月下星群 〜孤高の昴
    其の十六“彼らにはありふれた“素描””
 

 

 港の外れの倉庫街を雑然と縫う、雨上がりの石畳。濡れたことでつやが出て、色味も深まったその上を、危なげなく駆けてゆく一団がある。昨日からのずっとを降り続いてた、冷たく鬱陶しい雨がやっと上がったのを、心から喜んではしゃいでいる若い野良犬のような。軽やかさを感じさせもする先頭の誰かの駆け足の靴音に続いて、彼を追っているのだろう誰それたちの、笑えるほど入り乱れた足音が鳴り響く。
「待て、ごらぁっ!」
「逃がすかよっ!」
 軒下や曲がり角、石畳の擦り減ったところへと溜まった水たまりを蹴立て、時折勢いが余ってか、木切れや何やをカラカラと蹴っ飛ばし。怒号混じりの罵声を引き連れて、寂れた町外れの静けさを、異様な活力で掻き回すようにして駆け抜けてゆく彼らであったのだが。

  「………っ!?」

 不意に。ここまでを全速力にて駆けていた、その俊足の駆動を瞬時に断ち切って。芝居の仕掛け、どんでん返しを思わせるほどの切れのよさにて、ザッと背後へと振り返った逃亡者であり。そうなると妙なもので、あれほど口々に“待て待て”と怒鳴りながら追っていたくせに、
「…うっ。」
 追っ手一同、ぎょっとして。慌てて自分たちも急ブレーキを踏み込んでしまう。何かが…彼らなりのキャリアを培われて磨かれた、相手の強さを見極めるための小狡い感覚が、触れてはいけないぞ、車間距離が必要だぞという警鐘を鳴らしたがために、用心深さが沸き起こり素早く立ち止まったというところ。

  ――― と、いうのが。

 何しろこの相手、よくよく見れば…普段自分たちが相手をしているような手合いとはどこかが微妙に違う。自分たちは単なる猟犬、賭博場や酒場での常として、騒ぎを起こした客を黙らせるために飼われているゴロツキで。よくよく事情も判らないまま、支配人から大声で出番だぞという合図で呼ばれたからと、喧嘩か何かで騒然と荒れ始めていた店のフロアへ飛び出して。そんな自分たちと入れ違いに、フロアから飛び出してったこの男を、そいつも仲間だから逃がすなと怒鳴られ、それで追っかけたのではあったけど。
“………なんだ? こいつ。”
 威勢よく追っていたその間は背中しか見えてはいなかったものだから、ただの若造だと思っていた。伸び伸びとした肢体を余裕の活力で操っての逃走。肩が当たったの顔が気に入らないのと、ちょっとした諍いから掴み合いの喧嘩になるなんてのは、場末の酒場ではよくあること。そんな輩が店を壊し始めたからと、収拾させるためにわざわざ彼らが呼び出されるケースは少なくて。恐らくは、常連客の顔を潰すような真似でもしたか、それとも ここいらの顔役の取引の邪魔でもしたか。どっちにしたって修羅場から逃げ出すくらいだ、大した奴じゃなかろうと最初はすっかり舐めてかかっていた追っ手たちであり、
「ありゃあ船乗りか? 海賊か?」
「さあな。見ねぇ顔だから渡り者には違いねぇよ。」
 何とも簡素ないで立ちの、腰に和刀を差しているから“剣士”であるらしく。そんな武装をしているということは、この街へはどこかから立ち寄っただけの旅人の、それも用心棒か海賊か。薄っぺらなシャツに裾の擦り切れてそうな黒ボトム。それと、もしかしてあれは…今時には珍しい腹巻きを巻いた背中が、緑なんていうふざけた色に染まった髪の頭を乗っけて“此処までおいで”と先頭切って走り回り。土地勘があるとも思えないのに、何とも堂々とした軽快な走りで追っ手たちを連れて逃げ回ったそのあげく、自分に絶対不利だろう、倉庫の石積み大壁を背に立ち止まったものだから。
「…っ!」
 これは何かあろうと、場慣れした者なら多少は警戒だってするというもの。………後で本人に訊いたら、道が途絶えたからしょうがないなと、当たり前の判断で振り返っただけだったそうだけれど。(さすがは迷子の王様である。/笑)そんな簡単な理屈からだとは到底思わせないような、何とも堂々とした態度のままに、

