月夜見
 puppy's tail 〜その62
 

 “ちゅたさん、しゅごいのvv”
 

 あんね、あんね?
 カイんチにゅわネ?
 とぉっても やさしーお母さんが いましゅvv
 ちゅたさんてゆう、何でもできゅるおかーさんで、
 カイはママもパパも大しゅきだけれど、
 ちゅたさんも 大々々しゅきですっvv



   ◇◇◇


毎年恒例の箱根の駅伝が、雪の舞う中でって運びにならなかったほど、
そりゃあ穏やかなお正月だったのに。
この何日か、急に冷え込みに加速がついた。
屋外の空気には、目には見えない氷の針が溶け込んでいるかのようで、
さらされた頬や手が、
たちまち軽く凍ってしまうよな固まりようになってしまうし。
風まで吹きつけようものならば、

 「洗濯物がベニヤ板になるんだぞ?」
 「ベニあーたー?」
 「タオルがさ、
  あっと言う間にパリパリぴきぽきの堅いのになっちゃうんだ。」
 「ぱいぱいぴきぽー?」
 「そだぞ。凄いだろー?」
 「うっ、しゅごいしゅごいっ。」

 「あれで会話になってるところが、俺には凄いぞ。」
 「…旦那様。」

  それはともかく。
(笑)

お外は寒いが室内は、
暖房とそれから 天気のいい日は射し込む陽光でほっかほか。
リビングの窓辺、陽だまりの中に座っていると、
身体中がほやほやとして来て、欠伸が洩れそうになるほど暖かで。
今日はお仕事もお休みなゾロパパ、
綿入りのラグの上、小さな海
(カイ)くんと向かい合い、
ビニールのボールを転がし合ったり、
お互いのお膝の間に広げた絵本の、働く自動車の名前を言い合いっこしたり。
それはほのぼのと過ごしておいで。
結構な上背のあるパパさんは、昔は剣道で鳴らしたという猛者だったりし、
今もアスレティッククラブにて、
超有名な現役アスリートたちのコーチを請け負ってる、
そっちの世界では知らぬ者はないレベルの、
伝説の名トレーナー…なんだそうだけど、

 「こえは?」
 「う〜んと、ショベルカーかな?」
 「あたりーvv パパ しゅごいしゅごい!!」
 「そうか凄いか、嬉しいなぁ。」

小さなお手々が指す車、次々に答えて見せて。
産毛が頬にほやほやと光る童顔も愛らしい、
自慢の王子様から“偉い偉いvv”と褒めてもらっちゃあ
そうかい?なんて やに下がってるところなぞ、
プロのレスリングの選手や野球の選手らを、
あまりのキツさに男泣きさせるほどのコーチングを施しもする、
そりゃあスパルタな鬼コーチと…同じ人物とは到底信じがたいほど。
今も、大きなお手々でそれはそれはそおっと抱えた小さな坊や。
まだまだ幼児で、しかも小柄で、
片手でひょいと抱えるなぞ簡単だろうに、
そんな恐ろしいこと出来ませんと、
そりゃあ慎重に扱うのがもはや動作反射となっているほど。
そんな心掛けの下、そ〜れと抱えた坊やと共に、
お廊下へ出た二人だったものの。
とあるドアのノブに手をかけて、

 「…あれ?」

握ったノブから がちっという堅い手ごたえがあったので、
これは中から鍵がかってある反応。
だがだが、ドア前には何もなく、

 「ルフィ〜? 中か?」

思い当たった名前へ声をかければ、だがだが、

 「な〜に? 俺こっち。」

それへのお返事は、キッチンのほうから聞こえたではないか。
お返事のみならず、ご本人が姿を現し、
「俺、ここんとこスリッパはいてるから、入ってんなら判るはずだぞ?」
「だよなぁ。」
夏場の暑い盛りなぞ、面倒だからと裸足でいることが多い奥方だけれど、
さすがに寒い時期はそれも通せず。
ぬいぐるみ仕立てのような、キャラクター型のとか室内ばきとか、
あれこれ気に入って履いておいで。
で、スリッパの有無から何を言いたい彼らなのかといえば、

