月夜見
 puppy's tail 〜その17
 

  カイくんのこと


 遅い春先、やわらかな若葉としてあちこちの梢の先へと萌え出した新緑が、今ではしっかりとした張りを見せ始め、よくもこんなに種類があったものだというほどの 翠・碧・緑が辺り一面にあふれている。行ったり来たりを繰り返しながらも、季節はゆっくりと、そして着実に、春から初夏へと移行しており、昼間なぞは半袖になってちょうど良いほどという日さえある。
「それでも、朝早くだと まだ時々は羽織るものが要るけどね。」
 暁光を受けてきらきらと光る、ガラス玉みたいな朝露を含んだ茂みを故意
わざとにがさがさ突っ切って来たらしく。ふかふかな毛並みのところどころを濡らして縮ませて朝のお散歩から戻って来たやんちゃな奥方が、結構な広さのあるお風呂場脇の脱衣場から一丁前な言いようをして来たのへ、
「判ってるんなら、ほら、ちゃんと頭を拭きな。」
「あやあや…。////////
 洗面所でおヒゲをあたってお顔を洗ってた旦那様が…シャワーを浴びてへちょりと容積を減らした猫っ毛を見かねてだろう、新しいタオルをかぶせ、大きな手でがしがしと拭ってやっている。油断すると風邪ひくぞ、平気だもん、ツタさんが栄養たっぷりのご飯作ってくれてるから風邪なんか寄りつかないじゃない。彼なりの理屈を上手にこねるようになったのも、ある意味"成長"なのだろうか。もう良いってばと、逃げ出して来たダイニングにて、
「ツタさん、ごはんっ!」
 お元気な声を出せば、優しいお母さんがにっこりと笑ってくれる。
「はい、用意出来ておりますよ。」
 今朝はオムライスとブロッコリーの温サラダ、それとキャベツとチキンのコンソメスープ、デザートには苺と黄桃のフルーツサンドです。毎食きっちりとバランスの良いメニューを用意して下さる、しっかり者のお母さんに、小さな奥方"うわいvv"と大はしゃぎ。それから、

