ている彼だのに。たとえ夜中に目が覚めたとしても、そしてゾロがたまたま不在であっても、明かりを落とした夜中の船内は何だか怖いからと、ベッドの中、毛布を体に巻きつけて、連れが戻るのをじっと待っているのが常だったのに。
"そいでひとしきり愚図られるんだよな。"
 さては。それを恐れて、物音立てたくなかったのか? あんた。
"……………。"
 はは〜ん。
(笑) 筆者とのMCはともかく。
「そりゃあさ、ちっとは…どうしよっかなって思ったけどもさ。」
 ルフィはその柔らかそうな頬を真ん丸く膨らませ、ぶうたれるようにそう言ったが、
「でもな、甲板からの音がしたからさ。そいで、出て来た。」
 むんっと胸を張り、
「絶対ゾロがいるんだって思ってさ。なら、ちっと我慢すりゃ良いんだって思ったから、へーきだった。」
 あんまし怖くなかったぞと、えっへんと胸を張る様子が何とも子供じみていて、
「…ふ〜ん。」
 ゾロとしては…何だかちょっと。くすぐったいような面映ゆいような、むず痒い何かに口許がほころぶ。この自分が居るのなら、この世で一番怖いものが出るかもしれない闇も怖くはないと、そういう言い方をするルフィなのが妙に嬉しい。そして"嬉しい"と感じる自分の幼さが、何ともくすぐったい。そんな想いの滲んだ大人びた笑い方に"むむう"とルフィの眉が寄り、
「何だよー。大体、夜中にゴソゴソしてんじゃねぇよ。」
 一緒に寝ててくれるって約束はどうしたよーと非難囂々
ごうごう。………選りにも選ってそこに胸を張るのか、君は。
「はいはい。」
 ぷんぷくぷーとゴムゴムの頬袋まで膨らませるルフィに苦笑をし、ゾロは小瓶を片手に船長さんの傍へと寄った。

  ――― 酒臭ぇしよー、
      まだ一口しか呑んでねぇよ

と、そんな言い合いをしつつ、甲板下へと戻った彼らであり。誰もいなくなった蒼い舞台には、再びの群雲が走ってか、薄紙を通したような影が幾つも流れる。何事もなかったかのように、静かに静かに………。













          



 上甲板に続く階段へと向かいかけた主甲板。その半ばまで進みかかったところで、

   ――― お。

 とたん、と。船縁の手摺りから甲板の板張りへ、軽い足音を立てて降り立った者がいる。一体どこからやって来たのか、銀色の短い毛足を陽光に光らせた、それは1匹の猫である。ルフィの足元に静かに寄ると、長いしっぽを ふなりとくねらせ、身を擦り寄せながらくるくると足元近くを回って見せる。
「おほー、何だお前。遊びに来たのか?」
 嬉しくてつい、勢いよくしゃがみ込んでも動じず、目を細めて"にぃ・あ"と鳴いて、小さな船長さんのお顔を覗き込むあたり、相当に人に慣れた猫であるらしい。
「えと、何かなかったかな。」
 せっかくの"表敬訪問"だ。町中でもない入り江なんて場所にいたのに、こんなに人懐っこいのも珍しいしと、ルフィは慌てたように立ち上がり、頭上のキッチンデッキへ、
「よっ。」
 ゴムゴムで一気に伸び上がっての強引な水平移動。
「待ってろよ。確かサンジが昼飯を置いてってくれてんだ。」
 ヒトの言葉まで分かる筈はないのだが、きちんと"お座り"しているお客様に言い置いて、今日は夕方まで主人の居ない台所へと飛び込んだ。



