“ドキドキのこわこわ”
あんね?あんね? たいふーが来たの。
びゅーって、ひゅうぅんって、かぜかぜが吹いてて。
木がいっぱい、ばさばさって、うねうねって揺れててね。
雨あめも ざざーって凄んごくて、
何か いろんな音がお家のまぁりで いっぱいしてて。
によい? けはい? そゆのも いっぱいしてて。
パパが
『たいふーってゆのは、大きなあらしのことなんだ』って、
ちゅたさんが、
『そうそう、目には見えないんですよ?』って、
そんなふに ゆってたけどもね。
ママとカイには、あのね?(こしょこしょ)
………何となく見えてたの、じちゅわ。
これって ないしょなのかなぁ。どなの? マーマ?(ひしょひしょ)
◇ ◇ ◇
残暑厳しい最中に日本へとやって来た台風9号は、八丈島から関東地方を北上して、甲信越、東北と、勢力が強いまま東日本を縦断してったその後。日本海から北海道へ再上陸したほどの勢力を保ち続けた“つわもの”で。速度が遅かった分、じっくりじんわりと居座っては、進路のその場その場へ足跡を押しつけるかのように、激しい風雨にての蹂躙をし。とんでもない雨と風の被害を各所へともたらした。箱根でも風雨は凄まじく、確か、風で折れた枝が叩きつけてたことで、亡くなられた方も出たほどで。
………で。
今回のお話は、というと。そんな暴れ者がやって来るぞと、強風や大雨への備えは出来てますかと、テレビのニュースが伝えているのを聞いていた辺りへまで、ちょっこと逆上ったところから始まったり。
ここいらとても、北海道のように滅多に来ないとまでは言えない土地柄。
「恐ろしいことですね。」
小笠原からの中継とかで、地方局の担当アナウンサーだろう、若いめの男性が安っぽい雨合羽を着てマイクを握り、今にも吹き飛ばされそうになりながらの実況中継をしている。岩場に大きな波が打ち寄せる様子を映し出している画面を見て、ツタさんがいかにも恐ろしいと言わんばかりに ぶるると肩を震わせた。
「…ふにゃ?」
広いリビングの窓の傍ら、空間を空けてるところに敷かれた、円座タイプのラグの上で。ちょっとお行儀は悪かったけれど、お散歩から戻ったそのまま。つまりはわんこの姿のまんまで、四肢を真横へ投げ出してのうたた寝をしていたシェルティくんが、ひくくとお耳を震わせると頭だけを持ち上げる。前脚の間には純白のウェスティくんが抱っこされていて。小さなママと同じポーズでネンネしていたが、こちらさんはまだ目を覚ましてはなくって。
「あらあら、すみません。」
テレビがついていたものだから、お昼寝なさっているとは気がつかなかったらしいツタさんが。小さな背中を丸めてローテーブルの上に置かれたリモコンを手にする。ピッという小さな電子音とともに、壁掛け型の大きな薄型画面が黒へと没し、
「おネムですか?」
おやつをお持ちしようかと思ったのですが、後にしましょうか? そう訊かれて、ん〜んとかぶりを振った、るうことルフィ奥様。
「…きゅ〜ん。」
まだちょっと眠いけど、前足を立てての起き上がると、そのまま上半身だけ“伏せ”の態勢。ふさふさのお尻尾を立てての後ろへ背中を延ばし、ん〜〜〜っと背伸び。
“何で目が覚めたのかな。”
テレビの音は関係ない。点いてたのにうたた寝しちゃったくらいだし、実況していたアナウンサーさんは男の人だったので、耳障りな金切り声を上げてた訳でもない。小さなカイくんは、お散歩先ではしゃぎ過ぎてのお昼寝からまだ起きない。毛並み越しの坊やの体温はじんわりとぬるくて、毛並みの薄いお腹を上下させ、くーすーと刻まれる呼吸を数えていると、またぞろ眠くなってくる。
“…っと、いけない いけない。”
キッチンの方から甘い匂いがする。カボチャのマフィンと…クルミのソフトクッキー。焼きたてを食べ損ねるのは勿体ない。
《 カイ、起っきだよ。》
キツネさんみたいに尖った鼻先でちょんちょんと、坊やの濡れたお鼻をつついてやっていると。お家のどこかで、窓だかドアだか、がたんと微かに音を立てた。まだ台風は ここからうんと遠い海の上だってのにね。
◇
精力満々な割に随分とのんびりした台風で、さあ来るぞ今来るぞと、各局のニュースが声を揃えて告げるのを聞くまでもなく。庭や周辺の出ていた小物を、物干し竿も含めて物置へと回収し。勝手口には板を打ち付け、窓という窓へ鎧戸を降ろして。備えを万全にした上で、海(カイ)くんとお風呂でアニメのお歌を5分ほどメドレーし。ママと同じ質のさらさら柔らかな髪を乾かしているうち、こっくりことお舟を漕ぎ出したので。名残りは尽きなかったが子供部屋まで運んで、やわやわの頬っぺにおやすみのキスをしてやって。
