何ということもない話
      
えぴそーど・SEVEN 〜視線まなざし
 

 今日は朝から上天気で、延々と続くなだらかな丘のような海の上には、雲母を蒔いたような細やかな光がちかちかと眩しい。甲板に出ていると、威勢のいい陽射しの下、潮の香を孕んだ風が勢いよく頬や額を叩く。大きく風を受けた帆は、船を前へ前へと快調に進める"後方からの風"を受けて膨らむのに、

  『そしたら何で、前から吹く風がこんなに来るんだ?』

 前髪を散らし、真ん丸いおでこを全開にしてルフィがそうと訊いたのへ、確かナミが答えてやってたけど………あれ? 何でだったのかな?
"覚えてないや。"
 昨夜積み込んだいっぱいの荷物の整理も、午前中には何とか済んで。キッチンからその前のデッキへと出て、ふと。何の気なしに見やった進行方向の風景に、ついつい見とれたチョッパーであり、
"いっつもあの上にいるから、ルフィには特に不思議なんだろな。"
 ルフィの特等席は、真っ向からの風を受ける船首部分のそのまた一等前。大きくて丸ぁるい、舳先飾りの羊の頭の上だ。普通はサ、航海を見守る神様とか精霊とか、それか船団のキャプテンの個性を模した何かを飾るのに、この船の舳先には…角が巻かれてて愛嬌たっぷりのメリノー種の羊さん。何でだ?って由来を訊いたら、まずはウソップが胸を張って高らかに、
『でっかいでっかい海ヒツジを倒した記念だっ』
なんて言い出してサ。顔はこんなで、でも下半身はでっかいクジラみたいな海王類。外見が剽軽なのはカモフラージュで、無表情のままに大嵐を呼んで襲い掛かり、クルーたち全員がもうダメだと絶望に泣き叫び、あわやというところで。ウソップが打ち込んだ新兵器のミラクル火炎星を飲み込んで、悲鳴を上げて逃げ去ったんだ…って、小一時間ほども力説してくれたのへ、ルフィと二人して"凄い凄いっ"てワクワクして聞き入ってたら、通りかかったナミが、
『この船を貰った時に最初からついてたからよ』
だって。メリーさんていう人がデザインしたキャラベルで、だから名前も"ゴーイングメリー号"っていうんだって。…いやいや、そういう話をしたいんじゃなくって。

