月下星群 〜孤高の昴・異聞

  天上の海・掌中の星 夜陰静謐


          




 …ふと、眸が覚めた。まだ夜中なのに。肩の先っぽが少ぉし肌寒いような気がしたせいかも知れない。クーラーは嫌いだから使ってはいない。窓を少しだけ開けているだけなので、このところの熱帯夜、蒸し蒸しするなら判るけど…?
「…あえ?」
 そんなこんなを辿っているうち、別なことへも何だか変だなと感じた。自分へとかかる重力が変だ。横になって寝ていた筈が、縦に身を起こしているのだ。いくら寝相が悪いと言ったって、これは物凄くはなかろうか。壁に引っつく以外に"支え"はない筈なのに、ベッドの真ん中に居ながら何かに凭れているらしくて。眸を開けると、目の前には………。
"えーっと…。"
 それが、黒っぽいシャツの襟の合わせの切れ込みから覗いてる、誰かの胸板…の鎖骨の合わせ目辺りだと気がつくまで、ちょっぴり間がかかった。
「起きたか。」
「…ぞろ?」
 懐ろの中、深々と。優しい温みの中へと抱えられている自分だと気づく。ゾロは体格が良くって。背が高いだけじゃあない、背中も胸もとっても広くって。だから、こうやって胸元へと抱き込まれると、ただくっつき合ってるって感じじゃなく、すっぽりと包み込まれてるって感じになる。それに、ゾロはあまり体温が高くない。だから、この暑い盛りでも暑苦しくはなくって………、あれ? でも、なんか寒いんだよな。こうやってると暖ったかいって思えるほどに。
「どしたの?」
 呂律が回らない。頭の大部分が、まだ眠っていようよ状態に
(笑)未練がましく居続けているせいだ。だって、とても気持ちがいい。頬をくっつけた胸板は、さらさら温かくて、いい匂いがして。そんな筈ねぇってゾロはいつも言うけれど。俺は畏(かしこ)くも精霊様なんだから、人間にそうまでくっきり確認されるような存在感はない筈だって、むすっと怒ったようになって言うんだけれど。どうしてもそう感じられるのだから仕方がない。瞼が重くて眠いのに、そんでも訊いてみたんだのに、
「何でもねぇよ。」
 ゾロの声は素っ気ない。
「でも。」
 添い寝してもらうほど子供じゃないし、そんなことをねだった覚えもない。何か変だってばと思って、
"…うっと、うっと。"
 ちゃんと起きてないから、頭が回ってないから太刀打ち出来ないのかな。だったら起きて向かい合おう…と思った途端、

   「…眠れねぇんでな。お前の寝顔でも見りゃあ…って思ってな。」

 そんな声がして、大きな手のひらが少年の丸ぁるい後ろ頭をごそもそと撫でた。
「俺の? 寝顔?」
「ああ。」
 見上げても、相手の顔は見えない。見えないようにわざと、懐ろの深みにまで抱えられているのかもしれない。
「俺の寝顔?」
「ああ。」
 ぶっきらぼうな声で繰り返し、
「…いいから、とっとと寝てな。」
 どこか突っ慳貪な言い方だが、何だか…嬉しくて。ルフィは"うくく…"と笑うと、
「うん。寝るvv」
 素直に瞼を伏せる。だって、とっても気持ちがいい。温かくて、さらさらしてて。いい匂いがして、頼もしくって…。いつもどっか突っ慳貪だけど、我儘全部聞いてくれる。ホントは凄っごいやさしいゾロなんだって知ってる…もん…な………。