  「おーい、ネコ〜。」

 サンジがテーブルと冷蔵庫とに残してってくれたのは、到底二人分とは思えない量の昼食とおやつで。ローストビーフにハムやソーセージを一杯挟んだサンドイッチを3つ4つ手に取って、二つは自分の口にねじ込んでから再び外へと出て来たが、デッキから見下ろした甲板には猫の姿がない。そんなに待たせてはいないんだけど、あれれ…と首を傾げて。視線をあちこちさまよわせると、上甲板へ上がる階段に小さな影が見えた。どうやらそちらへ向かったらしく、
「あ、待てって。」
 そっちにも確かにもう一人の居残り組みがいるが、その人物は今、気持ちよく眠っているのに。デッキから飛び降りて、草履をぱたぱた…と鳴らしつつ、少しばかり段差の高い階段を撥ねるように上ってゆく猫を追う。小さな体にバネを溜めては、一段一段、ぴょいっと上り詰め、最上段にて"くなり…"と撓
しなやかに身を捌き、柵の方へと曲がってしまって見えなくなった銀灰の猫。足音さえさせない身ごなしはさすがで、追って来たルフィの足音ばかりがドタドタと喧しく、
「あ…っ。」
 ホントは"あ〜〜〜〜っ!"と叫びかかったところを、それでは本末転倒だと、そこはさすがに気がついて。慌てて…まだ手に持ってた残りのサンドイッチを口にねじ込んだ。叫ぶほどまでの傍若無人。そう、その猫さんは…こともあろうに、大の字になってるゾロの腹の上、ちょうど腹巻きの上へと乗り上がっていたのだ。
「こら、起きちまうだろ。」
 掠れさせた小声で言ったものの、それこそ人の言葉が通じる訳もなく、ネコは心地よさそうに丸くなる。ぽかぽか陽気の下、ほどよく温められた…緑色のニット・ラグにうずくまり、糸を張ったように目を細めるから、どうやらそのまま昼寝の態勢に入ったらしい。
「@〜〜〜。」
 歓待してやろうと思ってたのに。今は打って変わって、なんて奴だと憎々しげに睨みつけるルフィである。ホントは自分だってそんな風にしたかったのに。でもサ、あんまり寝てないゾロだからサ。だから我慢して、安心した寝ててもらうために、留守番&見張りを頑張ろうって思ったのにサ。
"狡りぃい〜。"
 ゾロもゾロだ。そんなに小さな猫ではないのに。喫水の高いこの船の甲板まで飛び上がって来られるほどに大人の、結構大きい猫なのに。それが腹に乗っても気がつかないだなんて、どうよ・それ。
"う@〜〜〜。"
 呑気に眠る一人と一匹。両立て膝のまま、すぐ傍らへ屈み込み、どうしてくれようかと唸りながら睨んだものの、

  "…気持ち良さそうだよな。"

 瞼を下ろした穏やかな寝顔。猫が腹に乗っかっても起きないだなんて、とんでもないくらい隙だらけでいるゾロ。
"………。"
 思い出すのは昨夜の甲板にての殺陣回り。いかにも不敵そうな顔つきになって、10人近かった賊をあっさりと薙ぎ倒してしまったゾロ。彫りの深いその顔は間違いなく同じなのに、夜陰の中に浮かび上がった、いかにも凶悪そうな笑みを浮かべた迫力のあった男と、今ここでくうくうと、四肢を無造作に投げ出して、天下泰平な様子で眠り続ける青年と、同一人物には到底見えないから不思議である。
"昨夜のゾロだったら…。"
 この猫だって傍にも寄らないかも知れないのかな。そうと思いかかり、いやいやそんなことはないさと首を横に振る。そうして…妙な格好ながら、さっきついつい膨らませた頬に両の手を包み込むように当てて、変則的な頬杖をついてみる。
"………。"
 殺伐とした戦いの場にこそ必要とされ発揮される彼の実力。安穏と無事な航海中ではすることもなく、よって…ぐうたら寝ている姿をナミ辺りに睨まれもしているが、平和であればあるほどに、武力は必要がなくなるのが道理なので、彼が暇だというのは却って素晴らしいことなのかも。
"それに…。"
 何かを凌駕するために、誰かを牽制するためにと準備された"武力"ではなく、生きる意志の強さを象徴するための、勇気や雄々しさとしての"力"は平穏な中にだって必要だ。海賊狩り時代のゾロが、どんな顔をして刀を振るっていたのかは知らない。ただ、自分が知っているゾロは、世界一の剣豪になるという"野望"を目指すその途上にて、世直しや正義なんて知らねぇと嘯(うそぶ)きつつも、無慈悲な権力やその専横に挑みかかっては完膚無きまでに叩きのめし、こっそりと溜飲を下げていたような奴だという気がしてならない。あの海軍基地のあった島でも、それがために捕らわれの身になっていた彼だったのだし、だからこそ、ルフィも野望込みでこの男をこうまで気に入ったのだ。
"………。"
 今は頭の後ろに回されていて見えない手。大きくて温かで、ルフィの大好きなその手を、だが。ゾロは長いこと、汚れた手だと思っていたらしくって。自分の身を守るため、そして、ある意味"利己的な信念"のために、他者の命を屠(ほふ)り続けて来た手。もっともっと血に染めなければ到底"夢"へは辿り着けぬと思い詰め、人としての温もりや幸いとの縁を切り、魔獣や鬼になりかかっていたゾロ。そんな手でルフィに触れる訳にはいかないと、頑なにそっぽを向き続けてた時期があった。それへと…こっちも気が回らなくって。そんな態度をそのまま"嫌われたのだ"と思い込み、辛かったけど"好きにして良いよ"なんて、船から降りたって良いよなんて、初めて自分の気持ちに反したことを言っちゃうくらい、大きく勘違いしちゃってさ。
"…だってさ。"
 あんな気持ちは初めてだったから。何がなんでも絶対に。いつもいつもそんな言い方して、これだっていうもの…人も運も全部、粘って粘って頑張って手に入れて来たけれど。あの時は何故だか"ゾロの気持ち"っていうの、つい考えちゃったからさ。大好きな人が一番に望んでること、それを邪魔しちゃいけないって。そう思っちゃったからさ。元々は海賊を狩る側にいたんだし、好きでついて来てくれたゾロじゃないんだって思ったら、何だか弱気になっちゃって。

