月夜見
 puppy's tail 〜その18
 

  お嫁さんだvv


 今年の梅雨は割と"梅雨らしい雨"がよく降って。それどころか随分と大きな台風までやって来たものだから。叩きつけるような雨の音や、風に翻弄されてうねるように のたうつ木々のざわめく音に、小さな海
カイくんと二人、リビングで"怖いねぇ、早くどっか行けばいいのにねぇ"と、恐ろしげに身を寄せ合ってたルフィだったのが…ゾロにはちょこっと意外で。
『なあ、ルフィ。お前、台風とか苦手だったか?』
 雨が嫌いなのは知っている。毛並みが重くなるのと、雨に連なるいい思い出がないらしいから。だが、安全な家の中から風が轟々と吹きすさぶのを眺めるのはワクワクするとか言って、確か去年の秋あたりに上陸した台風にも、リビングを忙
せわしなくパタパタと歩き回り、今にも外へ飛び出したいかのような様子でいたような記憶があるのだが。そんなこんなを覚えていたゾロから訊かれて、
『うっと、血が騒ぐのは一緒だよ?』
 愛らしいお顔をちょっぴり傾げるようにして、大きな瞳で見つめ返して来た奥方は、
『でもなんかね。今はちょっと違うみたい。居ても立ってもいられないほど怖いってほどじゃないんだけど。』
 でも何だか。はしゃいでる場合じゃないぞ、危険な状態だぞって思っちゃうの、と。神妙な顔で言うものだから。恐らくはきっと、母親になったため、以前よりも警戒心というものが鋭敏になってる彼なのかもしれない。今はまだ乳児のカイくんを抱えてる身だから、自分だけというお気楽な立場ではないんだぞと、本能的なところが切り替わっていて。それで危険なことへの用心深さが増しているのではなかろうか。
『…まあ、無鉄砲じゃなくなってくれると、大いに助かるけれど。』
 無邪気で腕白で、好奇心も旺盛で。いつまでも仔犬のまんまな、おきゃんな感性でいるルフィなものだから。甘えん坊だったり屈託がなかったりするのは構わないが、あまりに無警戒でしかも好奇心も強いところから、危ない事へ逆にわくわくと引き寄せられてしまうことも多々あって。お屋根に登ってみたいと駄々をこね、ゾロが出掛けたその隙に、こそ〜り登ったはいいが降りて来られなくなったということもあった。屋根裏のロフトで遊んでいて、探しに来たツタさんを驚かそうと古い長持ちの中に潜り込んだはいいが、重い蓋が何かの弾みで閉まってしまい。古さ故に頑丈だった長持ちは声さえ外へ漏らさずで、半日ほども行方不明になってたという事件だってあった身だ。落ち着いてくれるのは本当に助かるのだが…。

  「…あれ?」

 台風による凄まじいまでの風への一応の用心から、扉や雨戸、鎧戸あたりを持ってかれないようにと、あちこちを打ち付けたり、庭木を支えてたりした板切れやら棒やらを解いていたゾロが、ふと、家の中が静かだなと気がついた。これも怖かったか、何か感じたか、昨夜はあまり眠っていなかったらしいカイくんが、居間へと据えられたお昼寝用のベビーベッドですやすやと寝入っているからかとも思ったのだが、そんな簡単な静けさではないような。
「ツタさん。ルフィは?」
「あら? いらっしゃいませんか?」
 こちらは泥水で曇った窓を早速拭いていた働き者のツタさんが、問われて"あらあら"と辺りを見回した。
「今日はお三時にスフレを焼きますよって言っておきましたのに。」
 あの食いしん坊さんのことだから、焼き立てにジャスト食べなければというスフレケーキのポイントは、ちゃんと覚えてらっしゃる筈ですのに、と。ルフィを知り尽くしていればこそという、さすがは"お母様"な見解を述べて下さったツタさんであり、

