月夜見
 puppy's tail 〜その24
 

  “雪・ゆき・こんこ”


 

  雪ゆき、大好きなの。
  白くてふかふかで、つめたくてザクザクってしててネ。
  ふむとボソンって おっこちちゃうのも おもしろくってネ。
  ワンコになってるとさむくないから、いっぱいいっぱいあそんじゃうのvv



 小さな純白の毛玉が跳ね回る。ハレーションさえ起こしているほどの真っ白なキャンパスは、今朝方まだ暗いうちに新しく降り積もったらしき柔らかな新雪で。日本海側の豪雪地帯に比べれば、さしたる厚さじゃあないけれど。道路のように踏み締めるでない、個人の屋敷の奥向きに広がる庭なんて場所だから、降った雪もまた ふかふかなままでいて。小さくて軽い仔犬でさえ、上へ乗っかると体ごと底のない雪の中へ易々と沈んでしまうのらしい。
「…あれ? 海
カイ?」
 立っていると背丈の違いがあり過ぎてあっと言う間に見失う、それはそれは小さな仔犬。ウェストハイランド・ホワイトテリアのカイくんこと、此処、ロロノアさんチの可愛い一粒種くんが、現在只今、ご機嫌さんなままお庭を闊歩している筈なのだが、
「どこだ〜?」
 何しろ全身が純白で、周囲を埋め尽くしているふかふかな新雪に輪郭が完全に呑まれてしまってて“透明人間”状態。………あ、今は人間の姿じゃないのか。透明犬?
(笑)
“クリンとしたうるうる眸や、鼻の頭の黒さで判りそうなもんなのにな。”
 ………さりげなく親ばかしてます、このお兄さんてば。
(苦笑) そ〜れはともかく。庭先の雪野原が、端から端まで舞台セット並みの目映い純白だったなら、彼が挙げたように黒っぽいお眸々やお鼻という点がちょこまかと浮いて見えるのだろうけれど、微妙にデコボコしている陰があるわ、かすかに踏み荒らした足跡の穴が、そんな黒みに見えなくもないわで、

  “………わ、判らん。”

 ダルマさんが転んだとか、缶蹴りとかだったなら、これは一生かかっても勝てないかもというほど、きっちりと雪の中に紛れている迷彩振り。…いや、一生かかっても溶けない雪なんかじゃないんですが、これは“物のたとえ”というやつですので念のため。
「………お?」
 人間で言えば2等身から3等身というところか。まだまだ寸の詰まった体型なので、走り回れば勢い余って、お尻の方をぴょこんぴょこんと弾ませる。

  ――― そこで…想像してみて下さい。

 柔らかなふかふかな新雪の上へ、こちらもフワフワな雪の玉が斜面の上からぽこりと落っことされたような。手鞠のような大きさの真っ白な塊りがぽこりと不意に浮き上がり、誰の手も触れてはいないのに勝手にころころと転がってゆくのが光の加減で見えたりしたらば、
「そこかっ。」
 やっと見つけたぞと大急ぎで駆け寄るのだが、間一髪、角度が変わってか、またまた見えなくなったりして。
「お〜い、カイ?」
 そろそろ30分ちょいになろうかという時間が経過しても捕まらないというのが、我ながら情けなくて。これがルフィであったなら、お鼻が利くとか何とか言う以前に。ワンと一言 声をかけるだけで、自分からトコトコ出て来るカイだというのをよくよく知っているだけに、
“やっぱ母親の方が強いのかねぇ。”
 自信があるってのか貫禄があるってのか。そういうところを子供の側でも敏感に感づいていて。お母さんには、ちゃんと言うこと聞かないと“知らないよ”ってそっぽ向かれるけれど、お父さんだと及び腰になったり甘やかしたりしてくれるから。それでついつい、図に乗っちゃうってこともあるんだろうなと。………早くも“敗北宣言”でしょうか、お父さん。
(苦笑) どうしたもんかと、後ろ頭に手をやって、途方に暮れかかっていたお父さんだったが、