  「海
カイくんもおはようvv

 既に赤ちゃん用のお椅子に座って待っていた、小さな坊やの傍らへと飛んでゆき、身を屈めると、ほっぺとおでこへ軽やかにキスしてご挨拶。途端に"きゃうvv"とご機嫌そうなお声を立てて笑ってくれる可愛らしい男の子。しっとり柔らかな猫っ毛も、ふかふかなほっぺもこぼれ落ちそうな大きな琥珀の瞳も、お母さんにそっくりな愛らしいお顔や姿をした彼クンこそは、こちらのお宅の熱愛ご夫婦の間に生まれた小さな一粒種。海のように大きな心根を持った人になりますようにとお父さんがつけてくれたお名前を"海
カイくん"といい、昨年の夏7月に生まれて、ただ今10カ月目というやんちゃ盛りさんである。大きな瞳を糸のようにきゅううと細め、ふかふかの頬をふんわり盛り上げて。小さなお口のピンクを覗かせて"にこぉvv"とご機嫌に微笑って見せると、どんなに気難しい人でもまずは相好を崩してしまい、構わずには居られないというほどに、それはそれは愛くるしいその上、すこぶるつきに愛想が良い子で。あまり愚図らず、いつも陽気で扱いやすい、それは良い子なのだとか。真っ赤と白のボーダーシャツに、淡いブラウンの柔らかい綿地のコール天のオーバーオールという"おしゃまさん"な恰好がこれまたよく似合って可愛らしい。
「コール天? ベッチンって言わない?」
 ベッチンは"ビロウド全般"のことでしょうよ。畝
うねみたいな条を織り出してあるから、これは"コール天"って言うの。………って、人の揚げ足取りまくるとは、さては奥方、今頃"反抗期"か? 大体、それって物凄く古い言い回しだぞ。さては、ミホークさんから授かった知識だな?(今風な言い方だと、言わずもがな"コーデュロイ"が正解です。) なんて、MCへ脱線してる場合じゃないったら。
「ま〜ま、マンマ、ヴーvv
 ロロノアさんチの王子様の小さな手に握られているのは、持ち手が輪っかになった銀のスプーンだ。まだ10ヶ月の坊やには、スプーンを摘まんでコントロールするという高度な能力などないのだが、
「"自分で"様が降臨あそばしてるからなぁ。」
 あはは、ゾロさんまで。
うう" 夫婦そろってト書きにいちいち反応せんでよろしい。今日は出勤日ではないらしき旦那様、浅い色合いのトレーナーにGパンというラフな恰好でダイニングまでやって来ると、一粒種のカイくんのふかふかほっぺを骨太な指の先でそぉっとつついた。すると、空いていた方の手がその指をぎゅうと掴んで来て、
「う〜う〜♪」
 かわいい握手にてのご挨拶。何しろ、縮小コピーかSDキャラかというほどに、ルフィ奥さんにそっくりな坊やなだけに、
「ん〜、今日もいい子だな、カイ。」
 何をやらかしても"いい子"で片付けてしまう、お見事なまでの"親ばかカップル"が此処にいたりする。………一体誰が躾けを担当するのでしょうか。ツタさんも大変だ、こりゃ。
(苦笑) 話を戻そう。お父さんが持ち出した"自分で"様というのは、何でも自分でやってみたがることであり、子供の幼児期の成長過程のところどころに必ず現れる、言ってみれば"反抗期予備軍"のようなもの。上手とか下手という以前の段階、まだまだ出来ないだろうことでも自分の手でやってみたがり、大人が見かねて手を出すとぷいっと拗ねたりヒステリックに泣き出すことさえあるそうなので、これがなかなか手ごわいのだとか。こちらさんの"自分で"様は、幸いそれほど激しいものではないのだが、それでも…今はお麩が食べたかったのと愚図り、ああごめんなさいと おうどんの載ったサジを引っ込めると、今食べてあげようと思ってたのに引っ込めたと怒り、自分用のお皿に描いてある淡い色のクマさんをカボチャのピューレで隠すなと泣いて、テーブルに突っ伏すという修羅場も時々はあって、さしものルフィが"泣きたいのはこっちだよう"と悲壮なお顔をするほどだから、乳幼児相手でもなかなかハードなもんである。(大変だ、お母さんて。)今朝は幸いいつもの如くにご機嫌さんな様子であり、一応握っているスプーンで"自分で"様も満足しているのか、
「オムライスはカイくんも大好きだもんねvv
 ふかふかとろとろの玉子と、やわらかめに仕上げたリゾット風の薄味ご飯を少しずつ。ツタさんが小さなスプーンに掬ってお口に運べば、素直にぱくんと食べて見せる。にっこにこの笑顔は、まだ季節は早いが元気なヒマワリみたいに全開の眩しさをたたえており、
「………ふや〜〜〜vv
「こらこら、見とれてないで。」
 自分のお皿に盛られたやはりオムライスのレモン色の丘に、スプーンを不時着させたままで手を止めて、カイくんの笑顔に見とれてしまっている奥方へは。旦那様が横合いから、自分のお皿のチキンライスをスプーンで運んでやって食べさせていたりする始末。

  "相変わらずですよね♪"

 いやホントに。ツタさんの思わずの感慨通り、大人たちまでもが可愛らしいご一家です、ええvv






            ◇



 ここいらは古くからの歴史もある有名な温泉地であり別荘地でもあるが、風光明媚でありながらも"観光地"ではないので、外部からの行きずり観光客が入り込むということは滅多にない。歴史記念館やら美術館などという施設もなければ喫茶店もレストランもない、それどころかコンビにだって隣町に行かなきゃないというほどの土地だからで。別荘地でありながらも、住まわっているかたがたにすれば此処が定住地でもあって。強いて言うなら"閑静な住宅地"に過ぎない。住民には少し年嵩な方々が多く、会社や現場という職場の第一線から勇退し、悠々自適の第二の人生を送ろうかというような方々が大半なので、街自体の日頃もたいそう静かであるのだが、
「それでもね、ゴールデンウィークなんかは賑やかになるんだよね。」
 盆暮れ正月だけは、都会に住まう子や孫が此処に住む両親や祖父母のところへ遊びに来るというご家庭も少なくはなく、若い世代のご夫婦や子供たちの楽しげな声が通りにまで満ち、一気ににぎわいを見せもする。景気が良かろうが悪かろうが、海外へのバカンスに出掛けるよりも、大伯父様、大伯母様へのご挨拶は欠かせないものであるとするお家は今時でもあるらしく、
「車で出れば、アミューズメント系統のあれこれがある街まですぐだしな。」
 いっそ此処を拠点とすればホテル代が浮くと考えているちゃっかり者の孫もいると、楽しげに話して下さったご夫婦もいて。まったく要領ばっかり良くなってという苦笑が、それでもどこか幸せそうだったのは正直なもの。年頃になって親掛かりは敬遠するようになる年頃だろうに、長期休暇に入るごと毎回逢いに来てくれるのが、嬉しくて仕方がないのだろう。そんなにぎわいも何とか収まって、ご町内は夏休みまでのしばしの静寂を取り戻した雰囲気。若くて撓やかな梢の隙間から降りそそぐ木洩れ陽が描くは、淡く濃く重なっては風に躍る若葉の陰の織り成す、光と陰との柔らかな拮抗によるモザイク模様。お昼前の街路をベビーカーとを押しながら、日課になってるお散歩にと出たロロノアさんチのご夫婦であり、
「あらカイくん、お散歩なんだね。」
 庭先でガーデニングに勤しんでらした、本山さんチの奥様が、こちらに気づいて気さくなお声をかけて下さる。
「お兄ちゃんたちと一緒で良かったねぇvv
 ちなみに。ご町内の方々へは、カイくんは…ルフィがミホークさんの養子となっているのと同様、戸籍の上でゾロの養子として育てることとなった遠縁の子供だということになっており、ルフィへの酷似という点から"遠縁の子供"という言い訳はあっさりと受け入れられている模様。きっと親御さんとの縁が薄いお家の子なのね、でもでも、実直で優しいロロノアさんと縁があって良かったわねと、お買い物先の井戸端ならぬ駐車場会議の場などで勝手な悲劇を捏造されて噂されていることは…今のところはルフィだけが洩れ聞いているのだが。