  "あんな風な考え方したのも初めてだったなぁ。"

 そんなに怖かったんだ、俺。ゾロに嫌われるのが。ゾロの好きにさせてやれないことが原因だって判ってたのに…そっちを選んだらもっと背を向けられる、船から降りちゃうってのがひどく怖くて。ゾロは自分の手しか見てなかったって言ってたけれど、そんなの全然関係なかったのにな。温ったかくて頼もしくて。その頃だって大好きだったゾロの手なのに、気づいてやれなかったのがいけなかったんだろうか。だとしたら…。

  「………船長失格だよな。」

 ぽつりと。つい呟いたその声へ、

  「何だ、何かしでかしたのか?」

 実に即妙な返事が返って来たものだから。おおう☆ とばかり、頬杖から顔を浮かせたルフィである。
「な、何だよ。起きてたんか?」
「ま〜な。」
 顎が外れないかと思うくらいに"くあぁ〜っ"と大きく欠伸をし、だが、
「…何だ、こいつは。」
 今やっと、自分の腹の上に乗っかった"乱入者"に気がついたらしくって。揺り落とすのも大人げないと思ったか、顎だけ引いてみる彼へ、
「ネコだ。」
「いや、それは判ってるって。」
 故意(わざと)か、その答えはよと、目許を眇めるゾロだが、猫を腹に載せたままの寝姿ではどうにも威厳や迫力に欠ける。
「世界一の剣豪志望もこれじゃあな。」
 ついさっきまで柄になく、ちょこっとナイーブにも考え込んでたあれこれを、そっと畳んで片付けて。
「昼日中に猫に押し倒されてりゃ世話ねぇよな。」
 にっかり笑って憎まれを言えば、
「何だとー。」
 愛しい人はむっかりと、機嫌を悪くするものの、
「大声出すなよ。猫が起きちまう。」
「うう…。」
 そんなの無視すりゃあ良いものを、言われてみればとルフィの思いを解して…ぐうの音も出なくなる。そんな風に…実は優しい彼であるところが、堪
たまらなく愛惜しい。にまにまと笑いながら、相変わらず退かない猫にも、
"でもまあ、いっか。"
 さっきまでの焼き餅も引っ込むくらいに機嫌が直った船長さんは、
「そいつが起きるまで、そうしてな。俺は昼飯食って来るからさ。」
「あ、こら、ルフィっ!」
 全部食う気じゃなかろうな。さあね、あるだけ食うからな、俺…と。こんだけ"わあわあ"騒いでも、ピクリとも起きない猫も猫だが。
(笑) 何とも呑気な昼下がり。海賊船とは到底思えぬ、呑気な会話と和んだ空気と。これまでもこれからも、襲い来る艱難辛苦の数々をこんなマイペースにて乗り越えてく彼らなのだなと思わせる、それはそれは のほほんとした、とある日の"麦ワラ海賊団"だったりするのである。


   ――― 食いてぇ? 食わせてやろうか? あ〜んしな、あ〜ん。

       るふぃいぃぃ〜〜〜。




   〜Fine〜  03.4.20.〜4.24.


   *カウンター79、000hit リクエスト
      風都サマ『ほのぼのゾロル、猫が出てくるお話。』


  *ちょびっと手間取ってしまいました、すみません。
   パラレルづいてましたもんで、なかなか勘が戻らなくって。
   そして出来上がったのが、相変わらずのバカップル話…。
   あああ、すみません、すみません。
   風都サマ、どうか笑って許してやってください。(こらこら)
   冗談抜きに書き直しもお受けしますので。
   あのその、どうか率直なご判断を。(どきどきどき)


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