  「よくも此処までついて来やがったな。」

 いかにも無頼の寄せ集め、手にした武器も体つきも不揃いな追っ手たちを、落ち着き払って端から端まで見回してから。おもむろに…にやりと笑って見せた、不敵そうなその表情が。横合いの背の低い倉庫の屋根から、あふれるように斜めに切れ込んで射して来た、やっとの晴れ間の陽光と日陰との狭間で、明暗染め分けられて凄みを帯びる。すぐそこにある海からの潮の香か、それとも人知れず闇に葬られて来た、数え切れないほどの敗者たちの流した血の匂いの名残りなのか。鉄臭い風を嗅いでの反射のように、左右のうちの闇に沈んだ側の眸が、蒼い気魄をたたえて薄く眇められ。日頃は頑迷そうな意志を乗っけて引き締まっているのだろう口許が、にいと横に引かれて底冷えのしそうな薄い笑みを食
(は)んでいる様は。人なら怖じけそうな凄惨な殺戮を前に、悪鬼がほくそ笑む、その残忍ささえ想起させて。

  “………な、なんなんだよ、こいつ。”

 一応は場慣れしている筈のごろつきたちを、あっさりとたじろがせる。追っている間は全く全然気がつかなかったこと。上背があるからそれとのバランスが絶妙で目立たなかった。ああまで軽やかに、ああまで俊敏に、自在に駆けたり撥ねたりした伸びやかな動作からは、想像がまるでつかなかった。あまりに軽快な身ごなしと、疲れを知らない健脚が、せいぜい落ち着きのないチンピラ風情だろうという勝手な判断を追っ手たちにさせていた。だが、こうして向かい合ってみたらば…この男の落ち着きぶりはどうだろうか。これもまた、射した陽光に斜めに塗り分けされた、白シャツの胸元に。隆と張って頼もしい、胸板の、肩の、覇力を漲
(みなぎ)らせた筋肉の盛り上がりが、妙なる陰影に縁取られて浮かび上がっている。ゆっくりとした動作にて、しゃりん、と。腰の鞘から一気に抜き放たれた、まずはの1本目。練鉄鋼で鋳造された、スリムな見た目の何倍も重い和刀を軽々と支える、大きな手と雄々しき腕。持つだけで重い、そんな厄介で物騒な得物ウェポンが様になる男。扱いが厄介なればこそ、それを存分に使いこなせる者にのみ、飛び抜けた破壊力や殺傷力という凄まじい威力を授かる神器のようなアイテムを。単なる体の延長のように、それは軽々と扱う男。充実した四肢と、それから…厚みのある迫力が、どこからだろうか沸いている。刀の放つ鮮烈な切れ味と人の血のみを吸ってきた狂気とを易々と押さえ込み、片手一本で屈服させている重々しい存在感。闇にこそ華やかに映える刃の煌めきと裏腹、この荒らぶる海で生き延びるために必要な剛の覚悟と、自負に裏打ちされた太々しいまでの気概。所謂“信念”というものを腹に呑んだ、一端(いっぱし)の男だけが持つ存在感。それを彼本人が放っていることに、どうして今の今まで気がつかなかったのだろうかと、今更 後悔してももう遅い。

  「お望み通り、逃げないで相手をしてやろうじゃねぇか。」

 まだまだ全然、本気の構えではないと。そこは素人にだって判るだろうほど、リラックスした様相で立っている彼だったけれど。隙だらけに見せて…隙がない。どこへどう飛び込んでもあっさりと料理されて突き放される。斬り結ぶことさえ出来ぬまま、躱されながらもその切っ先に巧妙に釣り込まれ、ちょちょいと掠り傷をこさえられてから、とんっと跳ね飛ばされてあしらわれて終しまい。そんな太刀筋が読めるほどの手だれはあいにくと居なかったが、

  「…う。」「く…っ。」

 何もされていない内から。睨まれてもいない内から。誰へと向いても居ない切っ先が、今から怖くて怖くて…手も足も出ない。

  ――― 風格が違う。

 威風堂々。立ち姿だけで、それなりの場数をこなした連中を圧倒するだけの迫力を持つ、底知れない存在感。選りにも選って途轍もない怪物に関わってしまったと。ただならぬ恐怖に凍りついたその場の空気を、だが、図らずしも砕いた者がいて。