  「………飽きないのかな。」

 ついついぽつりと。デッキの手摺り代わりの柵の隙間から見やった上甲板の情景へ、そんな一言を呟いた船医さんであり、
「? 何がだ?」
 やっぱりキッチンキャビンから、補充した食材の整理を終えて一息つきにと出て来た、上着は脱いだシャツ姿のシェフ殿が、小さなトナカイドクターのこぼした声を拾って訊いて来た。何となく、言うつもりもなくの呟きだったので、
「…あ、えとっ☆」
 あわわと両手を振り回して慌てかかったチョッパーだったが、そんな様子には構わずに、伸びやかな背条を"う〜ん"と延ばしがてらやはり前方を見やった金髪のシェフさんは、
「ああ、あれな。」
 くすんと微笑って手を伸ばし、足元にチョコンと立ってた小さな船医さんを軽々と抱えると、目線が並ぶように手摺りの上へ腰掛けさせた。ここから見える船の進行方向には、不安定だろう真ん丸な羊頭の上に慣れた様子で乗っかった船長さんが見えて。
「で? どっちへ言ったんだ? 飽きないのかなってのは。」
 サンジが訊いたのは。そんな船長さんの小さな背中を、少し後ろの柵に凭れる格好、同じ上甲板に座り込み、やはりずっとずっと眺めやっているのだろう、誰かさんの緑頭も見えたから。どこか楽しげに…しょうがない奴らだぜという呆れも少々含んだ、やさしい声になってるサンジなのに気がついて、
「うっと。両方に思ったんだけどサ。」
 小さな小さなドクターは…落っこちない背凭れにって背中に腕を回して反対側の手摺りへと手を突いててくれてる、小さいものにはやさしいシェフさんへ、幼(いとけ)ないお顔を上げて訊いてみた。
「出港したばっかだから、ルフィはワクワクしてる。それで特に、ずっとずっとああやってても飽きないんだろなってのは分かるんだけど。」
 ひょこりと小首を傾げて見せて、
「ゾロは? ルフィが落っこちないようにってあそこで見張ってるのか?」
 頼もしき少年船長、今や1億ベリーの賞金が懸かってる麦ワラのルフィは、自分と同じ"悪魔の実"の能力者だ。ゴムゴムの実を食べたから、殴られても堪
こたえないし、雷も平気だし、びよ〜んって伸びる反発力を利用してパンチの威力を増したり、ロケットみたいな物凄い勢いで飛んでったりも出来る。…ところで、ここで素朴な疑問を一つ。ロケットってものがあるのか? この世界。う〜ん
"でもその代わり。"
 その性質を利用して、ずば抜けた戦闘能力を身につけたルフィだが、悪魔の実が"悪魔"と呼ばれるその由縁。悪魔のような人知を越えた能力を授かる代わりに、海からは呪われ、海中へと落ちたが最後、抵抗する力を奪われて…その身はどんどん深みへと沈んでいってしまう。それでなくたってこんな船上から落ちたら、船腹にぶつかったり船が生み出す大きな波にもみくちゃにされたりしてそりゃあもう危険だのに。しかもしかも、これまでにも何度も何度も落っこちてるルフィだというのに、性懲りもなくあんな危ないところに登りたがるから、しょうがないなとゾロが見張っているのだと、これもナミから聞いたことがあるような。
「ま、そういうこったな。」
 くせのない金の髪、潮風に揺らして。サンジはにっかと笑って見せ、
「でも、それだけってんでもない。」
 シャツの胸ポケットから煙草とブックマッチを摘まみ出し、咥えた紙巻きに器用に片手でぱちんと火を点けて、
「あわや落ちるってのへ、慌てて駆け寄って手を伸ばしたって間に合う筈はねぇ。これまでの何度かで、そんなことくらいは気づいてるだろうによ。」
 そんな言いようを付け足した。だが、チョッパーには、だからそれがどういうことなのかが分からない。
「? どういうこと?」
「だから、だ。」
 サンジは擽
くすぐったげに笑って、
「奴が落ちるのが心配だとかいちいち助けに行くのが面倒だとか言うなら、命綱にって腰に縄でも巻いときゃあ良い。そうだろ?」
「…あ。」
 そうだよねと。言われて気づいて納得したチョッパーが大きな眸をますます大きくしたのへ、
「あのマリモがあそこに居るのは、ルフィが落ちるのへ素早く対応するためってことになってるけどな、実はそれってのは"二番目の目的"なんだよ。」
「二番目?」
 そ、と。くっきり頷いて、サンジは紫煙を細く吹き流し、
「…ふ〜ん。」
 チョッパーはというと、そこまで導いてもらえばその先も何となく分かるのだろう。何にか感じ入ったような声を出し、再び前方の風景を眺めやる。時々は。ルフィの手が麦ワラ帽子の上へ載ってることもあり、ゾロがごろりと横になってることもあるけれど、それでも大きく変わることは滅多にない、二つの背中だけが見えてる、穏やかそうな上甲板のいつもの風景。落っこちるとかいうことよりも先。あの屈強精悍な剣士さんは、ただルフィの傍らに居たいだけなのだ。随分と最近仲間になったチョッパーにはサンジやウソップからの又聞きな話でしか知らないことだが、ルフィの一番最初の仲間であり、相棒であり。絶対に負けないとか、きっと海賊王になるとか、今では言うまでもないようなことから少しずつ、沢山の誓いや約束を積み上げて来た間柄だという。特に、
"ゾロは元は海賊狩りだった。"
 海賊なんていう"悪党"に成り下がるのは御免だと、最初はそんな風にも言ってたらしい。そりゃあそうだよな。海賊っていうのは暴れたり騒いだり、喧嘩とか略奪とか悪いことをする"お尋ね者"だ。現にルフィにもゾロにも海軍発行の手配書が作られてる。だからさ、それを捕まえてた立場から逆の立場に変わるなんてさ、余程のことがなけりゃあ出来ないことじゃないのかって聞いたら、ゾロ本人は"よく覚えてねぇ"って笑ってた。ただサ。二人が初めて逢ったその時はルフィしかいなくて。ナミもウソップもサンジもまだいなくて。不器用で何を考えてるのか分かりにくくて、無茶ばっかするルフィしかいなくて。それだのに"ついてってやる"って。海賊の仲間になってやるって約束したゾロで。
"それってさ。"
 海賊狩りを辞めちゃったくらいに"余程のこと"。ルフィって人間を、どっしりと信頼して…たとは到底思えないから、ほっとけなくて、気になってしょうがない奴だって思って、それでついて来たってことなのかな。でもサ、ゾロはだからって何から何までルフィを庇ったりはしない。あの、どこまでも狡猾で強かったクロコダイルの追撃を食い止めるため、ルフィが砂漠に一人居残った時だって、ここは奴に任せて先へ進むんだって、一番最初にそう言ったのはゾロだった。しょうがないなってフォローするばっかじゃなく、ちゃんとルフィの技量を認めてた。海賊としての、海の男としての偉大な覚悟。それを忘れず、いつだって腹を括ってるルフィだってこと、誰よりも判ってるゾロ。
"…でも、怖い顔してたよな。"
 誰よりも本人への苦渋の決断だったんだろなと思う。それを思うと…ゾロが海賊狩りを辞めてまでついて来た時の気持ちと、今、ルフィの傍らに居るゾロの気持ちとは、微妙に色合いが違って来てるのかもしれない。それだから。すっかりと海に気を取られてる小さな背中を、それでもずっとずっと飽かず眺めている彼だというのだろうか。
「こっち向いてくれないのに、そんでも見てたいのかな?」
 どんなに間近に居たってさ、その眼差しがてんで違うものに向けられてて、関心もそっちにすっかり奪われてるなんて、あまりいい気分がすることじゃあないだろに。それとも、ゾロはルフィの背中が格別に好きなのか?と、そうまでとんちんかんなことを言い出すチョッパーなものだから、
「…あのな。」
 サンジは苦笑し、
「ただ見てるってだけでもないんよ。」
「え?」
 何だかちょっと、謎めいた言い回しをし、
「あのな…。」
 サンジは少しだけ身を屈めると、小さな船医さんのお耳へ何事か"ぼしぼしぼし…"と耳打ちをしてやる。

