何ということもない話
えぴそーど・TWO 〜匂い

通りかかったすれ違いざまにいい匂いがした。
ケーキや料理の匂いでもないし、煙草の匂いでもない。
コックには禁物だからって、香水も化粧水も使ってないって。
だのに、何の匂いだろう。
ちょっと甘いような、だけどスーッとするような。
古い本のような、下ろしたての服のような。
うまくは言えない、いい匂いだ。
「…こらこら、こらこら。お前は犬かっ。」
あんまりクンクンと上着や襟元に鼻を寄せたから、
煙草が当たると危ないだろうがって叱られた。
「だって、何の匂いか判らないんだ。」
「俺だって知らねぇよ。今日はまだデザートや夕飯の仕込みはやってないし、朝と昼は…何食ったか覚えてるか?」
「ええっとっ、朝はミネストローネっていう具の多いスープと卵で揚げたパンと、アスパラのベーコン巻きとささみのフリッターと、りんごのコンポート(砂糖煮)っていうやつ。」
 *卵で揚げたパン=フレンチトーストのことらしい。
「昼はボンゴレっていう貝のスパゲティと、海草のサラダと白身魚のカツレツと、スフレっていうケーキ。」
「よーしっ、完璧。」
せめて一日はちゃんと覚えてないと、同んなじの二度と作ってくれないもんな。
おいおい
「そのどれかに似てる匂いか?」
「んーん。」
どれとも似てない。
「じゃあ…きっと俺の匂いなんだろうさ。」
「サンジの匂い?」
「ああ。物心ついたくらいからずっと調理場にいたから、食材や香辛料の匂いも染み付いてるだろし。そういうのが混ざって俺自身の匂いになってんだよ、きっと。」
「そっかー。」
あらためて…懐ろにもぐりこむようにしてネクタイの辺りを嗅いでみる。
ちょっと甘いような、だけどスーッとするような、
古い本のような、下ろしたての服のような。
うまくは言えない、けれどとってもいい匂いだ。
「これってサンジの匂いなのかー。」
「そうあんまり"匂う、匂う"って言うなよな。なんだかプンプンと臭いみたいで気になるだろうがよ。」
苦笑混じりに答えてから、ちょっと…ぴくっとしたような。
「…大体、お前の好きな匂いってのは"向こう"にいるだろが。」
「向こう?」
立てた親指で肩越しに指さしたのは前方の上甲板。あ…そっか。
「うん。そうだった。」

           ◇

 臆面もなく“にっかーっ”と笑って駆けてゆくのを背中で見送って、
“今の寒気は、もしかして殺気だろうか。”
 ゆっくりゆっくり、そぉっと覗くと、だが、某剣士殿はいつものように昼寝の最中。
頭の後ろに腕を組み、上甲板を縁取る柵に凭れて“置物状態"のままである。
“けどなぁ、あいつ、ルフィに関しては寝てても見えてる時があるからなぁ。”
 …前話『無心な横顔』参照ってか?

〜Fine〜
                                      00.6.29.〜6.30.


*あとがき*
何だかしょっちゅう“匂い”をネタにしているMorlin.ですが、実を言うと、匂いと声というダブル体感要素は、Morlin.にとって堪らないツボなんですねぇ。中井和哉さんも勿論大好きだけど、一番好きな声優サンは田中秀幸さんです。

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