月夜見
 puppy's tail 〜その70
 

 “春は名のみの…”
 

  あんね? こないだね? みんなでお豆を撒いたの。
  いいによいになるまで、おだいどこでコロコロッてしたのを、
  えいって、ていって、お外に投げて、
  そいから今度はお部屋にも ていって投げて。
  いっつもは、食べるのポイしたらメッて怒やえゆのに、
  その晩だけ いんだって。
  おにあーそ、ふくあーちって言って投げるのは いんだって。
  おっかしーねぇvv



     ◇◇◇


坊やに変なことすると笑われてしまいましたが。
(う〜ん)
この国では、1年の内で最も気温が低い厳寒期でもある“二月”の到来。
更衣とも書いて、更に衣服をまとう月ではありますが、
その突端に、昔の暦で言うところの季節の節目があって、
しかもそれを越えたら春が立つ。
早く来いと願う、人々からの渇望の反映というのも多少はあるのでしょうが。
水仕事にと汲んだお水はまだまだ氷のようだし、
雪だって北風だってまだまだ容赦なく訪れるけれど。
それでも…昼間に降りそそぐ陽は、随分とまろやかに暖かくなって来たし、
リビングの陽だまりでくるんて丸くなってると、
足元の暖房とは別、背中のほうもほこほこと暖かい。
いいお日和ですねぇなんて、
いつも何かしらの手仕事をこなしてる働き者なツタさんが、
お膝に広げた新聞のチラシの上でスジを取っているのは、
緑も鮮やかな瑞々しいキヌサヤで。
いつも行くスーパーの前で露店を出してる農家のおばさんが、
今朝摘んだばかりの新物だよって言ってたそうな。
おひたし用の菜の花もね、
房総とか南紀とか暖かいところじゃあ、
もう収穫を始めてて出荷しているそうですし。
じきに、アスパラガスやグリーンピースだって出回るようになりますし、
キャベツもね、春の柔らかいグリーンボールっていうのが出回りますよ?

 『春って野菜ばっかなのか?』

そうですねぇ、お魚だと…関西のほう、瀬戸内周縁では、
お雛様の前後には“いかなご”っていう小さな稚魚みたいなのが出回って、
それをそれぞれのお家で“釘煮”っていう佃煮にするんですよね。
その甘辛い匂いがしだすと、春だなぁって実感なさるんだそうですよ?
あ、知ってる、ツタさんチの姪御さんが送ってくれるアレだ。
おむすびに入ってると軟らかくなってご飯に味が染みて美味しいのvv
……と、美味しいものの会話で春の到来を待ち遠しく思うところなぞ、
喰いしん坊な当家のわんぱくさんらしいところじゃああったのだが、

 「わふっvv」

ちょっとした微風にもたなびいての ふさふさと揺れる、
絹糸のような手触りのする、ふわふかな毛並みを陽に甘く暖めて。
そこはまだちょっと、萌え始めるには早いらしき乾いた芝の敷かれた庭先、
たかたったかと軽快な足取りで姿を現したのが、
シェットランドシープドッグの るうであり。
真っ赤な首輪も埋まるほどの豊かな毛並みをふるるっと揺すぶると、
濃色の三角のお耳、中折れになってたのをへらんと立てながら仰向いて、
とがった鼻先をお空へ向けて立てて見せたり。
そうかと思えば、不意に何かに警戒したかのようなすばしっこさで、
前足揃えての伏せの姿勢になりつつ、こちらをうるうるの黒い眸で見やって来たり。
ばささっと、毛並みの泳ぐ音がしそうなほどの切れのある動作は、
何事かあったのかと思わせるような、ドキドキを伝えても来るのではあるが、

 “う〜ん、尻尾がああまでぶんぶんと振られていてはなぁ…。”

明らかに、遊んでいるのだ、楽しいのだと言わんばかりなのが、
大人には見え見えなのだが、

 「ちゃーっ、マーマっ。」

小さな王子様には、まだそこまでの洞察は無理ならしくて。
大きな掃き出し窓に歩み寄ると、
小さなお手々でガラスをぴたぴたと叩きつつ、
ママが何かゆってると、微妙に興奮しておいで。