  「……………そんなことで何か分かるのか?」
  「まぁな。やってみ。」

 見上げた空みたいな青い眸を悪戯っぽく細めて、サンジは楽しそうなお顔で念を押したのであった。




            ◇



   「? どした? チョッパー。」

 トコトコと。階段を昇って来た小さな船医さんが、そのまま自分の傍らへやって来たので。柵に背を預けて凭れたまま、前へと投げ出された長い脚の片膝を軽く立て、そこへ肘を片方引っかけて…という、何とも寛いだ恰好でいた剣豪さんが、穏やかそうな声をかけて来る。いくら何でもこうまで近くに来た者を、何となく見やってた背中より順の次にはしない彼で。明るい陽光がふんだんに満ちた甲板の眩しさにか、切れ長の目許を少ぉし細めているお顔は、頬骨が少し立っている分、同い年のサンジよりも大人びて見えて。鋭角的なところが凛と涼やかな、何とも男臭く、頼もしいそれだ。
「あのな、今ちょっと手が空いたからさ。皆の健康診断をしようと思ってさ。そいで…ゾロが一番古傷を抱えているからさ、最初に診断しようと思ってさ。今から医務室に来てくんないかな。」
 何と言っても"戦闘隊長"だ。(comicsの"戦闘員"って紹介は何かの間違いよ。/笑)日々欠かさぬ鍛練によって練り上げられた屈強な体躯。そこから繰り出される攻撃は、素手・剣撃に関わらず物凄く、岩をも砕くほどずば抜けて強いが、戦闘ともなれば自ら進んで矢面に立つ"斬り込み隊長"でもあるだけに、それだけ…怪我や傷の方も大きいの小さいのと山ほど抱える彼であり。
「いいよ、そんなもん。」
 別にどこかが痛いの、具合が悪いのって訳でなし…と。やや眉を顰めてみせる彼であるが、
「でもさ、でも…。古い怪我って思わぬところで痛み出したりするもんだしサ。」
 小さなトナカイドクターさん、ここは…シェフ殿から吹き込まれたそのままに、ちょいと悲壮なお顔になって。どうかお願いと、うるうると潤ませた瞳にて、じ〜〜〜っとお顔を見上げたもんだから。
「わ、判ったって。」
 小さき者からの健気な圧
しに弱いところは、この船のクルーたちに共通した"人の良さ"の現れか。お願いだから言うこと聞いてと、今にも泣き出しそうなノリで詰め寄られると、そのくらいのことで泣くなとばかり、やや自堕落に座り込んでいた身を起こして立ち上がる。赤ん坊でもあやすよに、小さな船医さんを腕に抱えて、
「医務室で良いんだな。」
「うん。」
 まるでデパートの待ち合いでママを待ってたところが"おもちゃ売り場に行こうよう"と坊やからせがまれたお父さんよろしく
(笑)、よしよしと宥めながら上甲板を後にした剣豪さんである。