  「あうんっvv

 いきなりのお声に、すぐ足元にいたと判って、
「わっ!」
 踏んでは大変と反射的に飛び上がり。そのまま後ろへ後ずさりをしたは良かったが、
「わっ、たっ、とっ!」
 慌てた弾みからだろう、日頃は運動神経が良いはずの若いお父さん、踵が雪で隠れていた飛び石の段差に引っ掛かり、たたらを踏んで…雪の上へどさりと、お見事な尻餅をついている。頭から背中、足元までと、見事に埋まったそんなお父さんの窮状へ、
「わふっ、あんっ!」
 こりゃ大変だと思ったか、それとも“どうしたの? 新しい遊び?”と感じたか? 足元からぽそんぽそんと小さな弾む足音が上がって来て、保護色に守られていた“透明犬”くんが、お父さんの着ている紺色のダウンジャケットの胸元へカサカササと駆け上がる。
「わっ、こらって…判ったから、カイvv
 大丈夫? ねえねえ、もっと遊ぼうよ? そんな呼びかけよろしく、小さな舌でペロペロと盛んにお顔を舐めてくる、小さな小さな仔犬くん。起き上がりはせず、腕だけ伸ばして。こ〜らと大きな両手で掴まえた温もりは、外側の毛並みこそ雪をかぶって冷たいが、そのすぐ下からは温かな震えが伝わってくる。短いお尻尾をピンピンピンっと短い振幅で忙しなく振って見せ、ご機嫌だよいvvと言わんばかりの様子でいたカイくんだったが、
「あんあんっ! あん・ひゃんっ!」
 お父さんのお顔を見てしきりと鳴いてはしゃいでいたのが、自分のお顔を少ぉし上へと上げたもんだから。それからね、

  ――― あうん。

 おんやぁ? 別な位置からもワンちゃんの鳴き声が。すぐ間近、雪の中へと寝そべったままでいた、ロロノアさんの頭の上から降って来たお声が一つ。声の高さも微妙に違って、構ってという弾むような軽やかさや、好き好き好き〜vvっていう時の“く〜ん・きゅう〜ん”っていう甘い響きもない、妙に乾いた一声だったので。
“………あ。”
 そろぉっとお顔を上げた旦那様。そんな彼の視野の中、今は晴れてる青いお空を背景に、逆さまになった…お鼻の尖ったキツネさんみたいなシェルティくんのお顔が、こちらを“じっ”と見下ろして来ていて。
「…お帰り。」
「あうっ。」
 あ〜あ、あんまり喜んではいないって声ですぜ? ご亭主。






            ◇



 此処は関東の奥座敷にして、近郊都市と呼ぶにはずっと奥向き。古くから“保養地”としての名を馳せていた、ちょっぴり鄙びた旧別荘地。そんな片田舎にちょこなんと建っていた欧調建築の山荘風のお屋敷に、お若い家族がやって来たのは…今を逆上る数年前のこと。そもそもは昔の名士のお屋敷で、とある作家が家族と過ごす別邸として購入したのが十数年前。別の土地にて生活していた彼の一家の、避暑用にと使われていたものが、ふっと何年か誰も来なくなり、そして。数年前に再び戻って来た作家殿は、此処を“終焉
ついの住処すみか”としたらしく。その時に連れていた小さな少年と、作家殿の大きな息子さんとが今は一緒に暮らしており、そしてそして。一昨年の夏から、小さな家族がもう一人増えた。遠い親戚筋のお子さんか、それとも…もしかして。若いご主人がどこやらで預けていた実の子を呼んだのか。それにしちゃあルフィちゃんにそっくりだから、きっと同じお家柄から引き取った親戚の子でしょうよと、そんな評で落ち着いているらしいのだが………。
「カイ、ほら。ちゃんと頭も拭くの。」
「ちゃーちゃっ。」
 やんやんと身をよじる、暴れ盛りの坊やを上手にいなして。リビングのソファーの上で、暖かい下着とおむつ、それからふかふかな室内着を、それは手際よくちゃちゃっと着せてしまった小さなお母さん。半乾きでぽあぽあと立っているまだ細い目の黒髪を、パステルカラーのクマさんがプリントされたベビータオルでごしごしと擦ってお湯を拭ってやっており。そんな奥方の方のまとまりの悪い、けれど柔らかい髪は、
「………。」
 これもお風呂上がりの旦那様が、出来るだけ丁寧にと…無言のままに拭ってやっている。お庭で遊んでいた途中、目と目があったご亭主の手から、お口でカイくんを取り上げた奥方は、そのまま母屋へと向かってしまい、ほとんど無言のままにお風呂場へと直行。ワンコの姿のままならいざ知らず、この愛らしい少年の姿に戻ってもなお、ゾロへはむっつりと黙りこくっている辺り、
“…怒っているのかな、やっぱり。”
 滅多にないことながら、それでもたまに機嫌が悪い時は、があ〜っと怒鳴って爆発するような、判りやすい怒り方をするルフィが…こんな風に黙ってムスッとしているなんてのは、いつ爆発するのかなと思えば却って不気味で恐ろしいらしい。…微妙に尻に敷かれてます、旦那様。こっちからは到底口火を切れない口下手さんが、小さな背中の後ろに回り、黙然として手だけを動かしていると、