『…おや。』
居間へと戻ると、カイと瓜二つの愛しい奥方が、ソファーの背もたれへ両の腕を広げて凭れさせての熟睡状態に入っており。
『あらあら。』
ほんのついさっきまで、お夜食のおむすびを沢山作っといてねって仰せでしたのに、と。くすすと笑ったツタさんに笑い返しつつ、もう今夜は皆で寝ちゃいましょうと、早じまいを持ちかけたのが…十時を回ったばかりくらいではなかったか。
“………ん。”
一応は片付けたはずの庭先で、何かが転げているような音がする。かたんかたんという堅い音は、換気扇のシャッター扉が風に弾かれている音だろか。だが、それらは起きてから気づいたもの。トイレに行きたい訳じゃあないし、早く寝たから早く目が覚めたというよな時間でもなし。
「…ルフィ?」
ああそうか。懐ろから誰かさんがいなくなってるから目が覚めたんだ。台風の接近のせいで随分と蒸したから、タンクトップにジョギングパンツという、相変わらずの真夏の装いで、昼間もパジャマも統一している彼であり。単に目の毒なだけじゃあなく、すべすべでふわふわやわらかな素肌を、惜しげもなくのたっくさん露出させたまま、擦り寄せて来られるのは、はっきり言って…拷問に近いものがあったれど。眠ってる相手へ悪戯するよな趣味はないから、
『これはカイだ、カイ。』
自分へそんな風に言い聞かせ、何とか頑張って寝ついたってのに。
“…遅いな。”
トイレなら同じ階にある。つまみ食いにと、キッチンのある階下まで降りたとか? いや、それにしても。何かがおかしいなと室内を見回し。あっと気づいたのが、
“何で明かりを灯してないんだ?”
勝手知ったる我が家の寝室、ましてや鼻の利くルフィではあるけれど。寝ぼけ半分になってる時は別。匂いを優先して、ドアや壁があるのを見落としての、以前にも ごつんことおでこをしたたか、ぶつけたことがあったので。枕灯を点け、廊下のフットライトを点けて向かうはず。
「???」
あれれと身を起こしの、上掛けを剥いだその途端、ぱさり、何かが床へと落ちた。何だろうかと見下ろしたゾロの視野の中、自然な動作で灯した枕灯のオレンジ色の明かりの中に浮かんだのは。奥方が身につけていたわずかばかりの…寝間着代わりのタンクトップとトランクスであり。
「…はい?」
トイレに行くのにマッパになるような習慣はなかったはずだがと。何とはなく思ったその間合いに、
あおーーーーー、あお、あうん、わおーーーーっっ
屋敷を取り巻く木立や梢を縫うように吹き抜ける、鋭い風籟のうなる音たちが。より一層高まったのかものかとも思ったが。
“いやいやいや、そうじゃないだろ。”
この自分が聞き間違えるはずがない。そーか、それで着ていた一式が此処にあんのかと。そっちへの納得をお寝間着ごと拾い上げつつ、
“………でも、なんでまた。”
寝ぼけてのことにしては、きっちりメタモルフォゼしているところが道理に合わない。ある程度の意志集中が要るらしいから、寝ぼけての変化(へんげ)というのは…
“少なくともこれまでには無かったことだよな。”
そうと想いが至ったところで、慣れた足取りは居間まで辿りついており。
「………るーふぃ〜〜〜。」
「あおーーーーっ、あおっ。」
ソファーの向こう、大窓の手前辺りの空間にいるらしく。背中は濃色なのでよくは見えないが、ふかふかな毛並みの白い部分が、暗い中に浮いて見える。やはり何事かと起き出したのだろう、ツタさんが自室から出ての駆けつけたのがキッチン側の戸口に見えて。ならば構わないかなと、壁のスイッチに手を伸ばし、天井の照明を灯したその途端。
「…お。」
鎧戸の隙間から、蛍光灯よりも白々していて勢いのある、青白い閃光がチカチカッと閃いて。それとほぼ同時に、
―― っからから、ぱりぱりりり・ぱしーんっっ、と。
ドンとかゴロロとかいう低くて重い音じゃあない。すぐそこのお空をコーティングしていた玻璃の膜を叩き割ったような、そんな乾いた雷鳴が高らかに鳴り響く。ずんと間近い証拠であり。風の唸りへは同調するように あうおうと遠吠えをしていたシェルティくんが、
「………っ!」
見るからに驚いての、びびくっとその身を震わせたのが。場合が場合でなかったなら笑えたかも知れなかった反応であったが。