   ……………で。


 診察と言っても、ご本人が申告して下さったその通り、現在ただ今、どこが痛いという箇所は一つもなく。胸板や足首、下腹という大きく深い刀傷は相変わらずに痛々しいが、それでもご本人はケロッとしたもの。
「でもサ、この足首のとかはサ、ドラムに来た直前に斬ったんだろ?」
 それも…自分の手でと聞いている。無茶ばっか、するんだもんなと。不器用に縫ったらしく、ところどころで痛々しくも引きつれた傷を困ったもんだと見やりつつ、
「これからはサ、必ず俺に診せろよ? いくら回復力がずば抜けてても、最初の診察や手当ての質で、治り方も後々の障りも全然違うんだからな。」
 さっきまでの"言う通りにしてくれないと泣いちゃうぞ"という頼りなげだった風情を完全に払拭し、カルテを挟んだバインダーを振り回すようにしてプンプンと怒って見せる船医さんに、
「ああ。」
 覚えてたらなと、真剣味の薄い言いようにて応じるゾロで。そんな二人が引っ込んでいた医務室のドアが、ノックもなく不意に開いた。
「あや?」
 怪我人でも出たかと、今の今まで嵌まり切ってた"お医者さんモード"にてそちらを見やったチョッパーだったが、

  「………ルフィ?」

 とことこと中へ入って来たのは、さっきまで舳先の羊に乗っかっていた船長さんではないか。
「どしたんだ?」
 さっきサンジと話してたように、今朝ほど出港したばかりの身、今日は一日ずっと、飽きもせずに海を見てるに違いないって、そう踏んでたのに。
「どっか怪我したのか?」
 重ねて聞くと、
「うっと…。」
 戸口に凭れて、何だか…もじもじ。草履の踵を浮かせて、もう一方の脚のお膝辺りをすりすりと擦ったりして、行動派な彼には珍しくも何だか照れて見せた後、

  「何か、えと…急に居なくなったからさ。」

 そんな風に言って、彼がちろっと見やったのは。一応"診察"していたからと、丸いスツールに腰掛けていた…剣豪さんであったりした。







 その存在が同じ空間に居るという、微妙な空気のバランス。たとえ眸を伏せてのうたた寝をしていても、何故だか背中へ届く"視線"のような"意識"のようなものがあって。それが不意に消えたもんだから、落ち着けなくなってわざわざ探しに来たと。そういうことならしいなと分析したチョッパーは、
「…う〜ん。」
 再び、先程と寸分違わぬ"定位置"に戻った二人の背中を見やりつつ、彼らの向け合ってる"眼差し"について考える。海にばかり気を取られ、まったくつれない背中をゾロの側が一方的に眺めていた訳ではなく。わざわざ見つめ合わずとも、気持ちというのか気配というのか、そんな特別の"眼差し"をちゃんと受け止めてたルフィだったらしいということで。

  『ゾロをあそこから連れ出してみ。絶対にルフィが追って来るからさ。』

 今日は無理だよとそう思ったチョッパーは、まだサンジほどには彼らのツーカーさ加減を理解出来てはいないというところか。
『よっぽどの冒険とか"初物"でもぶら下がらない限り、ウチの船長さんはあの副長さんがいねぇと物足りねぇらしんだってこと。』
 ま、信じられないのも無理はないけどなと、苦笑混じりにサンジは言ってた。


  "奥が深いんだなぁ、海の男の友情って。"

   ………………。


 まあ、そういう解釈でも構わないんですけれどもね。
(笑)




  〜Fine〜  03.6.12.


  *My Diary 600hit リクエスト
     ヒロ様『"何ということのない話"にて、目、もしくは視線、瞳。』

  *すいません。
   "何ということのない話"にあるまじき長さになってしまいました。
   船上ものへの勘もかなり鈍っておりますようで。
   修行して出直して来たいです。ううう…。


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