月下星群 〜孤高の昴

    其の十四“月夜の隙間”
 

 

 遠く近く、単調な調べを繰り返す波の音。たとたとというのは、桁木に巻き上げた分厚い帆布が風に叩かれている音だろう。もうそれとは感じないほど、すっかり身に馴染んだ筈の船の揺れ。ぎちぎちと時折軋んでいるのは、波に揉まれる船体のねじれる音だろうか。そういったものらの輪郭を、眠れぬまま、暇つぶし半分に意識で辿る。日頃の夜の浅い眠りの中に働く"警戒心"とは全く違う感覚。陽光目映い昼間でも、どたばたとにぎやかに騒がれてもお構いなしに眠れる性分の筈が、今夜は何故だろうか、目が冴えてなかなか眠れない。寝苦しいほどに暑くもなければ、落ち着けないほど寒いということもない。腹も減ってはいないし、十分寝足りるほど昼間のうちに寝腐った訳でもない。むしろ、無粋な襲撃で妨害されて寝足りないほどな筈。

  ――― 昼間の戦闘が中途半端だったからだろうか。

 よくもまあそんな程度のレベルでこの"グランドライン"にいられるものだと。呆れたほどの雑魚揃いが数に任せてなだれ込んで来て。あっさりと一蹴するのに新記録を達成したんではなかろうかというほどの、手ごたえのなさだったの溜息混じりに思い出す。彼らが航海を続けている此処、偉大なる航路"グランドライン"は、別名を"魔海"と呼ばれるほどに物騒な海域でもあって。気候も海流もアトランダムなら、浮かぶ島々が放つ地磁気が強すぎて、普通一般の羅針盤が使えない。おまけに、航路の両端を挟む"カームベルト"に多数生息する巨大海王類たちの亜種なのか、外海ではお目にかかれないような摩訶不思議な生物も山ほどいて、どんなにキャリアのある荒くれでも、半狂乱になって逃げ出すほどという、噂に違(たが)わぬとんでもない航路に違いなく。そんな過激な海だからか、生きている証しという名の刺激を求めるには持って来いだとばかり、噂の秘宝"ワンピース"を狙う海賊のみならず、お尋ね者やら東西の腕自慢やらもまた、引きも切らぬというノリにて集まっており、
"…どうしようもない海だよな、実際。"
 唇に浮かぶは自嘲の笑みか。自分もまた、世界の頂き目指して海へ出た者。昨日より今日、今日よりも明日。より強くなるためなら、もっと高みへと這い上がるためなら、死ぬような目に遭ったって構わないと、日々刻々、その場を限りと見切るような無茶な事ばかりして過ごして来た。若造、子童
こわっぱ、青二才。所謂"新参者"であった時期は、そんなに遠くない筈なのだが、気がつけば…海賊狩りなどという大層な異名を冠されていて、しかもその上、
"今じゃあ その"海賊"の方なんだからな。"
 節操のない事この上なしだよなと、唇の片側だけを引き上げた頬に苦笑が洩れる。人騒がせなことや騒乱が飯より好きだという訳ではない。平穏な幸せの心地よさを知っている。武力など要らない世界の方が良いに決まってるという理屈だって理解出来る。だが、血が沸き肉躍る興奮を抑えられないのも事実だ。弱い奴には関心が湧かない。弱者を狙ってしか非道を処せない腰抜けなんざ、まともに相手になればそのままこっちが"弱い者いじめ"になってしまうから鬱陶しい限り。片手間に相手するのもうんざりする、そんな雑魚しか居ない処には用はない。強い奴を見ると抗し切れない何かが騒ぐ。そいつを凌駕してより強くなりたいと体の芯で何かが騒ぐ。どんな窮地に追い込まれても不思議と絶望は感じない。こんなところで死ねるかと、汲めども尽きない闘志や気勢が、心と体を常に満たしていたからだ。ただ、このところは…そんな気勢が余ってしまってしようがない。

  "……………。"