 …閑話休題。
(それはともかく)

 まだ10カ月。親の後追いを始めるくらいで、他所の人や他所の子供にまでは関心を示すところまで至らないはずなのだが、これもお母さん譲りの人懐っこさか、
「あ〜う、きゃうvv
 明らかに御機嫌そうな声を立て、手に握っていたパイル地のアヒルさんを振って見せるから。
「あらあら、お返事なのね、ありがとね。」
 何とも可愛らしいご挨拶へは、本山さんチの奥様も、ついつい頬が笑みにほころんでしまった模様。このカイくんたら、実は実は。お家で時々"自分で"様が激しく降臨していることなぞ欠片ほども匂わせず、
『まあなんて愛想のいい子だろうかvv
と、その愛苦しさと御機嫌さんな時の可愛らしい所作の数々でもって、ここいらの奥さん方を落としまくっている"マダムキラー"でもあるのだ、実は。
"冷静に考えりゃ、末恐ろしい子かも知れないけどな。"
 外で拗ねたことは今のところ一度もない。手がかからないと言えばそれに越したことはないことかもしれないけれど、

  "………もしかして。"

 ゾロお父さんとしては。もしかしてこれは、ある種の"防衛機能"の現れなのではなかろうかと、時々ついつい思ってしまう。どこから見ても愛らしい乳児に過ぎない男の子だが、彼もまたルフィと同様の"精霊の末裔"だ。男の子であるルフィが身ごもって、光の中からという不思議な誕生をし、授乳はやはり光に包まれて生気を注がれるという方法で受けて大きくなった男の子であり、やがては…ルフィがそうであるように、自分の意志で仔犬の姿にメタモルフォーゼ出来る能力が目覚める。そんな彼やルフィには、その正体を奇異の目で見られたり、興味本位から追われたりせぬようにという警戒のあれやこれやだって身に備わっていようから、愛想良く振る舞って警戒されないでいようだとか、怪訝に思われないようにしようという性質が、本能くらい根深いところで前以て植わっているということだってあり得るのではなかろうか。

  "……………。"

 彼にとっては、家族は心許せる人、そしてそれ以外は全部"警戒が必要な人"なのかも知れないのでは? だとしたなら、無垢で愛らしいものであればあるほどに、悲しい笑顔なのかもしれないなと、時折ふと考えてしまいもするゾロであるらしいのだが、

  「ぞ〜ろ。」

 カートのバーを握っていた手にルフィの小さな手が重なった。いつの間にか本山さんのお宅の前を既に通り過ぎていたらしく、人の目がないとなれば遠慮なく、くっついての甘えっぷりを示すルフィではあったが、今回のはそうではないらしい。