        ◇







   「………………。」


 割とがっちりした作りの寝台の中央辺りに座り込み。左の腕だけで、余裕で抱えた少年の身体。肘辺りで腰を支え、そこから先で背を掻い込み、大きな手のひらで頭をそっと自分の胸板へと伏せさせて。懐ろに深く、そっと抱え込んだ小さな温もりが、再び寝息を刻み出したのへ、知らず小さく口許がほころぶ。丸ぁるい額が、やわらかな頬が、夜陰の中、真珠の白に浮かび上がって愛惜しい。臥せられた目許に額髪の陰がかかって脆そうな翳りがかかっているのが、いくらなんでもそこまで幼子ではないと判っているのに、どこか"いたいけない"という表現が自然と浮かんでしようがない。
"…ったく、可愛いもんだよな。"
 明るくてお元気で、屈託がなくて。最初はこっちが気後れしたほど、それはそれは無邪気に懐いて来て。大好きだよと臆面もなく言ってのけてはまとわりついた、あどけない幼な子。誰からも愛され、人が自然と寄り集う、お日様のようなその生気と性質に、だが、思いもよらないほど深くて昏い"陰"までもが潜んでいようとは。
"……………。"
 前方へと伸ばして、宙へ向かってかざされた右の腕。そこに音もなく現れる白鞘の日本刀が一振り。大きな手で柄を掴んで、鞘の上部、鍔近くに巻き付けられた下げ緒の組み紐を歯で押さえ、すらりと引き抜かれた白刃は、わずかな光にもぬらぬらと濡れて。蒼月の一瞥、冴えた凝視に程よく似通った冷たく鋭いその光が、小さな小さな温みをやさしく甘く守っている側の、腕
かいなの中との一線を画す。
「こういう奴らが手ぐすね引いて狙っちまうのが、判らんではないよな。ええ?」
 ギッと。きつく絞り込まれた鋭い眼差しが睨みつけるは、数間先の闇溜まり。翡翠の双眸の撫でる先、その力強い視線にて妖かしの存在が見る見る暴き出される。その手の筋の"能力者"になら、頼りない光の塊、または温気璧という形で見えたかもしれない、そこに居る"何か"たち。広さが限られている筈の室内が、どこか歪んで奥行きが広がって見える。それほどごっそりと集まって、何やらこちらを窺いながら"うぞうぞ"と蠢いている様はなかなかに不気味で異様。得体の知れない存在なのに、意識が、気配が、こちらを向いているのはくっきりと分かる。それだけに、慣れのない者には正視するのさえ辛かろう様相だが、怖くて視線を外せないに違いない。………だというのに。
「まあ…始末された奴には伝言を残せないからな。この子の周りには、もう近寄んねぇ方が良いってのが、ちゃんと伝わっちゃあいないんだろうがな。」
 冗談めかした言いようをして、ちゃりっと。柄をきつく握り込むことで鍔が鳴る。涼やかな銀鈴を思わせる音色。されど、狙われた側には凍るような冷たさの"殺生音"。霊気によって肌触りの温度が下がっていた子供部屋の空気が、尚ますます冷えて、痛いほど尖ったような気がする。
「…やっぱ、抵抗するのか。伝言板でも作ってやらんといかんのかな。」
 日頃はうっそりとした風情のまま厳然と結ばれているばかりな、かっちりとした唇の端を吊り上げて。酷薄そうな笑みをその鋭角的な顔容へと浮かべて見せたゾロは、破邪精霊としての務めを果たすべく、


   「よく聞け、陰界に住まう輩ども。我は翠眼の使徒、破邪の精霊なり。」


 精霊刀への霊気を満たす、ほんの僅かな間合いを保たせるかのように、型通りな咒の文言を低い低い声で唱え始める。蒼い光をより帯びた"和道一文字"を正眼に構え、闇にわだかまる邪霊たちへ、その鋭気の切っ先を差し向けた


   「今ここに畏くも我が唱う、言の咒は浄封の咒。
    主
ぬしらを封滅せしめぬ"輪廻の螺旋"へ戻りたくば、
    押しいただいて、天のヴァルハラ、地の冥界へ去るがいいっ。」












          




   ぷかりと。


 どこやらから意識が浮かんで来て、現世への窓が開く。明るい空間。鳥の声やら人の声やら、靴音にスクーターや車の走行音といった、遠くに聞こえる様々な物音。とっくの先に起き出してた色々が、今起きたばかりの自分を置き去りに、元気良く駆けてく気配の物音だ。
「……………う・ん。」
 こしこしと目許を手の甲で擦って。それから、パタパタと左右を見回して。

   "…あれ?"