 強さには果てがない。凌駕する相手がいなくとも、自身の気構えや克己心さえしゃんとしていれば、例えば師範がそうであったように、穏やかな生活の中にあっても錆びつくこともなく冴えたままにいられるもの。だが、そうでいられるようにためには、
"やっぱ、何度かてっぺん突き抜けなければならないのかな?"
 そんな風にも思えてならない今日この頃。海に出て幾歳月か、さほど喧嘩っ早い性分ではなくなった筈が、このところ内なる揮発性を立ち上げる頻度が高くなってるような気がする剣豪で。彼が腰を据えているこの海賊団の、あまりに飛び抜けた破天荒さにもその原因は少なからずあるのだろう。さすがは魔海という呼ばれるだけあるほどに、突発的にやって来る尋常ではない規模の嵐や豪雨、想像を絶するような大きさや凶暴さの怪物に、人ならぬ魔人を頭に据えた海賊などなど、津波の如くに襲い来る緊急事態に負けないくらい、こっちも非常識な船長さんなものだから。時に面食らい、翻弄されつつも少しずつ馴染んで均されたその結果、破天荒さのレベルがずんと上がってしまったのかも知れなくて。そのくせ、相手となる輩が…今ひとつ歯ごたえも手ごたえもないよな奴ら続きなものだから。未消化な余熱が逃げ場も捌け口もなく、体内にじんわりとくすぶったままでいる。

  "中途半端に強くなるのも考えもんだよな。"

 生え替わろうとする牙がむず痒くてしようのない、過渡期の子供の駄々みたいなもんなのだろうか。だとすれば滑稽かもと、何度目かの苦笑に吐息を零し、

  "…チッ。"

 晴れない鬱屈の微熱を少しでも覚まそうと、船底の寝室からそっと離れることにした剣豪殿である。








 夜風にあたろうと出て来た甲板には先客があった。そういえばいなかったな。すぐ真上のハンモックが空だったことにさえ気を回せなかった。そうと思いつつその影へと足を運べば、
「よお。」
 麦ワラ帽子を乗っけた頭が振り返り、昼間と変わらぬ、屈託のないお顔が会釈を寄越して来る。
「眠れねぇのか?」
「ん〜、そういう訳でもないんだがな。」
 日頃はきっぱりと朝型で、宴会だの敵襲だのという理由がない限り、陽が落ちれば自然とまぶたが重くなるらしい船長さんが、今夜は妙にすっきりしたお顔で船端に腰掛け、天空にかかる月を眺めている。仲間うちでもそうそう拝めないほど冴えた表情をした彼だと気がついて、知らず目許を眇めたところへ、