 「じゃあ、やっぱり誰も入ってはないのか。」
 「そうなるね。」

ルフィに続いて、やはりキッチンからひょこりと出て来たのがツタさんで。
家人はこれで全部だから、
それ以外の誰が入っているトイレだというのだろうか。

 「おや、また閉まってますか。」
 「うん。ツタさん悪いけど。」
 「かしこまりました♪」

こちら様のトイレの鍵は、
丸いシリンダー式の、最もメジャーで何の変哲もないノブに、
かんぬき型というのだろうか、
横棒が通ってるタイプの錠前が一体化している内鍵であり。
誰か入っておれば小窓が赤になり、
鍵をかってないなら青という表示の出る、
小さな小さな小窓の縁あたり。
髪からすっと引き抜いたピンで
ツタさんがちょちょいとつつくと…あら不思議。
錠が動いた音がして、すんなり開いてしまった手際の善さよ。

 「いつも鮮やかだよねぇvv」

ルフィが素直に感心するが、

 「何を仰せですか。」

ヘアピンを戻しつつ、ツタさんが苦笑を返したのは。
一番最初の騒ぎのおり、
他でもないゾロが
錠前屋さんへ電話してくださったんですのに…と感じたからで。

 「それにしたってココんトコ頻繁だよなぁ。」
 「だよねぇ。」

今までこんなコトって起きなかったのにねぇ。
そろそろノブにガタが来てるのかなぁ。
そうでも無さそうですけれどもねぇ?

 「でもだって気持ち悪いじゃないか。
  誰も入ってないトイレの鍵が中から かかっちゃうだなんて。」

そう。ここ、箱根のロロノアさんチでは、
いつ頃からかは判然としないが、
どういうものだか“トイレの鍵が勝手にかかっている現象”が起きている。
前々からではなくの、ここ最近の話であり、
だが、取り替えたので勝手が違うとか、家人が増えたので傷みが早いとか、
そういった心当たりはまるでないし。

 「…パパ、ちーち。」
 「おっと、すまんすまん。」

そうでした、用があったから来たのでしたと。
ひとまずはカイくんを連れて入ってったパパさんだったが、

 「トイレの鍵って、原則、内からしか掛けないものだよねぇ。」
 「そうですねぇ。」

ツタさんがやって見せたように、実は外からも開けられる仕組みになっているのは、
もしかして中にいる人が卒中だの動脈瘤だので倒れてしまった場合のためだそうで。
その方法で外から施錠出来なくもないが、
そんなことをする意味や必要があろう筈もなく。

 「複雑な、それこそ鍵を使って閉めるような錠ではありませんから、
  大方、何かの拍子にということなのでしょうけれど。」

こうも頻繁だと困ったことですねぇと苦笑したツタさんであり、
「だよなぁ。こないだなんて夜中に閉まっててさ。」
ツタさんが起きてて、開けに来てくれたから助かったけど、
「いっそ わんこになって外でして来よっかって思ったもんな。」
「…奥様。」
どんな緊急避難ですかと、ツタさんの苦笑がますます深まったりし。
そして、
「いやな喩えだけどお化けとかいるのかな。」
続いてそんな想像を、ルフィがついつい口にしたところ、
「みぃえ〜〜〜っ。」
今度はおトイレの中からかわいらしい悲鳴が上がり、

 「おトイレにお化けいるですか? パパ、いるですか?」
 「い、いないって。」

外でのおしゃべりが聞こえていたらしく、
お化けは怖いと騒ぎ出したカイくんを宥める、
何ともせわしい問答が中から聞こえて来たものだから、

 「…ありゃりゃあ。」

カイくんを怖がらせてどうするか、お母さん。
(笑)
その一方で、

 “お化けなんぞのせいじゃあなかろうが…。”

用が済んだのでと、お洋服を整えてお手々を洗い、
ノブの横っちょについてるタグを引いて錠を開ける。

 「…。」

こちらはこちらで、
そういう仕組みだというの、
今更のようにまじまじと眺めているお父さんだったりし。
ツタさんが言うように、本当に単純な仕掛けの錠前であり、
開け閉めのついで、
同じ動作の中でほぼ無意識に施錠している感覚になっているほど、
あまり注意を払って見ちゃあいなかった“それ”だけど。