  「…そうだよな。そんな大切なこと、忘れてるルフィな筈はないよな。」

 おいおい、旦那様。
(苦笑) ツタさんが窓拭きを始めたくらいで、おやつの時間までにはまだ少し間がある。それでちょっとだけ、周囲を見回りに散歩に出た彼なんだろうと、ご亭主の方もあっさりと納得。もしかして…あちこちの水たまりや泥んこを撥ねまくって戻ってくるやも知れないなと、
"風呂の準備をしといてやるかな。"
 腕白な奥さんを持ってしまったが故に、こちらさんもまた段取りを読む勘がなかなかよくなった旦那様なようでございます。
(笑)





            ◇



 ふんわりと高々、誇らしげに結ばれたアスコットタイみたいな、ふかふかの胸の毛並みも愛らしく。小さなシェルティくんが街のメインストリートを、お供も連れぬまま、たかたかと軽快な足取りで歩いている。嵐の後を見て回っているらしく、

  "サカキやボニーはどうしてるんだろう。"

 野良のリーダーの二人、雨の降る日や寒い晩は、町の中ほど、教会裏の朽ちかけた倉庫に這い込んで寝てると聞いたことがあったけれど。ああまで風が強かったからな、その古ぼけた倉庫そのものが吹っ飛んではいないかしらと、それがふと心配になったらしい。台風一過とはよく言ったもので、通過後の吹き戻しの風も落ち着いた今、空は新品のに張り替えたばかりのタペストリみたいに真っ新でぴかぴかで。ちょっぴり湿気った匂いの風も、埃を含まず心地いい。ふさふさのお尻尾をふりふりと、ご機嫌なまま、風にそよがせるようにして揺らしもって歩いていると、

  "………あれ?"

 何だか華やいだ気配がするのが聞こえて来た。この土地には珍しい、何だか若々しい声が、それも複数で何やらはしゃいだように語らい合っていて。

  「凄い台風だったわね。」
  「いくら梅雨どきの"ジューンブライド"っていっても、台風はないわよね。」
  「でも、先乗りで皆さん昨日からこっちに来てたから支障もなくて。」
  「そんな簡単なことが先読み出来なくてどうしますか。」
  「そうそう。何たって"ウェザー・コンサルタント"なんだもの。」

 ルフィが向かわんとしていた方向からの声がする。さほど声高らかに話してらっしゃる訳ではなくて。るうの姿、シェルティくんになっているからこそ聞き取れるそれであり、

  「さあさ、お嬢さんたち、早く準備に入って下さいな。」
  「そうだぞ。新婦さんも直に車でいらっしゃる。」
  「こんな静かなところにご親戚がいらっしゃるなんて素敵よねぇ。」
  「緑の中でのウェディングなんて、ロマンチック〜vv
  「▽▽く〜ん、あたしもこんなところでお嫁さんに行きた〜いvv
  「あ、抜け駆け〜〜〜。」

 軽やかな笑い声が弾けて、ああやっぱり。教会の前庭、まだ露をたっぷりと含んだ芝草の向こうで、折り畳み式の大テーブルを広げたり、簡易テントみたいなルーフを張って、小さな村のカーニバル会場みたいな会場設営に勤しんでいる方々の姿が見えて来た。ゾロと同じくらいの年嵩かしら。若い男女が純白のクロスをパンっと広げたり、籐籠に可憐に盛られたお花をテーブルに並べたり。結構たかたかと小気味よく動いていらっしゃり、白い花やレースが周囲のみずみずしい緑に映えて眩しいくらい。そしてそして、

  "うわあ〜〜、これってもしかしてvv"

 少ぉし尖ったお鼻の先っぽ。教会を囲む柵の隙間から突き入れて、わいわいざわざわ、楽しそうな賑わいをおすそ分けしてもらうかのよに、お尻尾を振りながら覗き込む るうちゃんで。楽しいことが大好きなルフィが、けれど、ただのお祭り騒ぎの準備じゃあないなと。珍しくも的確な察しが出来たのは、ついつい最近、自分も同んなじお祝いをしてもらったから。

  "ここにいたら、見られるかな♪"

 教会の正面扉から表への門までのアプローチが見通せる場所ではあるけれど、そのアプローチ脇のお庭にパーティーの準備をなさっているということは、門へまで出て行くような段取りではないのかも。それよりも、皆さんのお話に出て来た、どこやらのお家からの到着というのが、もしかしたら見られるかもしんないと。そっちへの期待からお尻尾が忙しなく揺れていた るうだったのだが、