「…きゅう、きゃんっ!」
今になって脅えるような鳴き方を始め、おろおろと後ずさりをし始め。そこで、はたと…向背に気配をやっと拾っての振り向くと。戸口のところに立っていた旦那様の、そりゃあ雄々しくも分厚いお胸へ目がけ、
「わふっ!」
ジャンプ一番。大砲ででも打ち出されたかのような勢いにて、飛び掛かってのキュンキュンと鼻声を上げ、しきりに甘え倒したものだから。
「…だから、お前は何がしたかったんだ? んん?」
きゅうきゅうと甘えかかる毛玉を抱え、困ったもんだと苦笑する旦那様だったりしたのである。
◇ ◇ ◇
あのな、あのな、昼間っから何か背中がゾワソワしててさ。ワクワクってするよな、楽しいっていう感じじゃなかったんだけども、じっとしてられない何かがどんどん近づいて来るもんだからサ。ずっとずっとソワソワが止まらなくって。何だかちっとも落ち着けなくって。どうしてこんな胸騒ぎがするんだろうって。正体が知りたくて、それで。
「中途半端な時間に目が覚めたそのまま、寝つけないからって起き出して。」
「うん。」
「風の音に誘われて、つい遠吠えしちゃってたと。」
「うん。」
雨の音も聞こえてたしさ。ひゅうんひゅうんってのはただの風の音だってのも判ってた。ああタイフーなんだ、凄げぇ嵐が来てんだって、ちゃんと判ってたけど…と。ソファーに腰掛けた旦那様の胸元、がっつり逞しくも広い、懐ろの深みへと抱っこされての掻い込まれ。ツタさんが用意してくれた、シャケのとツナマヨのおむすび、ゾロの拳骨くらいは大きいの、2つずつを食べながら。自分の不審な行動の説明を紡いでいた奥方で。
「…お騒がせしてごめんなさいです。」
雷の音と光に感覚器を叩かれて、びくくぅっと跳ね上がった途端に我に返ったらしいところなんかは、
“そか、犬は雷が嫌いだって言うもんな。”
カイくんが起きて来なくてよございましたと、落ち着かれたのならいいんですよとツタさんが笑って。ゾロもまた、髪を撫でてやるばかりで、特に叱ろうとまでは構えておらず。ただ…。
“雨にはあんまり良い思い出はないと言っていたから。”
塞ぎ込むよりずっとマシと、言いまではしなかったが、苦笑は絶えずで。そこのところを怪しまれたらどうしようかなんて、男臭い精悍なお顔のほころび、何とか“穏やか”の範疇で収まるようにと、これでも苦心していたらしく。
「ゾロ?」
「…ん?」
もうお腹は膨れたか? 訊くとこっくり頷く姿は、まだまだ稚い少年にすぎなくて。着ていた薄着だけじゃ寒いかもと持って来た、ゾロのパジャマの上を、カーディガンのように羽織った小さな肢体は。頼りないほどやわらかな薄い肉の下、きゃしゃな骨格がすぐに触れるのが、鍛えていて標準な自分には、最初の頃はどうにも慣れなくて…怖いくらいで。風の音に、いやそれよりも、大きな嵐の襲来に、体の中で何かが黙っていない、居ても立ってもいられない、そんな血を持つ、神々しい奇跡の存在。
――― あのな、あのな、ごめんな。
いいさ。過敏なのは悪いことじゃあない。
ルフィは精霊、そういう勘が鋭いのも当たり前のことなんだよ、と。おでことおでこ、こつんこし合い。
「さて。それじゃあ寝直しますか。」
まだ夜半も良いとこな時間帯。あんまりゴソゴソしていると、カイくんが起き出して来かねない。小さな奥方を軽々と抱え上げての立ち上がったゾロに、ツタさんも頷くと、あらためての“おやすみなさいませ”を告げて。まだ窓の外では風の唸りが収まらないけれど、
――― くふふvv
お姫様だっこ…というよりは、子供抱きに近い抱え方のまんま、寝室までを運んでくれるらしい旦那様の、いい匂いのする胸板へと頬をつけ。いかにも満足げにしている小さな恋人さんへ、
“……うん。何からだって守るから。”
雨の音が、気配が嫌いと。しょげていたよりずっと良い。あらためてのそうと感じ入りながら。ざわざわ、正に嵐が荒れ狂うのへも案じることはないままに、しっかとした足取りで朝までの夢の中、一緒に行こうなと歩む、頼もしいご亭だったりするのである。
〜Fine〜 07.9.08.
*台風が北海道目がけて東北を駆け上がってたころ、
こちらでも夜半に物凄い雨が降ったんですが。
K市の通算降水量という記録では“降水なし”。
嘘ォ? そうまでも局地的な雨だったの?
母も私も叩き起こされたほどの振り方だったのに?
K市って広いんだなぁ。
めーるふぉーむvv
**

|