 「う〜ん…。」

スライドさせにくい つっかえもないから、別段壊れてもない様子だし、
だっていうのに何んでまた、
ここんところ頻繁に妙な現象が起きているやら。

 「パパ?」

どしたですか?と、無邪気なお顔が見上げて来たので、
「…ああ。いいや、」
何でもないよと我に返って、ノブに手を掛け、内へと引く。
少ぉし細身の、これもまたシンプルな木製のドアで。
酒屋さんがくれたという、名言集の縦長なカレンダーが真ん中に提げてあり、
『シャガールの絵のとかもあって、好きなの選んでよかったんだけど。』
トイレに名画ってのも何だか悪いしと、そんな言いようをしたルフィだったのへ、
そもそもここには提げてなかったのにどうしてまたと聞いたらば、
『だって割りと落ち着いてじっとしてる場所だからサ。』
通り過ぎるだけの廊下の真ん中とかへは意味がないけれど、
じっとしていて視線を据えるとこだよなって、
ここにもあったらいいのにって、
いつだったか思ったのを思い出して、と。
思ったことさえすっかり忘れてたことをこそ、
照れ臭そうに微笑った奥方だったのを思い出し…、たところで、

  「………あ、そうか。」
  「どした? ゾロ。」






   想像してみてください。

   さして幅のないドアがあります。
   ドアノブはシリンダー式の丸型。
   内鍵がついていて、
   ポッチ式じゃあなくかんぬき式のが、
   真ん真ん中に内蔵されており。
   どっちかへはみ出した部分を
   横合いから押し込むことで施錠・開錠が出来ます。

   そのドアの真ん中には、
   縦に長いカレンダーが下がっています。
   ピンで直接ではなくて、
   留めるための輪のような所に紐を通していて、
   それというのも、ドアを開け閉めする遠心力に振られて、
   長い裾がひるがえり、すぐさま外れて落ちたからで。
   紐で提げれば振られようも多少はマシか、
   ピンが抜けることはなくなりましたが、



 「その代わりに、カレンダーがユサユサって左右に揺れて、
  その弾みでここのタグに当たって押し込んじまうことになっちまったんだ。」

今年、いやさ、昨年の年の暮れから提げているカレンダー。
そして、その辺りから始まった不審な施錠事件と来て、

 「ふあ〜。凄いんだ、ゾロ。」

順を追って説明されると、不思議でも何でもないこと。
それと判った、突き止めた観察力が凄いと、
小さな奥方、
手品の種明かしへ思わずパチパチと拍手を送ったくらいであり、

 「パパ、しゅごいvv」

小さな王子もまた、
何が何だかまでは判らないくせに、ママの真似っこして拍手をぱちぱち。
大好きな家族から、偉い凄いと褒められて、
まんざらでもなかった父上ではあったけれど、

 “それを言うなら…。”

坊やを先に外へ出し、自分はしばし居残って、内からドアを眺めていたゾロへ、

 『…お要りでしょうか?』

あの、これ…と。
そっとツタさんが差し出したのは、
頭が平たいのじゃあない、プラスチックにつまみのついた画鋲が1つ。
それをカレンダーの脇に刺せば、
ドアの開け閉めに揺れたところで、
そこでつっかえてノブまで行かないようになる、と。
実は随分と前に気づいてたらしい、ツタさんの方が上手だよななんて。
花を持たせてくださったことも含め、
ゾロまでもが感嘆してしまった優しいお母様。
幸せ一杯ではあれど、
時折ちょっぴり心配なところもなくはない、
無邪気が過ぎるこちらのご一家、
これからもしっかり支えてくださることでしょねvv


  「ちゅたさんっ、ちょーちょ来た、きれーねぇ。」
  「おや、ホントですね。春も間近なんですねぇ。」





  〜Fine〜 09.01.25.


  *微妙に具体的なネタだったのは、
   我が家のトイレに起きた実話だからですので悪しからず。
(笑)
   いえ本当に、誰も入ってないのになんで?ということが頻繁にあって、
   それも、年の前半が多かったんですね。
   だってほら、カレンダーっってどんどん軽くなってくじゃないですか。
   …って、そうなっても気づかんかったんかい、去年。
(爆笑)

  *それにしましても。
   こちらはワンコのお話ですが、
   他のお部屋にも、トカゲだの蛇様だの仔ギツネだのがおりますし、
   果ては猫のお侍も現れて、
   “わくわく動物ランド化”真っ最中のサイトでございます。

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