 「パーパ、あんね、カイもおんも ゆくの。」

大きなお窓は、だが坊やの力では開けられぬ。
るうちゃんこと、ママがあんなしてるのが気になるか、
お外をじーっと見ていた坊や、
とうとう自分からそうと言い出したものの、

 「お外は寒いぞ?」
 「やーのっ。おんも!」

カイも行くのと、小さなあんよで 地団駄…っぽく足踏みしだすので、
ああ判った判った、じゃあコートを着ようか?
やーの、ワンワンでゆくのと…言うが早いか、
その身をふるふるっと揺すぶると、
あっと言う間に小さなウェスティくんが、
脱ぎ散らかした洋服の中から飛び出して。
もっと低くなった背丈を延ばし、
お窓に取りついて 爪でかしゃかしゃとガラスを擦るので、

 「せめて首輪とリードはつけないと。」

飛び出せばきっと、そのままご近所一周の旅となるに違いないからと。
手際よくも小さなわんこへ首輪を着けてあげるゾロパパへは、
ツタさんが気を利かせ、ダウンジャケットと手套を差し出しており。

 「よっし、じゃあお散歩に出掛けようか。」

一刻も早くというリクエストへあっと言う間に応じてあげての、
朝のお散歩への出陣と相成ったご一家だったりし。

 『マキちゃんもリクくんもお風邪なんだって。』

仲良し子犬同盟のお友達…と言っても、
子犬のまんまなのは、今やカイくんだけなのだけれど。
そのお友達のわんこたちが、揃ってお風邪を召したのだそうで。
窓越しにご挨拶するだけの日が2日ほど続いた途端、
お外に出たってつまんないと、駄々っ子の虫が騒いじゃってる我が家の皇子。
それでなくとも、寒いこの時期はお散歩にと出てくるわんこが少ない。
犬のほうは元気でも、それを連れ出す方々の側が、
寄る年波のせいか億劫になるらしく。
大型犬なら、
日頃からアルバイトのお兄さんなぞがお散歩を担当している場合が多いので、
寒かろうが暑かろうが変わりなく出会えるものの、
小型のお座敷犬だと、屋敷の中も広いので運動も足りるだろうと、
わざわざ出て来なくなるご家庭も多くなるのが当地の冬事情…なもんだから。
当家を例外としてのお元気なご家庭の筆頭、
本山さんチや角のご隠居さんのところの、
一番に仲のいいお友達にまで…こんな形で会うこと敵わずとなったのが、
子犬のカイくんとしては面白くないらしい。

 『でもな、マキちゃんもリクくんも、
  カイが来てくれるの楽しみにしてるんだぞ?』

 『う〜〜…。』

だってだって、窓の向こうなんだもの、出て来てくれないんだもの。
それに、マキちゃんとこには今“お婿さん”が来てるから、
その子がカイんこと睨むのよ?と、
これはまあ、後から訊いた も一つの事情だったのだけれども。

 「さあ、それじゃあお散歩に行こうな。」
 「あうっわうっ!」
 「ひゃんっ!」

るうちゃんの方のリードは、
器用にも自分で玄関から持って来ていたのをかちりと留めて、さて。
中1日置いてしまったお散歩へ、
たかたかと出掛けるご一家であり、

 「随分と繊細なことを考えたり感じたり、するようになられたんですねぇ。」

まだまだ赤ちゃんのようなものと、皆して思ってた坊やだが、
なんのなんの、そんな微妙な機微を捕まえての、
何かむずむずすると拗ねてた坊や。
体や運動の成長だけじゃあなく、
心もずんと育ってた坊やだったのへ、
ツタさんまでもが意外だったなぁと
感慨深げになってしまわれた、この春だったようでございます。





   〜Fine〜  10.02.08.


  *どこまで判っていてのことだか、
   大人の真似か、いやいや何かをちゃんと感じてのこと、
   小さな子供でも、ちょいと錯綜している事情を汲んでのこと、
   ここは励ますところだとか、駄々こねたらいけないんだと我慢してみたり、
   そういった深い判断をしてみたりすることがあるのに出くわすと、
   ホント、驚かされちゃいますよね。
   自分のことで一杯一杯なのは、大人のほうだったり…。
   大変なのは自分だけじゃないんだと、
   ちょっと落ち着く間合い、作ってますか?
   そういう息抜きの場として、此処も数えてもらえてたら嬉しいな…vv

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