  「風邪ひいたらどうすんの。」

 ありゃ、やっぱりそれでか。心当たりがあるものだから、あいたと首をすくめるゾロの姿は見えまいに、奥方は容赦なく言葉を続ける。
「いくら着膨れててもサ、ゾロみたいに筋肉しか着てない人は冷え込み方が違うんだからね。」
 仕事の関係で必要だからとご主人がいっぱい集めてる運動系の資料を、時々のつれづれに読んでいたらしい奥方にしてみれば。無駄なく鍛え上げられているがため、体脂肪率があまりに低いご亭主が寒気の中で体を冷やすのが、とってもとっても心配ならしくって。先だってから雪がちらほら舞い散るようになった極寒期に入ったとあって、天然の毛皮を持ってる自分たちは構わないけれどゾロはダメと、雪の中でのお遊びに関しては、そりゃあキツク言い置いていたルフィであったりしたのだ。それなのに、何よ。あんなに言っておいたのに、自分が居ない間に何してたワケ? それが原因でむっかりと怒っているらしき奥方へ、
「そうは言うが。」
 何もこそこそと隠れて遊んでいた訳じゃあないと、こっちにだって言い分があるお父さん。ワンコ関係のお友達が呼びに来た御用があって、るうの姿でお外へ出てったお母さん。ちょうど二人ともワンちゃんの姿になってたところだったので、そのまま出掛けてったママだったのはともかくも。リビングの大窓を、どうやってだか…恐らく鍵が開いていたらしいとはいえ、あのウェスティの姿で“んしょ・んしょ”と自分で開けたらしいカイくんが、いやっほぉ〜〜〜いvvとお庭の雪野原へ飛び込んだのが、ほんのちょっとだけ目を離した隙のこと。真っ白な毛並みの彼なので雪の白さを背景にするとあっと言う間に見失う。そのまま穴ぼこや側溝に落ちたらどうしようと心配したのも束の間。日頃から口を酸っぱくして注意されていたにも関わらず、そこはやっぱり“我が子の無事を”と選んでしまい、起毛のアンダーシャツに、これはルフィが買ったらしきズボン下をはき、セーターにフリースベスト、ダウンのジャケットに、防寒性の高い作業ズボンと、そりゃあもう着たこと着たこと。相撲コントの着ぐるみみたいに着膨れて、そんな身ですばしっこいカイくんを追いかけ見守っていたゾロだったらしい。
「埋まったらって思ったら、気が気じゃなかったから。」
「気持ちは判るけどもサ。」
 大切な我が子なんだもの、傍らに寄れないなんて寂しいし焦れったいって思うのは当然だよねって。そこんトコは奥様にも判っているんだけれどもね。
「…ゾロがカイのことを心配するのと同じほど、俺だってゾロんことが心配なんだからね?」
 その小さな懐ろに、小さなカイくんをくるみ込むように きゅうっと抱きしめて。薄い肩がすぼまると、撓やかなうなじや細っこい背条の線の儚さが、より一層に強調されるもんだから。
“…うう。”
 何とも胸につらい旦那様。あんまり言葉を知らなくて、だから伝わらないのかなって思うと…不器用な自分なのが歯痒いと。焦れったげに唇を咬んでしまったりするのだけれど。でもやっぱりね、何も言ってあげられない、朴訥で武骨なご亭主だったりし。
「…………。」
 無言になった自分も悪いのに、またまた気まずい沈黙に空間が埋められそうになるのかなと気が重くなったゾロパパの耳へ、


  「凄い仲よさそうにしててサ。」

   ――― お?