  「…結構落ち着いたよな。」

 するりと。胸の底へまで鋭くすべり込んで、その刀身の冷ややかさでもってこちらを凍らせるような。そんな声音での一言が放られたものだから。
「何がだ?」
 真意を聞こうと訊き返せば、ルフィは くくっと喉の奥を引き付けさせるような声を出して短く笑った。
「初めて会った頃は、ホントに野獣みたいな眸ぇしてた。」
「………。」
「ミホークに会うまで、どっかでまだ"いつでも離れられる相手だし"なんて思ってたろ? 俺んコト。」
「…どうだかな。」
「ま、頼り甲斐がなきゃ離れられても仕方がないよな。」
「じゃあ、今は俺がお前をアテにしてるって?」
「そうは言ってない。」
 ゆっくりとかぶりを振って見せ、
「昔は“船長
キャプテンって呼ぶのに抵抗がない程度にはしっかりしてくれ”って、そういう感じでいてサ。好きにさせてるように見せて、その実、片時も目ぇ離さないでいた。けど、このところは余裕が出て来て落ち着いたよなって思った。俺んことも、そうそう"危ねぇなぁ"ってハラハラしながら見ていなくなった。ま・そっちは、信頼したからなのか、他に見張ってる奴が増えたから"お役御免"と見切ってのことか。どっちだか判んねぇけどな。」
「………。」
 飄々としているその態度は、しっかりと物の本質を見抜ける力あってのことらしい。妙にすっぱりと言い当てられて、その言い回しの的確さにも舌を巻きそうになる。
「何でまた、そんなことを今蒸し返す。」
 誰が何を目指そうと不問に伏すのがこの船の面々への原則であり不文律。仲間が大事だというルフィの唯一譲れないポリシーでさえ、押し付けるものではないからと敢えての無理強いはされたことがない。自分とその言動に確固たる自負と自信がある限り、命令もなければ詮索もされない…筈ではなかったかと。暗にそれを訊いてみれば、
「今日のお前、あん時のに近い眸になってるからだ。どうにもなんねぇ余熱を持て余してる。そんな顔だ。」
「………。」
 今夜のこいつには天から何か降りて来てでもいるのだろうか。ぐさぐさと痛いところばかりを見透かされ、ゾロの厳つい面差しがますますと尖った。
「…人を斬って血が高ぶるなんてのは未熟な証拠なんだよ。」
 開き直って悪かったなと吐き捨てれば、
「物足りなかったのは何も血のことだなんて言ってないぜ? そういう奴じゃないことくらい知ってる。」
「………。」
「目的なく闇雲に飢えてる野獣の目じゃないな。何かを射通した眸だ。それだから物足りないんだ。こんなもんで、あいつににじり寄れるんだろうか。そう思って…っ!」
「…っ!」
 咄嗟に手が出ていた。名前こそ出なかったが、自分が唯一ムキになってしまう、現在の"最強"の剣士を引き合いに出されたから。だが、殴る直前で止まった。拳の向こうで、にやっという強かな笑みが夜陰の中に浮かび上がる。
「どうしたよ。殴ったって応えねぇんだ。遠慮するこたねぇんだぜ?」
 挑発的な物言いだったが、言われてその通りに従ってどうするかと、ふんと吐き出すような吐息をつきつつ、腕を降ろして…その場にどっかと胡座を組んで座り込んだ。腹立ち紛れな所作の荒さから伝わったか、
「………図星か?」
 低く笑って尚のこと煽ろうとするルフィであり、それを躱して、
「何で怒らす。」
 こちらから訊けば、
「咬み殺してなくって良いってことだ。」
 船端の上、細っこい脚をそちらも胡座に組んでいて。月光が真上にあるから、帽子の影になった彼の顔はよく見えない。
「不安や苛立ちがあるっていうのは、今の自分に不満だからで、理想が高くて、まだ諦めてない証拠だからだ。」
「………。」
「偉そうだろ? 全部、シャンクスからの受け売りだ。」
 にんまりと笑った彼が口にしたその名前には、ソロにも覚えがあった。子供だったルフィに、海や海賊、冒険の楽しさを吹き込んだ、ある意味で諸悪の根源に相当する赤髪の大海賊。信念というものを彼から教わったルフィは、自分の冒険を勿論"最優先"としながらも…彼から預かった麦ワラ帽子を返すため、ずんと先をゆく大いなる勇者を追ってもいるのだ。彼にとって、秘宝"ワンピース"を追うことと同じくらいに大切な使命でもあるのかも知れないその"約束"が、何故だろうか、やけに苦々しいもののように思えて来て。女々しい想いを振り切ろうとしてか、

  "………チッ。"

 小さく舌打ちをしたその途端、息がホントに苦しくなって来て……………。








            



  「…っ!」


 暗くて深い海の底から、呼吸の限界に急かされて じたばたとなりふり構わず駆け上がって来たような。そんな目覚め方をした。呼吸が妙に辛くって、意識して胸板を広げるようにして大きな息を何度かしてみる。
"………何だかな。"
 自分でも何となくジレンマに感じていることを、そんなことは忘れて過ごせると…微妙に安らぐところと決めていた存在からずばりと指摘されるのはなかなかキツイ。たとえそれが、浅い眠りの中で遭遇した単なる夢であってもだ。妙にリアルで、気持ちにぐっさりと来た奇妙な夢。鬱屈なんて面倒なもの、この船での…お気楽な割に波瀾万丈な航海に付き合っている自分は欠片ほどにも抱えちゃいないと思っていたが、焦りとしてならついつい浮かんでいたらしいなと、あらためて感じて苦笑しかかったその途端、

  「…どうした?」

 寝ぼけ眼のままに、懐ろの中から見上げてくる気配がある。まだどこか、記憶が混乱状態にあったのか、一緒に寝付いた相手だというのに、何でこいつが此処に居合わせるのかと、夢の彼方に置き去りにして来た筈だと、内心で どひゃあっと跳ね上がりそうになった剣豪さんであり。
「…なんでもねぇ。」
「ふ〜ん…。」
「………なんだよっ。」
「別に。」
 何でもないならそんで良いじゃんかと、毛布の中で同じ温度になってる肌同士をふにふにとくっつけて来る。仔猫のような無邪気な仕草。どこまでもすっかりと気を許し合っているからこそ、一番無防備な姿を晒して凭れかかれる相手だと、彼の側からも思われているという ささやかな優越感が、今更のように擽ったかったが、