  「また何か考えてたろ。」

 何かと気をつけねばならないことが沢山ある、特別な身であるのは確かだけれどもね。この伴侶は…こんな武骨そうな外見なのに、人付き合いなんて鬱陶しいと思い続けてた孤高な人だったらしいのに、その偏りを今になって一気に均したいのかと思うほど、ルフィのことやカイくんのことへは、驚くほどに深く細やかに考え込んでも下さる人で。慣れていないからこその"おっかなびっくり"という部分もあってのことなのだろうけれど、
「あのね。俺もカイも、そんなにも…ゾロ自身から物凄く掛け離れて繊細だって訳じゃないんだからさ。」
 人目を恐れて身を隠すような逃避行も、確かにルフィには覚えがあるけれど。今はそんなもの、全く必要じゃないほどに安穏と幸せだ。ゾロやツタさん、ナミさんやサンジさんていう素晴らしい"理解者"の皆さんに囲まれているし、カイくんだってそんなルフィの"幸せだよ〜いvv"っていう気持ちの詰まった生気で育った子なのだから、ゾロが恐らく懸念しているような、健気で薄幸そうな子供…ではない。
「何かしら遠慮とか演技とかしてるんじゃないかって思ってるんなら、とんだお門違いなんだからね。家で思う存分に癇癪起こしてるのがいい証拠だよ。」
「あれは…。」
 家族だから、遠慮しないで振る舞っているんだろう? 彼には珍しくも、こそこそとそうと訊けば、
「そ。大好きで大切で、それから思いっきり全力で甘えても良い"家族"だから。」
 此処までやっちゃうと嫌われるんじゃないのかな? 試してみよっか? そんな恐る恐るな気持ちからの、繊細な駄々こねじゃない。家族なんだから無遠慮になっちゃってもゴメンよ♪…ってなもんで。嫌われっこない拒絶される訳がないっていう、絶大なる自信がある上で思い切り甘えているカイくんだというのが、ルフィお母さんにはよくよく分かるらしい。
「俺なんかはサ、ほら、自分でいうのもなんだけど、最初の頃はちょこっとくらい遠慮もあったじゃない。でも、カイはどう?」
 にぱーっという悪戯っぽい笑顔を間近から向けられて、
「………、っと。」
 それへと魂を抜かれそうになってからハッと我に返った旦那様。
おいおい

  「…そういえば。」

 そもそも幼い子供についてを良く知らないけれど、でも。カイは…あまり手のかからない育ち方こそしたものの、気性というか性格というかはおおらかで明るくてルフィと全く同じであり。いやむしろ、ルフィ以上に無邪気で屈託がなく、機嫌がこじれれば思い切り暴れても下さる。乳児を掴まえて妙な言いようだけれども、先程ちょいと考えたような"警戒"をその生態の根本から持ち合わせているのなら、身近にいる家族の方にこそ、愛想を振り撒いてでも守ってもらおうと擦り寄るものではなかろうか。
「…そっか、考え過ぎか。」
「そゆこと。」
 何をどうとまで言ってなかったのに、きちんと…取り越し苦労な感慨を抱えてたことまでルフィに見透かされていた。それへこそ、苦笑がこぼれてしまったゾロであり、その点への心配は払拭されたらしき様子であったが………。
「同じ年頃の子がいない環境なのはどうしたもんかな。」
 むしろ、これからが大変なのかもなと、子煩悩なお父さんには気苦労が一向に絶えないらしいから、

  "…おいおい。"

 もちっと大雑把な人じゃなかったかな、子供を持つとこうまで保守的になる人だったかと。ゾロの中に色々と意外性を発見出来てこちらも退屈しないばかりか、大人にどんどん成長出来そうなルフィ奥様だったりするのである。


  ――― まあ、同じ年頃の赤ちゃんを望むのは難しい土地柄だけどね。

       だろう?

  ――― でも大丈夫だよ。
       もうすぐしたら、
       俺と一緒に顔つなぎに行くことになってる家が幾つもあるから。

       ?? それって?

  ――― だから。
       7月に入れば、カイもメタモルフォーゼ出来るようになるからね。

       ……………あ。

  ――― 今年もいっぱい赤ちゃんが生まれるからねぇvv
       全部を残す家はさすがにないみたいだけど、
       今まで飼ってなかったお家に引き取られることになってる子たちの
       お引っ越し情報は収集済みだからね。



 人間のお友達より先に、わんわんのお友達を沢山作ることとなるカイくんなようですね、こりゃ。わんわんの1歳は人間の1歳よりも、会話(コミュニケーション)もしっかりとこなせれば、運動量や運動能力だって格段に違う筈だから。それが一体どういう影響を及ぼすことになるのかは、

  "………結果オーライってか?"

 いや、そこまで投げんでも。
う〜んう〜ん。





  〜Fine〜  04.5.19.


  *カウンター 135,000hit リクエスト
     Chihiro様
      『カイくんと離乳食。もしくは、同じ年頃の子供と出会う』

  *これまであまり突っ込んで書いてなかったツケが来ました。
   カイくんの容姿やら発育状況やら、
   それからそれから、現在の環境やら。
   一人のキャラクターとしてきっちり書いてなかったなと、
   重々、思い知らされてしまったです。

ご感想はコチラへvv**


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