  「…あ、見て見て、あんなとこにワンちゃんがいる♪」
  「あ、ホントだ。可愛〜いvv

 あやや、やばやば。見つかっちゃった。

  「きゃ〜ん、かわいいっvv
  「見物に来たのかな。」
  「こらこら、○○ちゃん。手が止まってる。」
  「だって〜vv

 まだ何にもしてないけど、これではお邪魔かもしれないからと。罪なくらいに可愛いシェルティくん、主役の"お嫁さん"が見たかったなとそれだけが名残り惜しかったが、今日のところは諦めて。お顔を引っ込めると回れ右。元来た方へと、たかたか帰って行ったのでした。





            ◇



 時計や携帯を持ってる訳ではないけれど、家からどの辺までならどのくらいの時間で往復出来るとか、そういう感覚は確かなルフィだったから。それはお元気に"たっだいまっ♪"と、リビング側の大窓から帰れば、ツタさんがスフレの生地をカップにまとめてたところ。どんなもんだい、ジャストだったでしょと、自慢げに"あうわうっvv"と吠えてたら、

  『よ〜し、お帰り。』

 あやや。ゾロに捕まって、まずはお風呂なと、バスルームへ直行と相成って…。



  「そいでな、もうちょっとでお嫁さんが見られたかも知れなかったんだ。」

 ふかふか・ほかほかのツタさんのスフレは、ムクムクとカップの縁から高く盛り上がったメレンゲスポンジの軽さと甘さが何とも絶品で。お料理では一流のプロである、東京のサンジさんも、
『これだけは、ツタさんを師匠と呼ばなきゃな』
なんて言ってたくらい。最近やっと普通に持てるようになったスプーンにすくっては、ふうふうと吹いて冷ましつつ、ぱくぱくと幸せそうに味わっていたお風呂上がりの小さな奥方。町の教会で今にも始まらんとしていた結婚式…の準備の模様を、ゾロやツタさんへと話して聞かせた。
「きっとそれは◇◇◇さんのところの甥御さんのお式でしょうよ。」
 ツタさんが3つ目と4つ目のケーキをオーブンから出して来て、テーブルへと並べる。スィーツは特にいくらでも入る食いしん坊な奥方のため、1ダース分ほども仕込んでいらっさるらしいところが頼もしく、
「この台風で延ばされるのかしらと思っておりましたが、そうですか、お天気のお仕事をなさってらっしゃる。」
 ルフィが聞いた"ウェザー・コンサルタント"というのは、気象予報士の資格を持った人であれば、気象庁の人でなくとも…天気図や観測値を検討して局地的な予報を出してもよくなったがため、それをお商売に生かして下さいと提供するお仕事に従事している人のこと。ああまで大荒れに暴れてくれた台風だったのに、その行軍をきちんと予想し、今日の吉日の好天は確保出来るぞと判断なさっていたという会話だったのでしょうねと、その場にいなかったツタさんから解説いただいて、

  「うわ〜、それって凄げぇっ!」

 人間てやっぱ凄いなぁ、俺たちなんか、せいぜい半日かそこらの予想しか出来ないのに、と。自分の持ち前の勘や肌合いで、割と正確に予報が立てられる、自然とお友達な彼の身の方こそ素晴らしいというのに。データから台風の経過を割り出せたことへ単純に"ほえ〜〜〜"と感心しちゃう素直な子供。4つ目のスフレににこにこと手を伸ばしつつ、

  「でさ"ジューンブライド"ってゆのは何だ?」

 好奇心旺盛な奥方、耳慣れない言葉だったので、これも後でゾロかツタさんに聞こうとしっかり覚えていたらしい。
「"六月の花嫁"という意味ですよね?」
 あまりハイカラなことはよく知りませんがと、ゾロに確認するように目線を投げたツタさんで。それを受けて、
「ああ。六月に結婚したお嫁さんは幸せになれるっていう…。」
 説明しかかった旦那様の声を遮って、