 何か訝
おかしい。何かが足りない。紺色のカーテンも、珪藻土っていう砂ずりの壁も、足元の方に見えるドアに貼られたセリエAの某サッカー選手のポスターも。傍らの机の上、少なくともこの何日かは1ミリと動いていないドリルや問題集の山も。壁に取りつけたフックに下がった、ネットに入ったサッカーボールも柔道着も何が入ってるのか忘れたプリント布の手提げカバンも。天井から下がってる、照明のスイッチ紐の先のイルカのマスコットも。全部、全部、見慣れたものばかりなのに。なのに何かが足りないような。
「………あっ!」
 思い出したその途端、むくっと上体を起こして。そのままぴょいっとベッドから降りて。スリッパもはかずに蹴散らして、ばたばたっと部屋から飛び出した。
「っとと、と。」
 はっしとばかり、戸口に手をかけて150度ターン。すぐ隣りの部屋のドアに身体ごとぶつかりかかったのを、手で圧し止
とどめてブレーキをかける。それから、
「ゾロっ。なあ、ゾロっっ!」
 その手のひらでバンバン…と合板の扉を叩き始めるルフィであり、ややあって、
「…うるっせぇな。」
 ドアが開いて、だが、傍らには誰の姿もない。勢い余って、
「あわわ…。」
 中へと倒れ込みかけたルフィだったが、中途の中空でその身体が斜めのまま"ふわん"と止まって、
「お前が朝に強いってのはよく知ってる。俺は夜型なんだから、いちいち付き合わせんじゃねぇって…何遍言ったら覚えるかな、この鳥頭はよっ。」
 そんな声とともに、まるで透明な水に色がついてくような案配でするするとその存在を現したのは、鋭い筈の翡翠の瞳も今は眠たげに伏せられがちとなった、
「ゾロっ!」
「だからっ、こんな近場で怒鳴るんじゃねぇっての。」
 言いながらぽこんと、軽く頭をこづいてくる大きな手も。そんなことしつつも、もう一方の手では…倒れ込みかかったルフィを支えててくれてるやさしい気遣いも、凭れ込んだ懐ろの頼もしい匂いや温かさも、すっかり馴染んだ大好きな精霊の持ち物に違いなく。
「だってよ、昨夜。」
「昨夜?」
「だからさ、俺んトコに来てたろ?」
「誰が。」
「ゾロが。」
「何処に。」
「だからっ!」
 懐ろの中から背の高い相手を懸命に見上げて言いつのる少年だったが、不機嫌そうだったゾロが…いつの間にやら"くつくつ"と笑っているのに気づくと、却ってこちらが怪訝そうな顔になる。
「…なんだよっ!」
「いや。お前、ホントに元気だよな。」
 わしゃわしゃと、ルフィの頭を…額から後ろから髪を揉みくちゃにするようにして撫で繰り回すゾロであり、
「そのお元気で、夏休みの宿題もとっとと片付けるんだな。」
 余裕のくつくつ笑いを止めぬまま、そんなことまで言い出すものだから、
「う〜〜〜っ。」
 上目遣いに睨み上げていたのも束の間、
「もういいっ!」
 どんっと両手で相手の胸板を押し返し、ルフィはそのままバタバタと部屋から出て行った。階下へ降りて行った模様だなと室内から音を追って、背の高い精霊殿はくすんと小さく笑い、こちらの部屋のベッドへと腰を下ろす。
"…やっぱり覚えていたか。"
 出来るだけ起こさぬようにと構えたのだが、やはりそこは感覚の鋭敏な子供で。奴らとの睨み合いの突端
とっぱなに、気配に突々かれてか眸を覚ましてしまった昨夜の夜半。半覚醒状態のまま、あやすように寝かしつけたつもりだったのだが、何かしら覚えていた欠片のようなものが記憶の底にでも残っていたらしい。
"………。"
 無言のまま、ぱふんと羽毛の掛け布団の上へと倒れ込む。自分が傍らにいることで、多少は牽制になってもいるらしいのだが、それでも時折あんな風に、結構な数の"お客様"がある。今でこれだ。これまでの独りぼっちの夜、どんなにか怖い想いをしながら過ごした彼なのだろうかと、それを思うと、
"…チッ。"
 歯痒くなってついつい舌打ちが洩れる。この家での留守番生活を初めてまだ日は浅いと聞いてはいる。そんなうちに彼に出会えて…間に合ったと思うべきだろうに、もっと早くに出会っていればとつい思う。あんなにも小さな彼の受けたろう途轍もない苦衷が…誰のせいでもないと判っていながら、どうしても見逃せなくて苦々しい。頭の後ろへ手枕を組み、深い吐息と共に瞼を伏せた破邪精霊は、だが、
「ぞろ〜っ!」
 階下からの声に叩き起こされた。
「…なんだっ。」
 ぱちぃっと眸を見開き、慌てて身を宙に飛ばして傍らまで駆け参じると、