  「俺じゃあまだダメか?」

 ぽつりと。小さな声がした。
「何がだ。」
 寝乱れた毛布を直してやりながら、ぽさぽさの髪に吐息をくぐらせるようにして訊き返すと、

  「誰が相手でも愚痴とか言うような奴じゃないって判ってるけどさ。」

 拗ねたような、くぐもった声で返して来て。
「そのっくらいの動揺や苛立ちくらい、すぐに均しちまえる奴だって、そんな度量も知ってるけどさ。何でも一人で抱え込んじまわないで、たまにはアテにしてくれたって良いじゃないか。八つ当たりでも良いからさ。」
 何だか。夢の中に現れた"彼"と似たようなことを言う。挑発的でこそないけれど、何にか苛立ってないかと、やはり見透かされているみたいであって。だが、
「たまには飲み込み切れない時だってあるんだろ?」
 にひゃっと微笑う幼いお顔に、
"………。"
 ふと…何故かしらホッとした。ルフィだとて"海賊王"になろうという男なのだから、夢の中で並べてくれたような"色々"を矜持やポリシーとして持っていること自体は構わない。それこそ頼もしい限りで良いことだ。ただ、すらすらさらさら語れるような形式にまとまらず、漠然と、若しくは漫然としたものとして抱えているだけだと思う。

  "ガキだと馬鹿にしてんじゃねぇんだが…。"

 今の自分がそうであるような、過渡期にある者の歯痒さやジレンマと共に、はみ出した何かに焦れたり、足りない何かに餓かつえたり。そんな"漠然"を持て余しながら、こちらもまだ形を取らないでいる曖昧なエナジーの塊りの熱さに、素直につき動かされては後先考えずに駆け出す彼でもあって。

  ――― 冒険だ、冒険っ。何かワクワクすんじゃんかvv

 無邪気な子供のように屈託なく見せていても、多分…ルフィにだって自覚のある未分化なところ、歯痒いところはあるのだろうし、何でもかんでも"ま・いっか"で片付けてはいまい。表向き、割り切った振りをしながら、腹に仮置きして溜めたままにしているものも多々ある筈だ。それでも…昂然と頭を上げ、胸を張って歩き続けることの出来る分厚い人性を根本に据えた、いざという時、これ以上はないくらい頼もしい奴。

 『俺は10年待った。覚悟はとうに固まってたけど、
  海へ出るのに必要なものを、自分の中へ揃えるのにそんだけかかった。』

 最初の小船。二人きりの晩の幾つか目に、意気揚々とそんなことを話してくれたルフィは、今も変わらぬ瞳のままに未来を見据え、そこへ連れてく仲間たちを…本人さえそれと知らぬ底抜けの魅力と覇気とで牽引してくれる。

  "わざわざ焦らなくとも、
   冒険も災難も、向こうからどかどかやって来てくれる航路なんだしな。"

 焦るこたぁないと、暢気でいようやと。そんな姿勢もやっぱりきっと、彼が憧れる赤い髪の海賊に教わったものなのだろう。どんな奴なのか、一度逢ってみたいものだなと、先程までとは打って変わってのんびりしたことを思ったこちらの気配を感じたのか、
「ふにゃん…。」
 くあぁあと、大きな口を開けての欠伸を一つ放つと、そのまま胸板の上へ頬を埋めて来て、むにむにと頬擦りしながら寝直す彼であり。


  「もう寝るぞ。」
  「おー。」


 夢も野望もでっかい子供。なのに、こんなに小さく丸めた身を、こしこしと甘えるように擦り寄せて来る、愛しい子供。いいさ、どこまでもついてってやろうじゃないかとの誓いも新たに。余計な微熱を振り払い、同じ温度の夢へと潜り込む、こちらさんもまだまだ青い、未来の大剣豪さんでありました。


  ――― 明日へと続く良い夢を、どうか堪能して下さいませです。





  〜Fine〜  04.6.2.〜6.3.


  *後段では添い寝してるから"蜜月〜"にしようか"アルバトロス"かなと、
   悩んだ末の"月下星群"でございます。
   あああ、でもなんか。
   シリアスには向いてない体質になってしまったみたいで、
   ゾロさんではなく実は私自身が、
   書きながらどうにも歯痒かったお話でございます。
   初期のお話なんかは、結構シリアスな論を展開してもいたんですがね。
   とほほんだ、こりゃ。(苦笑)

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