  「え〜〜〜っ!」

 ルフィの大声が鳴り響く。おいおい、カイが起きるぞと。自分の分と出されてあったスフレをスプーンにすくって、ゾロがお口へと運んでやると、しっかり もごむぐと味わってから、
「だってさ、六月の方が幸せだなんて今頃言われても。」
 うう〜〜〜と。頬を膨らませて見せる奥方なのは、自分は先月、自分のお誕生日に、それはかあいらしい花嫁さんになったから。純白のミニのドレスとレースのベール。プラチナのティアラには真珠やクリスタルが煌めいていて、それと対になってたやっぱり真珠のイヤリングは、いつも使ってるのとスペアの首輪にがっちり嵌めてもらって、日頃から身につけてる彼であるのだが、そういう詳細はともかくも。どうやら、今月の方がお徳だったらしいと不満そうになっている奥方であるらしく。

  「…あのな。」

 これだけは。さしもの鈍感男で鳴らしたゾロも、そうかそうかと聞き流してやる訳には行かない。そういう問題じゃないんだよと、

  「世間様のセオリーと、俺の大事なルフィが生まれた日とじゃあな、
   記念日って意味での重さが全然違うんだ。」

 一緒にするもんじゃないと説いてやれば、

  「…あやや。///////

 どさくさに紛れて"大事な"と念を押されたポイントへ、小さな奥方が真っ赤になった微笑ましさよ。相変わらずのラブラブぶりを惜しまず発揮して下さるご夫婦に、クスクスと微笑ったツタさんが、

  「ですが、どうして"六月の花嫁"なんでしょうね?」

 あらためての疑問を口にした。それへはルフィもうんうんと頷く。
「だって、こんなに雨の多い季節なのにね。」
 もしかして…そんな気候を敬遠して予約する人が少ないからって、ブライダル関係の業界が宣伝を打った企みなのかも? 鹿爪らしくも眉を寄せ、内緒の話だよとこそこそ話したルフィに苦笑をし、

  「そういうんじゃないって。」

 ゾロがこほんと小さく咳払い。

  「六月は英語で"June"っていうんだが、
   これはローマ神話のジュノー、
   ギリシャ神話のヘラっていう女神の名前から来てる。
   神々の筆頭のジュピター、ゼウスの奥方のことで、
   妻や母親といった"家庭に入った女性"の権利をつかさどる神様だから、
   そんな月に結婚したら御加護が得られるって、古くから言われてたんだと。」

 おやおや、意外なことを知ってらっしゃる。あと、ヨーロッパでは日本と違って四月五月が雨の多い月であり、六月はバカンスに突入してお空もからりと晴れる月。そこでと、結婚式を構える人が多いらしい。筆者の付け足しはともかくも、そんな事をすらすらと説明してくれた旦那様へ、

  「…うわあ〜〜〜vv

 小さな奥方、それは嬉しそうな表情になって大きな瞳をわくわくと見開いて見せるから。これはすっかりと尊敬の眼差し。博学でお利口なご亭主なのが嬉しくて嬉しくてしようがないというお顔なのだろう。
「ゾロ、凄いっ!」
 物知りなんだなぁ、しかも隠してるとこがおくゆかしーぞっ。そうですね、ひけらかさないなんて、大人でいらっしゃる。ツタさんと二人掛かりで褒められて、いやそんな…と照れ臭げに後ろ頭をほりほりと掻いた旦那様。

  "…あのドレスを予約した店で見たパンフレットに
   そういう話が色々と書いてあっただけの話なんだが。"

 これは困った、他へまで博識を求められては大変だなと、褒められたのに余計な心配が増えてしまった、こちらも可愛らしい感慨を抱いた旦那様。お似合いなご夫婦ですことと、緑の天蓋の上、こそりと架かっていた七色の懸け橋がにっこり笑って見下ろしていたのでありました。





  〜Fine〜  04.6.23.


  *ジューン・ブライドは幸せって何でそう言うのかなと、
   実は筆者もずっと不思議だったのですが、
   いい機会だからと調べてみたらそういうことだそうです。
   てっきりブライダル業界の商戦から来たものだと思ってたんですがね。

ご感想はコチラへvv**


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