   「あのな、おにぎりの具、シャケと梅干しと、他に何がいい?」

「……………お前はなぁ。」
 両手一杯にご飯粒をつけたルフィが、けろんとした顔でそんなことを訊くから。ゾロは勢い…脱力する。
「なあなあ、しそ昆布とおかかと、どっちが良い?」
「その前に、なんで"おにぎり"なんだ。」
「だって今日は、ゾロ、宿題の絵ぇ描きに行くのについて来てくれるってゆったじゃん。だから弁当作ってるんだぞ。」
 えっへんと胸を張る彼の前、流し台の上には大皿があって。たくさんのご飯粒を辺りに飛び散らかして、それでも形は結構上等なおにぎりが既に5、6個出来上がっている。
「ゾロは良く食うからな。」
「良く言うよな。俺に薦めながらその倍は食ってる奴がよ。」
 眉間にきっちりとしわを刻んで眇められた目許も、この少年には何の威嚇にもならなくて、
「なあ、昆布で良いか?」
「ええい、何でも良いよ。それよか、ほら。後は俺がやるから、お前のその手、一度洗いな。」
 先程までの苦悩はどこへやら。いきなり所帯臭くなる彼であり、

   《何だか楽しそうだから、報告は今夜に回すわな。》

 くつくつと含み笑いを滲ませたまま、どこからか聞こえて来た声があって、
「あ。」
「………いいよ、気にすんな。」
 もっと先から気づいていたが、端
はなから相手にするつもりはなかったらしい大きな背中が、肩を揺すった。それへと聞こえよがしな舌打ちの声が返って来たが、素知らぬ顔で、大きな手で握り飯を作り始める破邪精霊殿であり、
「ゾロのおにぎり、でけぇ〜。」
「こっちは良いから。ほれ、顔洗って来い。さっさと出ねぇと、すぐにも暑くなるぞ。」
「おうっ!」
 ほのぼの、真夏のとある朝。元気に弾けたお日様坊やに、ひょんなことから魅入られてしまった、月夜見の世界の精霊は、苦笑半分、けれど随分幸せそうに口許をほころばせて見せるのであった。





  〜Fine〜  02.8月末〜 02.09.6.



  *ちょっと間が空きました"天上の海、掌中の星"でございます。
   シリーズ化したもんかどうか、ちょろっと考えていたのですが、
   このお話に向いたネタがあるのなら書いても良いかなと。
   忘れた頃に思い出したように続くかと思いますが、どうかご容赦を。


岸本サマから頂いた、お素敵イラストはこちらvv → 
***


back.gif