  「なんか、俺が意地悪してて遊ばせてやんないって禁止してるみたいじゃんか。」

   ――― おお?

  「こそこそ隠れて遊んでたりしてサ。」

   ――― おおお?

 呟くような奥方の口調が…何となく。怒っているというよりも、拗ねてるように聞こえやしませんか?
「ルフィ?」
 頭からかぶせてやってた大きなバスタオル。それをそぉっと取り除き、まだちょっと半乾きの黒髪へ、大きな手の指を差し入れるように通して梳いてやれば、
「…狡いんだから。」
 俺だってサ、ゾロと遊びたいもん。ふににと鼻声になったのを聞いて。そこはそれ、こんな場合にまで“どうしよ・どうしよ”と慌てふためくばかりなような、情けない実績しかないご亭主ではないからね。長い腕をひょいって伸ばすと、カイくんごと小さな奥方をお膝に引っ張り上げるようにして抱え上げ、
「…る〜ふぃ〜。」
 まだちょっとは拗ねてもいる小さなお母さんが、ぷいっと向こうを向いちゃったのも構わずに、二人の愛しい宝物を懐ろの奥深くへぎゅううっと抱きしめる。


  ――― 何だよ、俺、まだ怒ってるんだからね。
       ああ、反省してます。存分に怒って下さい。(くやちゃい)
       俺ばっかりが叱る役だなんて狡いんだから。
       そうだった。ごめんな? 調子いいコトしてたよな。
       ゾロって、カイにばっかり甘いお顔すんだもん。


 前に俺がやったら叱られたことまでサ、カイには“しょうがないなぁ”って見逃してやってたりするじゃんか。この機会にと思ったか、これまで黙って溜めてたあれやこれやまで繰り出し始めた奥方だったが、ここはただただ“ごめんなさい”の一手で通すお父さん。時折不安に揺れることだってある、小さなお母さんには、本当に何だってしてあげたい。愛しくてたまらない君、健気なくらいに頑張り屋さんな君に、気が利かないなりにそれでも…精一杯の何かをしてあげたくて。不器用で鈍感な自分が悔しくて歯痒くて、泣かしたらどうしようと思えばいっそ切なくて。悪口をあんまり知らない君が、寂しいとか歯痒いとか言うのはちゃんと届いているからね。だから…幾らでも八つ当たりしてね、そうそう打たれ負けとか使い減りとかしないって事だけは自慢だし。訥々と囁く旦那様に、知らないんだからとかぶりを振りつつも…暖かな胸の中、身を揉み込む愛らしい奥様だったりもし、
“大丈夫ですって。”
 お互いに大切な人、お互いを大好きな二人なのだから、たまにこんな気持ちのすれ違いがあっても怖くなんかない。むしろ、時々は離れてみて、やっぱり寒いからくっついてようって駆け戻って。そうやって愛情を濃い物へと練り上げた方がいいんですよと、おいしいココアとほかほかのスフレケーキをトレイに抱えて、ツタさんがにこにことやって来たリビングは、いつの間にかまた降り出した雪に誰も気がつかないほどに、そりゃあ暖かな甘い空気でいっぱいだったそうですよ?




   ――― 寒中お見舞い申し上げます。





  〜Fine〜  05.1.22.


  *半端じゃないぞという冬らしい寒気の到来に、
   ついつい負けそうになってる心で書きました。(なんやそれ。)
   明け方の冷えが一番キツイですよねぇ。
   …と思って、天気予報で“冷えますよ”と言ってた晩は、
   必ずエアコンをタイマーセットしている軟弱者です。
   皮下脂肪はたぁっぷりあるのになぁ、何で堪えるのかなぁ…。

ご感想はコチラへvv**


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