  「ち、くしょっ!」

 兄貴たちが動かないのでと、意味も分からないまま“右に倣
(なら)え”をしていた若いのが、これがまた…キャリアのない真のチンピラだったから。ホンモノを知らない、嗅ぎ分ける感覚もない身から、
「うわあぁぁああっっ!!」
 横っ腹に剥き身の短刀を両手で抱え込み、無鉄砲にも特攻よろしく、剣士の胴を目がけて飛び込んで行ったのだけれども。

  ――― ゴギッ、チキィーイィっ!

 どんとぶつかったその拍子、何かが折れたような重い音に続いて、耳から脳天へと突き抜けそうな、細い細い金属音が短く叫んでから、何かが宙へキラリと銀の放物線を描いて飛んだ。動態視力のいい者がいたなら、斜めに差し込む陽光にて、白と黒とで塗り分けられたこの空間に、弧を描いて閃いた別の光も見えた筈。脇に揃えた手元だけを狙い、そこに握られていた短刀の鯉口をのみ、素早く抉り取った切っ先の軌跡。白木の鞘から抉り取った刃だけを、引いた刀の切っ先で引っかけ、そのまま中空へ釣り上げるように放り投げた剣士であり。その動作の最後、ひょいと持ち上がった格好の自分の刀の柄頭の部分で…勢い余ってそのまま突っ込んで来ていた若い衆の額を、ごっつりと殴って昏倒させた、ちょいと意地悪な剣豪さんだったりしたもんだから。

  「「「え? え?」」」

 下っ端が行きなり駆け出したのも突発事なら、その彼が どさぁっと倒れたのもまた…あまりの早業によったがために、追っ手の皆さん、誰一人として理解が追いつかなかったらしくって。ちゃんと(いうのも何ではあるが)殴り倒した末のことだったのに、

  「こ、こいつ、もしかしたら“悪魔の実”の能力者なんじゃあ…。」
  「ひっ、ひえぇ〜っ!」
  「勘弁してくれっ!」

 一気に震え上がったそのままで後ずさりをし、舞われ右も不完全なまま、意味の分からないことを口々に叫びつつ、残りの連中が駆け去ってしまったのは。


   「…失礼な奴らだな。」


 誰がそんなもんに頼っているかと、まだ“海賊狩り”と呼ばれた方がましだと、剣豪様には相当に不興を買った捨て台詞。気持ちよく伸びている青二才の上を跨いで、ごろつきたちが駆け去った方を見、あっちが今来た街の方だと、理解をしながら…なんで足は反対へと進むのか。生き延びる力はあっても絶対にサバイバルには向いていない剣士さん。それでも愛船が係留されている方向へは進んでいるようなので、酒場で揉めた他のお仲間たちが喧嘩に大勝ちして戻ってくるのを待つこととなる。何とも騒々しく物騒でもあった“鬼ごっこ”だけれど、彼らにはいつものこと、ありふれた日常の一コマで。

  “気が休まるような日ばかりでは、海賊の生活じゃないってな。”

 それはそうかも知れないけれど。………でもでも今日はちょっとだけ“いつも”とは違うのに気づいてた? 喧嘩騒ぎを起こしたのは、この島で噂のビンテージもののコニャックを賭けてのポーカーを支配人に持ちかけたかったから。実は密造酒なんだけれど、その道では有名な…モルトのこくと深みのからまり具合が、それはもうもう絶品で、どこぞの小さな国の国家予算を出してでもと言ってる好事家がいるほどという、幻の銘酒を手に入れるためにと吹っかけた諍いであり、そうとは知らないまま、相手の頭数を減らせとだけ言われた剣豪さんは、今夜の晩餐の席でリボンをかけたそれを贈られるまで、今日が何の日だかも知らずに過ごすことなるのであった。



    何はともあれ、
HAPPY BIRTHDAY !  ZORO !



  〜Fine〜  04.11.13.


  *あんまりトホホなお話ばかりというのも何ですんで、
   ちょっとは“剣豪”らしいお話を一席。

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